2008-02-10

"金融立国試論" 櫻川昌哉 著

日本の経済政策の流れを追いかけてアマゾンを放浪していると、本書にたどり着いた。タイトルが仰々しいので、ド素人のアル中ハイマーについていけるかどうか不安であったが、金融システムの入門書としてもいけている。ただ、議論が偏っている部分もあるが、この世にすべてお見通しのスーパーブックなんて存在するとは思えない。考えるヒントを与えてくれるだけでもありがたい。

アル中ハイマーが、銀行業が胡散臭いと思う理由の一つに自己資本の考え方がある。そもそも民間経営だから、自己資本で運営するのが基本だろうと考えている。その水準の低さにも唖然であるが、専門家が経験値から算出した数字だから素人に議論の余地はない。ただ中身については、株式は自己資本で、債権を他人資本として扱うのも奇妙である。返済義務の有無で区別されるのだろうが、どちらも他人が投資しているではないか?本書は、こうしたことに疑問を持つことは間違っていないと語ってくれるのがうれしい。銀行は自己資本を持ちたがらないという意識が働くらしい。外部からの余計な口出しを嫌うのも分かる。銀行の最大の問題は、国民世論に銀行は潰せないという先入観があることだろう。金融危機になっても税金が投入されるからには、経営意識は改善されない。おまけに、とんでもない金融商品を考えだして経済混乱を招く。まるで自爆テロである。最近の金融不安はその最たるものだろう。リスクに対する正確な評価ができないことが問題である。銀行業はアンタッチャブルな世界である。いまや、金融政策という特効薬による景気誘導は効かなくなってきた。それも経済構造が、金融システムによる支配力を弱めた傾向かもしれない。もし、金融支配が弱まれば、世論は不健全な銀行を潰すことに躊躇しなくなるだろう。

アル中ハイマーは、経済不安に陥れる要因の一つに、不健全な金融体質に投機的なマネーを煽る政策が輪をかけることだと考えている。現在の市場経済が、世界的に投機的なマネーのリスクにさらされている感は否めない。貧困層を拡大させ必要以上の不平等社会が、長期的に栄える社会とは思いたくない。その中で経済学の役割とはなんだろう?政策エリートたちが市場経済の活性化と称して政策を立案すると、なぜか投機的なマネーを呼び込む結果となる。社会不安により株価の変動を煽り、乱高下はヘッジファンドの餌食となる。上辺だけ好景気と叫んだところで、GDPなどの経済指標は総合指数を示しているに過ぎない。これは下層階級を拡大し、庶民を奴隷化するための陰謀なのか?そうした風潮の中、日本ではどんな経済政策によって、その傾向を強めたのだろうか?これがアル中ハイマーの知りたいところである。本書はそうした流れをバブル崩壊あたりから追ってくれる。

1. オーバーバンキング
オーバーバンキングは、貸出過剰、銀行数過剰、預金過剰が上げられるが、本書は主に預金過剰を扱う。といっても預金過剰だから貸出過剰となるのだが。80年代以降、慢性的な資金過剰の銀行が様々な弊害をもたらした。不動産融資シェアの多い建設や不動産部門の貸出を増した結果、バブルを誘発したことは周知の通りである。90年代になると貸出は頭打ちとなって減少する。本書のデータによると、注目すべきは、金融危機が叫ばれながらも銀行預金は増えていることである。預金過剰は貸出リスクの審査を甘くし、無理やりにでも貸出したという。世論が煽る銀行の貸し渋りという現象は本当だろうか?不良業者に貸出すぐらいなら渋った方が良い。しかし、まともな審査ができないのであれば、優良業者までもが資金繰りに苦しむ。問題は貸出リスクの正確な審査ができないことだろう。身近で見かけるのは、ベンチャーキャピタルが新興産業やハイテク産業に投資する光景である。ベンチャーキャピタルとはいえ銀行系である。審査となると内容が把握できない。すると地元で有力な知識人や有名大学の学者などに意見を求める。意見した者に責任が及ぶわけがない。ちなみに、彼らは特許という言葉に弱い。監査システムだけでも機能していれば、少なくとも追加融資による被害は最小限にできるはずだ。追加融資が簡単に決まると分かれば、怠慢経営をする。これは、まさか故意にやっているのか?見かけ上の評価価値を上げ、解体し売却益でも得ようとしているのか?そして、誰かに地雷を踏ませようとしているのか?日本の社会システムの伝統に、監査システムの不備がある。人がそんな悪いことをするはずがないという概念を一般的に持っているのも人間味があって嫌いではない。本書は、会計システムにも問題があると主張する。会計システムでは融資資金が時価評価されない。追加融資は不良業者を延命させるだけであるが、会計上の先送りという見方もできる。見かけ上の誤魔化しという意味では同じだ。審査の甘さと会計上の問題がソフト・バジェット問題となる。経営の悪化した企業ほど法律の扱いは巧みである。法律を楯にしだしたら、そこには怪しい香りが漂う。法律は問題が起きた時の言い訳のための手段に過ぎない。

