財務処理から流通手配や営業交渉まで、それがたとえ苦手な仕事であっても、すべて自分でこなさなければならない。いくら頼りになる相談役や事務屋が側にいても、すべての責任は自分に降りかかる。そんな面倒なことを背負い込んでまで、独立を望むのはなぜか?それは、本当の自由を欲するからであろう。少なくとも、おいらの場合はそうだ。
しかしながら、自由ってやつも、なかなか手強い!自由の範囲を広げようとすればするほど、依存度を高め、ますます責任や義務が増していく。勢いに乗って事業を拡大すれば、維持するための資金が増大する。銀行やベンチャーキャピタルからの融資を受け入れれば、今度は間接的に支配される。もはや事業は誰のものやら。自由を求めて集まってきた従業員たちは、窮屈さを感じて逃げ出す。ベンチャーと称する企業で、創業時のメンバーが大勢残っているケースをあまり見かけない。こんなはずじゃなかった!と呟いている経営者も少なくあるまい。金儲けが目的ならば、あえてそれを望んでいるのかもしれんが...
DIY の根源的な動機は、日曜大工のような気軽さから発する。基本は、仕事が好きであること、仕事を楽しむこと。そうでなければ探究心は失われ、作る喜びがなければプロフェッショナル感を味わうこともできない。趣味をビジネスにできればなおいい...
しかしながら、20世紀型ビジネスモデルでは、製造手段そのものは企業によって支配され、作り手のものではなかった。いつの時代も経済の根幹を支えているものは、やはり生産力。人間が生きるということは消費を意味し、いくら流通業やサービス業が成長したところで、生産物がなければ成り立たない。にもかかわらず、今日の社会は、価値を変動させてサヤ取りに執心する金融屋や、情報を煽って目立ちたがる報道屋によって支配されている。
本書は、国力を維持するものは本質的な生産力であるとし、デスクトップと工作機械が仮想空間上で結びついた時、企業が独占してきた製造手段が庶民化し、メイカーたちによる真の生産社会が形成されるとしている。これが、21世紀の新産業革命というわけか。産業革命とは、単なる技術革新ではなく、社会的な意識改革までも引き起こすことを言うのであろう。DIY から発するカスタム製造やデザイン思想が、はたまた製造技術のオープン化が、はたして真の民主主義をもたらすであろうか...
ちなみに、コリイ・ドクトロウのSF小説に「メイカーズ(Makers)」という作品があるそうな。そこにはこう描かれるという。
「ゼネラル・エレクトリック、ゼネラル・ミルズ、ゼネラルモーターズといった社名の企業はもう終わっている。富を全員で分け合う時代がやってきた。頭のいいクリエイティブな人たちが、それこそごまんと存在するちっぽけなビジネスチャンスを発見し、そこでうまく儲けることになる。」
すべてのデジタルデザインはソフトウェアが牽引してきた。それは、ひとえに柔軟性にあると言っていい。今日、オープンソースを利用した開発手法が当たり前のように用いられるが、オープン思想は、なにもソフトウェアにだけ特権を与えるものではあるまい。
著者クリス・アンダーソンは、ロングテールの概念や、ビット世界における無料経済モデル(Freemium)を世に知らしめ、名を馳せた。彼自身、オープンハードウェア企業と称す3Dロボティックスを立ち上げ、本書に紹介される3Dプリンタやラピッドプロトタイピング技術などの話題も見逃せない。そして、オープンプラットフォーム上に作られたメイカー企業は、最初からキャッシュフローを生み出すとしている。これは、モノ作りの側から語った経済論!おまけに、技術屋魂をくすぐりやがる。サラリーマン技術者ではなく、アマチュア発明家になれ!と言わんばかりに...
