前記事の「危険な世界史」にイチコロだったので、著者の作品をもう一冊読んでみることにした。ここでは、名画を鑑賞しながら歴史を眺めるわけだが、肖像画から人間味を暴こうとしたり、血みどろの王朝劇を物語る歴史センスには感服させられる。芸術に疎いアル中ハイマーには絵画の価値はよく分からないのだが、なるほど!歴史物語で武装すれば名画たる所以が見えてくる。ヘタな歴史講義を受けるよりも、はるかにイケてる。中世ヨーロッパ史って、こんなにおもしろかったのかぁ!
学生時代、世界史を学ぶ上で、ハプスブルク家と神聖ローマ帝国の関係には悩まされたものだ。おまけに、数々の王朝を兼任するがために、同一人物でありながら肩書きや名前が異なったりする。カール5世とカルロス1世が同一人物というだけで世界史は嫌になる。カール5世は70以上の肩書きを持っていたという。父フィリップ美公を継いでブルゴーニュ公であり、母方の祖父を継いでスペイン王であり、父方の祖父マクシミリアン1世を継いでドイツ王であり、ローマ王であり、ハンガリー王であり、...もうええっちゅうの!それで、神聖ローマ帝国皇帝としてカール5世、スペイン王としてカルロス1世というわけだ。
そもそも、「神聖」ってなんだ?古代ローマ帝国の幻想でも追いかけていたのか?ヴォルテールは「神聖でもなくローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」と皮肉ったという。それが単なる肩書きであっても、ローマ・カトリック教会から明主としてのお墨付きさえもらえれば、全ヨーロッパの最高位に就ける。改めて宗教力の恐ろしさを感じる。ちなみに、ナチスは、神聖ローマ帝国を第一帝国、ビスマルク時代を第二帝国、ヒトラー独裁を第三帝国と呼んだ。
962年オットー1世以来、ドイツ国王が自動的に神聖ローマ皇帝となっていた。しかし、たった一度のビッグチャンスをものにしたハプスブルク家が650年もの間君臨することになる。そのルーツを遡れば、意外にもオーストリアやドイツではなく、スイスの片田舎の一豪族に過ぎなかったというではないか。列強のパワーバランスから偶然転がり込んだ神聖ローマ皇帝の地位、これには歴史の運命を感じざるをえない。その後、周囲の国々と巧みな婚姻外交によって領土を拡大し、その支配権はヨーロッパはもちろん、ブラジル、メキシコ、カリフォルニア、インドネシアにまで及ぶ。一つの王家でこれだけ多くの国の君主を兼任した例も珍しい。それにしても650年はロマノフ王朝300年や徳川250年と比べても凄い!それだけでも継承問題で陰謀めいたものを感じる。
ハプスブルク家には有名な家訓があるという。
「戦争は他の者にまかせておくがいい、幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし!」
ハプスブルク家の血縁の濃さには異様なものがある。王朝が長く続けば、そのプライドも神聖化し、小国の王侯などは不釣合いとされる。名門の出となると、ハプスブルク家同士の血縁から辿るかのように、叔父と姪、いとこ同士、従兄と実妹などで結婚し、長期政権の過程でますます血縁を濃縮させていく。近親相姦のオンパレード。そもそも、カトリックは近親婚を禁止していたのではなかったか?おまけに、不倫、陰謀、ギロチン、銃殺など血なまぐさい話題に事欠かない。あまりの血の濃さかどうかは知らんが、病弱さや変人も登場し、次々と生まれる子供が夭折するといった事態まで起こる。そして、ついに血縁が途絶えた時に王朝は終焉を迎える。これが世襲の定めなのか?