2. 銀行 vs. 株式市場
市場経済の活性化には、金融システムの役割が大きいのはわかる。銀行システムと株式市場で、どちらが中心になれば良いかという議論も絶えない。銀行の存在価値は審査機能を持っていることである。取引で困るのは信用の評価である。そこには情報の非対称性が潜む。その監視機能が働かなければ、株式市場で直接投資する方が効率的である。株式市場は一部の被害者は発生するものの、不良業者をあっさりと切り捨てる。不良債権の山となるのは、銀行屋は預金を庶民から借りたお金であることを認識していないからであろう。本書は、銀行と株式市場の役割を解説してくれる。企業家の経営努力が高く、技術進歩に結びつく業界では、株式市場が有利で、企業内に蓄積された継続的な知識が重視されるならば、銀行システムが有利であるという。経済が革新型の時は株式市場が牽引し、経済が改良型の時は銀行システムが機能するようにバランスすることが良いと語る。ただ、なまじ銀行が企業再建能力を持っているがために経済革新を阻むこともある。

3. BIS規制
BIS規制は、自己資本比率8%の確保を義務づけリスク規制した国際ルールである。その定義は、Tier1 + Tier2。Tier1資本は、株式含み益と内部留保。ここまではいい。Tier2資本は、未実現のキャピタルゲイン45%、貸倒引当金、未実現の剰余金、満期が5年を超える劣後債となっている。未実現のキャピタルゲインって評価できるのだろうか?当然、時価評価されないと意味がない。Tier2資本は、各国の事情を勘案して特別ルールとして認められたらしい。ちなみに、米国や英国では未実現のキャピタルゲインや劣後債は自己資本として認められないらしい。BIS規制は、各国の運営次第で骨抜きにされる可能性がある。破綻に向かった銀行ほど、劣後債を発行しているという。劣後債は銀行の発行する債券である。経営が苦しい企業がやたら債券を乱発しているのを身近でも見かける。しかも、その劣後債を買っているのが、持ち合い関係にある生命保険会社だという。銀行が危機になると、政府は劣後債の残額保護で救済する。また、銀行の安易な資本拡充策にも劣後債が利用されているという。問題の一端は、規制タイミングが悪かったことも指摘している。リスクの高い融資は既成事実であり、続けるかどうかが重要である。融資途上の会計処理も問題になる。規制当局がBIS規制を守るために、暗黙の会計操作を認めたという。BIS規制の運営が不良債権を拡大した結果になったという。その証拠に規制後90年代になって不良債権は拡大している。ところが、ここでおもしろい現象を紹介してくれる。地方銀行に対してはBIS規制が機能したというのだ。大手銀行と地方銀行で差別的待遇でもあったのか?結果、公的資金が使われた。1回目が1998年、2回目が1999年、そして2003年で不良債権がむしろ増大している。不良先は、助ければ助けるほど破綻規模を倍化する。この心理は人間の本質かもしれない。このパチンコ台はあと千円つぎ込めばフィーバーするぞ!

