2013-05-19

"実験心理学が教える人を動かすテクノロジ" B. J. Fogg 著

Captology(computers as persuasive technologies)。この用語を耳にしたのは、十年ぐらい前であろうか。コンピュータによる説得のための、あるいは動機づけのためのテクノロジ... 著者B. J. フォッグが名付けた造語だそうな。
コンピュータ設計が、擬人化エージェントという観点から議論され始めたのは、Windows95 が登場したあたりであろうか。むかーし、そんなセミナーに参加した覚えがある。今日、人間同士の社会的インタラクションをネット経由で構築する手法が定着した。その鍵となるのは、なんといっても相互信頼性であろう。本書は、コンピューティングによって構築される信頼性を、説得の観点から掘り下げてくれる。
近年、注目されるものと言えば、TED(Technology Entertainment Design) であろうか。TEDカンファレンスは、非営利目的で開催され、年会費7,500ドルとVIPの世界。ちなみに、講演者の側は報酬ゼロ。しかしながら、TED.com から無料で観賞でき、至福の時間が得られる。グローバルな視点から社会を変革しようと目論む著名人たちは、プレゼン能力を見せつける。まさに説得法の事例である。人を動かすものは好奇心から。そして、あらゆる思考は疑問から始まる... としておこうか。

説得とは、民主主義の根幹的手法である。言うまでもなく、強制や欺瞞といったものが排除されて機能する。アリストテレスの時代から、弁論術や修辞法が盛んに研究されてきた。扇動者にとって、思考しない者が思考しているつもりになって同調している状態ほど都合のよいものはない。賢い見識を持った人たちですら、あるきっかけで愚かな判断を下し、異常な行動をとるものである。よって、説得は、自由意志が働いていると思い込ませる技術となりやすい。そぅ、ある種のマインド・コントロール!これが政治術ってやつか。政治の世界では、心地良い言葉や癒し系の言葉が乱用される。減税やら幸福やら友愛やら...根拠を精査すれば問題なさそうだが、人間には不都合な事は耳に入らない習性がある。
一方、コンピューティングの世界では、使いやすい!分かりやすい!といった言葉が乱用される。コンピュータの最大の武器は、面倒なことを肩代わりしてくれる便利屋になってくれることだろう。なにひとつストレスを感じることなく、従順な奴である。だが、機能が複雑化すると、デフォルト設定の罠が潜む。通信業界は、課金方向に誘導しやがる。サイトでは、面倒な説明文を読む前に、Yes!, Ok!, I agree! がクリックしやすく設計され、販売サイトの操作性が、ワンクリックボタン!をつい押させる。ネット投票が実現すれば、政治に参加しやすいくなるという意見も少なくない。おそらくそうだろう。だが、熟慮の上で選択がなされるかは別である。
さて、人間心理を操作する根本原理に恐怖心の刺激がある。人の行動パターンなんてものは、ほとんど自己存在、ひいては自己愛で説明がつくだろう。流行に乗り遅れる...アップデートしないと脆弱になる...などとちょいと不安を煽れば、人々はその情報に群がる。おまけに、自己存在の危機までも匂わせれば効果覿面!それは、生命の生存競争に裏付けられた原理である。大震災後に災害保険の加入者が急増する。感情論に左右されやすい国民性が、生命保険に群がりやすくさせるのかは知らん。リスクが露わになれば、人々はその考えを見直すだろうが、仮想化社会ではリスクそのものが偽装されやすい。
本書は、説得のためのテクノロジには倫理的問題が裏腹にあることを指摘している。「人を動かすテクノロジ」もさることながら、「人に動かされないテクノロジ」にも留意しておきたい。

