2011-09-04

"失われた地平線" James Hilton 著

シャングリ・ラと言えば、この小説。それは、俗世間から隔離された理想郷の物語である。ちなみに、「ラ」とはチベット語で「峠」を意味するそうな。
ジェームズ・ヒルトンが生きた時代は、二つの大戦とともに「殺戮の世紀」と化す。彼は、絶望から逃れるために、このような世界を夢想したのだろうか?あらゆる美徳が戦争や残虐行為に砕かれ、科学や技術は大量殺戮のために最大限活用される。まるで狂気の沙汰だ!暗黒の時代は、ますます暗闇へ向かい破壊のカオスへ誘なう。「失われた地平線」は、まさに第二次大戦へと向かう1933年に刊行された。

ヒルトンは、未来への暗示をハイ・ラマ(大僧正)に語らせる。
「おそらく世界がまだ見たこともないような嵐になるでしょう。武力によっても安全たり得ず、権力によっても救い得ず、科学によっても解明され得ないでしょう。あらゆる文明の花々が踏みにじられ、あらゆる人間が巨大なカオスへと投げ込まれるまで、これは荒れ狂いつづけるでしょう。わたしはこの幻影を、ナポレオンの名前さえまだ知られていなかったころに見ておりました。そしていま、わたしはそれを刻一刻、さらに鮮明に見ているのです。」
その地にあるのは、東洋哲学と西洋文明の融合した「シャングリ・ラ」という名の理想郷。
「東洋の諸民族が異常なまでにのろまなのではなくて、イギリス人やアメリカ人がたえずばかげた熱にうかされて、世界じゅうを駆けまわっているにすぎない」
俗世間では、流行を知らないと馬鹿にされる。報道屋や政治屋が存在感を強調すれば、世論は過熱し市場は大袈裟に反応する。だが、現在の瞬間的な現象には多くのノイズが紛れ、後世の歴史に照らしてみないと客観的に評価することができない。情報は歴史的に淘汰され、洗練されたものが生き残るであろう。真理の探究という観点からすると、生き残った情報にのみ耳を傾けることが、合理的な生き方なのかもしれない。しかし、現代人は毎日ニュースを読まないと気が済まない。アル中ハイマーこと俗世間の泥酔者は、世間から隔離されることを恐れずにはいられない。

本書には、重要な哲学的概念が二つあるように映る。それは、理想郷の原理が革新的な意味での「適度の異端」「中庸の原則」とによって機能していることである。思想を権威的に押し付けるのではなく、納得した者だけがこの地に留まり、納得できない者は自由に去ってもらう。自然の原理こそが最強の布教活動というわけか。
社会システムでは、身分階級があるわけでもなく、政治的なシステムは一切存在しない。選挙のような民主主義的な機構すらない。せいぜい大僧正とその他大勢という構図があるぐらいなもの。完全に治めるには、治めすぎないようにするという考えか。ここには、哲学的な共通価値を持った人々によってコミュニティが形成されるという自然学的な秩序がある。
また、図書室や音楽室が充実し、東洋知識だけでなく、西洋知識も豊富に吸収できる最高の学問環境が整っている。彼らの意識は、過去に学ぶのと同じく、現在の叡智と未来への洞察力に信頼を置くという。
「伝統の奴隷にならぬというのが、わたしどもの伝統でしてね。」
真の知性と理性といった純粋な欲望を探究する環境には、政治やイデオロギーといった脂ぎった欲望に汚染されない空気が必要というわけか。その唯一の手段は学問というわけか。適度や中庸といっても、知識は最高レベルを求め、知的欲望だけは自由に解放するというわけか。ここでは、中庸と中途半端をごっちゃにしないようにしたい。

