2008-01-18

"生物と無生物のあいだ" 福岡伸一 著

本書はアマゾンのお薦めにあった。前記事で「ゲノムサイエンス」を読んだからである。アル中ハイマーは、科学の分野で生物学ほど嫌いなものはなかったが、この本のおかげで少し興味が持てるようになった。そして、なんとなくショッピングカーをクリックしてしまう。酔っ払いはネット商法に引っかかりやすい。
本書は、科学と文学を融合したような本である。それを期待して買ったのであるが。文章もなんとなく癒してくれるところがある。本書は、「生命とは何か?」という問いに対して、「生命とは自己複製するシステムである」という答えに到達するまでの物語である。生命体はプラモデルのような静的なパーツから成り立つ分子機械ではない。パーツ自体が動的なモデルである。その中で、生物を無生物から区別するものはとは何か?人間が食べ続ける意味とは何か?という問題を、人間の生命観から考察していく。

1. 野口英世像
野口英世の研究業績の包括的な再評価は、彼の死後50年を経て行われてきたことを紹介してくれる。アメリカ人研究者イザベル.R.プレセットによると、彼の業績は今日意味のあるものはほとんどないという。当時、そのことが誰にも気づかれなかったのは、サイモン・フレクスナーという大御所の存在によるものらしい。彼が権威あるパトロンとして野口氏の背後に存在したことが、批判を封じ込めたと結論付けている。むしろ、ヘビー・ドランカーやプレイボーイとして評判だったようだ。生活破綻者としてのイメージがあるが、日本では偉人伝として神秘化されている。その証拠に千円札の肖像画にもなった。野口英世の時代は、世界はまだウィルスの存在を知らなかった。黄熱病も、狂犬病も、その病原体はウィルスによるものである。

2. ウィルスとは何か?
ウィルスは単細胞生物よりずっと小さい。栄養を摂取することがない。呼吸もしない。二酸化炭素を出すことも、老廃物を排泄することもない。いっさいの代謝を行わない。ウィルスはただの機械分子のように見える。しかし、単なる物質と一線を画す唯一の特性が、自らを増殖させることができることである。ウィルスは自己複製能力を持つが、単独では何もできない。細胞に寄生することによってのみ複製する。細胞に対して自身のDNAを注入し、細胞はそのDNAを自分の一部だと勘違いして複製する。新たに作リ出されたウィルスは細胞膜を破壊して外へ飛び出す。ウィルスは生物と無生物のあいだをさまようかのようである。ウィルスが生物か無生物かという論争はいまだに続いているようだ。

3. DNAの二重ラセン構造
昔、遺伝子の本体がDNAではなく、タンパク質であるという論調が強かった。タンパク質はアミノ酸を数珠つなぎにした物質であり、この複雑な配列こそ遺伝子情報であると考えられていた。そんな時、オズワルド・エイブリーが登場する。彼は、DNAの二重ラセン構造を発見し、DNAが細胞から細胞へと遺伝情報を運ぶことを示した。そして、構成要素の組み合わせを法則としたのが、シャルガフである。だた、ノーベル賞を受賞したのは、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックである。彼らが、DNA配列を解明したと発表し、おいしいところを持っていったようだ。
DNAは、長い紐状の物質であり、強い酸の中で熱すると、その長い紐のつながりが切断されて、構成要素がバラバラになるという。その要素は、A,C,G,Tの四文字しかなかった。遺伝子情報は構成要素そのものではなく、その配列にある。更にそれぞれの文字は必ずペア構造をとる。重要なことは、DNAがラセン状に存在することではなく、ペアで存在することにあるようだ。これは生物学的に情報の安定を担保することになる。一方の文字列が決まれば、他方が一義的に決まる。二本のDNA鎖のうちどちらかが部分的に失われても修復することができるということである。生物が進化の過程で、過酷な生存競争の中で構築してきたシステムである。二重ラセンという美しいペア構造が、自己複製機構を示唆する。それは、互いに他を写し出し、それぞれラセン状のフィルムに遺伝子情報が暗号化されている。タンパク質の構造は、そのアミノ酸配列に依存し、アミノ酸配列はDNAの塩基配列に暗号化されてゲノム上に書かれているということらしい。ヒトゲノムは30億個の文字から成り立っているという。

4. シュレディンガーの問い
ここで、なぜか物理学者のシュレディンガーの二つ問いが登場する。「生命とは何か?」「なぜ原子はそんなに小さいのか?」逆に言うと、人間の体は、なぜ原子に比べてもこんなにも大きいのか?生命現象が全て物理法則に従うとすれば、様々なランダムな原子運動があるにも関わらず、生命が秩序を構築できるのは不思議である。その中に、人間の大きさの理由もあるはずだと語られる。ランダムな原子運動は、ある膨大な量が集まって、平均的なふるまいをし統計的な法則に従う。安定するためには、秩序を守るためには、エントロピーは増大する方向だろう。秩序を守り続けるために、絶え間なく体内で壊され続けなければならないのか?これがものを食べる原理なのだろうか?
シェーンハイマー曰く。
「生命とは、代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」
アル中ハイマー曰く。
「幸福とは、飲酒の持続的行動であり、この行動こそが幸福の真の姿である」

5. 食べるということ
タンパク質のアミノ酸が外部から吸収され、次々と入れ変わっていく様は、食べることの意味を教えてくれる。絶え間ない合成と分解が繰り返される。そして傷ついたタンパク質や変性したタンパク質を取り除き、これが蓄積するのを防ぐ。これが秩序を守るということのようだ。脂肪でさえも、アル中分子でさえも。ただ、おもしろいのは、食料からして自分のDNAとは全く違うものを採取している。そこから必要なものを吸収し、不要なものは排泄する。自分のDNAに合ったものを選んで吸収できるということなのか?生物の神秘はますます広がる。しかし、蓄積速度よりも排泄速度が遅くバランスが崩れた時、蓄積されたエントロピーが生命を危機に追い込む。その典型が、タンパク質の立体構造が変化して引き起こされるプリオン病であるという。その代表が、アルツハイマー病、狂牛病、ヤコブ病なのだそうだ。ここで、おいらは疑問にぶつかる。これだけ合成と分解の繰り返しが起こるのに人間はなぜ老化するのだろうか?遺伝子に細胞の合成と分解の繰り返し回数でも記録されているのだろうか?

ベロンベロン状態とは、エントロピー最大な状態である。それは、アル中ハイマーにとって、極めて気持ちよく自然であるからである。ランダム性から体内秩序を保つために飲み続ける。そして最期には飲まれる。
「飲んで!飲んで!飲まれてー飲んで!」

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