2015-04-26

"マハン海上権力史論" Alfred Thayer Mahan 著

マッキンダーのハートランド理論は、ランドパワーの脅威に対抗すべく海洋国家の役割を論じた。その根拠というべきシーパワー理論の始祖、米海軍アルフレッド・T・マハンは、海軍戦略を語るに欠かせない人物として知られる。マハンの海上権益指向が、二つの大戦後、アメリカを世界の警察官を自認させるに至らしめたと言ってもいいかもしれない。大日本帝国海軍にも、その思想観念で大きな影響を与えた。日露戦争当時、東郷平八郎連合艦隊司令長官の先任参謀秋山真之は、アメリカ留学中にマハンに師事し、彼の著書「海上権力史論」と「海軍戦略」は海軍将校の必読書とされたとか。司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」に登場する人物である。
海軍の伝統には、滅敵ではなく屈敵にあるという理念があり、その根拠とされるマハンの記述には、主力戦艦を撃滅すべきといった文面を見つけることができる。そのために、大艦巨砲主義や艦隊決戦思想の元凶がマハンにあると主張する軍事評論家もいる。確かに、軍事技術は進歩する。だが、主力が戦艦から空母に変わっただけのことで、主要目標が主力であることに変わりはない。原則に問題があったのではなく、適応に問題があったと言うべきであろう。
「戦争における諸条件の多くは兵器の進歩とともに時代から時代へと変っていくが、その間にも不変で、したがって普遍的に適用されるため一般原則といってもよいようなある種の教訓があることを歴史は教えている。」

ところで、「シーパワー」という用語も、なかなか手強い。直訳すると「海洋力」となろうが、単純に海軍力や制海権で定義できるような代物ではなさそうである。本書は二つの要素を挙げている。一つは管海能力、すなわち平時における海上管理と政治的支配海域。二つは制海能力、すなわち戦時における戦略上の勢力確保。「シーレーン」という用語も、その双方で用いられる。なるほど、自国防衛に留まらず、漁業権益の確保、海底油田や海底鉱物資源地帯の確保、経済水域の確保、あるいは、海洋調査能力なども含まれ、むしろ戦時よりも平時、軍事的要件よりも経済的要件の方が重視されるべきかもしれない。
「通商こそ真に強力な海軍の基礎であることは、何度強調してもし過ぎることはない。」

注目したいのは、17世紀の英蘭戦争から1783年のヴェルサイユ条約(アメリカ独立戦争の講和条約)に渡って繰り広げられたイギリス、フランス、オランダ、スペインの抗争物語を、シーパワーの観点から語ってくれることである。それは... 広大な植民地を保有するスペインと、海運力で世界貿易を牛耳るオランダがいかに衰退していったか。フランスが目の前にぶら下がっている海外発展の芽を、いかに自ら摘んでいったか。そして、イギリスがいかに七つの海を支配するに至ったか... の歴史物語である。
海洋国では、陸軍は敵の領土の制圧を目指し、海軍はそれを監視するというシビリアンコントロール的な立場がある。つまり、軍人としての眼よりも、極めて政治的な眼を養う必要があるということだ。陸軍的思考が目先の勢いに取り憑かれ、海軍的思考が貿易や外交的な視点に立つという傾向は、多くの国で伝統的にあるようだ。日本のある海軍士官はこんなことを漏らしたとか... 日本は自国民優越説だけを世論に植え付け欧米の歴史を軽んじた。敵と戦うのに相手の思考パターンを知らないでは、ねぇ...
国民世論も陸軍的思考に惑わされやすい。情報社会ともなれば、その傾向も逆転するかもしれないが。陸軍的思考と海軍的思考の対比は、愛国心的傾向とグローバリズム的傾向に通ずるものがある。商業や貿易の発達は、極めて自由精神との相性がいい。オランダの名目は連邦国であったが、事実上の共和国。1602年に設立した東インド会社は、ポルトガルから取り上げた領土を足がかりにアジアに一つの帝国を築いた。これに先んじて、1600年、イギリスは東インド会社を設立していたため、一つの懸念であったのは確かであろう。イギリスはまだ君主制であったが、清教徒革命や名誉革命を経て、議会と王族で互いに折り合いをつけていく。
一方、フランスはルイ14世による最高潮の栄華を誇っていた。イギリス国民はオランダの自由精神に好意的であるのに対し、イギリス国王はルイ14世の大陸の勢いに目を奪われる。政治外交の場では、陸軍力よりも海軍力の方が優勢となり、海洋力のバランスが国力の指標となりつつある時代。しかし、ヨーロッパの王侯たちは、そのことに気づいていない。気づいていたのは、商業国オランダと海洋民を多数抱えるイギリス国民だったようである。
本書は、シーパワーの一般条件に「地理的位置、自然的構造、領土の大きさ、人口、国民性、政府の性格」の六つを挙げ、さらに、「生産、通商、海運、植民地」という要素を加えて議論する。特に、国民性と政府の性格、すなわち民主主義や資本主義とシーパワーの相性を語っている点に注目したい。民主主義の精神は、自由にこそ価値を求めること、そして、資本主義の精神はリスクを覚悟しながらも冒険心を絶やさぬこと、といったところであろうか...
「国民の精神が十分に吹き込まれた国民の真の一般的性向を意識している政府が聡明な指導を行った場合に、最も輝かしい成功を収めている。」