「起業家を目指すメイカーたちにはみな、ヒーローがいる。情熱と工具だけを元手に、やりはじめたら決して諦めなかった人たちだ。彼らは本物のビジネスを築くまで、作りづづけ、建てつづけ、リスクを取りつづけた。自宅の作業台から始まって市場を見つけるまでの道のりや、人の手によるもの作りの物語は、いまとなんら変わることがない。」
1. ビット世界 vs. アトム世界
ビット対アトムの概念は、MITメディアラボの創設者ニコラス・ネグロポンテの提唱から始まる。言い換えれば、ソフトウェア対ハードウェア、情報技術対それ以外、仮想空間対実体空間といった構図だが、そう単純ではない。モノ作りが、企業の隷属から解放されれば、あらゆる概念を変えるであろう。有用な技術に検索や口コミを通して噂を嗅ぎつけた人々が集まってくれば、セールスマンを必要とせず、営業の概念を変える。個人融資で成り立つサイトも多く、スポンサーの概念を変える。新たな三次元製造技術が、ラピッドプロトタイピングを促進し、工場の概念を変える。モノの生産がアイデアの生産へとシフトしていき、生産力の概念は大量生産から創造力や想像力へとより重みを増す。人件費の効率から製造拠点を置くという考えも、製品を提供するための流通効率という考えに移行するだろう。わざわざ通勤する必要もなくなり、職場の概念も変わる。雇用の概念も変わるだろう。企業の従業員名簿に名を連ねることもなく、仕事を受けることができる。失業の概念も変わるだろう。収入がなくても、意欲的な仕事を見つけることは可能である。仕事の動機を生き甲斐に求めるならば、収入目的は優先順位を徐々に下げ、もっと多様化するだろう。そして、発明家の概念は、起業家と結びついていく。自由とは、すべてをなるべく自分でやるってことかもしれん...
「面白いのは、そうした高度の細分化が、かならずしも利益を最大化するための戦略ではないことだ。むしろ、意義の最適化、といった方がいいかもしれない。アダム・デビッドソンはニューヨークタイムズマガジンで、これを中流階級以上の基本的欲求が必要以上に満たされた、豊かな国家がたどる自然の進化だと書いている。」
2. 21世紀型の産業革命
18世紀頃、産業革命に登場した発明家や起業家たちの多くは、裕福な特権階級出身者であった。蒸気機関で名を残したジェームズ・ワットしかり、これをビジネスにしたマシュー・ボールトンしかり。産業革命と言えば希望に満ちた言葉に聞こえるが、発明や起業で必要な遊び心はエリートや富裕層の特権であった。だが、悲観的なマルサスの人口論を凌駕するほどの莫大な富を庶民にもたらすと、人口増加を爆発させ、経済活動を民主化させる。特権階級が牽引役となって富を分散させたのだ。産業革命とは、単なる工業化の恩恵ではない。
「本質的には、産業革命とは、寿命や生活水準、居住地域と人口分布などの、あらゆることに変化を及ぼし、人々の生産性を激的に拡大する一連のテクノロジーを指すのものだ。」
そして今、知識を自由に共有できる時代がやってきた。有名大学の講義はWebで公開され、オープンソース事業には自由に参加でき、意欲さえあればどんどん知識が吸収できる。従来の博士号といった肩書に縋る連中ほど、実践的な知識をあまり持ち合わせないようだ。
インターネット技術は、ビット世界のイノベーションを牽引してきた。だが、無重力経済(weightless economy)、すなわち、情報、サービス、知的財産といった無形ビジネスが話題となりやすい。この流れを21世紀型の産業革命に育てるには、アトム世界にまで広げる必要があろう。
本書は、この新たなパラダイムシフトを「メイカームーヴメント」と呼んでいる。草の根から始まるモノ作りの民主化とでもしておこうか。実際、コンピュータ工学の知識がなくても、ちょいとかじれば誰でもプログラミングできる時代となった。とはいえ、プログラミング技術が庶民化すれば品質の劣る作品が大量生産され、必ずしも良いとは言えないけど。
また、モノ作りの目的からコミュニティは自然に生まれる。格調高い意識の集まりが自然な秩序を生み出し、フラットな人間関係を形成する。誰でも共有できるということは、もちろん悪用のリスクもある。だが、意識のコミュニティを破壊する人がいれば、すぐに退場させられるだろうし、破壊屋が多数派となれば、真のメイカーは去っていくだろう。罵り合いのコミュニティに生産性はなく、志ある者が留まることはあるまい。実際、コミュニティも二極化する傾向にあるようだ。共通意識と哲学的意識がしっかり根付けば、人間ってやつは、意外とうまく民主主義を機能させるのかもしれん。
