2015-04-05

"「Gゼロ」後の世界" Ian Bremmer 著

いくら軍事力で圧倒しようとも、いくら経済力で圧倒しようとも、これからの世界は、地球規模の責任を担える者でなければ、けしてリーダーシップをとることはできないだろう。冷戦構造終結後、アメリカは世界の警察官を自認してきた。だが、その能力に各国は疑いを持ち始めている。経済力で台頭してきた中国は、地球温暖化問題となると、未だ発展途上国を宣言している。実際、内陸部の事情はそうかもしれない。そして、この両大国は、世界の温室効果ガス排出量の40%を占める環境汚染大国だ。
しかしながら、両国だけを責めるわけにはいかない。他の先進国や新興国にしても国内に深刻な問題を抱えたままで、国際秩序に対する責任を負担する意思は見えてこない。国連もまた理念を掲げるだけで、何一つ具体策を示せないでいる。各国は、こぞって発言権の拡大を求めるだけで、具体的には何も語ろうとはしない。いや、語れるものがないのだろう。ただ悲しいかな、誰もが国際標準ってやつに弱い!
Gゼロを提唱したことで知られるイアン・ブレマー氏は、リーダーシップ不在の時代には国際社会の脆弱性を露呈し、突発的な危機に対処できないと警鐘を鳴らす。国際秩序は、まさに真空状態にあると。そして、実際に食糧危機が生じれば、先進国よりも新興国の方が深刻な打撃を受けると指摘している。確かに、危機管理能力は経験的なものが大きく、普段は表面化しないだけに、それこそ災害時に問われる。先進国とは、経済力だけで測れるものではあるまい。
「本書は、先進国の衰退を述べるものでも、アメリカ以外のすべての国の台頭を述べるものでもない。当面、これらの国のどれ一つとして、必要な変化を生み出すほどの力を持つことはないだろう。G20は機能しない、G7は過去の遺物、G3は夢物語、G2は時期尚早。ようこそ、Gゼロの世界へ。」

歴史を振り返れば、新たな国際秩序を生み出すために、勝者と敗者の概念がつきまとってきた。ナポレオン戦争後のウィーン体制しかり、第一次大戦後のヴェルサイユ体制しかり、第二次大戦後のブレトンウッズ体制しかり。古参の政治家たちは、歴史から学ぶであろう。軍事力と経済力こそが国力の指標であり、リーダーシップの資格であると。
確かに、抑制力は必要である。だが、これからの時代は、それだけでは不十分だ。現実に、抑制政策が暴動の引き金になっている。かつてないほど世界協調が求められる時代に、国際機関はレフリー役として機能せず、各国は何一つ合意できないでいる。
「G20は、何かを解決すれば、それと同じ数の問題をつくり出すような機能不全の機関だ!」
地球温暖化対策、食料危機や公衆衛生の危機、サイバー攻撃などの問題は、けして軍事力や経済力で解決できるものではない。世界は自由市場資本主義と国家資本主義の対立を激化させてきた。その中で国家体制はますますリスクに晒され、IMFや世界銀行ですら敗者になりうる。国家という枠組み自体に再定義が求められる時期が来ているのかもしれん...
また、国家理念の支柱とされる民主主義も、それほど高貴なものではなさそうだ。政治家だって、なにも独善的に政治家になれるわけではない。彼らは言うであろう、俺を選んだのは民衆だ!と。政治家が存在感を強調すればするほど、政治の存在意義に疑問を持つ者が増える。だが、そういう人物ほど選挙に強いときた。選挙ってやつは、民衆の公平な投票などというもので決まるものではない。政治団体、支援企業、宗教団体などが複雑に絡んだ結果に過ぎないのだ。にもかかわらず、民主主義の象徴のように崇められる。人間ってやつは、どんな行動にも見返りを求める。神への祈りですら。各国の政治家はこぞって自国への見返りを求める。権利の主張に責任がつきまとうことは無視して。政治的思惑は集団性と極めて相性がよく、常に自然発生的な信念とは対極にある。まるで悪魔の本性を結集するかのように。
それでもなお、著者は本音をもらす。大国が支配する世界よりも、G20の理念の方がましであると。真の民主主義を機能させる世界が望ましいと。民主主義ってやつは、人間精神が高度に成熟しなければ機能しない代物のようである。
さらに著者は、情報発信者としての心構えを披露しているが、ジャンク長文を量産するアル中ハイマーには耳が痛い!
「たいていの本は、小論文で十分。たいていの小論文は、ブログで十分。たいていのブログは、ツイッターで十分。そして、たいていのツイッターは、そもそもツィートするほどの価値はない。昨今、本を書くというのは、期待などという言葉では収まらない大胆な行為だ。」

