2011-11-06

"ガロア理論入門" Emile Artin 著

線形代数と出会ったのは大学の初頭教育であろうか。落ちこぼれスプレーを浴びせかけられた、あの忌々しい記憶が蘇える。おまけに、この書が入門レベルというからイヤになる。
ところで、「線形」ってなんだ?学生時代から疑問を持ち続け、いまだ答えが見つからない。用語辞典をググれば、それなりの答えが氾濫するが、どれもしっくりとしない。連続体と関係がありそうなことや、写像関係が維持されそうなことは、なんとなく分かる。過去とのしがらみを持つもの、あるいは予測可能なもの、こうしたものは、すべて線形なのだろうか?そもそも人間は、過去、現在、未来の流れの中でしか認識能力を発揮できない。では逆に、非線形ってなんだ?カオスのような現象のことか?人間には予測できない、あるいは認識できない領域にあるということか?だとすると、人間の能力で、認識できる領域と認識できない領域を区別するとはどういうことか?認識能力の境界を認識する???...などと思考が自己循環を続けたままなのだ。本書はまさに自己循環論を語っているように思えてならない。

ガロア理論と言えば、体論や群論の世界である。それは代数学の延長上にあり、線形代数と集合論が結びついた世界とでも言おうか。代数学とは、その名が示す通り数を文字に置き換えて抽象化する学問である。その対象は数(かず)であり、それは自然数から始まった。だが、減算や除算を行うと、自然数の体系からはみだすという欠点を曝す。算術によって系が閉じられない現象は、数の概念を自然数、整数、有理数、実数、複素数へと拡張させてきた。そして、方程式を解きたいという欲望が、いっそう抽象度を高める。代数学は、結合法則や交換法則、あるいは単位元や逆元を持つか、といった性質を考察する方向へと舵をとるのだった。連立方程式は、変数の数だけ方程式の数が存在しなければ解けない。その係数の羅列をベクトル空間や行列式で捉えた時、多次元の概念と結びつく。こうして線形代数が構築されてきた。そこには、非可換な世界が広がる。つまり、交換法則すら成り立たないものまで抽象化したのだ。この現象が意味するものとは、そぅ、物事を掛ける(賭ける)順番、やる順番が違うと、おのずと結果も変わってくるということである。したがって、酔っ払いの目には、非可換性は非可逆性、つまりはエントロピーに通ずるものを感じる。抽象化の波はまだまだおさまらない。体や群が登場すると、ベクトル空間や集合体までも呑み込んだ。もはや数の概念を超越している。四則演算に支配される構造ならば、なんでもありだ。
本書には、拡大体、分解体、部分体、可換群(アーベル群)、巡回群、可解群など、頭痛のしそうな用語で埋め尽くされる。そして、累乗根を考察しながら円周等分多項式の既約性を証明し、方程式を解くための必要十分条件に迫る。その結果、5次以上の方程式の累乗根はない、という「アーベルの定理」が導かれる。更に、幾何学の問題「コンパスと定規による作図」に対する代数学的解釈が示される。
ここにはガロア群の正体なるものが明かされるわけだが、一度や二度読んだぐらいでは頭の中に入ってこない。ほとんどの定理を鵜呑みする羽目になり、酒飲みの域に達っするには程遠い...

物事の本質を解析しようとすれば、それを構成する基本成分に分解してみようと試みるだろう。自然数では素因数分解し、方程式では既約多項式に因数分解する。そこで問題になるのが、どこまで純粋な要素に分解できるか?どこまで既約となりうるか?である。ちょうど物理学が、どこまで素粒子なのか?を問うかのように...
例えば、この方程式は、実数系ではこれ以上因数分解できない。
 f(x) = x^2 + 1
だが、複素数系であれば、更に因数分解できる。
 f(x) = (x + i)(x - i)
つまり、扱う系によって既約の定義も変わってくるわけだ。そして、四則演算の可能な系における最も抽象度の高い既約とは何か?が問われることになる。その抽象レベルで語った時、はじめて方程式を解くための必要十分条件が見えてくる。しかし、体論や群論を扱う才能豊かな人たちは、そんな定義は暗黙のうちに議論を進めやがる。数学者たちには、共通の抽象認識といったものが見えるのだろうか?
ところで、四則演算を習ったのは小学校であった。第五の演算とも言われるモジュロ演算を学んだのは、それよりずっと先で高校だったか?大学だったか?割った余りという観点から除算の一部と言えなくもないが、その本質はむしろ巡回性にあるだろう。日常を支配する暦は永遠に一週間を繰り返す。人間は10進数で物事を考えながら金の計算に執心し、商品の値段が桁上がりした途端に目くじらを立てる。コンピュータは2進数で四則演算を抽象化し、数字列をシフトするだけで乗算や除算をこなす。これらすべて巡回性で説明できるのだ。ちなみに、コンピュータ技術者は16進数で年齢を誤魔化すらしいが、モジュロ演算が人類の永遠の夢を叶えるだろう。
さらに、モジュロ演算は、暗号アルゴリズムや符号理論などで大活躍している。解析学で登場するフーリエ変換も、数学の直交性を利用した巡回性の成分で分解する。いずれにせよ、巡回範囲は、それぞれの世界で合理的に、あるいは都合よく設定されているに過ぎない。
では、巡回性を抽象化するとどうなるのか?本書では、自己同型群が巡回群になるという議論が盛んに行われる。人間社会で四則演算が馴染むというのは特異現象であって、宇宙法則では巡回演算の方がはるかに自然的なのかもしれない。もしかして、ガロア理論は抽象化の果てに自己循環論があると主張しているのか?

