2009-04-19

"ピープルウェア 第2版" Tom DeMarco & Timothy Lister 著

マネジメントとは肩の凝る仕事である。首を賭けねば勤まるものではない。とはいっても、滅多に首になるわけでもないが、それだけの覚悟がなければ思い切った判断は下せないということだ。ましてや優秀な人材を簡単に手放すはずもない。ちなみに、おいらの場合は簡単であった。昔、捺印済みの辞表を机の奥に忍ばせ、日付を書き込めば即提出できる状態にしていた。しかし、こうした行為は危険である。人間はつい衝動に駆られてしまうのだ。
プロジェクトマネジメントには失敗はつきものである。もし「失敗したことがない!」と発言するマネージャがいたら、それは失敗するような仕事を任されていないか、失敗したことすら気づいていないかのどちらかであろう。失敗の規準は個人によっても違う。プロジェクトの成功は、偶然性やその人の生まれ持った何かによっても微妙に左右される。マネジメントは、成功例よりも失敗例によって学ぶことが多く、極めて社会学的な領域にある。こうした性質が、マネジメントに体系化した黄金手法などないと信じる理由である。
また、組織戦略には長期的な視野が求められる。その中で重要な要素は人材であろう。目先の成果のみを追求して邁進しても、完了した途端に人材が逃げるのでは大失敗である。技術者にとって大切な精神はプロ意識の持続である。技術者は革新的な精神を望み、自らの成長を願う。マーケティング戦略で生産物の品質を妥協せざるをえないことはよくある。だが、技術者に仕事の質を大幅に劣化させるように要求することは危険である。プロ意識の持続とは難しいもので、マネージャの仕事のほとんどがメンバーの精神と対峙することになる。
おいらは「プロジェクトの必殺仕事人」と言われることがある。実に不本意だ!いくつかのプロジェクトを抹殺してきたのは事実であるが。失敗すると分かっているなら、無駄な予算を計上せずに早く潰した方が良い。メンバーの意欲が涌かない仕事は恐ろしく質を劣化させる。失敗しても、やってみる値打ちのある仕事を見出したいものだ。
などと思いに耽りながらグレンリベットを飲んでいると、本棚の一冊に目が留まった。おそらく10年ぐらい前に読んだ本である。コクのある酒はコクのある本を読み返したくなる気分にさせる。アル中ハイマーは「ピープルウェア」のファンである。本書はプロジェクトマネジメントの名著と言っていい。1989年に初版が刊行されベストセラーになった。ここではソフトウェア業界を題材にしているが、技術業界一般で共有できる。今読むと、古く感じられるところもあるが、それはそれで懐かしさがあっていい。本質が語られていれば、簡単に廃れるものではない。ところで、おいらに出会ったがために無駄な時間を過ごしたメンバーも多いことだろう。人生は短い。この記事を運の悪いメンバーに謝罪を込めて捧げる。

技術チームのマネジメントは、マーケティング戦略や技術能力の管理と考えがちである。悩みが技術的なものであれば、まだ健全である。マネージャが人間面よりも技術面に注意を払うのは、それが重要だからではなく解決しやすいからであろう。メンバーはあらゆるストレスの中にいる。意気消沈したり、愚痴っぽくなったりと微妙な変化を見せる。マネージャの仕事は技術的な助言も必要であるが、メンバーの精神状態に応じて対処することの方がはるかに重要である。プロジェクトは生き物のようにうごめく。よって、流れ作業的な手法など通用するはずがない。優れたマネージャは自然にコミュニティを形成できるようだ。その振る舞いは仕事として意識されるわけでもない。マネージャの真の仕事は人間を知ることなのかもしれない。満足のいくコミュニティを形成して成功したチームには、人を惹き付ける何かがある。プロジェクトの完成で得られる達成感は金銭的なものより得難い。むしろ芸術の完成に見る喜びと似ている。