本物語は、主人公コンウェイの体験談をラザフォードという登場人物がまとめたものである。時代は、イギリス領インドでガンジーの「非暴力運動」で盛り上がるあたり。中国の教会病院に辿り着いたコンウェイは、チベットの秘境で拉致され不思議な体験を語り始める。
そこには、精神の高まりを得ようとする共通価値を持った人々の世界があったとさ。250歳にもなる大僧正が住み、100歳を過ぎても若々しいラマ僧たちがいて、65歳の処女娘が慰安を与えるような不老長寿の国である。精神の高まりを得るには100歳を超えないと達しえないということのようだ。長寿の秘訣は、煙草と麻薬とお茶、そして瞑想と叡智の追及なのか?これには生物学的にも論理的にも説明がつかない。
コンウェイは大僧正から後継者に指名されるが、結果的に仲間を助けるという理由からこの地を去った。どこか合点のいかないところがあったからだろうか?彼は、前の大戦でフランスの塹壕戦を経験し、社会に絶望し疎外感に見舞われていた。戦争後遺症が狂気へと変貌させ、夢物語を描かせたのか?あるいはカルト教団に洗脳されたのか?その話に確たる証拠はないが、余韻らしきものは残っている。その推理小説風の結末が物語を盛り上げる。
ところで、「シャングリ・ラ」って実在するの???
実際にモデルになった村が存在するらしいが、有名になれば政治利用されるのが世の常。やはり、俗人たちが踏み入ることのできない秘境でなければならないわけか...
ちなみに、本当に美味い店は大々的に宣伝しないもので、ほとんど口コミでしか伝わらない。ポリシーのようなものを大切にしているからであろうか。あまり知れ渡ると客質も落ち、真の常連客を遠ざけてしまう。商売根性も中庸が良しというわけか。やはり、真に癒される空間は、隠れ家のような存在であってほしい。

1. チベットの秘境へ
1931年、インドのバスクールで革命が起こり、白人居住者をペシャーワル(現パキスタン)へ疎開させていた。輸送機には、マハラージャ(回教君主)が提供する贅沢な小型旅客機が含まれていた。その飛行機に4名が乗り込む。東方伝道師ブリンクロー女史、アメリカ人バーナード、イギリス領事コンウェイ、副領事マリソン大尉。
だが、その一機のみがまったく正反対のヒマラヤ山脈を越え、チベットの秘境へと拉致された。パイロットは飛行機が着陸した時の衝撃で死んだが、死に際にわずかなことを喋った。この近くにラマ教の寺院があって、谷間に沿って行けば食糧も宿もあると。4人が谷へ向かう途中、ラマ僧の一行に出会う。その中の威厳のある老人が張(チャン)と名乗り、シャングリ・ラ寺院へ案内する。

2. シャングリ・ラの生活
セントラル・ヒーティングなどの設備が整い、チベットの首都ラサまで電話が引かれている。そこは、西洋的衛生知識と東洋的伝統の融合された社会があった。
「ローマ人は仕合せだった、わたしはよくそう考えます。彼らの文明は機械という致命的な知識まで行きつくことなしに、熱い風呂にたどりついておわったのですから」
ブリンクロー女史は、ラマ僧が不道徳者と決めつけるかのように宗教論争を持ちかける。張老人は、多くの宗教にはそれぞれ適度の真理がふくまれていると答える。
「信仰の根幹には中庸があり、いかなる行き過ぎも避けるという徳を説き、逆説的にはその徳そのものの行き過ぎですら避ける」
住人たちは、適度の厳格さをもって支配され、適度な服従で満足しているという。適度に真面目、適度に控え目、適度に正直、多種多様の信仰と習慣を持ちながら、大部分の人が適度に異端視し合うといったところか。
反感的なマリソンは、帰国するために人夫を雇いたいと申し出る。だが、この地を離れてまで案内する者はいない。とはいっても、外界と時々は連絡をとり、物資を取り寄せているのも事実。荷物を運んでくる連中を人夫として雇えばいいわけだが、彼らはいつ来るのか?二か月ぐらい先か?マリソンが子供じみた癇癪を起こすと、張老人はその場を去る。熱を帯びたところでは会話を避け、冷えたところでは会話を進める。くだらない口論を避けるのが最も賢明というわけか。しかし、不自由なく歓待してくれるのだから、それほど悪い話ではない。東洋文化を蔑んだり、人種偏見があれば別だけど。張老人は、コンウェイは賢明、マリソンは感情的、ブリンクロー女史は知的盲目の中に異教徒を眺める調子、バーナードはまるで執事と接するような馴れ馴れしい態度、といった具合に観察している。
ここには、古典美術が並ぶ建物や、天井が高く広々とした図書館がある。世界最高の文学作品だけでなく、値踏みのできない難解かつ珍妙な書物までも多数揃えている。だが、どの書物を探しても「シャングリ・ラ」の名は載っていない。
音楽室には、ハープシコードとグランドピアノが設置され、西洋の偉大な作品がすべて揃っている。ラマ僧たちは、特にモーツァルトを高く評価しているという。そこに中国服をまとった羅簪(ロー・ツェン)という少女(実は65歳?)が来て、ラモーのガボットを演奏して癒してくれる。これほどの作品がなぜ揃えられるのか?イエズス会のように金銀をどっさりと隠しているのか?
やがてマリソン以外の3人は、この地に興味を持ち始める。ブリンクロー女史は、この地にキリスト教を説く使命を抱く。バーナードは、実は本名をチャーマーズ・ブライアントといい、金融詐欺で追われていて偽パスポートで旅行している。彼は、犯罪者として帰国するぐらいならこの地に留まる方がましと思っているかもしれない。コンウェイはパイロットの埋葬に出会う。遺族によると、そのパイロットはシャングリ・ラの偉い人の命令で大山脈を越えたという。4人がこの地に来たのは偶然ではなく、シャングリ・ラの教唆によって計画されたことを知った。