ハプスブルク家と言えば、オーストリア系という印象が強いが、カール5世が隠居した時にスペイン系とオーストリア系に二分される。本書は、予めその題材でスペイン・ハプスブルク家に偏っていると断っている。それも、オーストリア・ハプスブルク家には名画と呼べるものが少ないのだそうな。女傑マリア・テレジアでさえ、価値のある肖像画が残っていないというから、いささか残念である。
宮廷画家がパトロンに媚びるのも仕方がない。肖像画に表れる威風堂々とした姿にも、過度の美化や理想化が現れる。優れた肖像画家を抱えるかどうかだけでも、後世に残す印象は違ってくる。たとえ無能であっても肖像画に誤魔化されて伝説が生まれることもあれば、たとえ有能であっても伝説が残されなければ偉人にはなれない。中でも心を動かされる肖像画と言えば...これに決まっている。おいらはエリザベート皇后にいちころなのだ!エリザベートの時代は、既に写真があったので誤魔化しようがない。なるほど、写真と比べても大差はない。さすが!ハプスブルク家の絶世の美女と謳われるだけのことはある。
ところで、「ハプスブルク家の顎と下唇」という有名な遺伝があるという。確かに、無名画家による「マクシミリアン一世と家族」という絵を観ると異様だ。カール5世は極端な受け口のせいで歯の噛み合わせが悪く、いつも口を開いたままとまで言われるらしい。この優性遺伝が、血族の結婚を繰り返すことによって、極端に歪んだ形で現れることになろうとは...
1. 転がり込んだ神聖ローマ皇帝の座
13世紀、神聖ローマ帝国は群雄割拠の時代。皇帝は世襲ではなく実力者が選挙で選ばれていた。選帝侯たちは20年も帝位を空白にし先送りしていたという。ちなみに、選帝侯とは選挙権のある諸侯。そこへ、しびれを切らせた教皇が指名する。なるべく無能で言いなりになる人物として選ばれたのがハプスブルク伯ルドルフ。選帝侯たちも脅威にならないので喜んだという。
当時、実力ではボヘミア王オットカル2世がいたが、選帝侯たちにしてみれば目障り。やがて、ルドルフとオットカルとの確執が始まり、マルヒフェルトの戦いで激突してルドルフが勝利する。下馬評ではルドルフ不利だったとか。本書は、騎士の様式に反した卑怯な戦法があったか、桶狭間なみの奇襲攻撃が奏功したに違いないと推察している。ルドルフ1世は信長なみの出世をしたのかもしれない。
2. アルブレヒト・デューラー作「マクシミリアン1世」
ルドルフによって強大化したハプスブルク家は、選帝侯たちに警戒される。そして、皇帝位は他家にわたり、安定的にハプスブルク家の世襲となるのに150年かかったという。
15世紀末、ハプスブルク家の英雄マクシミリアン1世が登場する。彼が「中世最期の騎士」と賛えられるのも、ルドルフのような姑息な戦法ではなく、正々堂々と先頭に立って騎士らしく戦ったからだという。「ドイツ人最初のルネサンス人」とも評され、人文主義者や芸術家を庇護し、自分でも詩作したという。現在のウィーン少年合唱団の基礎を創設したのも彼だそうな。デューラーが描いた肖像画には、既に騎士の面影はなく落ち着いた老人の姿がある。本書は、眼光は鋭く策を企む老獪な政治家の顔と評している。
肖像画には、ラテン語で次のように記される。
「史上最大のマクシミリアン帝は、正義と知恵と寛容において、また特にその高邁さにおいて、他のあらゆる王たちに優っていた。皇帝は1459年3月9日に生まれ、1519年1月12日、59歳9ヶ月と25日で崩御した。この偉大なる王に栄光あれ」