1. 距離という概念
技術の進歩により、戦術に本質的な違いが生じるのも事実だが、距離の概念は本質的に変わらないだろう。人と人との関係、国と国との関係... 関係というからには、そこに距離の概念がつきまとう。それは、けして長さで測れるものではない。集団性ってやつは、近づきすぎれば一緒に狂気する。しかも、そのことに気づかない。人の心は不朽の原則よりも、目の前の現象に強く印象づけられるものだ。しばしば歴史から学び得ないのは、現象に目を奪われて感情論を掻き立てるからであって、人類や生命体の普遍性といった視点から観察しようとはしないからであろう。人間社会において民族優位説の類いは、永遠に廃れそうにない。軍事的な衝突は、まさに距離の関係から生じる。兵器の進化で射程距離がいくら延長されても、双方の相対的な位置関係が重要であることに変わりはない。
軍事技術の進歩によって、地理的優位性も変化していき、戦略的要地も変わっていく。しかしながら、地球の大きさは変わらない。となると、技術によって距離の概念を破綻させ、すべての関係までも破綻させるのだろうか?戦争をやれば、どちらかが勝つ。だが、戦争に勝っても人は死ぬ。いったい誰が勝っているのやら?勝利にのぼせ上がり、精神までも破綻させる。人類の歴史は、敗者の歴史なのかもしれん...

