2020-07-26

"変身・断食芸人" Franz Kafka 著

小雨降りしきる中、虚ろな気分で古本屋を散歩していると、なんとも異様な文面で始まる物語に出逢った。
「ある朝、なにやら胸騒ぐ夢がつづいて目覚めると、ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変わっていることに気がづいた...」

カフカの小説に触れるのは、これが初めて。初体験ってやつは、なんであれゾクゾクさせるものがある。主人公がどんな夢を見ていたのかは知らん。おぞましい姿に変身する夢でも見ていたのか。そして、それが現実になってしまったのか...
夢ってやつは、見ている間は妙にリアリティがある。ふと冷静になり、それがありえないシチュエーションであったとしても。夢を見ている間は、現実との見分けもできない。ならば、いま目の前にある現実が、夢ではないと言い切れるだろうか...
尚、本書には、「変身」と「断食芸人」の二篇が収録され、山下肇/山下萬里訳版(岩波文庫)を手に取る。

そういえば、今のおいらは、どんな夢を見るだろう...
心理学では、夢が精神状態を投影しているとも言われる。日頃のストレスとも関係がありそうだ。ひと昔前は、排泄物に囲まれた夢... 昆虫が身体中を這い回る夢.... そんな光景にうなされたこともあった。もっと昔になると狙撃者に狙われたり... 学生時代にはゴジラ級の怪獣に追いかけられたり... そして現在となると、ホットなお姉様方にイジられる。ん~... M な性分は変えられそうにない。
ただ、それが現実になるとは、これっぽっちも考えていない。所詮、夢は夢。どこか安心して眺めている自我の眼がある。夢を見ている間は、眠りが浅いと言われる。熟睡すれば外界との交渉を完全に断ってくれるが、中途半端な眠りは外界との関係をグチャグチャにする。眠りは生理学的には休養だが、心理学的には何を意味するのだろう。現実逃避か。永遠の眠りへの不安か。はたまた、熟睡は死への憧れか...
それにしても、どういうわけか?ホットなお姉様といいところになると、きまって目が覚めやがる。続きを見ようと二度寝すると、今度は熟睡し、朝方寝過ごして大慌て。最大目標であるハーレムの夢には、永遠に到達できそうにない。せっかくの夢の世界、どうせなら思いっきりエゴイズムを演出してもよさそうなものだけど。いや、まったく思い通りにならんから、リアリティがあるのやもしれん...

「変身」
変身物語の中の主人公は、外回りの営業マン。不規則で粗末な食事に、明けても暮れても、出張!出張!いつも違う人と接し、親しい人付き合いもできない。もう仕事にうんざり!... と、やるせないサラリーマンの愚痴のオンパレード。そして、目覚まし時計の音が苦痛になっていく...
そんな経験は誰にでもあろう。人間であることを放棄すれば、人間社会から課せられる義務から解放され、真の自由が獲得できるだろうか。自由なんてものは幻想だ... と言うなら、義務なんてものも幻想だ!と言いたい。バートランド・ラッセルは、こんなことを言った... 遠からず神経衰弱に陥る人の兆候の一つとして、自分の仕事がきわめて重要なものだという信念があげられる... と。
そして、不条理な夢が現実になった時、自己破滅型人間へと変身するのであった...

「断食芸人」
19世紀頃、断食興行というものがあったそうな。断食芸人はサーカスのような興行主と契約し、檻に入って、藁の上に座り、見世物となる。苦行層が静かに語る言葉には重みを感じるが、断食芸人の場合はどうであろう。自己宣伝屋か。山師か。人目に隠れて物を食べないよう見張り番までいる。早食い競争の逆パターンか。この、いとおしむべき殉難者を御照覧あれ...
時代とともに、断食芸の人気はすっかりガタ落ち。動物の檻と並ぶ断食芸人の檻には、観客が寄り付きもしない。誰も見ていないから、真の意味で断食行に集中できるってか。ふと見張り番が気づくと、断食芸人は藁に埋もれて息絶えている。最期の言葉は... 本当に美味いと思う食べ物が見つけられなかった... とさ。
断食芸人は、藁と一緒に葬られた。その檻には、なんでも美味そうに喰う豹が入れられた。観客は、生きる悦びに満ちた豹に群がる。
自由な風が吹く平穏無事な時代では苦行が見世物となり、抑圧に満ちた多事多難の時代では、自由が見世物になるってか...
「自由さえも、豹は全然恋しがっていないように見えた。必要なものは何でもあふれんばかりにそなえているこの高貴な肉体は、自由までも、つねに身につけているように思われた...」

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