「インテリジェンス」という言葉を追いかけ... 追いかけ... いつの間にか「ゲーレン機関」に漂着したかと思えば、今度は「ドイツ参謀本部」を覗き見している。もはやハシゴ癖は収まりそうにない。この用語が、政治の世界、特に軍事用語として広まってきた経緯があるだけに、それも自然の流れであろうか。人間の存在意識を根底から支えるものが生存競争にあるとすれば、人間の知的活動もまたここに発する。その極限状態にあるものが戦争であり、戦争ほど人間の本性を露わにする題材はあるまい。
戦争ってやつは、一人の英雄がやるものではない。集団を組織化し、いかに効率的に行動するかにかかっている。天才軍略家として誉れ高いナポレオンとて、その意味を理解していた。フランス革命によって解き放たれた大衆を軍隊としてまとめあげる方法論として。
ここでは、組織論という観点からインテリジェンスを眺めてみよう。ただし断っておくが、本書には「インテリジェンス」という用語は一切現れない。この酔いどれ天の邪鬼が気ままに関連づけているだけのことである...
尚、守屋純訳版(学研, WW selection)を手に取る。
世界最強の組織と謳われたドイツ参謀本部。これをもってしても、戦争には勝てなかった。良書を読まない人は字が読めないに等しい... とは、かの古代大哲学者の言葉だが、どんなに優れた知識を持っていても、その活用法が分からなければ無知に等しい、ということか。いや、知っていることが精神安定剤となることもあるので、一概には言えまい。
そもそもドイツには、地理的に不利な条件が揃っている。欧州大陸の中央に位置するがために、攻撃性を強めれば、必然的に東西二正面戦争を強いられる。それゆえ予防戦争こそが鍵となり、伝統的に防禦思想が主流であったのは孫子の兵法にも適っている。ヒトラーが出現するまでは... だけど。
対して、イギリスは海を隔てた自然の要害に守られ、後方支援を無限に受けられる立場。アメリカを味方にすれば... だけど。
エーリッヒ・フォン・ファルケンハインが、イギリスが最も強敵と見たのは、まったく正当であろう。陸軍国と海軍国の地理的な差は、長期的な経済戦争では想像以上に大きく、第二次大戦ではこれに制空権が加わる。
ちなみに、「我が闘争」によると、ヒトラーの理想的な同盟相手国は三つということになっている。イギリス、イタリア、日本である。どこかの領土に目をつける度に、その後方から口を出してくる存在は目障りでしょうがない。ヒトラーはイギリスが元凶という考えに憑かれていく。領土拡張と巨大兵器こそが権力者の象徴と言わんばかりに。独裁者の心理学には、まったく付き合いきれん...
さて、参謀本部という組織は、考えうるすべての条件や環境を考慮し、最悪のケースまでも視野に入れながら研究を進める立場。慎重論を唱えようものなら、臆病者や敗北主義者のレッテルを貼られる。人間には、弱みを突かれると、より攻撃性を増す性癖がある。スターリンの粛清も、赤軍将校が自主的に行動しようとしたことへの恐れに発する。支配層の自惚れは、いわば人間社会の法則。
そして、尻拭いは誰がやるか。戦争の最終局面における参謀本部の使命は、いかに戦争を終わらせられる材料を提供できるか、が問われる。暗殺未遂事件に、陸軍参謀本部の面々が深く関わっていたのも偶然ではあるまい。ニュールンベルク国際法廷は、参謀本部を犯罪的組織という訴追については免責したのだった...
「自らあえて決断する将帥には補佐役は要らぬ、部下はただ実行するのみ、というのは、いつの世紀でも、ほとんどあったためしのない第一級の理想である。大抵の場合、一軍の将たる者は補佐役なしに済ませられるものではない。特に正しい判断へと導くことのできる教養と経験をもった複数の人間が共通の結論を導きだせれば、それはまことに結構だ。だが何人そういう人数がいようと、有効なのはひとつしかありえない。軍隊の命令序列では補助の意見も従属せねばならない。... だが最も不幸なことは将帥が他からの統制のもとにあって、毎日、毎時間、自分の構想・計画・意図について総司令部の最高権力者の代理に、あるいは後方の電信によって、申し開きをせねばならぬことである。それでは、いかなる自主性も、迅速な決断も、大胆な敢行も失敗せざるをえない。それが戦争を指揮するうえで必要なはずなのに。」
... ヘルムート・フォン・モルトケ「戦争理論について」
1. 国民戦争
クラウゼヴィッツは、戦争を政治の一手段と位置づけた。戦争は政治の範疇でのみ有効性を持つと。大袈裟に解すれば、政治の範疇でのみ正当化も可能になる。
しかしながら、フリードリヒ大王の戦争からナポレオン戦争を経て、二つの大戦へと邁進していく様を眺めていると、いかに政治が戦争の一手段と位置づけられてきたことか...
その要因の一つに、戦争の長期化があげられる。それは総力戦を意味し、かつて国王と軍隊のものであった戦争は、大衆化と相俟って国民戦争へと変貌していく。いかなる卓越した作戦技能よりも経済的潜在能力が決め手となり、科学技術の質や人材の数、工業生産力、資源の確保、食糧配給、国民の士気などすべての社会的要素が絡んでくる。つまり、前線よりも国内の方が重要だということだ。戦争が大衆化すると、ちょいと愛国心をくすぐるだけで扇動効果も倍増する。もはや政治に属すのやら、戦争に属すのやら。いや、政治も、戦争も、人間社会の一現象に過ぎないということか...