マクシミリアン1世は、婚姻外交によってハプスブルク家を安泰させようとする。息子フィリップ美公はスペイン王女フアナと結婚、娘マルガレーテはスペイン王子ファンと結婚。ここに、たすき掛けの二重結婚というややこしい政略があるが、スペインの政情をよく表している。スペインは長らくイスラムの支配下にあり、15世紀になってようやくカトリック教徒が奪還する。フアナは、アラゴン王フェルナンドと、カスティーリャ女王イサベルの間に生まれた。つまり、王と女王の二重支配体制。だから、ハプスブルク家も二重結婚させたわけだ。ただ、その条件に、どちらかの家系が断絶した場合、残された方が領地を相続するという盟約があったという。そして、スペイン王子は結婚式の半年後に突然死、あまりにもハプスブルク家に都合が良すぎる。続いて、9年後にフィリップ美公が突然死、証拠がないとはいえ陰謀としか言いようがない。そして、マクシミリアンの孫カール5世がスペイン王になる。
3. フランシスコ・プラディーリャ作「狂女フアナ」
フィリップ美公とフアナの父フェルナンドが権力抗争中、フィリップ美公は怪死。そして、フアナは遺体とともにスペインの地をさまよう。その葬儀の様子が描かれるこの絵には、フアナの異様な姿がある。彼女は「フアナ・ラ・ロカ(狂女フアナ)」と呼ばれ、夫の死が信じられないのか?復活するとでも信じているのか?防腐処理した遺体とともに長期間彷徨する。遺体をハプスブルク家に奪われるのを恐れて、移動は夜、しかも迂回や逆戻りとでたらめな進行。描かれる付き添い人たちも、呆れ果てた様子がうかがえ、周囲の人々の表情もなんとなく冷たい。居眠りしている者や背を向けている者など、死者への敬意などまるで感じられず、ただ一人フアナだけが悲しみに耽っている様子。フアナは政治的に活躍したわけでもないのに、イサベル女王よりも人気を博したという。女傑マリア・テレジアより、マリー・アントワネットの方が人気があるのと同じように。
美公というからには美男だったのだろう。二人は熱烈な恋をするが、息子が産まれたあたりから疎遠になったという。フアナは夫の浮気に嫉妬した精神不安定が祟る。呪われた彷徨がいつまでも許されるわけもなく、実権を握った父フェルナンドはフアナを幽閉する。プラディーリャは「幽閉中のフアナ」も描いている。いいお婆ちゃんが暖炉でのんびりしている姿は、歴史の物語を知らないと味わえない。幽閉されたフアナがカール5世というスターを産んだように、幽閉されたゾフィア・ドロテアがフリードリヒ大王を産んだ。歴史は繰り返されるとは、よく言ったものだ。
4. ティツィアーノ・ヴィチェリオ作「カール5世騎馬像」
カール5世の頃、神聖ローマ皇帝は暗黙にハプスブルク家の世襲になりつつあったという。そこに、横槍を入れたのがフランソワ1世で、ローマ教皇と共謀して立候補する。おかげで、カール5世は選帝侯たちを買収するために多額の借金をし、それをスペインの重税でまかなったというから不人気になる。両者の戦いはカール5世が圧勝しフランソワ1世を捕虜にするが、解放した途端にまたもやローマ教皇と結託する。怒ったカール5世はローマを攻める。これが悪名高い「ローマ略奪」である。給料のもらえない傭兵たちは、虐殺、放火、強姦などやりたい放題。ローマ人口を三分の一にまで減らしたと言われる。カール5世は、キリスト教の敵トルコやプロテスタントを相手に戦争で明け暮れた。さすがにこの作品には武人としての威厳がある。本書は、兜から鮮やかな赤い房が揺れる姿は、武田騎馬隊のような勇ましさと評している。
絶対主義の時代に、自ら王位を退くなど考えられないだろう。兄弟や親子ですら殺しあう時代である。しかし、カール5世は珍しく自ら退位して修道院に籠もると表明する。それも母フアナが死んだ翌年である。本書は、ローマ略奪やスペイン人によるインカ帝国滅亡など、カトリック教徒として懺悔の心があったのかもしれないと推察している。スペイン王を息子フェリペ2世に、神聖ローマ帝国を弟フェルディナント1世に平和裡に継承する。ここから、ハプスブルク家は、スペイン系とオーストリア系に二分する。
5. ティツィアーノ・ヴィチェリオ作「軍服姿のフェリペ皇太子」