1. ピボット国
片足を軸に旋回して、複数の国との関係を持ちながら、その時々に応じて付き合う相手を変え、リスクを分散できる国のことを、「ピボット国」と呼んでいる。このリスク社会では、過度の依存度を高めないことが重要な戦略となる。
その典型的な国に、ブラジルを挙げている。中南米には、経済的なライバルがひしめき合っているわけではなく、世界の主要国と距離を置くという地理的な要因も大きい。
一方、アフリカでは、ピボット国が経済的に成功を収めつつあるという。米中両大国を相手に、あるいは他の国々も投資競争に参加し、しかも国際機関をうまいこと利用しながら投資を引き出していると。
アジアの代表では、インドネシアであろうか。天然資源の豊富さと、外国からの投資が開放的であることで、世界中から顧客を集める。堅固な教育制度、拡大する製造業の基盤、急増する観光業収入など多角的経済の上に、世界第四位の人口を保持しながら、その半数は30歳未満で、高齢化社会のような膨大な財政負担を必要としない強みがある。
シンガポールは、ロンドン、ニューヨーク、香港に次ぐ世界第四位の金融センターになっており、ここに事業拠点を置くことで外国企業はどこの国にも過度に依存することがない。
また、ベトナムを有力視している。経済成長では遅れをとったが、貧困率が急速に改善され、ピボット国になれる資質が十分にあるという。開発援助の大半を日本から、武器はロシアから、機械設備類は中国から、そして、最大の輸出市場はアメリカであると。
資源に恵まれたモンゴルも、ピボット国になることの意義が大きいという。地理的にロシアと中国の狭間で対抗し、アメリカや他のアジア諸国とも良好な通商関係を保とうとしている。カザフスタンも同じように、ロシアと中国に挟まれながら両国に極端に依存しない政策をとっているという。ロシアや中国の安全保障協定に参加しつつも最大の貿易相手はEUで、最大都市アルマトイはこの地域の重要な金融センターになっていると。
こうした事例は、国が小さいことが必ずしも大国の依存度を高めるわけではないことを示している。アジア経済は今後も世界の牽引役となり、この地域にいくつものピボット国が出現しても驚くに当たらないという。
しかし同時に、安全保障上の問題を抱えることも見逃せない。中国、インド、日本が長期に渡って良好な関係を保つ見込みは低いとし、インドネシア、韓国、タイも完全に他国の引力圏に引きずり込まれないだけの備えがあるという。
一方で、ユーロ圏になぞらえて、東アジア構想を夢見る有識者や政治家たちがいる。だが、ヨーロッパはキリスト教社会という基盤があり、アジアは国家体制や宗教思想が複雑に混在している。もっと言うなら、ドイツとフランス以外で、本当にうまくいっているかは疑問だ。キャスティングボードを握るほど存在感のあるイギリスが、ポンドを保有しながら距離を置いている。関係とは距離を計ることであり、近づきすぎても、遠ざかり過ぎても、やはりうまくいかない。ましてや文化的な諸条件までも無視した安直な連携は、むしろ危険となろう。歴史は言うであろう。日本を盟主とする大東亜共栄圏なるものが、いかに押し付けがましいものであったかを...
「アジアにはあまりに多くの強力な国が存在するが、そこに十分な協力関係はない。中国はアジアにおける支配的な地域大国になりたがっている。しかしインドは、究極的には二番手の役割に甘んじるにはあまりに巨大すぎる国である。いくつもの挫折があったにせよ、日本が今なお世界有数の富裕国であり、きわめて強力な影響力を持つ国であることに変わりはない。韓国は、主要新興国の一つだ。インドネシアは、経済と外交の面で大きな役割を演じられる国になりつつある。」

2. 日陰の国家
ピボット国とは反対に、どうしても依存度を弱められない国を「日陰の国家」と呼んでいる。大国の影から抜けられない事例では、メキシコを挙げている。経済状況は、アメリカの浮き沈みと完全にリンク。かつて日本経済は、アメリカがくしゃみすれば、日本が風邪を引くなどと揶揄された。その意識は、今もあまり変わらないような。経済ニュースでは、相変わらず円高円安の基準を対米ドルで報じているし。
「日本は独善的なアジアの大国をめざす必要はない。日本政府が他のアジア諸国と通商や安全保障上の関係を深めれば、中国やアメリカが日本を犠牲にしてアジアを支配しようとする事態を確実に防ぐことができる。」
どこの国の政治家も、自国の影響力を増すことばかりに執着するが、もはや時代遅れの感がある。大国は小国の行動を抑制するために、軍事行動よりも低コストの経済的、外交的ペナルティを課そうとするが、かつてほど制裁効果は上がらない。周辺国は自国経済を犠牲にしてまで制裁措置に参加することはないし、強制力も薄れている。こうした構図に、公然と国際ルールを侮蔑する国が付け込み、常に脅しのカードをちらつかせて援助にたかる。互いに脅しの手段しかないとすれば、どちらも手段への依存度が高い。
「政治では、恐怖で始まることは、普通、愚行で終わる。」... サミュエル・テイラー・コールリッジ

3. ポストGゼロの四つのシナリオ
本書は、現実的な大国としてアメリカと中国を中心に、G2、協調、冷戦2.0、地域分裂世界の四つのシナリオを描いている。「G2」と「協調」は米中が協力する構図で、「冷静2.0」と「地域分裂世界」は米中が対立する構図。また、「G2」と「冷戦2.0」は米中が抜きん出た場合で、「協調」と「地域分裂世界」は米中の力がそれほど強くない場合。