1. 体
体とは、ひとことで言えば、乗法と加法の二つの演算が定義されている集合である。これだけなら単純だが、その概念は意外とイメージしづらい。本書は、初心者に「複素数体の部分集合で、四則で閉じたものをモデルにして読みはじめてもよい」と助言してくれる。ということで、複素数系のベクトル空間を思い浮かべてみよう。
実数系も体の一つと言えそうだが、異質な点が二つあるという。それは、乗法の可換性を仮定しないことと、有限個の要素からなる場合もあるということである。非可換性については行列式でイメージできる。すなわち、乗法において交換法則が成り立たないということだ。有限個の要素というのがイメージしずらいが、先へ進むと見えてくる。線形従属や線形独立によって決定される次元(行列の階数)との関係を意識する必要があるが、やがてモジュロ演算のような巡回性を想定することになる。この有限体というあたりにガロア体の正体が隠されていそうだ。
そして、体とは、正確にはこういうことらしい。

「体とは、まず加法についてのアーベル群をなし、次に零を除いた残りが乗法について群をなし、しかも2つの群演算が分配法則によって結びつけられている集合である。」

アーベル群とは、可換群のこと。ちなみに、乗法が可換であるような体を「可換体」と呼び、可換性が成り立たない場合を「斜体」と呼ぶそうな。アーベルは可換群だけを想定したようだが、ガロアは非可換群もあると考えたようだ。

2. 拡大体と分解体
体Eの部分集合Kが、Eで定義された加法と乗法で体をなす時、EをKの「拡大体」と呼び K ⊂ E で表す。また、拡大体の次数を (E/K) で表す。そして、三つの体において K ⊂ B ⊂ E ならば、(E/K) = (B/K)(E/B) が成り立つという。Bを「中間体」と呼ぶ。
更に、K ⊂ E の時、Kの代数的なEの要素αの既約多項式 f(x) を定義して観察すると、おもしろい性質がある。

「(K(α)/K) = deg f(x) = nであり、K(α)はK上の 1, α, α^2, ..., α^(n-1) によって生成される」
ただし、degは多項式の次数を表す。

ここには、拡大体や部分体と多項式との重要な関係があるというわけか。つまり、体における要素の関係を考察するには、多項式、特に同型写像を考察すればいいということらしい。また、K内の多項式 f(x) の根をすべてKに付加した体を、f(x) の「分解体」と呼んでいる。要素が増えるのに分解体なの?既に拡大体と分解体の言葉の綾で混乱している。...挫折の予感か?

3. 群の指標
本書は、体の定義は明示されるのに、群となると途端に難しくなる。それも定義ではなく指標として示される。

「体Eから体E'の中への相異なるn個の同型写像 σ1, σ2, ..., σn があり、Eの部分体Kの要素 a に対してはつねに σ1(a) = σ2(a) = ... = σn(a) であるとき、不等式(E/K) ≧ n がなりたつ」

特に、Kのすべての要素を不変にするEの自己同型写像の全体が群になるという。これが群の指標ということらしい。
ここで、「不変」という言葉が気になる。恒等写像を仮定すると、Eの要素 a がそのまま a に対応するのだから、自己同型写像になるのは自然だろう。
σi(a) = σ1(a) = a (ただし、i = 0, 1, ..., n) となるところから、不変という名が付けられたという。おまけに、恒等写像でもないのに、Eの部分体となる σ1, σ2, ..., σn の要素の集合を「不変体」と呼んでいる。ちょっと無理がないか?
更に、乗法群における自己同型写像の条件が示される。
例えば、乗法群G、体Kとすると、GからKへの写像σが、Gの任意の要素α, βに対して以下を満たすとしている。

