2011-09-18

"心の旅路" James Hilton 著

ジェームズ・ヒルトンを記事にするのは、「失われた地平線」、「チップス先生さようなら」に続いて3冊目だが、この小説が絶版中なのは惜しい!...さっそく図書館へ。
いずれも彼自身が生きた時代、すなわち19世紀から20世紀にかけての暗黒のヨーロッパ情勢を反映しながら、英国紳士の生き様を描いている。そして、過去の記憶をめぐって物語が展開されるところまでは同じ。しかし、この物語の記憶のぶっ飛び方は、まるで精神分裂症だ。「失われた地平線」は冒険的で奇想天外、「チップス先生さようなら」は感傷的で退屈な日常、そして「心の旅路」は結末の意外性から推理小説風の様相を見せる。

時代背景を細かく描写しながら主人公の精神状態を重ねる繊細なシナリオ、これこそヒルトン小説の真髄であろうか。けして結論を急がない。前戯の長さがやや退屈かと思いきや、なんとなく興味を惹くという感覚を持続させる。結末の意外性は冷静に考えるとなんのことはない。ただ、はっきりとしないモヤモヤ感を残すのがたまらない。読者の精神を、現実なのか幻想なのか、その境界線を彷徨させながら弄ぶような物語。
その最大の演出効果は、時系列をぐじゃぐじゃにしてしまうテクニックだ。本書は、記憶喪失から生じる一人の分裂した三つの人生を物語る。記憶喪失の状態と、記憶が戻っても記憶喪失だった頃が失われた状態、そして、それらが結合し完全に記憶が蘇えった状態。
まず、大戦の塹壕戦で記憶喪失となった男が記憶を戻して帰郷するが、故郷では戦死したとされ居場所のない疎外感を味わう。やがて実業家や政治家として成功する現在、精神病院に記憶喪失で収容され、そこから救い出してくれた女性との結婚という過去、この二つの出来事が完全に分離したかのように展開される。そして、過去の女性を懐かしんで会いに行くと、その正体が現在と結びつく。大方このような流れが、現在と過去を往来しながら章ごとに錯綜する。
そういえば、精神病とは脳内時間が連続性を失った現象だという話を聞いたことがある。記憶の断片と離散性、これらをごちゃごちゃに混ぜてしまえば、精神病へ誘なうような作品になるわけか。
ちなみに、時間を自在に往来する小説では丸谷才一著「笹まくら」を思い出す。丸谷氏の時間のぶっ飛び方は半端ではない。何の前触れもなく、いつのまにか過去へ現在へと自在に瞬間移動する。本書はまだ章で区切られるだけ追いやすいが、同じような小説家の凄みが感じられる。映画版ではこのダイナミックな感覚は、まず味わえまい。

物理法則では、時間は一定に刻まれることになっている。しかし、それは本当だろうか?物理時間と精神の内に体系化される時間とは別物に思えてならない。過去の記憶を遡れば平気で前後しやがる。過去、現在、未来が規則正しく並んでいるのかも疑わしい。相変わらず時間は、短く感じたり長く感じたりする。インパクトのある期間が強調され、苦い思い出ばかりが蘇える。曖昧な記憶は夢の中に紛れ、現実との区別もつかない。人間の記憶なんてものは、実にいい加減なものだ。
「夢は未来を予示するものである。われわれは、夢が現実になるまで忘れてしまっているにすぎない。不明瞭な記憶のかけらをのぞいたいっさいを、われわれは忘れてしまうのである。」
精神病が脳内時間の連続性を失うことに原因があるとすれば、精神病を患わさない人間なんているのだろうか?そもそも、時間なんてものは人間の意識の産物ではないのか?一定に刻まれると勝手に信じながら。それにしても記憶喪失とは不思議な現象である。個人的なことはすっかり忘れても理性的な行動はとれるのだから。酔っ払いの方がよっぽど質ちが悪いという噂だ!