「G2」とは、言うまでもなく二大大国のシナリオだ。アメリカと中国が共通の意識を持ち、利害の点で連携できるとすれば、G2が形成される見込みはある。だが、両国は環境汚染大国でもあり、アメリカは世界最大の債務国でもある。貸し手の立場では、中国はドイツの方が利害関係で共通点が多い。ドイツの貿易収支は中国についで二位。実際、中国はアメリカよりもドイツとの提携を望んでいそうだ。両国で世界の責任を分担するとなれば、現在のアメリカの負担を中国が半分背負う覚悟を求められる。だが、そうした交渉の度に、立場上まだ発展途上国だと宣言している。しかも、知的財産権に対する意識が乏しく、海賊版天国。互いの経済ばかりが巨大化すれば、むしろ国際的リスクを高める恐れがある。また、中国は共産主義国という顔があり、アメリカにも拒絶する政治家がいまだ根強くある。

「協調」とは、G20のような組織が機能するシナリオだ。その様子を、19世紀のヨーロッパの構図になぞらえる。ナポレオン戦争後に生じた秩序回復のプロセスで、大英帝国、ロシア帝国、オーストリア、プロイセンにフランスが加わり、かつてこれほど国際協調が見られた時代はないかもしれない。徹底的にダメージを受けた世界では、各国は協力せざるを得ない。地球温暖化や世界規模の食糧危機が現実となれば可能性はある。新興国だって、先進国のせいばかりにはできないだろう。しかし、それは本当の意味で世界危機を覚悟しなければなるまい。

「冷戦2.0」とは、かつての米ソ冷戦構造と同じシナリオだ。だが、この可能性は低そうである。米ソ冷戦時代は、それこそ経済交流がまったくなかった。現在、米中がいくらいがみ合っても、経済交流や文化交流までも遮断することはできない。しかしながら、アメリカが債務をチャラにしたければ、貸し手を追い込めばいいという論理も成り立つわけで、古くから陰謀説が囁かれている。ちなみに、米国債の二大保有国といえば、中国と日本か。もし、このシナリオが実現すると、イデオロギーの対立、文化の対立、歴史の対立をより明確化させるだろうし、ピボット国はどちらかの陣営に肩入れすることになり、その存在感も薄れるだろう。

「地域分裂世界」とは、各国がそれぞれの道を行くシナリオだ。グローバルなリーダーシップが存在せず、各地域でリーダー格の国々が台頭するものの、局地的な問題にしか取り組まない。アメリカが大国の地位を辛うじて保つものの、各国が経済的な体力をつけ、技術的に高度化し、アメリカの優位性は限定的となる。国際機関の意見を巧みに無視し、世界的な信条や理念を持つ必要もない。既に、このシナリオに向かっているように映るのは気のせいか?ヨーロッパではドイツが、ラテンアメリカではブラジルが、リーダーシップをとるのは現実的かもしれない。しかし、アジアとアフリカは混沌としており、アジアで中国が、旧ソ連圏でロシアが、リーダーシップをとる可能性は低いと指摘している。

4. シナリオX = Gマイナス
本書は、ポストGゼロの可能性として、もう一つのシナリオを提示する。まさに国際秩序の分裂をもたらす恐れのあるモデルだ。思想、情報、人材、財産、サービスの自由な流れが加速することで、中央政府の経済政策が機能しなくなり、国家としての管理を維持できなくなり、国家の存在自体が無意味となる可能性はどうだろうか?
金融危機がもたらした教訓は、自由市場には国家の監視が欠かせないことを広く認知させた。だからといって、国家が信用できる存在だと、市場に認知させたわけではない。国家が基本的人権を保証できす、社会や個人の威信を傷つけ、信用を損なうとしたら、民衆は国家に代わる何かを求めるだろう。既に地方自治体によって、中央政府の権力の一部が乗っ取られる事例もある。個人が自己防衛のために、国家や社会への依存度を弱めようと考えても不思議はあるまい。実は、無政府状態は、真の民主主義と相性がいいのかもしれない。いずれにせよ、紙一重か。
そこで、古代ギリシアの都市国家群は、ある種の地方都市モデルを提示していると言えよう。都市としての独自性を保ちながら、国家としての意義は、唯一国防におけるものだけという考え方だ。対して日本社会は、かなり遅れた社会制度に寄りかかっている。政治、行政、経済、金融なにもかも一極集中型社会だ。これだけ災害の多い国で、なぜこうもリスクを集中させるのか?地方自治体は、地方分権を訴えながら、肝心な部分で国家にたかり続ける。
Gマイナスでは、国々の内政でリーダーシップが弱まり、権力が細分化する。中央政府の権限が弱まり、地方分権が進む。複数の権力者が乱立すれば、国家分裂の危機さえある。慢性的にテロや暴動が勃発し、無政府状態となるリスクも高い。武力に訴える狂信的な行動が国境を超えて拡がり、食料危機や公衆衛生の悪化に、大規模な犯罪組織や薬物取引が加わる。本書は、このシナリオは実現性が一番低いとしているが、本当にそうだろうか...

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