3. 政治不要論
犯罪は滅多に起こらない。ラマ僧院直属の聖職者に違反者を追放する権利は与えられているが、滅多に行使されることはない。見知らぬ人を冷たく扱ったり、意地悪く口論したり、先を争ったりといったことは、なされるべきではないという慣習がある。低級な本能を刺激するようなことは軽蔑される。こうした共通価値を持った社会は、世界の中でごくちっぽけな領域に構築することはできるかもしれない。しかし、全世界に広げることは不可能だ。違反者を追放する場所がなくなるのだから...
「渓谷を訪問しているあいだ、たしかにコンウェイは善意と満足の気風をこの上なく楽しく感じた。それというのも、あらゆる技術の中で政治の技術が完全の域にもっとも遠いということを知っていたからであった。」
政治的なものがどうやって運営されるのか?長老の思惑だけで決まるわけでもあるまい。すべての人が、自分を含めて客観的に人間性が測れるならば、あるいはその能力が測れるならば、自明であろうけど。すべての人が真理を探究し、それに近づくことができるならば、政治的な機構は一切必要ないということか?実は、政治なんてものは精神の高まりには邪魔な存在なのか?
ちなみに、レヴィ=ストロースは、著書「悲しき熱帯」で「首長の政治力は共同体の必要から生まれたものではない」と語っていた。

4. ハイ・ラマ(大僧正)の正体
大僧正は、コンウェイとだけ会見し、ペロウという神父の話をする。
1719年、カプチン修道会の4人の修道僧がこの地を目指して何ヶ月も旅をしたという。うち3人は死亡し、ペロウ神父だけが渓谷に辿り着いた。古いラマ教の僧院は、物質的にも精神的にも衰退していた。
1734年、彼の指導のもとに建物の修復と大改造が行われた。53歳のこと。ペロウは、ルクセンブルクの生まれ、音楽と美術を好み語学に堪能、世俗的な享楽はほとんど味わい尽くしていたという。戦争体験から侵略行為の恐ろしさを知っている。谷沿いに金鉱を発見したが、それに誘惑されることもなかった。禁欲主義者ではなく、この世の善きものは楽しむという生き方。帰依者には、教義だけでなく、実用的なことも教える。彼は誇りという動機だけで実践を説く。この人物がシャングリ・ラ寺院を建てたのだった。
1769年、ローマから召喚状が届いたが、この地に留まる。既に89歳の老齢で動けなかった。しかし、98歳になっても元気で仏教の経典を勉強し始める。もともとは、正統信仰の立場から仏教を攻撃する著書を書き上げるつもりで、この地に来たのだった。
1789年、臨終の床についたという知らせが伝わる。108歳のこと。だが、何週間も横たわりながらも、やがて回復しはじめた。麻薬の服用と深呼吸の実践、これが死を防ぐ有効な摂生法だという。やがて、ペロウ伝は幻想的な民間伝承となった。
1794年、ペロウはまだ生きていて、やがて谷のどの寺院からも「感謝聖歌」と「南無阿弥陀仏」が聞えるようになったという。
コンウェイは言った。「あなたはまだ生きていらっしゃるということです。ペロウ神父」。この大僧正は250歳ということか?