フェリペ2世が君臨したのは、インカ帝国からの略奪、ネーデルランドの弾圧などの黄金時代で、プロテスタント虐殺、事故死、息子殺しと、流血のイメージが纏わりつく。
彼は、4度結婚して、ポルトガル、イングランド、フランス、オーストリアから妻を迎えている。一度目は、ポルトガル王女で難産で死亡。二度目は、イングランド女王メアリー1世でカール5世の命令で結婚する。イングランドでは、カトリック対プロテスタントの抗争が再燃しており、カトリック化を目論んだもの。メアリーは、プロテスタントの反乱者を数百人血祭りにあげる。これが、「ブラッディ・メアリー」の由来で、おいらが好むカクテルである。フェリペは、子が産めないメアリーを見限る。妻を利用して対フランス戦での資金援助を狙ったもので、彼女の葬儀にも出席していないという。なんと!フェリペは次期王女エリザベス1世に内々で結婚を申し込んでいるというから驚きだ。だが、カトリック教徒とは結婚しないと断られたそうな。三度目は、イギリスに敬遠されたので、変わり身早く仇敵フランスのアンリ2世と講和を結び、その娘エリザベートと結婚する。そもそも、エリザベートは生まれて間もなく、フェリペ2世の息子カルロスと婚約していたというから、息子の婚約者を奪ったことになる。おまけに、9年後にカルロスとエリザベートは間をおかず死去したというから、暗黒説が流れるわけだ。ちなみに、ヴェルディの傑作オペラ「ドン・カルロ」は、相思相愛のカルロスとエリザベートが、老王フェリペに仲を引き裂かれ死に至るという物語。四度目は、従兄と実妹との間にできた娘アナと結婚する。次に、スコットランド女王メアリー・スチュアートに密かに接近するが、そのせいでスチュアートはエリザベスから首を刎ねられる。
「スペインが動けば世界は震える、と言われたが、間違いなくフェリペが動けば血が流れたのである。」
フェリペ2世は、処女王エリザベス1世に対しては歯が立たない。ドレークらの海賊行為はエリザベスの支援によるもの。そこで、スペイン無敵艦隊を差し向けるが、アルマダの海戦で敗れた。彼は、拷問、火炙り、生き埋めと、凄まじい異端審問を行うが、カトリックの権威を固守できずプロテスタントの勢いを止めることはできなかった。ちなみに、モンティ・パイソンのジョークにこんなものがあるらしい。
「どんなにひどい目にあおうと、スペインの異端審問にかけられるよりはマシよ」
6. ディエゴ・ベラスケス作「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」
中央に幼いマルガリータ王女が描かれるこの作品は、ゴア、ピカソ、マネらを魅了した「絵画の中の絵画」と評されるという。フェリペ4世は、最初フランスのアンリ4世の娘と結婚し、息子パルタザール・カルロスと娘マリア・テレサをもうける。しかし、息子は早死に王妃も亡くなる。そして、血の近いマリアナと再婚するが、次々と子供が夭折してマルガリータだけが残る。そこで、問題となるのが後継者。マリア・テレサはルイ14世と婚約していたのでマルガリータしかいない。そこへ、マリアナは遅ればせながらカルロス2世を産む。これがハプスブルク家にとって凶だったという。まだしも、マルガリータが王女になっていた方が、王朝は延命できていただろうと。カルロス2世は「呪われた子」と呼ばれたという。あまりにも濃縮された血によって後継ぎが生まれない。おまけに、見た目からして病人。スペインの財産を、フェリペ3世、フェリペ4世、カルロス2世が食い潰す。しかし、王朝は無能続きだからといって簡単に亡ぶものではない。確実に亡ぶのは後継ぎがいなくなった時。ついに、スペイン・ハプスブルク家は、そういう事態に直面する。オーストリア・ハプスブルク家は、カルロス2世が死ぬのを待ち構えていた。同じくスペインと婚姻関係にあるフランスも虎視眈々と狙っていた。そして、13年間のスペイン継承戦争の後に、王冠を手にしたのはブルボン家である。以降、ハプスブルク家は永久にイベリア半島から撤退することになる。
