2016-03-06

"ルネサンス彫刻家建築家列伝" Giorgio Vasari 著

「ルネサンス画人伝」、「続 ルネサンス画人伝」に続いて、言葉で美術を語り尽くす手腕に魅せられる。厳密に言えば、翻訳者のテクニックにであろうが、原文が素晴らしいからこそ!と勝手に納得している。

1550年、ジョルジョ・ヴァザーリは、ルネサンス期の美術を伝える壮大なヴィジョンを遺した。それは「画家・彫刻家・建築家列伝」と題され、13世紀後半から、絵画ではチマブーエとジョットによって、彫刻ではニコラとジョヴァンニ・ピサーノ父子によって、建築ではアルノルフォ・ディ・カンビオによって、再生されたという認識に基づいている。トスカーナ地方、とりわけフィレンツェに芸術家たちが登場しはじめた時代、政治的、経済的に急成長を遂げたフィレンツェでは、画期的な都市計画が推進された。人口増加にともない、1173 - 75年、1258年の二度に渡って市壁の大幅な拡張工事を行い、さらに、1284 - 1333年に、従来の都市面積の七倍近くに当たる最後の市壁「第六市壁」を建設。政治的にはギルド主導の共和政権セコンド・ポーポロが成立し、文芸的にはダンテの時代。イタリア美術が都市建設と深く結びついていることが伺える。教会堂や公共建築物、彫刻モニュメントや壁画、あるいは家具や工芸品に至るまで...
芸術家の個人個人が、そのような共通の意識を持っていたかは分からない。ただ、都市という一つの芸術空間において、造形的な複合体を形成し、ある種の有機体組織の中に自然に組み込まれていった、ということは言えるかもしれない。芸術家たちが都市計画の一員となって、ルネサンスという歴史の記念碑を築き上げたと。
ちなみに、ガウディは自ら画家、音楽家、彫刻家、家具師、金物製造師、都市計画者になって、建築はあらゆる芸術の総合であり、建築家のみが総合的芸術作品を完成することができるとした...
「いつの時代であれ、彫刻家が優れた仕事をしなかったときに絵画芸術も栄えたことはなく、よく観察してみれば、あらゆる時代の作品がこのことを証明している。」

しかしながら、このような輝かしい時代を築き上げるためには、下積みの時代を必要としたはず。大聖堂のファザードを飾るがごとく、輝かしい時代を迎え入れる無名の芸術家たちが人柱となって...
ヴァザーリは、時代を少し遡ると、数多くの重要建築物に建築家の名を見出すことができないと振り返る。シチリアのモンレアーレ修道院聖堂、ナポリ司教館、パヴィーアのカルトゥジオ会修道院、ミラノ大聖堂、ボローニャのサン・ピエトロ聖堂やサン・ペトロニオ聖堂など...
「この時代の人々の気のきかなさと栄誉欲の希薄さに驚きの念を禁じえない...」
だが、その後の展開は、より高尚な精神の持ち主たちが出現することに。まるで進化論的な突然変異のごとく、底辺を支えてきた持続的なエネルギーが、一気に万能人たちを開花させる。民衆たちの崇拝の結集と、天才たちの高尚な自由精神の融合... こうした総合力こそが、ルネサンスというものであろうか。けして皮相的な技術や上っ面の魂を、金儲けに結びつけた結果ではなさそうだ。
しかし、歴史ってやつは、いつの時代も経済的に、政治的に成功したものを讃え続ける。壮大なヴィジョンを創案した建築家その人よりも、権力の下でそれを建てるよう命じた者が脚光を浴びる。僭主によって芸術が見出されるとは、なんと皮肉であろう。僭主は民衆を支配しようとし、芸術は精神を支配しようとする。手段が違うだけで、やっていることは同じ!と言えばそうかもしれない。芸術は、死にゆく肉体の儚さと、永遠の魂の信仰の対比に支えられている。これと対置して、俗界には銅像になりたがる政治屋がなんと多いことか。やがて記憶の対象は人物から建造物へ移り、噂が噂を呼び、評判そのものが独り歩きを始める。まさに人類の遺産!遺産とは、人物そのものよりも、残された作品にこそ意味があるのであろう...

1. 万能者の資質
ヴァザーリが紹介する天才たちの中に、画家であり、彫刻家であり、建築家であり、詩人であり、音楽の才まで魅せつけれる事例は珍しくない。彼らの頭の中には分野やカテゴリーなどという概念はないようである。真理の探求という崇高な動機が、そうさせるのか?いや、精神を純粋なまま解放し、ひたすら興味あるものに邁進する... だたそれだけのことかもしれん。
「一芸に秀でた才能ある人物が他の芸をも容易に習得することは珍しくないし、それが本来の職業に近く、いわば同じ源泉に発するものであれば、とりわけ容易である。」