本書はプロジェクトの失敗は見事に呪縛に嵌ると指摘する。そこには数々の「チーム殺しの技」が紹介される。チーム殺しの大部分は、仕事を蔑むかメンバーを蔑むことによって効果的にダメージを与えるという。ヤル気を出させるための規定は、見事にヤル気を削いでしまう。ワークシートといった愚行は管理部門による嫌がらせであり、電話による割り込みや職場の騒音は技術者の集中力を妨げる。また、技術業界に人材派遣業が蔓延するのは、まさしく技術者を部品扱いしている証であろう。中には、営業マンなのか区別できないマネージャがいる。顧客の要求をそのまま技術者に伝える伝言板役に徹する。そして、双方の機嫌をうかがいながら、決まったことだから仕方が無いと政治的に丸め込む。こうした行為は無神経なだけに余計に罪が重い。プロジェクトを成功させたければ、重要なのは部下を管理することではなく、上層部と喧嘩する覚悟を持つことである。
プロジェクトは常にストレスに見舞われる。技術的課題、突然の仕様変更、厳しい日程など、要因を挙げると切りが無い。ストレスが増せば、人間関係もぎくしゃくする。問題発生は常に想定しておくべきである。チーム内には笑いのネタにできる人物が一人ほしい。馬鹿を演じられる人間は貴重で、実は賢いと認められた人間の成せる技である。また、チーム内にいつも笑いを起こせる共通のネタを仕込んでおきたい。おいらは自分自身を笑いネタにするために夜の武勇伝を大げさに公表する。ほとんど作り話であるが、メンバーは素朴なもので信じてしまう。経営者は従業員よりも商売戦略を優先する。これも理解できる。ただ、中間管理職が経営者と同じ立場に立てばパワーバランスは崩れる。
そもそも、技術者が組織に所属する必要があるのだろうか?日本型の組織が税金から何もかも面倒をみてくれるのはありがたいが、サラリーマン馬鹿に飼い馴らされる。そこで、大工さんのような一人親方の制度は技術者向きに思う。一人一人が企業と契約し、棟上げなど忙しい時に集まって、後は一人でコツコツと家を建てる。必要な人材を揃えられるのは、信頼関係から得られる。固定された部署単位に仕事を作る方が、人材確保という意味では安定する。また、少々の人員不足は派遣を利用すればいいと考える。だが、技術レベルの確保という意味で健全なのだろうか?社内に一緒に仕事をしたいマネージャがいれば、個人的に売り込むのもいいだろう。つまり、社内の就職活動によってチームを形成する。逆に、マネージャからメンバーへ誘うのもありだ。会社の看板に寄り掛かった技術者と交流したいとは思わない。技術畑では所属部署を超えた文化交流は必須である。

優れたマネージャは、仕事をいくつか分割して、その都度メンバーに達成感を味あわせるという。打ち上げ効果と言おうか。そんな意図を考えたことがないが、おいらはしばしば飲む口実を作る。メールのサブジェクトには「最重要会議」と銘打つ。おいらにとってプロジェクトの成功は二の次である。失敗しても、いずれ笑い話とできるならばそれでいい。何よりも人生を楽しみたいだけなのだ。そもそも、酔っ払いには会社という枠組の概念がない。過剰な管理は「俺を簡単に管理できると思うなよ!」といったひねくれたプライドを生む。これは単なる反発であって個性を表現しているに過ぎない。管理職が自己の不安から服従を要求するのは、自然の権威に逆らっている。そもそも管理の必要があるのか?おいらはスマリヤン流タオな考えが好きなのだ。
そういえば、こんな事はよく起こる。あるメンバーが技術的に悩んでいた。どうやら考えすぎて混乱しているようだ。そこで、「みんなで少し考える時間を作ってみないか」と持ちかける。彼は効率良く説明するために問題を整理しなけらばならない。そして、説明しているうちに、いつのまにか悩んでいる本人が解決策を考案していた。おいらが問題を把握した頃には既に議論は終了。一番理解しているのは担当者なので自然の成り行きではある。ただ、マネージャの存在感がないことがちょっと寂しい。他のメンバーも、議論に参加して役に立たなかったからといって文句一つ言わない。ワイワイガヤガヤを楽しみながら気分転換のひとときを過ごす。これも、優秀なメンバーに恵まれたお陰である。