7. ジュゼッペ・アルチンボルド作「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ2世」
一方、オーストリア・ハプスブルク家では、多民族を束ねる困難が付きまとう。ボヘミアやハンガリーを支配下に治めても、常に独立の機会をうかがっている。オスマン・トルコとの攻防が続き、宗教改革でプロテスタントが目障りでしょうがない。兄カール5世から神聖ローマ帝国を継承したフェルディナント1世はプロテスタントと戦ったが、その息子マクシミリアン2世は信仰の自由を認めた。マクシミリアン2世の妻はカール5世の娘で、こてこてのカトリック教徒なので、夫婦仲が良いはずがない。その反目する両親の子ルドルフ2世は、ハプスブルク家で群を抜いた変わり者だったという。それは、アルチンボルドに描かせた肖像画を観れば一目瞭然。アルチンボルドは、動植物、野菜、果物、魚介類などを緻密に組み合わせて人間の顔に見立てた「合成人面像」で知られる。この作品を肖像画と言っていいのか?分からんが、パロディとしか言いようがない。普通なら処罰されそうな作品だが、わざわざルドルフ2世が依頼したものだという。ちなみに、「ウェルトゥムヌス」とは、季節を司る植物の神のことらしい。「ウェルトゥムヌス」は変身能力を持ち、農民や植木職人や葡萄摘みや兵士や釣り師などに、自在に姿を変えるという。この絵には、洋梨、葡萄、さくらんぼ、桃、林檎、イチゴ、カボチャなどで顔の部位が描かれる。林檎ならば知恵、葡萄ならば喜び、玉ねぎならば不死、百合ならば清浄、といった解釈ができるそうだが、その意味は現在でも完全には解明されていないようだ。ルドルフ2世は、女性嫌いでもないのに、結婚せず世継を残さない。政治にも関心を持たず、城に籠ったオタク。奇人でありながら、最高の教養人だったという。大航海時代を反映して、美術品、異国の動植物、宝飾品、古代遺物、外国の貨幣など、新奇で珍奇なものの収集家で博物学の先駆者だという。当時、天文学と占星術は同列にあり科学と迷信が混在した時代、ルドルフ2世は占星術師としてケプラーを庇護したという。後を継いだ従弟フェルディナント2世は、三十年戦争に導いている。カトリック対プロテスタントの最大にして最後の宗教戦争は、ドイツを荒廃させ、ハプスブルク家はブルボン家に敗れ、フランスの優位性が確定する。この戦争で、ルドルフ2世のコレクションはかなりの部分が破壊され散逸したという。
8. エリザベート・ヴィジェ=ルブラン作「マリー・アントワネットと子どもたち」
「赤字夫人」と呼ばれるマリー・アントワネットは贅沢三昧。おかげで反オーストリア派の格好の餌食となる。女盛りの32歳を描いたこの絵には、王妃の美しさと愛らしい子供達たちの姿がある。だが、当時この絵は人気がなかったらしい。憎まれ役の王妃は優しく家庭的なイメージをアピールして悪評を揉み消そうとしたが、単なるプロパガンダと見なされたという。ただ、アントワネットの表情も虚ろで、あまり幸せそうな印象を与えない。幼児ベッドには無人、ここに寝ているはずの次女が亡くなったばかりで、悲しみの王妃を表しているという。しかし、今更オーストリア女に同情する余地はなかった。その二年後、ルイ16世とアントワネットはギロチンで斬首される。
「ときおり芸術家が、世界を包括するような大きな題材のかわりに、一見小さな素材を取り上げて自らの創作力を証明するように、運命もまた、どうでもいいような主人公をさがしだしてきて、もろい材料からも最高の緊張を生み出せることを、また弱々しく意志薄弱な魂からも偉大な悲劇を展開できることを、わざわざ証明してみせることがある。そのような、はからずも主役を演じさせられることになった悲劇のもっとも美しい例が、マリー・アントワネットである」
...シュテファン・ツヴァイク著...