 σ(αβ) = σ(α)σ(β) (ただし、Gの任意の要素aに対して、σ(a) ≠ 0)

自己同型写像が群であるというのは分かるような気がする。だが、それで体に対して抽象度は上がっているのか?それは、次の正規拡大体で薄っすらと見えてくる。...そんな気がするだけかも。

4. 正規拡大体
群の指標を不変体と絡ませて進化させる。

「σ1, σ2, ..., σn が体Eの自己同型写像の群Gをつくるとき、Kをそれに関する不変体とすれば (E/K) = n である。」

体Kの拡大体Eがあり、KがEの自己同型写像をつくるような有限群Gの不変体になっている時、「正規拡大体」と呼んでいる。有限群GはKの自己同型群ということか。ガロア理論の基本定理とは、「正規拡大体の中間体と自己同型群の部分群との間に一対一の対応がある」ということらしい。体の拡大を群に結びつけるという意味では、群の方が抽象度が高そうだが、これって自己循環に陥っていないか?
また、EがKの正規拡大体であるための条件は、EがK内のある分離多項式の分解体になっていることだという。自己同型写像はその根の対応によって定まるという。
ここで示される例題は分かりやすい。

Kを有理数体とし、Eを多項式 x^4 - 2 の分解体とする。
この多項式は有理数体では解を持たないが、複素数体においては四つの解を持つ。
 4√2, -4√2, i4√2, -i4√2
ただ、分解体をつくる時は、これらの根を用いる必要はないという。
まず、x^4 - 2 は、Kにおいて既約であるので、次数4から次のようになる。
 (K(4√2) / K) = 4
次に、K(4√2) は実数体であり、これを中間体として用いる。
多項式 x^2 + 1 は、K(4√2) において既約であるので、同じく次数2から次のようになる。
 (E / K(4√2)) = 2
よって、こうなる。
 (E / K) = (K(4√2) / K)(E / K(4√2)) = 8

分離多項式の分解体ということでEは正規拡大体であり、8個の自己同型写像を持つことが分かるというわけだ。ここには、K上の多項式の解が拡大体Eの中に見つかれば、すべての解が拡大体に含まれるという思考がある。すなわち、方程式の解を見つけるためには、正規拡大体において自己同型写像があるかどうかを考察すればよさそうだ。...勝手な解釈だけど。

5. 有限体と巡回群
有限次元では、分離拡大体は単純拡大体になるという。そして、中間体が有限個であることが単純拡大体であるための必要十分条件だという。単純拡大体とは、なんのことはない、1つの要素を付加して得られる拡大体のこと。
有限体Kにおける多項式 f が重根をもつための必要十分条件は、その分解体Eにおいて多項式 f とその導関数 f' とが共通根を持つことだという。この条件は、f と f' が有限体Kにおいて、1以上の次数を持つ共通因数をもつことと同値だという。そりゃ、もとが有限体であれば、その拡大体も中間体も有限体であろうし、そうでなければ同型写像とはならないだろう。ただ、おもしろいことに、有限体の正規拡大体である自己同型群は巡回群になるというのだ。
「体の乗法群の任意の有限部分群Sは巡回群である。」
そこまで単純化できるとは、にわかに信じがたい。この定理は、アーベル群の二つの性質がもとになっているという。
一つは、「位数 c が最大になる要素Cが存在すれば、任意の要素の位数は c の約数である」ということ。位数とは元の個数。
もう一つは、「有限生成のアーベル群の基底定理」である。
有限生成のアーベル群とは、部分群 G1, G2, ..., Gk の直積という極めて単純な構造をしている。なるほど、有限部分群は巡回部分群の直積ということになりそうだ。...確信はないけど。

