2020-01-05

好きなことをやって生きていくのは苦しい...

神様と悪魔は、仲良し小好し。地獄を見ないと、天国を見せてくれそうにない。自由に生きるということは、最も厳しい生き方なのかもしれない。言い訳なんぞできやしない。人のせいにし、会社のせいにし、社会のせいにし、それで生きてゆけるなら、どんなに楽であろう。仕舞いに、神のせいすれば、神も本望であろうに...
好きなことを仕事にできれば幸せになれそうなものだが、そうは問屋が卸さない。好きなことと楽しいことでは、ちと違う。いや、真逆なことすらある。本当に好きなことを見つけるには苦難がつきまとう。にがい思いをし、いやな思いをし、それでもなお、やらずにいられないとしたら、それは本当に好きなことかもしれない。それゆえ、悩んだり、迷ったり、落ち込んだり、惨めな失敗もしてみないことには、好きなことがなんなのか、見えてこない。それは、相対的な認識能力しか持ち合わせない知的生命体の宿命であろう。
ひとたび好きな仕事を見つけたとしても、点数競争に追われ、金儲けの手段とし、出来高レースに明け暮れるとすれば、それは、本当に好きなことを仕事にしていることになるのだろうか。もはや、脂ぎった大人の欲望を捨て去り、純真な子供の好奇心を取り戻すのは至難の業。おいらは幸運に恵まれたようだ。技術屋の世界が愉快ときた。忙しいという状態が楽しいときた。M だし...
ほんの一瞬にせよ、達成感ってやつに救われる。本当に好きなことは、やはり苦々しさと一緒にやってくるらしい。その証拠に、リリース驀進後の脱力感に浸って味わう夜明けのブラックコーヒーは格別だ!

「仕事はこの世で最高のものだ。だから、少しは明日のためにとっておこうではないか。」... ドン・ヘロルド

とはいえ、この意欲を持続させるのは難しい。好きこそ物の上手なれ... と言うが、そうは問屋が卸さない。好きなことをやることの最大の利点は、それを思考し、夢中になると、別世界へ導いてくれること。突然、精神のフロー状態なるものが訪れ、無我の境地へといざなってくれる。時空を超えた心地良さとでも言おうか、これほどのエクスタシーを他に知らない。この境地に達するには、リラックスすることも肝要だが、ストレスも絶対に欠かせない。
あの大哲学者は言った、「我思う、故に我あり」と。しかしながら、我(が)を意識することによって生じる苦しみがある。自己存在を確認することによって生じる苦しみがある。自意識ってやつが、所有という概念を目覚めさせる。おいらのお金、おいらの土地などと。自意識は義務感とも結びつく。私の仕事、私の地位などと。これに拍車がかかると、縄張り意識を旺盛にさせる。俺の会社、俺の町などと。その対象は人間にも向けられる。オレの女、アタイの彼氏などと。周りの景色が我を基点に流れ始めると、やがて気づく。自我ほど手に負えないものはない... と。

「人間は自分の望みに従って人生を送ろうとするが、人生は必然に従って流れていく。」... ジーン・トゥーマー

ならば、自我を無にできれば、楽になれるだろうか。好きな職種に出会えたのはありがたいが、好きなことをして食べていくのは大変だ!長い人生、いい時もあれば悪い時もある。いい時は誰でもうまくやれる。悪い時こそ人の値打ちがでる。どんなに好きなことでも、それをやり続けるのは苦しい。いや、好きなことだからこそ苦しいのかもしれない。忙しさに追われている時はなんとか頑張れる。危険なのは急激に止まった時だ。急にがっくりくると、そこから抜け出すのは至難の業。この精神状態は、一度貧乏に陥るとなかなか抜け出せない世の中の仕組みに似ている。まるでブラックホール!
そんな時、好きなことをやっていくという意志が心の拠り所となる。時には、辞めようかとも思う。だが、好きなことをやって生きている自分に同情して、自己愛に浸ったところで仕方がない。自分自身を軽蔑したところで、やはり軽蔑者として自己を可愛がってやがる。
近道を行けば、すぐに息切れする。好奇心のアンテナを張っていれば、道草や寄り道をやらずにはいられない。視野を広げ、知識を蓄積していくには、回り道こそ王道!春風にでも揺られるように思考の散歩を楽しむ。これぞ春風駘蕩の極意というものか...
人生のスランプに陥れば、その状況を素直に受け入れ、存分に苦しんでみることだ。何かを見失っていないか?と自己に問い、じっくりと足掻いてみることだ。苦しい時に自然体でいられるのも、好きなことをやって生きていることの証。生きることの意味や価値を問うと、狂いそうになる。ならば、素直に狂ってみることだ。そして、気づくだろう。のんびりと精一杯生きる!これ以上に何ができようか... と。

「運命は、志あるものを導き、志なきものをひきずってゆく。」... セネカ

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