2020-01-12

苦しかった記憶は懐かしい...

記憶とはなにか... 心の拠り所か...
過去から学び、未来に備えても、大抵そうはならない。十年後の自分の姿を思い描いたところで、そうなったためしがない。これからの十年も、思いも寄らない世界を生きていることだろう。縋れるような過去の栄光もなければ、明るい未来も想像できない。
では、過去から見い出せるものとは何か。それが、自信ってやつか。十年、二十年、三十年... と生きてきたことは紛れもない事実。この時間の流れが自信というおぼろげな意識を育む。数々の失敗を重ねたにせよ、それが却って支えとなる。若いうちは、自信に縋らないと生きることも難しい。そして、あらゆることに好奇心を持ち、経験を積もうと意欲を掻き立てる。
だが、歳を重ねていくうちに、自信が却って邪魔をするようになる。自信ってやつが物事を抽象化し、まだ経験の不十分な事柄までも熟知したかのように思い込み、思考を硬直化させる。そして、昔は良かった... などと老人病を発症していくのである。

「人生とは、解のある問題ではない。経験の積み続く現実である。」... キェルケゴール

経験を積めば、それなりに記憶の領域が広がっていく。記憶の種類も様々。楽しかった記憶、苦しかった記憶、懐かしい記憶、忘れ去りたい記憶などなど、印象や心象という形で記録される。印象というからには、真実を歪めた形で刻まれることもしばしば。この記憶領域では、誤り訂正符号はあまり機能しない。
コンピュータの基本的な数学モデルにチューリングマシンってやつがある。その構造は、記憶装置、記憶データの出し入れ機構、有限オートマトンの状態遷移といった機能で構成される。まさに人間の脳内記憶モデル!脳の中では、記憶データそのものが有機体のごとく状態を遷移させ、様々な心象を映し出す。記憶とは、之即ち時間。人間の認識とは、時間の流れを言うのであろう。記憶ってやつが時間の連続性に幽閉されているから、過去の離散的なスナップショットに救いを求めるのであろうか。懐古的な情景をセピア色に染めて...

「我々人間は泣きながら生まれ、ぶつぶつと不平を言いながら生き、そして、落胆のうちに死んでゆく。」... トマス・フラー

それにしても、心象ってやつは、不思議な現象だ。奇っ怪と言うべきか、素直に情景を見せてくれない。これに記憶が結びつくと妄想を掻き立て、さらに時間が立つと誇大妄想に仕立て上げる。記憶が、自己の防衛本能として機能することは確かであろう。学ぶための題材としてだけでなく、精神安定剤という働きもある。
時には精神分裂を引き起こし、時にはゲシュタルト崩壊を引き起こし、記憶を分裂・崩壊させることによって救われる。現代人の悩みは根深い。現代の大人たちは子供たちに挫折を教えようとしない。いや、大人たち自身が挫折を知らないまま大人になってしまったのか。失敗しない生き方を選べば、しくじればおしまいという切迫感に襲われる。
この酔いどれ天の邪鬼の場合、苦しかった情景が楽しい感覚と関連づけられて、懐かしい記憶に変調されているときた。長い間もがき苦しんできたことが、ほんの一瞬の喜びと強く結びついて、なんとなく心地よい感覚で記憶されている。苦しかったからこそ懐かしい!この感覚は天の邪鬼な性癖のおかげであろうか。おまけに、もがき苦しんだ情景を、具体的に、明確に思い浮かべることが、すこぶる楽しいときた。M だし...
そして、こうした心象風景が今を熱くしてくれる。若いうちは苦難を正面から受け止め、しっかりと記憶に留めなければなるまいが、中年を過ぎたら愉快に怠ける癖をつけたいものだ。人生まだまだ... ここからが始まりだ!

「苦難を笑う術を身につけなければ、齢を重ねるうちに笑うネタがなくなる。」... エドガー・W・ハウ

0 コメント:

コメントを投稿