本書は、チームワークの良いプロジェクトのマネージャは、お荷物的な作業者に対して怒鳴りたい気持ちを我慢しているという。おいらの場合、お荷物はマネージャの方なので、メンバーは怒鳴りたい気持ちを我慢しているに違いない。楽しく働くためには、時間の効率性は重要である。時間の効率性は、仕事にリズムをつくり、メンバーの精神を安定させる。中でも会議には非常に気を使う。よく見かける光景は、会議がお偉いさんの勉強会になることだ。こうしたgさんは、人が集まることがチームワークを作るぐらいの発想しかできないので、参加を強制しやがる。1時間の会議をしようとすると、主催者は下準備に半日以上かかるものだ。会議中はメンバーの作業を止めることになり、時間が延びれば人数倍の時間を無駄にすることになる。なんといっても、だらだらとした会議は作業者のストレスを招き、その精神的ダメージは計り知れない。会議に限らず時間の無駄をなくすということは、自分の領分でしっかり時間を使うということだ。

さて、しつこい前戯はこのぐらいにして本題に入ろう。ちなみにアル中ハイマーは本番もしつこい!

1. 捨てるつもりでシステムを作れ
大規模なシステム開発に従事したことのある人は、「捨てるつもりでシステムを作れ」という格言が身にこたえるという。政治的に資産の流用を強要される場合もあるが、そこにはコスト削減という甘い罠が潜んでいる。検討を重ねるうちに流用のリスクが大きいことに気づけば、政治に屈するかどうかが鍵となる。根本的に欠陥を抱えたモジュールを修正して誤魔化すよりも、新規設計した方が効率が良く、結果的にコストダウンとなる。

2. マーケティング戦略の懐疑
機会を失えば商売が成り立たないと脅し、無理な納期を押し付ける光景をよく見かける。しかし、本当に機会を失うのだろうか?むしろ社内評価を意識したものではないのか?無謀な日程は、品質を落とせと命ずるのと同じである。技術者は自らの技術に誇りが持てなければ意欲を失う。目先のマーケティング戦略は、人材を失うという恐ろしいリスクを犯している。キーマンが辞めると開発者が集団で退職するケースも珍しくない。
ソフトウェア業界には、製品の品質を落として、ユーザを飼い馴らしてきた歴史がある。かつて、プログラムは技術オタクによって求められた。少々バグがあっても、使えこなせないユーザの無能さが強調されたものだ。そこには、オタク魂をくすぐるというマーケティング戦略がある。今日では、どんな製品にもプログラムが組み込まれるので、こうした戦略は通用しない。しかし、馴らされた感覚は慣習化する。これは技術者がユーザを飼い馴らしたわけではなく、マーケット戦略で飼い馴らしたのである。技術者は、自らの技術を高めたいという本能を持っている。それは品質抜きでは語れない。オープンソースの世界ではテストに喜んで参加する人が多い。そこで現れる「永遠のベータ版」という思想が悪いとは思わない。むしろ、市民運動として機能している。その一方で、この思想に乗っかりながら、しっかりと高い金をとる企業が存在する。

3. ミスは犯罪ではない
頭脳労働者がミスをするのは、真面目に仕事をしている証である。しかし、仕事上のミスを犯罪扱いする組織がある。すると、ミスをぎりぎりまで隠蔽する。間違いを許さない空気では、技術者は挑戦的になれない。ミスを素早く公表できる雰囲気を作りたいものだ。そのためにマネージャが自らドジであることを公表するのもいい。「管理とは尻を蹴飛ばすこと」と割り切るマネージャがいる。しかし、ヤル気のない人間を強要しても無駄だ。むしろ、働きすぎないように気を配る方が効果がある。もっともプロ意識を持とうとしない人間は相手にしない。

