頭がきれる探偵が登場すれば、そいつと張り合う気持ちで読み入り、つい夜を徹してしまう。これが推理小説の醍醐味!そして、意外な結末に悔しい思いをし、もう一勝負を挑む。これが短編集の醍醐味!名探偵と銘打つだけで、その人物の言葉を信じてしまい、読者をステレオタイプに飼い馴らす。これが小説家の腕前!もはや語り手は、読者の代理人として行動してやがる。
たいていの推理小説の構成には、ポーの影を感じずにはいられない。ゲーテはカントをこう評した... たとえ君が彼の著書を読んだことがないにしても、彼は君にも影響を与えている... と。ミステリー界にあって、ポーはまさにそんな存在であろう。彼の仕掛ける基本原理には、読者の心理を操作して物語を真理へ導くところにある。心理も、真理も、音調が同じとくれば、意味するものも紙一重。人間ってやつは、心理的な妄想を満たしてくれるだけで真理に触れた気分になれる、実に幸せな存在ときた。
推理モノの定番といえば、密室のような不可能性と犯人の意外性、盲点に仕組まれるトリック、暗号といったところであろうか。名探偵の引き立て役としての愚鈍な警部の配置も欠かせない。柔軟で行動力のある人物と頭でっかちで官僚的な人物との対比は、平凡な日常に束縛された読者に刺激を与えてくれる。お馴染みのシャーロック・ホームズ、刑事コロンボ、金田一耕助といった名探偵たちにも、ポーが創作した C・オーギュスト・デュパンの面影がある。江戸川乱歩が描いた明智小五郎はまさに生き写し。ここには、推理小説の歴史を垣間見るような作品群... 「モルグ街の殺人」,「ぬすまれた手紙」,「おまえが犯人だ」,「黄金虫」の四篇が収録される。
尚、谷崎精二訳版(偕成社文庫)を手に取る。
「物質界には、非物質界とよく似たものがいたるところにある。それゆえ、隠喩または直喩が、議論を強めたり叙述をかざったりするのにもちいられる修辞学上の独断(ドグマ)が、いくらか真理らしく思われたりする。たとえば惰性力の法則は、物理学でも形而上学でも同一であるらしい。物理学で、大きな物体をうごかすには小さな物体をうごかすよりずっと困難で、それにともなう運動量もこの困難に正比例するとみとめている。このことは、能力の大きい知力は劣等な知力よりもずっとその動作において強く、不変であり有効であるが、その行動のはじまりにあってはずっとぎこちなく面倒で、ためらいがちなものである、と形而上学でいわれることとおなじことである。」
「モルグ街の殺人」
モルグ街の惨劇が新聞に掲載され、デュパンが興味を示す。被害者は母娘。母は、足と腕の骨は挫かれ、脛骨と肋骨が折られ、無残に切り裂かれている。娘は、絞殺され、暖炉の煙突に逆立ち状態に。なんと非人間的な残虐さ。
証言者たちの主張もまちまち... フランス人はスペイン語を話していたと言い、オランダ人はフランス語だと言っている。イギリス人はドイツ語だと思い込んでいるが、ドイツ語を知らない。スペイン人は英語だと思い込んでいるが、英語をちっとも喋れない。イタリア人はロシア人と話したことがないのに。もう一人のフランス人はイタリア語も知らないのに... みながみな自分の話せない言語だと思い込んでいる。ヨーロッパの五大国民の耳では聞き分けられないとなれば、アジア人か?アフリカ人か?犯行現場に残された毛は、人間のものではない。逃走ルートを検討してみても、とても人間の運動能力では説明がつかない。この超人的な身のこなしは... デュパンの推理は、いや、オチは... オランウータン!?
「ぬすまれた手紙」
宮殿で消えた手紙をめぐって、貴婦人からパリ警察に依頼が。政治的陰謀の臭いのする手紙。大臣は貴婦人の弱みを握って権力を思いのままに。スキャンダルネタか?この際、内容はどうでもいい。
手を焼いた警視総監 G はデュパンに意見を求める。手紙は大臣の官邸内にあるはず。しかも、すぐ取り出せるところに。大臣は大胆にも、あえて隠そうとはしない手段に出て、警察を欺く。警視総監は大臣が馬鹿だと決めつける... だって大臣は詩人だよ。詩人なんてものは馬鹿と隣あわせよ... と。
ちなみに、論理学には「媒辞不拡充」という概念があるらしい。「あらゆるばかは詩人である」という大前提に対して、「彼は詩人である」という小前提があり、ゆえに「彼は馬鹿である」と結論づける。これが三段論法。ここで、「ばか」を大名辞、「彼」を小名辞、「詩人」を媒辞または中名辞。媒辞は大前提と小前提を仲立ちし、両方に拡充して意味を結び付けなければならないのに、意味不明で拡充できていない。愚鈍な警視総監を揶揄した概念というわけか。
さて、デュパンは、大臣の狡猾さを逆手にとり、手紙をすり替える。大臣は、貴婦人を権力に従わせたが、今度は貴婦人の権力に従う羽目に。彼はまだ手紙が手元にあると信じており、そのつもりで無茶をやり、政治的破滅を招くであろう。失脚するのだ。地獄に堕ちる道はやすし...
「おまえが犯人だ」
ラットル町で、裕福な老紳士バアナバス・シャットルワージーが殺害された。被害者の甥ペニフェザーが容疑者として拘束される。遺産をめぐって揉めていたという証言もある。
そこで、被害者の親友チャールズ・グッドフェローが、事件の真相を暴こうと乗り出す。彼は「オールド・チャーリー」と呼ばれ、正義の人という評判。しかも、ペニフェザーを弁護し、人間性においても寛大さを印象づける。
発見された弾丸は、ベニーフェザーの鉄砲の口径と一致。動機と情況証拠が揃い、住民の非難轟々の中で法廷に引き出され、陪審員は第一級殺人犯の判決を下す。死刑!
一方、オールド・チャーリーの気高い態度は、住民たちに称賛されて祝賀会が催された。そこに、シャトー・マルゴーの大箱が配送される。箱を開けると、血まみれの死体がむくむくと起き上がって、「おまえが犯人だ!」と告げる。青ざめたグッドフェローは罪を告白する。これは、犯人の良心に訴えた仕掛けだとさ...
「黄金虫」
暗号小説の草分けとも評される作品。黄金虫は金持ちだ... という童謡もあるが、コガネムシはゴキブリの方言という説もあるらしい。この虫にかまれたら、金の臭いをかぎつけ、金の猛者とさせるのか。
ポーは、こいつにキャプテン・キッドの財宝伝説を絡めて、黄金探検活劇へといざなう。語り手の友人ウィリアム・ルグランは新種の昆虫を発見して興奮した様子。その場で羊皮紙を掴んでスケッチを描いたが、木の枝にとまっている甲虫がどうにもドクロにしか見えない。彼は「甲虫は財産の手引き」と主張し、語り手と共に宝探しへ。
羊皮紙にスケッチした時には、何も描かれていなかったはずだが、炙り出しのような化学反応から、文字が浮かび上がる。海賊の暗号文書か?言語解析で、まず用いられる方法は、最も多い文字と最も少ない文字を抽出する。そう、頻度分析だ。各国語には特有の性質があり、例えば、英語では "e" が最も頻度が高いので、これに当ててみる。そして、"e" を含む最もありふれた語は "the" で、その前後の文字に当ててみるといった具合に。これは、初歩的な換字式暗号ではないか。この作品には、ポーの暗号理論が暗示されている、というのはちと大袈裟であろうか...
2019-02-24
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