4. 竹中再生プログラム
2002年の金融再生プログラムで、初めてガバナンス問題に踏み込んだ金融危機対策である。不良債権と自己資本のより厳格な計算を求めるのは当然の流れである。銀行が危機に陥ったと認識されれば銀行を国有化でき、経営責任を追及できる仕組みに改める。ただ本書は、そもそも破綻しそうな銀行がいきなり国際基準を満たせるのか?と疑問を投げかける。しかし、いままでの自己資本比率を満たすならば、なんでもあり会計よりは、はるかにましである。本書は、大手銀行は増資先を貸出先に求めるのは禁止すべきであると指摘する。自ら融資した資金で増資に応じさせるのは、持ち合いを強化する。やっぱり中途半端な政策のようだが、政治は妥協の世界でもある。国有化した銀行の処遇はどうなるのかという疑問も湧く。本来なら市場原理に委ねるべきであろう。政府の監視下では、同じことを繰り返しそうだ。その証拠に国有化されたりそな銀行の歩みが語られる。それでも、国有化により海外のヘッジファンドの介入を避けたのは良かったかもしれない。竹中プログラムは、銀行システムを安定化し、その成果で株価が上昇しているかのような印象を与える。しかし、酔っ払いには、投機的マネーの拡大で銀行システムが安定したとう実感が涌かない。それは、ダイエーの処理にも現れている。本書は順序が逆で、株価が上昇したから金融システムが安定したと分析している。米国のIT産業が牽引した結果、日本の製造業を回復させた。日本の金融システムを、製造業が救ってくれたと主張している。日銀総裁が、速水氏から福井氏に代わったのも大きいという。銀行の当座預金の枠を拡大し、市場の流動性リスクを減少させた。更に福井総裁は、銀行の保有株を全額買い取る覚悟があるとまで発言し、金融システムに株式市場の影響を遮断する強い姿勢を見せたという。
本書は、竹中金融行政の中心は合併促進であると語る。破綻寸前の銀行への対処方法は、一つは破綻処理を行うハード路線がある。これは痛みをともない、預金保護や貸出先の中小企業を救うとなると政治的にも判断が難しい。そこで、二つは合併手法であるソフト路線を用いる。比較的健全な銀行を一緒にしてしまうことで、ダメな銀行をどさくさに紛れて消してしまうという戦略である。しかし、投資には大きすぎると限界効率があることを注意しなければならないと指摘する。

5. デフレの本質
デフレとは、一般的な物価水準の持続的な下落現象である。統計的には、消費者物価指数やGDPデフレーターが下がる。マスコミはデフレ不況が庶民の所得を奪うような報道をするが、もともと日本は物価の高い国である。酔っ払いにはデフレは歓迎する部分もある。本書は、物価が安くなることは良いが、そのプロセスに問題があるという。全ての財が同じように下落するなら生活に実害はない。しかし、契約によって決まる価格がある。給料は物価下降に即連動するものではない。それでも民間企業の給料は比較的デフレに連動するが、公務員の給料は連動しない。金利は一定でも実質金利は変わる。預金の面では有利に働くが、借金は負担を増す。年金も実質受取額は増える。年金は掛ける若い世代から、受給者の年寄りに再分配されることになる。つまり、デフレ問題は、市場価格と契約価格でゆがみが生じることにあるという。ほとんどの運転資金を借金からまかなう企業にとって苦しい状況となる。では、デフレの世界的な位置付けはどうなるのだろうか?生活品の中には輸入品も多い。輸出品ともバランスしないといけない。為替レートの影響もあるだろう。デフレの克服に、金融緩和政策でマネーサプライを誘導することは、もはや効き目がないようだ。では、市場価格に連動するように契約価格を決めてやればいいではないか?しかし、インフレ率は、簡単には決められそうにないようだ。その都度ガイドラインを変えるのもシステムの複雑化を招いて詐欺行為を誘発しそうである。要は不平等のない仕組みが作れればいいのだが、経済政策はますます混沌としてきそうである。

