2008-01-01

blogを一年間続けてみて

年末深夜、ドヴォルザークを聴きながらスコッチする。そして、夢想するのが年中行事の一環である。ブログを一年間続けてみて、ほとんどが読書論評に費やされてしまったのは情けない。思ったよりも、つまらない人生を送っていることに気づかされる。ネタを探すことに苦労はしない。どんな本を読んでも感想が無いなんてありえない。それは、映画や音楽でも同じである。ただ、読書はリアルタイムではないので記事にしやすい。映画や音楽は、その瞬間を楽しむものである。記事にしたいが、あまりのスピードに酔っ払いの頭では脳細胞に記憶が留まらない。
アル中ハイマーは、情けないことに要点をまとめるのが苦手である。よって文章も長くなる。頻繁に記事にすることもできない。そもそも酔っ払った脳は整理することができないのだ。ツボを押さえる要領を得たいものである。ちなみに、足ツボのマッサージは病みつきである。

昨年は、読んだ本の数が例年よりも減った。ブログ効果で文章を丁寧に読むようになったからであろう。今までは、いい加減に読むので内容すら覚えられない。ブログは記憶媒体としてすばらしい。内容ばかり気にかけていたものが、フレーズを楽しむことを覚えた。翻訳語に毒された酔っ払いには考えられない傾向である。また、学生時代に読んだ本まで持ち出す。アル中ハイマーの人生は、モジュロのような閉じた宇宙を回り続ける。そうだ!今度から年齢表記は16進数ではなくモジュロ計算することにしよう。何度も生まれ変われそうだ。
読書の数が減ったからといって嘆くこともない。目的は数をこなすことではない。楽しみが増えた上に経済的に節約できるのはありがたいではないか。気になるのは、どうしても分野が偏りがちだ。それも個性というものである。ただ、精神のバランスが知識のバランスから得られると信じているところもある。いや、知識が詩的な解釈を邪魔することだってある。無知がゆえに得られるものがある場合だってある。哲学を探求すれば鬱病となり、論理学に嵌っては精神病にさいなむ。あまりに見事な文章は驚嘆するばかりで記事にすらできない。ボードレールの詩的な文章の前では手も足も出ない。ためになる本は、読むのに苦労し、記事にするのも難しい。人は詩という言葉を、詩的な文章、詩的な風景、詩的な人物という具合に使う。詩は感情を煽る。こうした思考を表現するには、ある一定の距離を持った冷静さが必要である。感情移入された酔っ払いには、無力感に襲われるだけである。ただ、この無力を嘆くものでもない。馬鹿な自分を嘆くよりも、馬鹿な自分を楽しむのもいい。工学の世界では、技術の難問を解決した時に快感を味わう。哲学的思想は、心の遊びから快感を得る。芸術は、無力感を快感にしてくれる。

芸術の巨匠たちは、数々の偉大な作品を残した。凡人は、手も足も出ない作品を自らの世界へ持ち込もうとする。だが、自分自身のことを論じることぐらいしかできない。これが論評の姿である。凡庸な論評は実体そのものを壊す。だが、その衝動には勝てない。そして、一つの疑問にぶつかる。巨匠たちの傑作は完成品なのだろうか?天才たちには完成形が見えるのだろうか?自分の記事は読み返す度に修正したくなる。情けない文章にもうんざりさせられる。仕事でさえ完全に満足できたものはない。どこか気に入らない部分が必ず生まれる。技術の難問を目の前にすれば、「コンピュータは嘘をつかない」と探究心を励まし、ついには、「科学でも解き明かせない問題がある」と挫折する。思考は妥協を繰り返す。アル中ハイマーの思考は、今日も言い訳を探し求めてバーへ向かう。

仕事でも読書でも思考する上で心がけることは、決して無理をしないことである。じっくりと弓を引き、的を射抜こうとするのではない。矢の方から自然と離れていくのを待つ。これぞ、集中力の極意というものである。酔っ払いは気分を高めるために、しばしば深夜海へ行く。こちらから出向くのではない。自然に足が向くのだ。アル中ハイマーには、海を眺めているだけで思考をリセットできるという不思議な性質がある。ただ、困ったことにリセット解除の手段を知らない。深夜出歩くと警官から職務質問を受けることもある。いつも挨拶で済むのだが、たまに呼び止められる。酔っ払いの面を知らねーとは、勉強が足らねーなあ。
酔っ払いの思考は今も精神の探求をしている。精神を自由に放つと、そこは気まぐれに支配される。気まぐれは、波のように押し寄せる。この波は三角関数で表現できる。三角関数をいくら微分しても三角関数に帰着する。波は永遠に波であり続けるということだ。気まぐれという精神は、極限に近づきつつも、なおも揺れ続ける。そして、精神を追い求めて思考するうちに、やがてふらふらになる。思考の目的とは、ふらふらになって肉体を疲れさせることにある。疲れた時の一杯は格別である。スコッチのピート香が、精神をグラスと氷の板ばさみにして煙臭くしていく。もはや、酔っ払いの精神を相手にすることすら馬鹿らしい。アル中ハイマーの精神とは、気まぐれの集合体であるから。

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