2007-05-20

"フェルマーの最終定理" Simon Singh 著

思わず著者のファンになってしまった。きっと翻訳者の青木薫氏もうまいのだろう。本書の凄いところは、それほど数学の知識を必要とせずに数学のロマンを語り、読みものとして充分成り立っているところである。なによりも酔っ払いに読ませるところが凄い!そこには、数々の数学者が、一見簡単そうに見える難解な定理に挑み失敗し、ついに解き明かすまでの歴史ロマンが語られる。また、日本人や女性の活躍も取り上げられ、人種や差別の枠を越えている点も感銘を受ける。これはあとがきにもあるが、翻訳者の意見と一致するところである。

ここでフェルマーの最終定理を紹介しよう。
X^n + Y^n = Z^n (nは2より大きい整数) において整数解をもたない。
n = 2 であれば、ピュタゴラスの定理である。
フェルマー自身は証明により確信していたらしいが、証明したものがどこにも残っていない。彼は自分が証明した問題を他人に出して困らせるような冗談が好きだったようだ。本書は、フェルマーから350年、数学者は失われた証明を再発見しようと挑んだがことごとく失敗した。そしてワイルズにより終止符をうつ。という物語である。

1. まずはピュタゴラスから始まる。
時代は古代ギリシャ。ピュタゴラス教団は宗教集団で、その崇拝物の一つが「数」である。数と数の関係を理解することで、宇宙の霊的神秘が明らかになり、神々に近づけると信じていた。約数の和がそれ自身と同じになる数、完全数は宗教的意味合いとも関わりが深い。例えば、神が天地創造に6日かけたと主張するのは、6が完全数だからである。また、完全数は常に連続した自然数の和で表現できることや、2のべき乗数との関係を考察するなど、エレガントな性質に気づき、完全性の概念に魅了されるのである。ピュタゴラスと言えば「万物は数なり」。例えば、音の調和と数の調和から、心地よい音程の規則を追求し和音の原理を発見する。こうして自然界には必ず数が潜むとされ、規則性を探すようになっていく様が語られる。
数学的証明と科学的証明との違いについて以下のように述べられる。
「典型的な数学的証明は一連の公理から出発する。そして論理的な議論を積み重ねて結論に達する。公理が正しく論理が完全であれば得られた結論は否定できない。こうして得られた結論が定理である。数学の定理は、この論理的プロセスから成り立っており、一度証明された定理は永遠に真である。一方、科学的証明は、ある自然現象を説明するために仮説をたてる。その現象が仮説と合致していれば、その仮説にとって有効となる。更に、その仮説は他の現象も予測できなければならない。この予測を試すために実験が行われる。実験で成功すれば、更に仮説を支える証拠となる。こうして収集された証拠が圧倒的になった時に、この仮説が科学的理論として受け入れられる。」
つまり、数学的証明は絶対であり、どこか神に通するものを感じる。数学は究極の宗教かもしれない。逆に、科学理論は完全に証明されているわけではない。理論が正しい可能性はきわめて高いと言えるだけで真実の近似でしかないというのである。ピュタゴラスの最大な貢献は「数学は、他のどんな学問にもまして主観を排した学問である。」と語られる。

2. 数々の偉大な数学者が挑んで失敗した。
数学者は、フェルマーの時代には数の愛好家である。そして、18世紀にはプロの問題解決人となる。これはニュートンの自然界への応用による功績が大きい。その時代にオイラーが登場する。
オイラーは、三体問題をアルゴリズムをフィードバックし、これを繰り返すことにより近似していく手法を編み出した。オイラーのこの定理への取り組みは、背理法の一つ無限降下法を使った。それは、まず解が一つ存在すると仮定して、それが無限の下降階級まで解を求めていく。そして、これが整数であることに矛盾があるとして証明した。
これは n = 3 の時に成功する。n = 4 に拡張するのは虚数の概念を取り入れる必要があった。
それでも n = 3 までしか証明できなかった。こうして、世界一の難問に最初の突破口を開いた功績者として紹介される。
女性の数学者を認めない差別背景に苦悩しても、この定理に取り組んだソフィー・ジェルマンが、n = 5 の場合において貢献したことを紹介している。本書はフランスが生んだ最も知性ある女性に対する政治的扱いを嘆いている。
「彼女の業績を踏み台にして羨むべき栄誉の殿堂入りを果たした人々は恥じるべきである。」
現代では知識人やマスコミによる論調に流され、何が真実かわからないことが多い。いつの時代も歴史学者は論調に流される傾向にあるようだ。

これだけの問題に対して、史上最も優れた数学者と言われるガウスが挑んでいないのも不思議である。E.T.ベルは、フェルマーを「アマチュアの大家」と呼び、ガウスを「数学者の王」と呼んでいる。ガウスはこの定理に対して何の興味も湧かない主旨のことを述べている。
「このような肯定も否定もできない命題なら私はいくらでも作ることができる。」
現代の情報化社会にあってアマチュアとプロの境界線が難しい。ただ、当時からそういう状況はあったようだ。本書では、ガウスがこう述べるのはプロのプライドなのか?実は挑戦して成果が得られなかったのではないか?と疑問の目で記述される。