尚、本書には、27人の芸術家が紹介される...
アルノルフォ・ディ・カンビオ、ニコラおよびジョヴァンニ・ピサーノ、アンドレーア・ピサーノ、アンドレーア・オルカーニャ、ヤーコポ・デルラ・クエルチャ、ルーカ・デルラ・ロッピア、ロレンツォ・ギベルティ、ブルネルレスキ、ナンニ・ディ・バンコ、ドナテルロ、ミケロッツオ・ミケロッツィ、アントーニオおよびベルナルド・ロッセルリーノ、フィラレーテ、ベネデット・ダ・マイアーノ、アルベルティ、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ、ミーノ・ダ・フィエーゾレ、ヴェルロッキオ、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ、ブラマンテ、ジュリアーノおよびアントーニオ・ダ・サンガルロ、アントーニオ・ダ・サンガルロ・イル・ジョーヴァネ、ヤーコポ・サンソヴィーノ、レオーネ・レオーニ。

2. 建築論のはじまり
12世紀、フィレンツェで始まった建築ラッシュも、16世紀になると、都市建設の中心舞台は法王都市ローマへ移る。かつて栄華を誇った古代ローマ帝国の首都は、アヴィニョン捕囚などで著しく衰退し、人口減少で悩まされていたという。そこで、ヴァチカン主導の下、全キリスト世界の中心という立場を誇示した帝都復興事業が始まる。教皇ユリウス二世は、ジュリアーノ・ダ・サンガルロ、ブラマンテ、ミケランジェロ、ラファエロなどの芸術家を呼び集め、今度はローマが盛期ルネサンス芸術とバロック芸術の中心となる。中でも、最も重要な役割を担ったのがブラマンテだという。建築総監督の地位に就いた彼は、「コンスタンティヌス大帝のバシリカの上にパンテオンを建てる」という壮大な構想と、「ギリシア十字形プラン」に基いて工事に着手したとか。巨大建築複合体構想だ。
とはいえ、中世には建築家という概念は、まだなかったようである。建築活動は石工頭に統率された石工集団による仕事とされてきたが、15世紀になると、石工や建築職人の中から芸術と結びついた専門的な知識人が現れる。そして、画家や彫刻家が建築家として活動するためには、遠近法、数学、古代建築などの知識を身につける必要があった。都市計画では、建築景観を含めた総合的な美的センスが問われる。
やがて、数々の建築論が登場する。15世紀には、アントニオ・フィラレーテの「建築論」、ただし、ヴァザーリは、これを荒唐無稽な書と激しく非難している。他には、フランチェスコ・ディ・ジョルジョの「世俗および軍事建築論」、16世紀には、セバスティアーノ・セルリオの「建築論」、アンドレーア・パルラーディオの「建築四書」、ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラの「建築の五つのオーダー」などを挙げている。古典主義建築のボキャブラリーと文法が体系化されていった時代としても興味深く、「建築家 = 芸術家」の図式はルネサンス期の特徴と言えそうである。
そもそも建築物は、絵画芸術と違って、一人で達成しうる仕事ではない。設計と計画は一人でやったとしても、総合的な仕事、つまりはチームの仕事!建築家の意志に反して生前に完成しないものもあれば、建築家の遺言とともに後に完成を見るだけでも幸運で、構想が壮大すぎて未だ完成を見ないものまである。まさに世代を超えたチーム!
しかしながら、創始者の意志が後世に受け継がれるとは限らない。世界遺産といった看板に眼がくらみ、観光名所の餌食にされることもしばしば。真の遺産は、大衆の目に晒すべきではないのかもしれん。シャングリ・ラのような聖域を...

3. 芸術と学問の調和
天才たちの勉学の進め方は、まずもって優れた作品の模倣から始まる。赤子が母親の仕草を見よう見真似で始めるように。偉大な芸術作品こそが、福音書というわけだ。その徹底した模倣研究が、やがて余人にはけして真似できない個性を開花させる。となると、いかに多くの優れた作品に触れられるかが問われる。だが、中途半端な模倣では、猿マネに終わる。師匠と弟子の個性の競合と融合から次世代を担う個性を開花させる、とすれば、やはり人類の遺産なのである。
芸術は、学問の助けを借りて、より完全に、より豊かになる。おそらく幾何学や物理学を重んじない建築家はいないだろう。おそらく自然を重んじない芸術家はいないだろう。だからこそ、直観がものをいう芸術に身を置きながらも、遠近法、透視画法、建築学、物理学、幾何学などの理論研究に没頭できる。芸術と学問の調和は、まさに自然の姿に相応しい...
「学問はそれに親しむ芸術家たちに遍く大きな利益をもたらすが、とりわけそれは、制作されるあらゆる作品に着想の糸口を与えるゆえに、彫刻家、画家そして建築家にとってきわめて有益である。たとえ、芸術家がどれほど天与の資質をもっていても、良き学問を身につけることによってそれを補うことをしなければ、一人の人間が完璧な判断をもつことは不可能であろう。建物の立地を考える場合、疾病をもたらす風の危険や健康に悪い空気、不潔でむかつくような水から立ちのぼる蒸気や悪臭を、経験知に照らして避ける必要があることを知らない人がいるだろうか。また、いかなることを実行しようとするにせよ、実践が伴わなければ往々にして役に立たない他人の理論の恩恵をあてにせず、自らの熟慮にもとづき、独力でそれらを活用しうるか否かを判断できねばならないことを、知らない人がいるだろうか。しかし、もし理論と実践がうまくひとつに融合すれば、われわれの生活にとってこれ以上有益なことはない。」

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