4. 規定の災い
本書は、鈍感なマネージャほど部下の反乱を恐れ、個性ほど厄介なものはないと考えるという。逆に、優れたマネージャは、個性を歓迎しチーム内に不思議な作用が起こることを知っているという。また、形式に固執したスローガンは、チーム殺しの引き金になるという。品質、創造性、チームワークといった美徳を並べても、逆に人間は現実と乖離した思想に反発する性質を持っている。経営者というのは不思議なもので、誉めちぎった言葉が好きな輩が多い。倫理観をも謳ってしまえば、社員に倫理観がないと侮辱しているようなものである。優れた組織には優れた作業規定が存在すると主張するマネージャがいる。そこには宗教じみたコーディング規定などを見かける。技術レベルに個人差があるのは自然である。そこで、ある程度の品質を確保するために、明確な規定や標準化は有効である。しかし、なんでも標準化すればいいと考えるのは愚かである。その一方で、優れた規定は意外と抽象的だったりする。それは、技術魂には自由度が大切であることを理解しているからであろう。うるさい規定は責任転換にもなる。悪いのはマニュアルだと。こうなると脳死状態に陥る。細かく規定した分厚いマニュアルを頭に入れるのも大変だし、バージョンアップ毎に混乱する。作成コストも馬鹿らしい。あくまでも、規定は共通意識を高めるための補助手段である。重要なのは共通意識であり規定ではない。

5. 自由電子
本書は起業家症候群を紹介している。組織に属さず、直接会社と取引している連中のことである。プロジェクトが終われば、制約が無くなり自由に遊びまくる。これは、大企業の管理職から見ると目障りな存在であろう。こうした連中は生意気扱いされ、従業員には見せたくない見本となる。一方で、組織に属しながら自由に仕事を見つける連中がいる。会社から大まかな課題が与えられると、具体化して自由に活動する。その発展型が社内起業家である。本書はこうした連中を「自由電子」と呼ぶ。彼らの貢献は給料とは比べものにならないほど大きいという。大抵の人は上司からの明確な指示を期待する。与えられた目標を達成すれば、それで成功したと解釈するからである。したがって、部下から見ると、優れた上司は具体的な指示ができる人間となる。確かに具体的な指示があれば楽である。スキャンダル報道では、規定や指示通りにやっていたという言い訳は実に多い。本書は、優れた上司は抽象的な指示を出して部下に自由にさせるという。だからといって、上司がビジョンを持たなくてよいということではないが。

6. 西洋の二つの価値観
昔から西洋には二つの価値観があるという。一つはスペイン流で、地球上には一定量の価値しかなく、豊かになるには民衆からいかに絞り取るかと考える。もう一つはイギリス流で、価値は発明と技術で創造すると考える。その結果、スペイン人は植民地を求め、イギリス人は産業革命を起こした。スペイン流の価値観は、現在の管理職にも受け継がれるという。本来、生産性は単位時間にどれだけ多くのものが作れるかで計測する。しかし、現実には単位時間当たりの賃金からどれだけ絞り取るかという意味にゆがめられる。そこで、技術者の賃金はプロジェクトベースにすればいいだろう。前年度をベースに年俸制にするのもいい。そもそも残業という概念がおかしい。サービス残業を利用して生産性を上げようなどと考えるのは、まさしくスペイン流の価値観である。おまけに、その成果をマネージャの評価とするのは詐欺である。時々、部下を脅して「納期を死守せよ!」と叫ぶマネージャを見かける。納期が遅れたところで世界が終わるわけではない。頭脳労働者に軍隊用語は合わない。ただ不思議なことに、こうしたチームほど納期が守れない。

