2008-01-23

"国際金融危機の経済学" Jean Tirole 著

アル中ハイマーが本屋で本を買う時は、立ち読みをしないわけがない。少なくとも前書きは読むはずだ。ところが、本書は読まずに買ったのだろうか?酔っ払いの衝動を自覚できるはずもないが、10冊ほどまとめ買いした中に紛れ込んでいる。本書は、翻訳の波長が合わないのか?内容が合わないのか?いまいちリズムに乗れない。行間が広く文字も少ない上に、170ページほどで一気に読める量だが、なかなか前進できない。それほど難しい本とも思えないのだが、度々読み返す場面に出くわす。せっかく減った煙草の量も増えてしまう。どんな分野でも専門用語が登場するのは当り前である。ネット社会の住民はその都度検索するので、それほど抵抗を感じることはない。それでも本書は、情報が断片的に脳を刺激するので、いまいち要点がつかめない。そもそも酔っ払った脳とは、文章が脳細胞まで到達しないものである。せっかく立派な事を書いてくれている著者には失礼であるが、後書きに頼りながら読んでいる。学者向けの本なのだろうか?素人が読んではいけないのかもしれない。

本書は、数々の世界経済危機の解釈から、国家の金融活動を効率的に行うための方策について議論している。その中で、まず、経済学者の思考パターンを概観してくれるところはありがたい。そして、国家が外国投資家から融資される仕組みについて述べられ、通常の企業金融との違いは、重複代理人と共通代理人の存在であると語られる。この二つの存在以外は、通常の企業金融と同じであるという前提で書かれている。著者は、重複代理人、共通代理人の観点からの研究の蓄積を訴えている。

1. 重複代理人
国家が外国投資家から融資を受ける場合、政府が窓口となり、民間へ配分されることになるが、実際には、その民間と外国投資家との間には契約が存在する。重複代理人とは、外国投資家の収益を担う役割が、政府と民間の複数が存在する状況である。外国投資家は民間との契約によって監視機能を果たせるが、政府とは契約を結ばない。そもそも政府は、その国で選出されるのであって、国民を優先するインセンティブが働く。政府が外国投資家に利益供与をもたらさない可能性だってある。本書は、外国投資家と政府とが運営上の契約を結べないことが、市場の失敗の原因であると語る。しかし、政府が国内を優先し過ぎる傾向にあれば、外国投資家から改善要求が出されるか、資金を引き揚げればいいだけのことである。もし踏み倒そうものなら社会的制裁を受ける。ただ、政府というのは政権交代する。自分の時代だけ乗り切ろうなんて政治家もいる。そして、後世に問題を押し付けて、自分の時代は良かったと思い出に耽る。経済活動に政治不安によるリスクはいつも付きまとう。

2. 共通代理人
本書は、政府が、複数の貸し手から借り入れた場合も、市場の失敗を招くと語る。それは、貸し手との融資契約が、他の貸し手とのバランスを欠いた時である。融資内容のミスマッチや、モニタリングの不公平さが生じる。そこで、共通代理人を立てれば効率良くなるだろう。では、その役割は誰が担うか?IMFのような国際機関が望ましいと語る。しかし、国際機関も旧態依然たる人事を繰り返す。IMFの長を務めるのは、決まってヨーロッパ人。世界銀行の長はアメリカ人。しかも、各国の代表は、その国の特定の産業や金融機関の利害関係に結びついた人間である。各国の思惑が入りすぎて、中立の立場を保持するのも難しいだろう。

んー!今宵はいまいち気が乗らない。
気分転換に学者気分で難しく語ってみよう。
ドリフのもしものコーナー!もしもアル中ハイマーな学者がいたら!

経済学はイデオロギー論争の中で迷走している。この学問は、人間の行動や社会システムを相手どった極めて高度な複雑系の中にある。しかし、無謀な体系化よりは、迷走していることを認識できる方が都合が良い。この世界を一つのイデオロギーで説明できるとは到底思えないからである。科学界は物理法則に不確定性な要素があることを認めた。数学界は算術の世界ですら不完全性の存在を認めた。計測不能だからといって、確率論という道具を用いて解析しようと努力している。多くの微分方程式が解けないと認めつつも、極限に近づくことを諦めたわけではない。ところが、イデオロギーというやつは一筋縄ではいかない。絶対に自らの主張が正しいという姿勢を崩そうとはしない。社会を良くするために考案された政治という人類の産物は、しばしば社会にとって悪しき作用をする。資金の流れを良くするために立案された政策は、リスクの高い場所から刺激が始まる。それは、人間の欲望という領域である。必要な規制と緩和がバランスしなければ受け入れ難い不平等を助長する。そして、社会不安を呼び起こし、経済は歪んだものとなる。GDPのような経済成長の指標は、あくまでも総合指数に過ぎない。平均値が判断の対象となれば、現象そのものを考察することを諦めたことを意味する。もし、人類が自然法則を受け入れるならば、時間はかかるだろうが、いずれ収束を見せるであろう。それは「臨機応変」という新概念へと。

だめだこりゃ!次いってみよう!

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