2011-09-11

"チップス先生さようなら" James Hilton 著

前記事で扱った「失われた地平線」は、なかなかいい。ジェームズ・ヒルトンにちょっぴり嵌りつつあるか。彼の作品は「失われた地平線」、「チップス先生さようなら」、「心の旅路」など、よく映画化されている。文学作品の傑作が映画化されることはよくあることだが、あまり賛同したくない。小説は読者のペースに自由に合わせることができるが、映画はそのリアルタイム性のために筋を追いかけることに目を奪われがちとなる。作者の意図したものも見えにくくなり、作品の性格そのものを変貌させてしまうことさえある。書き物には、作者が生きた時代背景に対する皮肉がこっそりと鏤められるが、映像にはそれが表れにくい。本質的なものの余韻が乏しくなるのは残念なことだ。反応の鈍い酔っ払いには読書の方が合っているのだろう。
と言いながら、大作を読むのは面倒なもので、映画の方だけ観ている文学作品も多いのだけど...

「失われた地平線」が冒険的であったのに対し、「チップス先生さようなら」は老教師がひたすら学園時代の回想に浸るという平凡な作品である。その感傷的な退屈さがいい。...などと感想を漏らすと、もう歳だねぇ!とからかわれるのがオチだけど。
二つの作品には共通点も見られる。それは、対称的な価値観の融合である。「失われた地平線」では、物質的な西洋文明と精神的な東洋文明の調和が描写されていた。「チップス先生さようなら」では、急進的な革新主義と英国紳士の伝統主義を調和させる。いずれも偏り過ぎると、ろくな社会にならないと警鐘を鳴らしているのだろうか?新旧のコラボレーション!ヒルトンの価値観には、中庸の美学といったものが感じられる。

舞台は19世紀から20世紀にかけてのイギリス。チップス先生はパブリックスクールのブルックフィールド学校に赴任する。エリザベス朝時代に初等学校として設立された伝統校だが、特別優秀な学校というわけではない。標準的なパブリックスクールといったところか。チップス先生も格別な教師というわけではない。それでも一般の例に漏れず、青年期は活発で一流校の校長を夢見た時代もあった。そして、徐々に平凡を楽しむようになる。65歳で職を退き、学校から道一つ隔てたウィケット夫人の家で部屋を借りて住む。かつて教鞭をとった学舎を眺めながら、新入生の名前を覚えたり、時々学生をお茶に誘ったりして思い出に耽る。身分相応の経歴から、それに相応しい幕を閉じていくという物語である。
しかし、平凡な人生とは対照的に時代背景は目まぐるしい。資本階級や金融業者が幅を利かせてくる中で、マルクス主義の流れから急進的な社会主義が盛り上がり、ゼネストや工場閉鎖、婦人参政運動、アイルランド自治法案、第一次大戦といった激動の時代。保守派と改革派の論争が激化する。新しい風潮と合理性は一目置かれてはいるが、恐れられ好まれてはいない。その対称的な存在に、礼儀正しく古くさい老教師が位置づけられ、象徴的な関係は、典型的な英国紳士のチップス先生と急進的な革新精神を持つ女性キャサリンの出会いである。チップス先生は、近代的で斬新的な女性が苦手だったにもかかわらず恋に落ちる。キャサリンも、当世風を毛嫌いする中年男を嫌っていたが、同年代の青年よりも奥深いことを知る。この二人が20以上の年の差婚をするというなかなかの設定だ。おまけに、頭脳明晰で美人とくれば男性諸君が憧れるのは必定。若くして亡くなるのは、ちと惜しいが...
チップス先生の教育法はマンネリ化していたが、キャサリンの助言でうまくバランスされていく。ただ、チップス先生は十回に一回反論するぐらいで、ほとんどキャサリンの論理にしてやられる。やはり女性は強い!それほどのパワーがなければ、婦人参政権を勝ち取ることもできなかったのだろうけど...
やがて、馬が合わない活動的なロールストンから引退を勧告される。最新の学校を目指すには旧式な人間は邪魔というわけだ。彼は、資本階級と金融業者を贔屓し、株で儲けたことを自慢するようなオッサン。周囲からは同情と声援が巻き起こる。みんなロールストンの奴隷的駆使を憎んでいたのだった。ここには、産業界が民主主義を広めるのではなく、金融を膨らますことに熱中する風潮への皮肉が込められている。まるで学校を金融屋や経済人の生産工場にするのか?と聞こえてきそうだ。ヒルトンは、当時のパブリックスクールの教育のあり方に問題を提起しているのかもしれない。
さらに、第一次大戦の描写が奥行を与える。当初この戦争の見通しは楽観的だった様子が描かれる。ヨーロッパには、クリスマスまでには片付くだろうという楽観視から、多くの悲劇を招いてきた歴史がある。チップス先生もバルカンの問題は大したことではないと語る。しかし、四年も続こうとは。戦線が膠着状態になると、ブルックフィールド付近に兵舎が続々と建つ。そして、礼拝堂では戦死した卒業生の名前が読み上げられる。教師としてこれ以上辛いことはなかろう。

本書の鋭さは、「チップス先生さようなら」というフレーズに不思議な力を与えているところにあろうか。若く元気な時は前向きに響くが、年老いてくると後ろ向きに響いてくる。結婚前夜ではキャサリンがこの言葉で優しくからかう。卒業生が語れば明るい未来への巣立ちとなる。しかし、やがて冗談には聞こえなくなる時がやってくる。
眠るのでもなく、目が醒めるのでもなく、なんとなく夢うつつな感じ。いろんな夢と声がそこらじゅうに広がっていく。これが老人病というやつか。年の割りには元気な爺さんだけど。そして、思い出に耽りながら眠るように死んでいく。精神が黄昏れていき天寿を全うするオールドボーイ。幸せな死に方とはこういうものであろうか...おいらの理想は死ぬ瞬間まで本でも読んでいたい。

ところで、チップス先生は洒落の名人ということになっている。もともと生真面目な性格だが、キャサリンのおかげで柔らかい人間に変化させ、厳格とユーモアを兼ね備えた円熟味を開化させる。年を重ねると、「あーム!」という意味のない音を話の間に挟むのが癖になって、洒落の精彩も欠いていく。
それはいいとして、本書の駄洒落やジョークはあまりおもしろくない。なによりも読むリズムが合わない。物語自体はまあまあなだけに惜しい。洒落の熟成振りを、肝心なポイントの前で笑いが起こるといった形で表しているのだが、聞く側が冗談の飛び出すのを待ち構えている雰囲気がいまいち。「あーム!」ってのがいたるところにあって目障り!「満場ドッと笑った!」やら「哄笑!」といった演出効果も、あまり役に立っていない。翻訳の難しさであろうか?日本語の文脈に合わないのだろうか?いや、名人芸に期待しすぎているだけのことかもしれん。
そういえば、あるバーテンダーが「酒に落ちる」と書いて「お洒落!」という能書きを垂れていた。棒が一本足らんよ!

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