6. 1の累乗根と円周等分多項式
今、任意の体K、その拡大体の要素εを多項式 x^n - 1 の根とする。
「1の累乗根」とは、x^n - 1 = 0 の解のことで、次数n個の解を持つことになる。ちなみに、自然数体において、n乗するまで解が得られない場合、1のn乗根はεのn乗根となり、特に「1の原始累乗根」と呼ぶそうな。まさしく原始的というわけか。
しかし、複素数体においては、次のように解が得られる。
 ε = exp(2πi/n) = cos(2π/n) + isin(2π/n)
これは、{1, ε, ε^2, ..., ε^(n-1)} の有限巡回群である。
円周等分多項式とは、1の累乗根に関する多項式で、ここでは、Φn(x)とする。d が n の約数とすると、x^d - 1 は、x^n - 1 の約数である。よって、1のd乗根は1のn乗根の中に含まれる。そして、しばしば次の形で表されるという。
 x^n - 1 = ΠΦd(x)
つまり、多項式 x^n - 1 は、有理数体において円周等分多項式の積として既約分解されるということらしい。特に、標数nが素数pのとき、1の累乗根の個数は「オイラーのφ関数」で与えられるという。すなわち、円周多項式Φn(x)は、オイラーの関数Φ(n)の次数を持つということになる。そして、次の結果を得るという。
 (E/K) ≦ Φ(n)
位数 p-1 の巡回群になるというわけか。
...ここは、オイラーのΦ関数の知識がないと読みづらいところか、とりあえず鵜呑みにしておこう。だが、もうヤバい!脳は飽和状態へと達し、ネーター等式、クンマー体と流しながら、鵜呑み量(酒飲み量)が増えていく。

7. 方程式の可解性とガロア群
方程式を代数的に解くということは、累乗根を得るということである。ここでやっと、方程式におけるガロア理論の自己同型群の役割が明らかになる。

「f(x)が累乗根で解けるために必要十分な条件は、そのガロア群Gが可解なことである。」

可解群とは...
「群Gの部分群の減少列、G = G0 ⊃ G1 ⊃ G2 ⊃ ... ⊃ Gs = 1 が存在して、Giは、Gi-1の正規部分群の有限列で、i = 1, 2, ..., s に対して商群 Gi-1/Gi がアーベル群である」

そして、素数の累乗 p^n を位数に持つ群は、すべて可解であるという。
ここで、体Kにおいて、Kiを体の増加列、最終の体がFであるとする。
 K = K0 ⊂ K1 ⊂ K2 ⊂ ... ⊂ Ks = F
Kの拡大体Fが累乗根による拡大体であるとは、i = 1, 2, ..., s に対して、Ki = Ki-1i) であり、多項式 αが、x^ni - ai の形の Ki-1 内の根であることだという。
すなわち、Ki-1 上で Kが正規拡大体で、その自己同型群がアーベル群であれば解けるということのようだ。
更に、f(x) をK内の多項式で重根を持たないとし、Eを f(x) の分解体とする。
 f(x) = (x - α1)(x - α2)...(x - αn)
α1, α2, ..., αn は、Eの生成要素。
K上のEの自己同型群をGとすると、Gの要素σは、α1, α2, ..., αn で定まる。
だが、σは、α1, α2, ..., αn の並べ替えに写像し、Gはn個の要素の置換群になると考えてよいという。この時の群Gが「ガロア群」と呼ばれるものらしい。そして、次の定理が導かれる。

「K上n次の一般多項式のガロア群は、対称群Snである。Kが標数0で n ≧ 5ならば、n次の一般方程式は累乗根で解けない。」

素数次の既約方程式のガロア群Gが可解ならばGは線形であり、更に、任意の線形群は可解ということのようだ。...んー、置換群になるまでの仮定が、にわかに信じがたい。雰囲気だけだなぁ...

8. コンパスと定規による作図問題に対する代数的解釈
ユークリッド幾何学の作図問題が議論される。それは、「正多角形が作図できるための条件」と「角が三等分できるための条件」と「デロス島の問題」である。コンパスと定規によって作図可能ということは、有限回の操作で直線や円弧に分解できるということである。言い換えれば、ベクトルにおけるスカラー(ベクトル空間におけるノルム)と、円周等分多項式で分解できるということである。さすがにここまでガロア群を議論すれば、作図の対象は必ず有理数体でなければならないので、その限界を予感させてくれる。
例えば、半径1の円に内接する正n角形を作図する場合。
体Kは有理数体Qで、ε = cos(2π/n) + isin(2π/n) を解くのと同じである。つまり、正規拡大体である E = Q(ε) の次数を調べればいいということになる。そして、作図可能な正多角形の条件が素数を絡めて示されるのだが。...んー!ここまできてもやっぱり鵜呑みかぁ。
同じように、角の三等分とデロス島の問題も作図は不可能ということが導かれる。デロス島の問題とは、「アポロ神は、それまでの立方体の祭壇を、立方体状のままで倍の量にせよと要求された。」これは、立方体の一辺の長さを1として、3√2 を作図しなければならない。つまり、拡大体 F = Q(3√2) において解くことになる。だが、x^3 - 2 は有限体Qで既約であるから (F/K) = 3 であり、そのような作図は不可能となる。...おぉー!やっと鵜呑みから酒飲みの領域を見つけた。

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