タイトルには、数秘術のような占いの香りがする。副題には「純粋数学に魅せられた男と女の物語」とある。どう見ても避けて通りそうなものだが、奇妙なことに専門書コーナーに並んでいる。なるほど、クヌース先生の本なのかぁ。パラパラっと捲ってみると、なんとなく文学的な世界が広がる。おっと!これは数学の証明ではないか。なんだ!このアンバランスさは!アル中ハイマーは、初めて味わう酒に誘われるがごとく、買ってしまうのであった。
本書は、もともと好田順治氏の訳で「超現実数」として出版されたものを、松浦俊輔氏の訳で少々装いを変えたものらしい。訳者の名前はあまり意識しないが、本棚を眺めていると意外と松浦氏の本読んでいることに気づかされる。後書きには次のように記される。
「実は、本書を喜んで読んでくれる人は、実は本書を必要としない、数学にスリリングな部分をすでに知っている人たちではないか。」
確かにそうかもしれない。どんなものでも、その世界の住人にしかそのおもしろさは理解できないだろう。しかし、おいらのように既に数学に挫折した人間でも味わうことができそうだ。ただ、ハードカバーで、その装いもなんとなく硬い感じがする。しかも、専門書コーナーに埋もれているのはもったいない。偶然にも、前記事でクヌース先生の本を読んだばかりだったので手に取ることができた。もし、学生時代に出会えていたら、もう少し数学に興味を持ち続けられたかもしれない。いや!いい女とは、若い頃に出会ってもその魅力を理解できないものだ。
数学の歴史は抽象化の歴史である。もともと数学の対象は「数」であり、それは自然数に始まる。自然数の欠点は、引き算や割り算を行うと、答えが自然数の系からはみ出すことである。算術によって系が閉じられないという現象は、「数」の概念を、自然数、整数、有理数、実数、複素数へと拡張させてきた。本書は、整数の集合から無限を匂わせ、左集合と右集合の大小関係のみで数論の本質を語っているように映る。つまり、数とは、必ず左集合と右集合の間にできるもので、この性質はどんなに小さい数でもどんなに大きい数でも定義できることを意味している。
数学の対話には、ハンガリーの数学者アルフレッド・レーニイという人の著作に「数学に関する対話(1967年)」というのがあるらしい。これは、次のような3篇からなるという。
第一話、ソクラテスを登場させ数学の本性を語る。
第二話、アルキメデスによる数学の応用を語る。
第三話、ガリレオが科学と数学との関係を語る。
著者は、この物語に刺激されて、創造的な数学探求の本性を浮かび上がらせようとしたと語る。本書からは数学の楽しさと喜びが伝わり、現在の教育制度で欠けている深刻な問題を皮肉でちりばめられる。
「探求できる数学、あるいは独創性を求めた数学というものに触れることができる学生は、たいていが大学院になってからだという問題がある。」
本書は、ジョン・ホートン・コンウェイの数の概念を扱い、数を定義するという最も基本的な原理から始まる。それも、数学の根本的な精神を伝えるには、最も効果的であると考えたのであろう。その目的はコンウェイの理論を教えることではない。数学への情熱を伝えようとするものである。そして、誰にでも懐かしく理解できるところが、文学小説としても際立たせる。数学で重要なことは、定理の証明を教えることではなく、自発的に論ずることだということを教えてくれる。著者は次のように指摘する。
「現代の数学教育には二つの弱点がある。創造的思考の訓練が足りないことと、専門的な文章を書く訓練が足りないことである。」
数学の証明を文学風に表すと、なぜか癒しの空間を与えてくれる。そこには、集合論の基礎とも言える世界がある。数の定義から始まり、演算を経由して、やがて無限の世界が姿を見せる。アルファベットのAに相当するヘブライ文字アレフが登場するあたりは、なんとなくカントールを思い浮かべる。毎日の時間は同じように刻まれるが、科学の進歩は一日の時間をだんだん短くする錯覚へと陥れる。進歩の速度が限りなく増せば、時間の感覚は限りなくゼロに近づく。だが、いくら極小の数を定義しても無限小の実体を掴むことはできない。無理数が見え隠れすると、精神は哲学へと引き戻され、おまけにアレフの出現が宗教へと迷い込ませる。謎は無限に存在するが、人間が生きる時間は有限である。ただ、人間はその有限の時間すら認識できないのではなかろうか?人間は自らの死を感じることができないだろう。死を感じるということは、死の瞬間を認識できなければならない。そうなると、有限の時間という意識すらどうでもよくなる。そもそも有限と無限に境界線があるのだろうか?あらゆる物事で境界線を設けて区別するのは、人間自身が優位性を保ちたいと願っているだけのことかもしれん。本書を読んでいると、数学と文学の境界線もどうでもよくなる。有限の概念すら得体が知れないのに、無限の概念を理解しようなどとは到底無理な話であろう。