6. ペイオフ
預金保険法では、銀行が破綻した場合、預金保険機構が預金保証する。銀行は、預金保険機構に加入することが義務づけられ保険料を支払う。しかし、実際には、保険料でまかなわれているのは18%だという。半分は国債でまかなわれるらしい。本来保険とは当事者同士で負担するものではないのか?生命保険しかり、自動車保険しかりである。本書は、預金保険制度は国民を保護しているように見えるが、銀行のモラルハザードを引き起こすと主張する。ペイオフの狙いは、このような銀行の悪行を断ち切るためのもので、預金者に銀行を真面目に選択するように誘導できると主張する。ペイオフと言っても預金者の立場からすれば、一千万円ずつ各銀行に分散させるだけであり、むしろ、経営能力のない銀行を救済していることになるだろう。分散できない貧乏人のリスクは同じである。仮に銀行が潰れた場合、財源は公的資金しかないだろう。銀行が潰れる前ならば金融システムの安定化という名目で政府の監視下にもできるだろうが、潰れてしまってから税金投入となると、世論が許すだろうか?その銀行の影響範囲にもよるだろうが、世論を押し切ってまで政府が決断できるだろうか?また、政府の決断に期待して、経営が悪化している銀行に保証という言葉だけでずっと預け入れるとは到底思えない。よって、情報を透明化するための制度整備が一番であろう。いずれにしても現行のペイオフには現実性がない。足利銀行が破綻しても実施されなかった。金融庁は、地方銀行の更なる破綻に備えて公的資金を注入しやすくする「金融機能強化法案」を提出し、年金法案と一緒に、どさくさまぎれに可決させたという。どうやら金融庁にはペイオフを実施する覚悟はないようだ。本書は、銀行毎にではなく個人毎に、最低金額で保証すべきであると主張する。そうすれば、金持ちの金は他の市場に流れるかもしれない。しかし、個人の全ての口座を申告しなければならない。財産の自己管理も要求される。サラリーマンは税金管理すら他人任せのお国柄である。財産と税金の管理制度も一掃しないと難しいだろう。本書は、総合課税方式も提案している。これは賛成できる。銀行預金を株式市場などに流すにしても、課税が不公平では誘導できない。所得も多様化しているので、個別に税計算しなければならないのは面倒でもある。

7. 郵貯民営化
郵貯は、政府系金融機関や特殊法人に貸出し、巨額な不良債権を作り出しているのは周知のとおりである。そういう意味で郵貯改革は必要であり、その手段で民営化するのも良いだろう。本書は、政府保証の乱発は慎むべきであると警告している。貯金を保護することは、貯金を持たない人間にも肩代わりさせることで不公平であると語る。その通りではあるが、金融不安が間接的に他へも影響を与える。民営化では国家保証をどこまで削れるかが焦点となる。また、政府がどこまで出資するかも問題である。最初は、多く出資して徐々に民間に手放すことになるだろう。収益が上がれば順調に手放すことができるが、収益が上がらなければ災いとなる。郵貯民営化でよく聞かれる議論は、貸出業務を認めるかどうかである。反対派は融資先を監査するノウハウがないと主張する。民間の貸出業務を圧迫するという意見もあるが、民営化しておきながら民間を圧迫するとはこれいかに?そこで国債保有機関としてのナローバンク論も浮上する。それでは収益が上がらないだろう。本書は、国債保有しているからといっても、金利のリスクにはさらされ、安定経営となるかどうかは分からないと語る。いずれにしても民営化したのだから、優秀な経営者に任せるしかない。下手に政府が口出しすれば、収益が上がらなければ政府の責任となり、公的資金注入で国民が背負うことになる。本書は、郵政民営化が成功するか失敗するかは大した問題ではないというドライな発言をする。むしろ、失敗した時にきちんと破綻させて、精算させる仕組みがあるかどうかが問題であるという。破綻した場合、国債の受け皿はどうなるのだろうか?国債残高の増加ペースは異常である。もしかして郵貯民営化って、財政当局が国債消化を目指したものではないだろうなあ?社会システムとは不思議なもので、政府が口出すと失敗する運命にあるのだろうか?いや!そんなことはない。国のエリートたちがそんな馬鹿なことをするはずがない。きっと、ダースベイダーの陰謀に違いない。

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