更に読み進み、話が論理学に及ぶと酔いも最高調となる。
ゲーデルの不完全性定理の登場で、フェルマーの最終定理も決定不可能かもしれないと示唆する。実は数学者とはただの酔っ払いではないのか?と仮説を立ててみるとアル中ハイマーには親しみを感じる。しかし、この天才連中は宇宙人のようである。やはりアル中ハイマーだけが、ただの酔っ払いであるという虚しい証明に辿り着きそうなのでこれ以上考えないことにしよう。

3. いよいよアンドリュー・ワイルズの登場。
彼は、現代数学が共同研究という文化を持つ中、あえて時代を逆行するがごとく孤独を選んだ。まずは、楕円方程式の研究から始める。ここで楕円方程式はモジュラー形式と関係づけられるという谷山=志村予想の貢献が語られる。おいらはモジュラー形式と聞いただけで頭がグルグルになる。ちょっと一息して純米系に変えよう。
ところで、26とはすげー数である。25 = 5^2, 27 = 3^3 つまり、平方数と立方数に挟まれる数字はただ一つなのである。ああええ気持ち!

背理法によるアプローチにより道筋が示される。谷山=志村予想を証明できれば、フェルマーの最終定理の証明につながるという道筋だ。更に、帰納法による証明を試みる。ある命題が、nで成り立つことを証明し、n + 1 でも成り立つことを証明できれば、無限の世界を証明できる。また、ガロアの群論を利用する。ここで、ガロアについては悲劇の生涯を紹介してくれる。
そして発表!
その証明に対する検証期間、待機している時の心境が語られる。そして問題発覚。なんと些細な問題と思っていたものが重大欠陥だったのだ。発表から6ヶ月が過ぎようとしていた時、証明は風前の灯火となりつつあった。数学の証明は、途中の苦労よりも、最後に完成させたものに勲章が与えられる。どうしても、レフリー以外の数学者に論文を見せる気になれなかったようだ。功績を独り占めしたかったのもあるだろう。誰しもある意識である。
そうこうしていると、ノーム・エルキースがフェルマーの最終定理に反例を挙げた。彼はオイラーの予想に反例を示した人物である。数論界では、谷山=志村予想が成り立つと仮定して証明されたものが何十もある。これは大事件である。しかし、この電子メールの発信は4月1日、回りまわって遅れて広まった。エイプリルフールというオチだ。
そろそろワイルズ自身、敗北を認める覚悟をする。最後の1ヶ月と決めて、失敗した原因を検証しているうちに、突然、欠陥の修正の足がかりを掴む。そして、楕円方程式の世界とモジュラー形式の世界が統一。数学の大統一である。これは、古代ギリシャ時代からの楕円方程式の古典的な未解決問題を、モジュラーの道具で再調査できるという快挙である。

4. 今後の数学界。
さて、次の難題はなんだろうか?本書はいくつか紹介してくれる。
素数の問題も、摩訶不思議な世界である。全ての偶数は素数の和で表現できるか?という問題はオイラーをもってしても証明できなかった。
ケプラーの球体充填問題の中で、ウーイー・シアンがケプラー予想の証明を発表した。これもまた欠陥があり、修正の修正を繰り返し混乱しているがシアン自身誤りを認めない。本書は、数学界がいかに自己管理制度に依存しているかを露呈している。
「トップクラスの大学に終身在職権を持つほどの教授がインチキな主張をするはずがなく、欠陥を指摘されれば、すぐに主張を撤回するだろう。という風習がある。」
実に明確で、自己理性の効いたすばらしい世界であるが、こうも述べている。
「自己管理制度を逆手に取る者は、長引く混乱を引き起こすことができるだろう。その人物の後をついてまわって、インチキな主張をするたびに化けの皮を剥がして回るほどの暇な人間はいないからである。」
現代は、これにマスコミが加担するなどの社会的問題があるものの、真の数学者は相手にしないのだ。真の有能な人物とは、無駄な事柄には関わらないのかもしれない。人生は短いのである。

ワイルズが純然たる論理を武器にしたのに対して、今後はエレガントな論証ではなく、力ずくの方法に頼ることになるだろう。これが「数学の堕落」と言われている。これはコンピュータ時代を反映しているのだろう。大まかなプログラムを数学者が作ると、遺伝アルゴリズムにより突然変異を起こし子プログラムが作り出される。これを繰り返し問題解決に至るように進化していく。目先の現象を数多く入力することで定理が得られると語られる。定理に対する真偽は答えられても、証明できない時代がくるのかもしれない。アル中ハイマーは、もう少し数学は芸術の領域に留まってほしいと願うのである。

さて、こうなると、フェルマー自身が本当に証明できていたのか?という疑問は残る。ワイルズにしても結局20世紀の手法に頼らざる得なかったわけだ。本当に17世紀の手法で解決できていたのか?そもそも350年前の証明は存在したのか?今も、オリジナルの証明法を発見して地位と名誉を得ようとしている数学者は多勢いるらしい。歴史ロマンは終わらない。酔っ払いの旅はまだまだ続く。すっかり気分を良くしたアル中ハイマーは、映画「ビューティフル・マインド」を観ながらもう一杯やることにしよう。

0 コメント:

コメントを投稿