7. 「パーキンソンの法則」の誤解
イギリスの作家C.ノースコート・パーキンソンは、次の説を唱えたという。
「与えられた仕事をするのに時間はいくらあっても余ることはない。」
パーキンソンにはユーモアのセンスがあったという。この言葉は真実を表しているのではなく、皮肉が利いて面白いから人気を得たらしい。にもかかわらず、この法則にご執心なマネージャが多いと指摘している。そこで、おもしろい実験結果を紹介してくれる。それは、管理者が目標値を与えるよりも、担当者が目標値を設定した方がはるかに高い生産性を示したという。もう一つの例では、目標値を全く設定しなかった場合で、最高の生産性が得られたというのだ。これも、なんとなく分かる。技術者魂を呼び起こすことが、なにものにも変えがたい効果となる。
ここで、あるリリース間近のプロジェクトで、週末に仕様変更の依頼があった時のことを思い出す。日程からすると一週間以上ずれこみそうな内容だ。経験的には、週末に仕様変更がくることが多い。大企業は週末に会議することが多いからであろうか?おいらは、変更内容を厳密に検討し、仕様書の変更を徹夜で行う。翌日メンバーに効率よく仕事をさせるためだ。メンバーも、おいらの辛さを理解している。そして、出番を待つかにのようにとっとと帰宅して英気を養う。勤務規定など無視だ。もちろん許可している。そして、おいらの作業が終了すると、メンバー達は自らの作業分担を宣言して、設計修正、検証修正など指示する間もなく始まる。時間帯も、各々の担当者が、最も効率の良いタイミングをはかる。深夜に出社する者、早朝出社する者、各々の作業ログを確認しながらピンポイントで作業する。おまけに人間の休憩時間はコンピュータ君の出番だ。こうした連鎖反応は互いのコミュニケーション無しでは成り立たない。普段からチームの精神状態が安定しているからこそ体力的な無理もきく。そして、週明けには作業完了。顧客もビックリ!作業は大変であるが、その連帯感は心地良いものがあった。おいらが経験するプロジェクトのメンバーは大抵そのまま飲み仲間となる。飲めない人も食べる方で参加する。学生じゃないんだから無理に酒を勧めることはない。「俺の酒が飲めねーのか!」と絡む酔っ払いがいるが、おいらは「俺の酒を飲むな!」と絡む。

8. 雑音と音楽
頭脳労働者にとって、割り込みを入れさせないことは重要である。技術者が理想とする精神状態はフロー状態である。プログラムを書いていると、時空を超えた一種の心地よさを感じることがある。無我の境地とでも言おうか。一旦集中してしまえば音など耳に入らないが、集中する手前ではリセットされる。電話のベルが鳴ろうものならイライラしてなかなか集中できない。電話のない時代、研究者は手紙でやりとりしていた。頭脳労働者にとって技術革新は粗悪な環境をもたらすのだろうか?メール受信のポップアップですら鬱陶しいが、自動受信を止めればいい。メールとはおもしろいもので、即返信するとなぜか?また即返事がくる。まるでチャットだ。ビジネスマンはせっかちなのだろう。そこで、わざと時間を置いて返信することにしている。鬱陶しいのはメッセンジャーであるが、ほとんど切っているので気分転換ツールと言った方がいい。それにしても、やたらと電話をかけてくるマネージャがいる。ほとんどメールを活用しないのだ。こういう輩は技術者を部品ぐらいにしか思っていないのだろう。発言したことが証拠に残るのを嫌っているのかもしれない。ちなみに、割り込みの最優先は携帯メールだ。お姉ちゃんからのメールを優先せずして、人生で何を優先するというのか!
複数のプロジェクトを掛け持ちしていた頃は、一日に200通以上のメールの処理が要求された。逆に言うと、何一つ仕事をこなしていない。本書はプロジェクトの掛け持ちをするべきではないという。まったくだ!それだけで人生を無駄に過ごした気になる。メンバーも優先順位を考慮して「緊急!」とか「重要!」といったサブジェクトで気を引こうとする。しかし、中身は酒の誘いだったりで笑わせてくれる。気遣っているのか?邪魔しているのか?よくわからん連中だ。
ところで、音楽を聴きながら作業をすると効率が下がるというのは本当だろうか?本書はおもしろい実験結果を紹介してくれる。プログラムのような論理思考は左脳が働き、音楽のような直感的なものは右脳が働くので、影響がないという。しかし、技術者は、突然のヒラメキによって独創的に問題を解決することがある。右脳が音楽に占有されるとヒラメキの余地が無くなるので、やはり音楽は邪魔になりそうだ。とはいっても、音楽は精神を安定させる効果がある。そこで、精神をリラックスさせることが優先か、思考することが優先かは、状況によって使いわければいいだろう。独立した空間を一人で占有できるならば、音楽は特権である。しかし、チームで職場を共有するならば、無音環境が良いに決まっている。