1. ハリスンとチャールズ・レーニエの出会い
1937年11月11日、第一次大戦の休戦記念日。ハリスンは汽車で移動中、2分間の黙祷を捧げる中で、40代前半の英国紳士チャールズ・レーニエと出会う。二人は、車窓の美しい朝景色を眺めながら、暗いヨーロッパ情勢について会話する。そして、チャールズはフランスの塹壕戦を体験したことを話し始める。戦友のほとんどを失い、自分も砲弾を浴びて記憶喪失になったこと。ドイツ軍の捕虜だったかもしれないこと。戦時中ドイツの歯科医は代用金属を使うようになり、それが歯に詰められていたのだ。
ところで、休戦記念日に出会った偶然が、この無口な紳士をお喋りにさせたのだろうか?実は、二人は翌日のスウィスィンの晩餐会で同席することになっていた。チャールズが主賓で、ハリスンはそのレセプションの委員を務めていることを明かす。そして、翌日再会する。ハリスンは、チャールズが貴族の血筋ではなく、二流のパブリックスクール出身で、大実業家の息子で、保守派の下院議員ということを調べていた。金持ちで有力者であるが目立とうとしないタイプ。ハリスンは昼食会でレーニエ夫人とも会う。彼女は社交的で完璧な政治家の妻を演じていた。
ハリスンは新聞業界で職を探していたが、チャールズの誘いで秘書を引き受ける。そして、秘書のホッブス嬢から仕事を教わる。ホッブス嬢はチャールズを崇拝し、夫人に嫉妬しているようだった。ハリスンは、チャールズが好きになり、彼の過去に興味を持つのだった。やがて、ホッブス嬢は辞職しハリスンが引き継ぐ。

2. 記憶を語り始める
1919年、チャールズはリバプールにいた。ひとけのない公園を歩いている自分がいる。車にひかれ、運転手がその場に置き去りにしょうとしている光景。記憶の断片が戻りそうで、すぐに砲弾の記憶と錯綜する。そして、自分がスタートンにある田舎の大邸宅に住んでいたことを思い出す。終戦から一年もして連合軍が勝利したことを知る。しかし、なぜリバプールにいるのかは分からない。
スタートンへ帰ると父は危篤状態。レーニエ家は7人兄弟で、戦死したと思われた一人が戻ったことで遺産相続で揉める。医師サンダーステッドと弁護士トラスラブが激しく争う。サンダーステッドは、ショックで病状を悪化させるので、帰国した朗報を父親に知らせるべきでないと主張する。トラスラブは、父親の依頼に対する義務として、チャールズの権利を主張する。チャールズは揉め事にうんざりし家を出る。やがて父親が亡くなったという知らせが届き、再びスタートンへ。遺言状にはチャールズの配分はなかったが、トラスラブの道義的な説得で遺産の7分の1を出し合うことに同意させた。
1920年になると戦勝国の面影はなくなり、株の大暴落の風説が流れ新聞紙上をにぎわす。レーニエ家の事業も、長男チェットが継いだものの失敗する。チェットは自社株に投機するために銀行から金を借りていた。そして、チャールズに借金申し入れの手紙が届く。スタートンへ戻ると、家族会議が開かれ互いにヒステリックになっている。レーニエ家は破産したのだった。チャールズが会社の状況を調査すると、放漫と不合理さはこの上ない。馬鹿げた値段で大量の株を買っていただけでなく、あらゆる経費が浪費されていた。そして、事業を引き継ぎ再建に乗り出す。
1924年には優先株の配当金が支払われるまでに回復。事業が好転した頃、チャールズは姪のキティと婚約する。本当の血筋ではないようだけど。しかし、ニューヨーク市場で株暴落。イギリスもその影響は避けられない。その頃、ハンスレットという静かな女性が秘書となった。キティは、この女性とチャールズの波長をなんとなく感じたのか?婚約を解消する手紙を残して去った。その後、キティはマレーシアに大農園を持っていた男と結婚して、半年もしないうちにマラリアで死ぬ。

3. メルベリーの精神病院にいたことを思い出す
チャールズは、ビジネスと政治の相棒として欠かせない秘書ハンスレットと結婚する。そして、大不況時に空売りで大儲けし、「シティの大物」と呼ばれるほどになった。
ある日、ピアノでも聴きたい気分になり、ピアノリサイタルでショパンを演奏するピアニストと出会う。そして、そのピアニスト夫婦と「国旗に敬礼」という芝居を見に行った。それは、第一次大戦を舞台にした気高いイギリス人と極悪非道のドイツ人が登場する喜劇かかった物語。この芝居で、チャールズはメルベリーの精神病院にいたことを思い出し、すぐに運転手にメルベリーへ走るように指示する。

