2016-04-10

2016年式アル中ハイマーは、和風仕様...

昨年末に着物を仕立て、外出着として愛用している。仕事の会議に出席する時も、散歩する時も。おかげで、ますます年寄り扱い!いじられるの嫌いじゃないけど... ドMだし...
そして、馴染みのバーで着物デビューを果たし、ディープな中洲の街へと消えていくのであった...




1. 庶民でも着物
おいらにとって着物は、学生時代の文化祭で時代劇をやった時に着せられた覚えがあるぐらいで、まったくの初心者。昔から欲しいとは思ってきたが、買い方が分からない。呉服屋に行けば、慣れない専門用語が羅列され、着用プロセスも面倒そうで、おまけに目ん玉が飛び出そうな金額!とても普段着にできそうにない。衣食住の一要素を手に入れようとするだけで、なぜこうもよそよそしいのか?日本文化が格調高いとでも言いたいのか?
昭和の前半、巷では着物が主流という家庭がまだあった。まさか庶民のみんながみんな呉服屋で着物を調達していたとは思えない。中古やディスカウントを扱う店もあったはず。ましてや身分制度の厳しい時代では、百姓はどうやって着物を手に入れていたというのか?
... などとバーで愚痴っていると、庶民にも買い方があることを教わった。さすが、バーは重宝できる諜報機関だ!
なるほど、そんなに型苦しく構えることはない。帯の締め方にしても、基本的な作法はあるにせよ、やんちゃなやり方も教わる。襦袢もTシャツ風のものがあるし、かなり気楽だ。実際、五分もあれば着られる。男物だからというのもあろうけど。洋服だって多様な着方があるし、普段着で、儀礼的にこうしなければならない!なんて目くじらを立てることもあるまい。

2. 着物の合理性
民族衣装には、地域の気候や慣習などに根付いた合理的な工夫が見られるものだが、着物では、紐と袋のコラボレーションが見て取れ、袂や帯のあたりが意外と収まりがいい。
全般的に風通しがいいのは、高温多湿な気候のためであろうか。住居で履物を脱ぐ習慣も、高温多湿のためかは知らないが、靴よりも草履や下駄の方が合理的である。防寒的には不合理なところも多分にあるが、今どき、どこへ行っても冷暖房がきいている。用を足す時(大きい方)、最初はちと戸惑ったけど、すぐに帯のありがたさが分かる。
一方で、紐の結び方を知らない自分自身の情けなさを思い知らされる。本結びと蝶々結びに、あとは固結びぐらいでは、レパートリーがちと寂しい。
袂落としや首かけ紐といった影の小物に工夫が見られるのも面白い。帯の抽象度の高さが妙に竹細工とマッチし、アンティークに演出したり。携帯ストラップは、むしろ着物に合いそうだ。庶民には着物用品というより、雑貨品という感覚の方がいいだろう。
例えば... たかが羽織紐と思って呉服屋に行くと、安いもので二万円から三万円もするのにビックリ!ごめんなさいと言って逃げるように店を出るしかなかった。ネットで二千円も出せば、いいものが手に入る。

3. お香でリラクゼーション
着物の雰囲気に浸りながら、殺伐とした職場でお香を焚いてみた。煙たい仕事、煙たい会議、煙たい情報に日々追われ... だからこそ、すべての煙たさを身の回りから洗い落とす。これを「洗礼」と呼ぶ。
煙草をやめて五年は経ったであろうか。代わりに実体たる煙を欲して、お香というわけである。そして、アガーウッド、ラベンダー、シトラス、抹茶、ペパーミント、フォレスト、ローズ... といった香りを試す。線香臭いと、ジジくさぁ~!って言われるんだろうなぁ...



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