9. オフィスレイアウト
昔、研究所で働いていた時代、我がグループのレイアウトだけは奇抜な形をしていた。外から見ると、どこから入ってよいか分からない迷路になっていた。しかし、無駄な空間を削り、一人当たりの空間を確保する効果があった。それでも良い環境とはいえないが、現実的な対策であり秘密基地でも築いたような子供心が湧いたものだ。しかし、こうしたケースは珍しい。ほとんどの職場は学校配列のように規格化されている。まるで上司が先生であるかのように。オフィスレイアウトを見ただけで、社風を垣間見ることができる。管理職は自らオフィスを仕切っていると信じている輩が多い。つまらない管理者ほど、つまらないことで権威を誇示したがるもので、無秩序を必要以上に恐れる。本書は、オフィス環境で重要なのは、一人当たりの空間と、静かな環境と、プライバシーの確保であるという。オフィス環境も生き物のように動的なもので、人員が変われば最適な環境も変わるだろう。

10. 人材
超優秀な人材が集まるよりも、そこそこ優秀な人材が集まる方がまとめやすいだろう。型にはまった組織では個性溢れた人材を遠ざける。マネージャが付き合い方を知らないからであろう。人間は、自分の基準から大きく外れた人種に対して、ある種の不安感を抱くものだ。それは、友人を選ぶ時のプロセスにも現れ、一種の進化論的な防衛本能と言えるだろう。経験的には、技術者は第一印象の悪い人が多い。職人気質があり、癖があり、無愛想でどこか冷めている。おいらも神経質で人見知りするタイプだ!と言っても誰も信じてくれない。
ところで、景気が悪くなると、人件費削減を目標に、退職金を上積みし、希望退職を募るケースが現れる。しかし、辞められては困る人から集まるものだ。革新的な人材から逃避し組織の官僚化を加速させる。本書は、形式的な規定によって硬直する管理システムは大企業でよく見られ、若い活動的な企業ではあまり見られないという。これも、組織がエントロピー増大の法則に従った現象なのかもしれない。
また、賢いマネージャは、担当者が自主的に動くように仕向けるという。その行動を管理者が誇るのではなく、担当者自身が誇れるようにする。そして、曲芸師を雇うのに曲芸を検分するが、技術者を雇うのにその常識が成り立たないと皮肉る。なるほど、面接は履歴書とインタビューに、くだらないペーパーテストで実施される。なぜ?プログラムや仕様書といった生産物のサンプルを検分しないのだろうか?
個人事業をやっていると、時々、不思議な現象に出会う。初対面にもかかわらず「信用しています!」と近寄ってくる輩がいるのだ。こちらは怪しい零細業者に映るはずだが、どこで噂を嗅ぎつけるのやら?そして、人員不足と言いながら営業的に仕事を押し付けてくるが、実は社内の技術者が避けている仕事である。見事に丸投げ体質を露呈しているが、少し突っ込むと今度は「技術交流したい!」と言う始末。余裕のある時に交流して信頼を築いておくものだが、そこは怪しい者同士!類は友を呼ぶということか?

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