4. 終戦直後、メルベリーからの逃亡劇
1917年、塹壕戦で砲弾を浴び意識が戻った時、ドイツの病院に身元不明、確認不可能患者として入院していた。後に、スイスを通じて捕虜交換がなされ、その際にイギリスにまわされた。病院を転々とし、中でもメルベリーは一番嫌いだったが、戦後の病院はどこもいっぱいで選べる状況にない。
1918年、終戦直後の夜、街中を散歩する。終戦にわく群衆はまだ興奮が冷めきれない。死者は死者のまま、けして生きかえってはこない。失った手足、失った眼、失った正気。帰国した兵士たちは自虐的に何かを叫び、衝動のままに群がる。群衆を避けて歩いていたが、やがて群衆に巻き込まれる。まもなく、一人の兵士を助けて!と娘が叫び、そこに群衆の同情が集まった。娘はアウル亭というパブに運ばせる。彼女の名はポーラ・リッジウェイ、旅回りの劇団の女優で、本名ではない。兵士の名はスミス、チャールズの記憶喪失時の仮名で、これまた本名ではない。ポーラは、彼をスミシーという愛称で呼び、心の安らぎを与えた。スミスは、アウル亭の庭で働くことになった。
だが、メルベリーの病院から二人の男が探しに来た。さっさと逃げないと病院に連れ戻される。ここから、スミスとポーラの逃亡劇が始まる。そして、ポーラの劇団の一座に加わり、俳優以外のどんな仕事もこなす。報道先発員、背景描き、帳簿係、コピーライター、雑用係など。これが病状に良い影響を与える。
この劇団は、「国旗に敬礼」という芝居をやっていた。ある日、一座の一人が病気になり、スミスに代役がまわってくる。一座の連中は何も心配していない。彼はあらゆる仕事を起用にこなすのだから。それに大した役でもない。イギリス軍服を着て、敵軍が進軍してくる!という報告をする役で、台詞も一言、二言。しかし、昔の息苦しさが蘇えり、台詞がごもり、観客を笑いの渦に巻き込んでしまう。これには屈辱を感じないわけにはいかない。なによりもショックだったのは、恥をかいたことよりも、心の病がほとんど治っていなかったことだ。彼は一座を去るしかないと考え、荷物をまとめる。
途中ファルバートンの町を急いでいると、鉄道の陸橋下で警備員が通り抜けできないと言った。幻想に憑かれたのか、銃を持っていると勘違いし、警備員を押し倒して逃げる。そして、五つの州が見える丘を登って田舎に辿り着く。ポーラは後を追った。スミスはポーラに愛を告白し、二人は婚約した。だが、新聞には「陸橋下で襲われる、ファルバートンの警備員重傷」と掲載され、その犯人は紳士風だったと記される。スミスが振り切った時に、何かの拍子で怪我を負わせたのか?この新聞記事が、次の逃亡先へと導く。そして、ロンドン行きの列車で牧師プランピードに出会い、意気投合してロンドンの牧師館で部屋を借りる。
二人は牧師のはからいで結婚する。牧師の人柄がスミスの病気に良い影響を与える。この幸福の中で、スミスはものを書き始める。作家になろうなどという野心からではなく、内から湧きあがる欲求に素直に筆を執っただけだが、偶然にも出版社に採用される。プランピードは、スミスにリバプールで地方新聞の編集長をしている友人を紹介した。そして、仕事の依頼がきてリバプールで会うことになった。新聞記事によると、ファルバートンの警備員は回復して退院しているらしい。二重の喜びとなる。リバプールに着くと雨が降っていた。滑りやすい通りを横断しようとして転び、自動車事故に遭遇したのだった。

5. ポーラとレーニエ夫人
チャールズは、ビジネスとポーラの思い出に挟まれながら、過去にこだわり続ける。そして、昔の思い出を追ってロンドンへ向かう。プランピード牧師は亡くなっていた。
一方、レーニエ夫人はチャールズが気がかり。夫婦は喧嘩をしたこともない。幸せそうに見えるが、どことなくぎこちない。夫人は秘書ハリスンに告白する。チャールズを崇拝し、キティと婚約した時も嫉妬していたと。キティが亡くなった後、チャールズはますますビジネスだけになってしまった。だから、夫人にもチャンスがあったと。結婚すれば心が通じると信じていたが、実業家の妻と政治家の妻として社交性を演じるぐらい。夫人にも以前子供がいたが、すぐに亡くなったという。
ハリスンは、彼女の話に同情せずにはいられない。そして、チャールズがポーラに出会ったのがメルベリーで最初の休戦記念日、二人はロンドンで結婚、プロポーズしたのがピーチングズ・オーバーという田舎ということを話して聞かせる。
そんな時、ドイツ軍がポーランドへ侵攻したニュースがラジオで流れる。世界は地獄へ舞い戻った。夫人は、それを自分の心境と重ねながら絶望感を募らせ、五つの州が見渡せるあの美しい場所へ行くと言いだした。そして、ハリスンをともなってチャールズの後を追う。
しかし、なぜレーニエ夫人は、五つの州が見渡せることを知っているのか?どうやって、その場所に見当をつけるのか?丘を登っていくと、チャールズが両腕をいっぱいにのばして寝転んでいた。再会した夫妻は、懐かしそうに見つめ合う。夫人は「ああ、スミシー!スミシー!まだ、おそくなんかはないわ!」と言って、チャールズの胸に飛び込む。チャールズの記憶は完全に蘇えっていた。えぇ!レーニエ夫人ってポーラだったの?

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