ただし、オープンモデルは万能ではないことに留意したい。自動車のように人の命にかかわる製品では、製造責任の所在を明確にしておく必要がある。大企業の存在意義とは、まさにここにあろう。従来型の製造モデルを、単に古いから悪いと決めつけない方がいい。
3. モノのロングテールと人材のロングテール
大企業の存続には大量生産が欠かせないが、ニッチ市場に目を向ければ、気楽に構えることができる。ニッチ商品は、たいてい大企業のニーズからではなく、庶民ののニーズから生まれる。大量生産から生まれた商品に飽きると、自分だけのものが欲しくなったりするものだ。まさに日曜大工の感覚でビジネスをやるわけで、そこには遊び心やアイデアが溢れている。ちっぽけな要求を集約して、チリも積もれば... ってやるのが商品におけるロングテールの原理だが、メイカー精神の観点からすると、むしろ人材のロングテールの方が本質かもしれない。
それにしても、あらゆるテクノロジーでコモディティ化が進むのはなぜか?情報が溢れ、生活様式が多様化しているというのに。他社サービスからの移行を促すために、乗り換えリスクを回避するためか?いや、選択肢を奪うことで諦めさせ、最大収益を狙うってか?まさに経済人の価値観だ。依存症を高めることで商売が成り立つとすれば、まるでコモディティ宗教!使いやすい、分かりやすいだけの製品では、深い味わいを求める少数派を満足させることはできまい。ユーザを飼い馴らすには、絶好の戦略ではあるけど。
一方、情熱家の作る作品には、手作り感があって、要求の高い専門性を具えている事が多い。効率的な大量生産品の方が莫大な利益をもたらすが、民主主義の成熟した姿は多様性の方にあるような気がする。ダーウィンの自然淘汰説は、なにも弱肉強食を正当化したわけではあるまい。地上に豊富な生命を溢れさせ、それらが共存するためには、生命体が多様性に富んでいる必要がある、というのが真の意図だと思う。
電子機器の発達は、半導体技術の成長とともに、ムーアの法則に従って指数関数的に加速してきた。半導体は原子制御の世界であり、まだまだ発達の余地がある。量子力学と結びつけば、無限の発展も夢ではなさそうだ。しかし、すべての産業がムーアの法則に従っているわけではない。農業や食糧生産など人間が直接生きることにつながる領域ほど、この法則は成り立たない。寿命が延びたといっても、せいぜい100年ちょい。なによりも人間精神が、進化しているのか?退化しているのか?テクノロジーの進化には、置いてけぼりの精神で相殺し、進化のエネルギー保存則は健在のようだ...
4. デスクトップ工房の「四種の神器」
本書は、テクノロジーの変革ツールを四つ紹介してくれる。3Dプリンタ、CNC装置、レーザーカッター、3Dスキャナがそれだ。
3Dプリンタには、溶融プラスチックを積み上げてオブジェクトを作る方式もあれば、液体または粉末の樹脂にレーザーを照射して固めて、原料容器の中からオブジェクトを浮かび上がらせる方式もあるという。ガラス、鉄、ブロンズ、金、チタン、ケーキ飾りの糖衣など、様々な素材が使えるとか。足場の上に幹細胞を吹き出すことで、生きた細胞から人の組織を作ることにも成功していると聞く。
CNC装置は、3Dプリンタが足し算方式で層を積み上げていくのに対し、引き算方式でドリルを使って削り出すという。この方式で、最小限の材料で最大限の強度がその場で計算されるとか。思い描いたものが、そのまま実物として目の前に現れるとは、なんとも恐ろしい世界だ!こうした技術にバイオテクノロジーが結びつくと、原子を自己組織化して食べ物や飲み物に変えることもできそうか。DNAの複製も?原子構造を維持しながら、複製することも理屈では可能であろう。三次元の仮想空間に臭いや味などの五感までも取り込まれ、もともと仮想空間の得意とする第六感や霊感が結びつくと、人類は五感以上の知覚を獲得するのだろうか?いや、相殺されて五感を麻痺させるだけのことかもしれん。人体をスキャンすれば、人間だって製造できそうか。クローンとは違う視点だが、はたしてそれは人間なのだろうか?