5. 経済システムを構築した人物
ヨーロッパから二人目の訪問者が、この谷に辿り着いた。ヘンシェルという若いオーストリア人。ペロウが人々に道を説き、改宗させるために来訪したのに対して、ヘンシェルは金鉱に興味を寄せた。彼の野心は富をつかんで帰国することだった。だが、帰国しなかった。谷の平和と自由が、彼の出発を延ばしていった。そして、ペロウ伝説を知る。友情や愛情といった情念を超越したペロウの慈悲心が、この青年の心を潤した。
中国の美術品や、図書や音楽に関係するあらゆる貴重品の収集は、ヘンシェルによるものだという。金鉱は社会システムを維持するための財源なのだ。必要な物品を外界から取り寄せる複雑なシステムは、ゴールドラッシュといった欲望から免れるための仕掛けである。自然の地形から軍隊による侵略の心配もない。西洋人たちが科学調査で天山山脈の難路を超えてやってくると、訪問者に対する態度に修正を加えていく。金鉱の噂を聞きつけた人々には、すぐに失望して引き返すように。

6. なぜ、4人が選ばれたのか?
様々な年齢の人たち、異なった時代の代表者たちと一緒に暮らすことは楽しいという。だが、ヨーロッパの戦争やロシア革命以降、旅行者や探検家がほとんど途絶えてしまった。外来者の中には、滞在してなんら恩恵を受けず、世間並みの年齢まで生きて病気で死ぬ者もいる。魅力的な人を多く入門させたいが、百歳以上生き長らえる者はわずか。高地などの厳しい自然条件に適応できる人種が少ない。日本人も中国人もいまいち適応しなかったので、北欧やラテン系、アメリカ人の方が適応性があるかと考える。つまり、人口減少の歯止めというわけか。あまり血を濃くするのもよくないのだろう。

7. 謎の人物、満州娘とショパンの弟子
羅簪(ロー・ツェン)は、満州の王家出身、トルキスタンの王子と婚約していた。1884年、嫁ぐ途中、護衛たちが山中に迷い、シャングリ・ラの密偵によって助けられた。18歳のこと。つまり、演奏で癒してくれていた少女は65歳の老婆ということになる。
ショパンの直弟子アルフォンス・ブリアックは、ショパンの未発表の曲を知っていた。彼は、まだ入門して日が浅いので、ショパンのことばかり口にしても、大目に見てやらないといけないという。
「若いラマ僧は自然のことながら、どうしても過去のことにとらわれがちになるものでしてな。まあ、それも未来を直視する必要な段階なのですが」

8. シャングリ・ラを去る
コンウェイは、大僧正と何度か会見しているうちに、この理想郷を譲渡された。その夜、マリソンは羅簪と一緒に逃亡するとコンウェイに告白する。コンウェイも上品な彼女に恋心を抱くが、老婆であることを知っている。そして、シャンブリ・ラにまつわる歴史や、大僧正や張老人との会話を打ち明けた。
しかし、マリソンは信じない。羅簪は処女だったといい、250歳の大僧正が生きていることは生物学的に矛盾していると主張する。マリソンの言うことももっともだ。コンウェイは、自分が幻想に憑かれているのではないかと混乱する。
「はたして自分はいままで気違いであっていま正気に立ち返ったのか?あるいは、しばらくのあいだ正気であったのがふたたび気違いに舞いもどったのか?」
コンウェイは二人とともにこの地を去った。

9. 結局、実話だったのか?
ラザフォードは、コンウェイの話を調査した。4人の消息は不明のままで、シャングリ・ラの噂も聞かない。ペロウ神父も、ヘンシェルも、ショパンの弟子も、満州娘も、その記録を見つけることができない。ただ、マリソンが中国に辿り着けなかったのは間違いないらしい。コンウェイの語ったことは、戦争後遺症による幻想だったのか?しかし、コンウェイはショパンの未発表曲を弾いた。
更に、コンウェイが教会病院に辿りついた様子を調べると、医者が女性に連れられてきたと証言した。その女性は中国人で、熱病を患い到着後すぐに亡くなったという。彼女は若かったですか?と訊ねる、医者は答えた。
「いえいえ、ひどい年寄りでしたよ。 いままでわたしが見たうちで、いちばん年寄りでした」

0 コメント:

コメントを投稿