しかし、数学者は帰納法という魔術で無限をも手なずけ、見ることもできない世界までも証明してしまう。まず初期値を指定し、次にk番目の数を定義し、更に(k+1)番目の数を定義できれば、無限の数列が現れる。無限より大きな数は、無限足す1, 無限足す無限, 無限掛ける無限などと続ける。逆に、無限引く1ってなんだ?無限の半分ってなんだ?ついに、数学者は、無限の無限?寿限無!寿限無!...と呪文を唱えて、無限濃度までも定義してしまった。しかし、そこに現れる無限の実体とは何か?依然としてその正体を見せようとはしない。なるほど、「君を無限に愛してるんだ!」という台詞には、「君への愛は実体がない!」という気持ちがこめられているのだ。
「コンウェイの数の規則はセックスみたいなもんだね。左集合と右集合が交わって...」なるほど、1 + 1は、2ではなく、妊娠すると3 になることだってあるわけだ。
本書は、子供に物事を教えるのに、自分で見つけた方が面白いという意見と、何もかも自分で見つけるのは難しく何らかの補いは必要であるという意見を戦わせる。
「ものを覚えるということは、本当は自分で発見する過程じゃないのかなあ。」
また、純粋数学の素敵なところは、その証明自体は何の役にも立たないという。なるほど、純粋数学の定理から爆弾を作ることはできない。しかし、数学は様々な解析を可能にする。しかも、好奇心があるから進化する。やがて、純粋な好奇心は強力な道具となり濫用される。科学は善の道具にも悪の道具にもなりうる。これが人間の本性である。本書はこうした人間社会を暗喩しているかのようでもある。
1. 岩の発見
主人公はアリスとビルの二人で、なんとなくエデンの園のような光景が広がる。二人は、文明社会から逃避して海辺で長い休暇を過ごしていた。この設定は、現代社会の風習を嘆いているかのようでもある。その風習からは純粋な数学を見出すことが難しいと指摘しているかのように。社会システムが嫌になって、自分を見つけるための旅に出たくなる衝動は常につきまとうものだろう。しかし、この生活にも二人は退屈する。単純でロマンティックな生活だけでは物足りない。そんなある日、ヘブライ語で刻まれた岩を発見する。なんともロゼッタ・ストーンのような展開である。岩に書かれているものは、コンウェイなる数の造り主が、左集合、右集合なるものを定義している。出だしは、旧約聖書のように始まる。
「初め。すべては空虚だった。」
そこには、数の創造の記録が残されていた。やがて、二人はクロスワードパズルよりも、ずっとおもしろいことが分かってくる。
「麻薬よりもいい感じで、脳は薬なんか使わなくても、自然に刺激できるものだ。」
2. 数の定義
まず、左集合と右集合を定義し、双方とも空集合から始まる。そして、左集合は、右集合よりも大きくも無く、等しくも無いと定義される。この関係から二人は、数の「大小」や「同等」の関係を解読していく。その中で、ゼロが正数と負数の境界となる。また、「a < b かつ b < c ならば、a < c である」といったことを反証しようと遊んでいるうちに、推移律が正しいことを確かめる。そして、どの数もそれ以前にできた数から創られることが示される。更に、最初の数がゼロであることを依拠する論法「帰納法」が加わると、二人は、どんな数にも左集合と右集合が存在し、そこには、必ず「大小」あるいは「同等」という関係が成り立つことを理解する。しかし、帰納法と証明したいことの否定を元にすると、既にわかっていることと矛盾する結果が現れる。こうして背理法までもが登場する。
3. 演算の定義
ところで、この岩に書かれているものは、本当に「数」の定義なのか?もしそうならば、四則演算もできるはず。そうした演算の定義は書かれていないのか?碑文には、まだ続きがあるかもしれない。そして、二人は、他の岩を捜し、碑文の後半部分が書かれているものを発見する。そこには、足し算、引き算、掛け算の規則があった。まず、足し算の定義は、左集合の二つの数の和は左集合に属し、右集合の二つの数の和は右集合に属する。そして、負数はその数の反対であることが定義され、引き算は負数の足し算とする。足し算の交換法則から、数にゼロを足しても変わらないと書かれた碑文を証明し、空集合の正体を明かす。また、足し算の結合法則と、左辺と右辺に同じ数を足しても大小関係は変わらないことを証明し、引き算の正体も明かす。掛け算の定義は、二つの数が同符号ならば結果は正の符号に属し、異符号なら負の符号に属すといったことが書かれる。演算が定義されれば、やがて無限集合なるものが姿を現す。アレフの登場である。数は、有理数から実数へと拡張され、更に無限大と無限小が定義される。
2009-04-12
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 コメント:
コメントを投稿