9. トーマス・ローレンス作「ローマ王(ライヒシュタット公)」
ジョージ3世の宮廷画家トーマス・ローレンスは、モデルを実際よりも魅力的に描く達人として、王侯貴族から人気があったという。フランス革命直後、フランツ2世は、「コルシカの成り上がり者」と見下したナポレオンに神聖ローマ皇帝位を放棄させられる。ナポレオンは、愛妻ジョゼフィーヌに子が産めないことで離縁し、新たな王妃として王家の王女を物色していた。そして、フランツ2世の娘マリア・ルイーズに目をつけるが、もはやフランツ2世に逆らう勇気はない。敗戦国の憐れなプリンセス、それだけでもルイーズに人気があってもよさそうなものだが、人受けが悪いという。美人でなかったのもあるが、鈍感さと冷淡さによる無神経さが祟ったようだ。
ナポレオンとの間にできた子ライヒシュタット公は、生まれてすぐにローマ王の称号を得る。その4年後、ナポレオンはエルバ島に流され、母子ともにハプスブルク家に出戻りするが、ライヒシュタット公は憎き敵の実子で邪魔な存在。フランス語を使うことを許されず、宮廷の外へも出られない囚われの身となる。ナポレオン2世と呼ばれた彼は、父ナポレオンを崇拝していたという。
10. フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター作「エリザベート皇后」
フランツ2世亡き後、政治能力がなく、世継を残すのが無理とされる人間が扱いやすいという宰相メッテルニヒの意向で、フェルディナント1世(300年前の先祖と同名)が継ぐ。だが、メッテルニヒへの批難が大きくなり、メッテルニヒは一旦イギリスへ亡命。一緒にフェルディナント1世も退位。その後継者にカール大公で決まるはずが、その妻ゾフィが反対したという。この愚物を皇帝にしたら、ハプスブルク家が滅亡するからと。そして、息子フランツ・ヨーゼフを帝位に就ける。ただ、ゾフィの判断は当たったという。ヨーゼフは、フランス二月革命が飛び火したウィーン三月革命を収束させ、ハンガリー蜂起も鎮圧した。そして、戻ってきたメッテルニヒを政治顧問にして、在位68年の長期政権となる。
ヨーゼフはバイエルン公国の王女ヘレーネと縁組したが、対面の場であろうことか、その妹のシシィことエリザベートに恋をする。その美貌からして無理もない。母ゾフィに従順な彼はこの一度だけ反抗したという。宮廷生活に慣れないエリザベートはハプスブルク家のしきたりに合わず、壮絶な嫁姑戦争が勃発したという。ちなみに、エリザベートの肖像画の美しさは完璧だ!本書は、内面や人生の空虚さを埋めるために、際限なく外見を磨かずにはいられなかった痛々しさを感じると評している。美は偉大である。職場放棄した彼女だったが民衆の人気は揺るがない。しかし、美は時には仇となる。若さを失っていくと、彼女は人前に顔をさらすのを極端に嫌い、当時すでに存在していたパパラッチを避けていたという。そんな時「マイヤーリンク事件」。息子ルドルフは母から引き裂かれゾフィに育てられる。彼は母の愛に飢えていたという。そして、マイヤーリンクの狩猟館で、男爵令嬢とピストル心中。エリザベートは喪服姿で放浪するが、その途中イタリア人アナーキストに暗殺される。その動機は王族なら誰でもよかったというものらしい。
帝国の終焉は間近に迫る。イタリアを失い、プロイセンに敗れ、統一ドイツから排除される。残るは、オーストリア=ハンガリー二重帝国。フランツ・ヨーゼフが後継者に指名したのが、甥フランツ・フェルディナント。しかし、サラエボでセルビア人に暗殺され、第一次大戦の引き金となる。実質上、ハプスブルク家の最後の皇帝がフランツ・ヨーゼフとなる。
11. エドゥアール・マネ作「マクシミリアンの処刑」
フランツ・ヨーゼフの弟マクシミリアンは、兄が幼少期から帝王学を学ぶ影で不満を持っていたという。彼はベルギーの王女シャルロッテと結婚、夫婦ともに野心家でプライドが高かったという。そこへ、ナポレオン3世はメキシコ皇帝にならないかと誘う。ナポレオンの甥ルイ・ボナパルトで、マルクスが、その著書「ルイ・ボナパルトとブリュメール18日」でイカサマ師と蔑んだ人物である。これには母ゾフィが反対する。ナポレオン3世を「嘘つきメフィスト」と信用していないからだ。しかし、マクシミリアン夫婦は皇帝という地位に誘惑されてメキシコへ赴く。既に、メキシコはアメリカの圧力を受けて、イギリスとスペインが撤退しており、フランスだけがなんとか植民地化を諦めないでいる。現地へ到着したマクシミリアンには、ほとんど政治的権限はなかった。しかも、劣勢と見るや、マクシミリアンと義勇兵を残してフランス軍は撤退し、その地で銃殺される。この絵には、その時のナポレオン3世の悪党振りが告発されているという。実際に写真も残っているから逃れようがない。描かれる銃を撃つ兵士たちの軍服は、フランス軍のものに似ている。おまけに、とどめの弾丸を込めている赤い帽子の男はナポレオン3世に似ているという。これは、ナポレオン3世に騙された姿を描く風刺画なのかもしれない。
2010-03-28
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 コメント:
コメントを投稿