「重要なのは、軍事と戦争における政治と社会の要素を考察することである。軍事機構や戦闘法、そして戦争指導というものは、一般に政治形態や文化・社会の発展段階を反映している。時代や大きく躍動する理念、あるいは政治体制とともに軍事機構や戦争観も変化する。このことはあらゆる民族や国家の歴史にあてはまる。」
2. 軍略家たちの哲学
ドイツ参謀本部には、偉大な軍略家たちの思想哲学の融合が見て取れる。まず、参謀本部制度の生みの親と呼ばれる二人。偉大な啓蒙家シャルンホルストが「政治的将校」という軍人モデルを提示すれば、無名を心得たグナイゼナウは「参謀将校は無名であるべし」という鉄則を提示した。
ちなみに、クラウゼヴィッツがシャルンホルストのヨハネであるとすれば、グナイゼナウは自分のことをシャルンホルストのただのペテロと書いたとか。
戦争が政治の手段である以上、軍人にも政治的な視野が求めれる。今日の軍人は、第二次大戦当時の帝国軍人とは違い、外交的感覚にも敏感でなければならない。戦いの優位性だけを考えるなら大量破壊兵器を用いれば済む話だが、それで国家の権威が失墜するとすれば何のための戦争か。二人の始祖の思想哲学は、現代感覚にこそ適合しそうである。
しかし、この理想主義の時代は、産業革命や技術革新とともに変貌を遂げる。戦略や戦術が高度化すると、大モルトケは軍事スペシャリストの育成に努めた。軍事学は、兵站算術から脱皮して数学的戦争体系へ。
どんな学問分野であれ、高度化が進むほど専門性を強めていくものだが、歴代参謀総長たちの人間像を追っていくと、伝統と革新の間で揺れ動き、教養学派と専門学派が対立しながらも、うまく融合しながら発展していく様子がうかがえる。
学識の広い政治的将校としては、小モルトケ、ハンス・フォン・ゼークト、ルードヴィッヒ・ベック、フランツ・ハルダーといった名を見かけ、技術革新と専門性に目を向けた学派としては、シュリーフェン、ツァイツラー、グデーリアンといった名を見かけ、人材は実に豊富で多彩。
彼らには、どんなに優秀な参謀本部といえども、統帥の代わりをすることはできない、という考えが浸透しており、ここに、統帥権の扱い、あるいは、後のシビリアン・コントロールの概念が暗示されているように映る。
ちょいと異色なタイプでは、塹壕戦で膠着状態に陥った時に登場したヒンデンブルクは、大モルトケとシュリーフェンから最高の評価を受けていたが、すでに高齢だった。にっちもさっちもいかない状況になると、年寄の出番がくるのは世の常。しかも、偶像化されて大統領に。
さらに、あらゆることに首をつっこみ、政治的陰謀に身を投じたアルフレート・フォン・ヴァルダーゼーや、政治に介入し、一時的にせよヒトラーと手を結んだルーデンドルフといった面々も見かける。
尚、ベックほどの人物でも、暗殺未遂事件の首謀者というイメージが強く、シャルンホルスト流の「政治的将校」というモデルが、皮肉な形で体現されることに...
そして、ドイツ参謀本部が残した組織哲学が真の意味で体現されるのは、ゲーレン機関を経てずっと後ということになろうか... いやいや、まだまだ先のことであろうか...
3. 東西どちらを優先すべきか
これは、ドイツ参謀本部が慢性的に抱えている問題である。大モルトケによると、それは東だという。確かに、広大なロシアには潜在的な脅威がある。
一方、シュリーフェンは西部戦線における短期決戦プランを提示した。さっさと西を片付けて、東に戦力を集中させようと。だが、これは外交と衝突する。中立を宣言したベルギーに対して大義名分が立たない。シュリーフェン・プランは、あくまでも二正面戦争は避けられないという悪夢を想定したもので、実行しなければならない代物でもないらしい。そこに、フランス軍もロードリンゲンへの進撃を準備していることが判明。第17号作戦である。マンシュタインは、より実行性の高いプランを提示した。装甲部隊の機動力でアルデンヌの森林地帯から国境沿いを進撃し、ベルギーを迂回する作戦である。だが、陽動部隊をオランダから北フランスへ展開すれば、結局は外交と衝突する。ベルギーの中立宣言は、スイスのものとは外交的にも、地理的にも意味が違う。
こうした作戦計画の立案工程には、戦略に従属する外交か、外交に従属する戦略か、という問題が提起されている。
ちなみに、当初、ロンメルの精鋭部隊は東部戦線に配備される予定だったという。だが、ムッソリーニの要請で北アフリカへ。ムッソリーニは同盟国としての頼りなさを露呈し、バルカン作戦のためにバルバロッサ作戦は一ヶ月以上延期された。冬将軍の到来までに決着をつけなければ、長期戦を覚悟しなければならないが、そんな目算はヒトラーにはまったくない。それどころか、前線では自国軍の監視役としてゲシュタポが目を光らせている。おまけに、ロシア人にスターリン粛清の解放軍として歓迎されたドイツ軍は、すぐ後に続いた親衛隊によって憎悪を増幅させていったとさ。東やら、西やら、という前に誰が敵で誰が味方なのやら...
2019-09-15
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