ビット世界をアトム世界に変換きるということは、その逆変換も可能になるかもしれない。リアリティキャプチャってやつだ。社会現象までもキャプチャできれば、政治的に利用される可能性だってある。市場はもともとコンピューティングで動いており、過去の経済現象をキャプチャして再現することも難しくない。ということは、金融工学はリアリティキャプチャの最先端を行っているのか?なるほど、価値を仮想的に煽りながら金融危機を再現してやがる。
5. オープンオーガニゼーション
1937年、経済学者ロナルド・コースは、こう言ったという。
「企業は、時間や手間や面倒や間違いなどの取引コストを最小にするために存在する。」
一見もっともらく聞こえる。同じ目的を持ち、役割分担や意思疎通の手段さえ確立できれば仕事がやりやすい、という発想だ。そして、隣の机にいるヤツに仕事を頼むことを、効率性とみなす。対して、サン・マイクロシステムズの共同創業者ビル・ジョイは、こう言ったという。
「いちばん優秀な奴らはたいていよそにいる。」
取引コストの最小化を優先すると、最も優秀な人材とは一緒に仕事ができないというのか?だから、会社が雇った人間としか仕事ができないってか。これを「ビル・ジョイの法則」と呼ぶそうな。なるほど、優秀なエンジニアは外部の人材とのつながりが広い。オープンコミュニティは、企業と違って法的責任とリスクがなく、自由と平等が保たれやすい。彼らには、役職や肩書なんてどうでもいいのだろう。そういえば、巷で仕事は何をしていますか?と尋ねると、会社名を答える人がいると聞く。会社の看板に縋って仕事をする人には、あまり近づきたくない。
もちろんコミュニティだって万能ではないし、ボランティア精神だけで経済が成り立つはずもない。ただ、人材を探すのに組織内にこだわる必要はないし、組織に忠誠を誓い一箇所に集まって仕事をやる必要もないってことだ。
オープンソース化で、無料の研究開発システムを手に入れることだって可能である。製造工程でコストのかかる一つにテストがある。実際、セキュリティソフトや検索ソフトなどのエンジン部分を無料公開することで、ユーザが無意識にテストに参加させられる。高度でテストの難しいソフトほど、マニアが使いこなす傾向があり、苛酷なストレステストにかけられる。大儲けしている企業ですら、製品の品質はボランティアたちの情熱によって支えられているのが現状だ。各自の経験から互いにサポートし合い、ユーザコミュニティを形成し、開発者もユーザとして参加する。効率的な使い方や、不具合を回避する助言は、提供されるマニュアルよりも役立ち、企業の思惑が入り込まない純粋な情報が得られる。有効なサイトには自然に翻訳者が募り、多国語でサポートされる。これこそ民主主義の姿であろう...
6. メイカービジネスの資金調達
高い志を持った愛好家が集まるだけではビジネスは成り立たない。どんな事業にもスタートアップの壁が立ちはだかり、その最初の問題は資金調達であろう。
本書は、裏ベンチャーキャピタルってやつを紹介してくれる。設立時に資金を必要とするのは、商品開発、設備、部品購入、製造などの費用のためで、通常は商品を販売しないと回収できない。そこで、キックスターという企業は、起業家が抱える三つの問題を解決してくれるという。
- 一つは、売上を予約時に受け取れれば、必要な時に資金を調達できること。
- 二つは、顧客をファンのコミュニティに変えてくれること。プロジェクトに資金を出すことは、ただの商品予約以上の意味があるという。デザインの生まれる過程で、ファンからアドバイスやコメントがもらえるのは大きい。口コミで評判が広まれば宣伝効果も得られる。ある種のマーケティング戦略というわけだ。
- 三つは、市場調査を提供すること。初期段階から資金注入の効果が分析できるのは大きい。新会社にとって、これが最も重要かもしれない。
また、エッツィーという最大のメイカー市場を紹介してくれる。手作り品が取引され、高給な芸術品からかぎ針編みなどの小物まで出品されるとか。キックスターと違って、資金調達やモノ作りを助けたりはしないが、ここをきっかけに起業する人も多いという。
従来の企業組織的なものの見方に固執すれば、自然のコミュニティを見失う。モノ作りの背後にある人々の存在を忘れがちとなれば、売上至上主義となり、倫理に反し、持続可能な事業とはならないだろう。創業時の哲学を忘れ、なんのために会社を起こしたのかも分からなくなるケースは、けして珍しいことではない...
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