人々は、なぜネットに依存するのだろうか?一つは人格形成にあろう。直接対話では、容姿、会話能力といったものを、リアルタイムの下で曝け出す。だが一旦ネット社会に身を置けば、人格までも装うことができ、自分の描く人物像が演出できる。
利便性は人々を衝動へ向かわせやすい。しかし、心理的に煽れば、自ら情報の信頼性を揺るがすことになろう。書店の売り場には、タイトルだけ変えて内容の似たような本が氾濫する。おまけに著名人の写真付きとなれば鬱陶しい。ネットには、お薦め!大好評中!といった宣伝文句が踊る。おまけに目障りなポップアップ広告!カスタマーレビューや口コミにしても怪しい。通販番組では、売り手の甲高い声が深夜に響けば、その周波数で頭が痛い。おまけに、おばさんたちの驚きの声で盛り上げる。こうした脂ぎった商法に、嫌悪感を持つ人も少なくないだろう。商売戦略では、長く付き合うユーザを遠ざけ、その場限りのユーザを囲い込もうとするやり方が流行りやすいのか?ただ、新しく見える手法を編み出しても、ユーザは飽きっぽいものである。
ネット社会には有効な情報が溢れているのも確かだが、絶対に知らなければならない情報となると出会うのが難しい。情報量が膨大になれば、相対的に重要である率は減少するのか?存在の重要度が低いから、余計に存在感をアピールするのか?情報能力は、収集能力から選択能力へと移行している。ちょっとぐらい時代遅れになったところで、大して困らない。そりゃ、新しい情報も知っているに越したことはないが、場合によっては、浦島太郎状態の方が真理を見極めるのに都合がいいだろう。いまや、経済循環やソーシャルダイナミクスは、消費を煽ること、流通を煽ること、情報を煽ることによって成り立っている、とさえ言えるかもしれん。

1. カプトロジ
コンピュータは、ツール、メディア、ソーシャルアクターとして振る舞うことができるという。そして、トンネリングの原理、カスタマイズの原理、監視、バーチャルリハーサル...などの原理から心理学を紐解いてくれる。トンネリングの原理は、ローン地獄や薬物依存といった抜けられない状況に陥ることで、カスタマイズの原理は、顧客固有のニーズにマッチした情報を提供することである。特に重要な機能は、ソーシャルアクターとしての役割であろうか。社交性における有効な原理に、人を褒める振舞いがある。どんなに厄介なユーザにも忍耐強く丁寧に応接できるのは、とても人間にはできない技である。コンピュータに褒められてうれしいかどうかは知らん。いや、リアルなお姉さんロボットに褒められれば、イチコロよ!
また、類似性の原理は興味深い。つまり、自分の行動や思考と似たエージェントに惹かれるというのだ。親近感が生まれるということはあるだろう。おいらの行動様式では、サービスの設計思想や哲学に注目する。じゃ、自由度や柔軟性に惹かれながら、細かいバグの多いサービスを利用するのは、自我が不具合だらけということか?納得だ!
さらに、互恵主義の原理が働くという。コンピュータが助けてくれた時、お返しをしなければならないと感じるのだとか。信頼関係とは、そんなところから生じるものではあるが、ほんまかいな?コンピュータに意思なるものを感じれば、そうかもしれん。というより、設計者の思想に共感することはよくある。
カプトロジでは、こうした人間の行動様式や思考方法を、いかにコンピュータに実装するかということを研究することになる。その意味で、人間が人間自身を理解しようとする学問とすることができそうだ。
「コンピュータが人間をどのように説得するのかが明らかになるにつれて、人間が他人をいかに説得するかについての新しい洞察が加えられていくことになる。」

2. 信頼性と説得
信頼性は、信用性と専門性の二つの側面から構成されるという。そして、信頼性のタイプを、仮定型、外見型、評判型、獲得型の四つに分類し、中でも獲得型が重要だとしている。やはり、信頼性を得るには地道な活動が一番のようだ。尚、おいらは三つ目の側面として、哲学的意志を加えたい。
信頼性は、説得力に直結する要素である。そして、説得には、最適な場所と最適なタイミングが重要だとしている。モバイルコンピューティングは、まさにそれを実現してくれる。そういえば、ユビキタスという用語をとんと聞かなくなった。いまや定着したということか?
コンピューティングが、思惑に惑わされない、客観的な情報を提供してくれるのであれば、権威を持つことができるだろう。しかし、コンピュータの意図を設計するのは人間であり、コンピュータの弾き出した結果を利用するのも人間である。正直で公正、偏見がないと見なされながらも、せっかくの客観的データが政治の思惑で無視される。近年の事例でいえば、災害で活躍するはずだった SPEEDI がそれで、先入観を持たないことが、いかに困難であるかを教えている。
ネット社会はコンピューティング依存をますます促進し、いまやその存在がなければ人間社会そのものが成り立たない。サイトの炎上騒ぎは相次ぎ、いじめでは被害者側が退場させられる始末。徹底的に叩くという歪んだ正義感が、公共の場をストレス解消の場へと変貌させる。見事なまでの集団性の悪魔の体現、その意思はどこから発するのだろうか?いずれ、コンピューティングによってカリスマ的な擬人が出現し、人間社会を扇動する時代が来るのかもしれん。ところで、リアルな擬人化社会では、女性ロボットとの関係で不倫は成立するのだろうか?

0 コメント:

コメントを投稿