2. イギリスとフランスの明暗
1648年、三十年戦争の講和条約「ヴェストファーレン条約」で、オランダ連邦のスペインからの独立が正式に認めれるが、既に事実上の独立を果たしていたようである。神聖ローマ帝国はオーストリアとスペインで分裂状態にあり、スペインの弱体化が目立ち始める。イギリスはオランダの貿易と海洋支配を欲し、フランスはスペイン領ネーデルラントを欲す。英仏連合が、オランダを脅かし陸上からの攻撃に脆弱性を曝け出す。
本書jは、オランダは人口が少なく、商業的な合理的国民性が結束力を欠き、戦争準備には適さないと指摘している。オランダの弱体化は、宗教的な分裂も大きな要因であろう。ユトレヒト同盟で南北で分裂した経緯もある。
イギリスはというと、まだ君主制ではあったが、国王の指導力は低下。ヨーロッパ大陸はルイ14世を中心に回っており、フランスがシーパワーを強化するには絶好の舞台が整っていた。
しかし、ルイ14世は、二つの重大な誤りを犯したという。スペインが弱体化したとはいえ、ポルトガルの領有権を放棄したわけではない。そこで、イギリスとの政略結婚を推進した結果、イギリスにポルトガル領インドのボンベイとジブラルタル海峡のタンジールを割譲し、地中海に招き入れる。
一方で、フランスはチャールズ二世から英仏海峡を臨むダンケルクを割譲させるが、後にクロムウェルに奪取される。オランダの弱体化にともない、その貿易拠点をフランスが手中にする機会がありながら、ルイ14世は本国領土に目を奪われる。ルイ14世が、いかに大陸戦争にこだわっていたかを示す行動に、シシリーで起こった対スペイン反乱を紹介してくれる。言うまでもなく地中海権益の要地で、ここを抑えればエジプト征服の足がかりになり、スエズ運河という大通商路を獲得できる。だが、閣僚たちのそうした提案も聞き入れず、ルイ14世には海上の地図が頭に描けなかったと見える。そんなフランスに対して、イギリスは距離を置き、血を流さずにオランダの植民地を得る。結局、フランスの脅威に対して、王侯たちが同盟を結び、全ヨーロッパを敵に回すことに。アウグスブルグ同盟などは、その一例である。北方の新教徒国やオランダ、スウェーデン、ブランデンブルグが、フランスの新教徒に対する迫害に憤慨して結束。さらに、ドイツ皇帝、スペイン王、スウェーデン王、ドイツ諸侯も秘密協定を結び、フランス包囲網が宗教面と政治面で成立。外交も、軍事戦略も、イギリスの方が一枚も二枚も上手だったというわけだ。1783年の平和条約「ヴェルサイユ条約」については、こう論評を加えている。
「来たるべきいかなる戦争においても、それらの取り決めが恒久性を持つか否かは、全面的にシーパワーの均衡に、海洋の帝国にかかるであろう。」

3. 目的と目標
目的と目標、あるいは、戦略と戦術を明確に分けて考えずに、失敗する事例は実に多い。フランス軍は、目先の華々しい征服に価値を求め、商船の拿捕や敵艦の捕獲といった地味な戦果には興味がないと見える。国民的偏見やプライドが邪魔をし、目先の行軍に目を奪われ、商業的、通商的な視野が欠ける。海の向こうの生産物よりも、国産ワインの方がはるかに価値が高いというわけか...
世論は奇襲のような派手な作戦に目を奪われがちで、観客は堅実なプレーよりもファインプレーを喜ぶ。目の前の領地を制圧する力は陸軍、物資補給という裏方任務は海軍、そして、偵察、索敵の地味な活動は空軍とされる時代。だが来たる近代戦争は、価値は逆転し、生産力、工業力、輸送力、諜報力など総力戦と化す。あの有名な海軍提督ラモット・ピケは、こう書いているという。
「イギリス人を征服する最も確実な方法は、彼らを通商において攻撃することである。」
通商破壊を軽んじたのは、日本海軍とて同じか。潜水艦攻撃では、輸送船を狙うという地味な戦果よりも、戦艦を狙って実益を得ようとした。もっとも戦闘員でない輸送船を攻撃するのは、卑怯という考え方もあるが...
「いかなる目的のために始められた戦争においても、その欲する場所を直接攻撃することは、軍事的見地からすれば、それを獲得する最善な方法でないかも知れない。したがって軍事作戦が指向される目的物は交戦国の政府が獲得しようと思っている目的以外のものであるかも知れない。それには目標という特定の名前がつけられている。」

4. 海軍史の教訓
18世紀、イギリスが圧倒的に優勢であったツーロン海戦で退かざるをえなかった状況について、こう回想している。
「近代の海軍史において、ツーロン海戦以上に顕著な警告をすべての時代の士官に与えるものはない。著者の判断によればこの海戦の教訓は、自らの職業についての知識のみならず、戦争が必要とするものの情緒を自分につけることを怠ったものは、不名誉な失敗をしでかす危険があるということである。
普通の人は卑怯者ではない。しかし危急の間に直感的に適当な行動をとりうるような特にすぐれた才能を生まれながらにして授けられているものもいない。多少の差はあれ、それは経験によるか又は反省によって得られるものである。もし経験と反省の両者を欠いておれば、何をなすべきかがわからず、又は自分自身の徹底的な献身と指揮が必要とされていることを理解することができない。そのいずれかのために決断を下すことができないであろう。」

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