2020-07-19

"贈与論 他二篇" Marcel Mauss 著

プレゼント... それは美しい心の表れであろうか。贈り物を頂くと、お返しをせねば... という気持ちにもなる。より良いものを、とばかりに。そして、お返しの、お返しの... 無限ループ。これがお付き合いというものか。それが世間体というものか。これからもよろしくお願いします!とな... よろしくってどういうことか。心のどこかで見返りを求めてはいないか。裏に潜む思惑。人の心は計り知れない。自分自身の心ですら...

1920年代、社会学者マルセル・モースは、贈与の心理学を通じて、交換から義務へ結びついていく経済原理を論じて魅せた。
副題に、「アルカイックな社会における交換の形態と理由」とある。未開人と呼ばれる民族の慣習に照らして現代人の原初的な心理を掘り起こす着眼は、後のレヴィ=ストロースの著作「構造人類学」にも通ずるものがある。実際、モースの影響を受けたらしい。
経済学には、価値の交換や物品の売買だけでは説明のつかない交換行為がある。原始的な物々交換だけでは説明のつかない心理状態がある。貨幣で換算される価値だけでは説明のつかない価値がある。もはや行動経済学の領域にあると思われるが、既にこの時代に...
尚、本書には「トラキア人における古代的な契約形態」と「ギフト、ギフト」の二篇が併収され、森山工訳版(岩波文庫)を手に取る。

"gift" という単語は、ゲルマン言語系の言葉で、元来「贈り物」「毒」という二つの意味があるそうな。ほぉ~... グルグル翻訳機にかけると、英語では「贈り物」、ドイツ語では「毒」と出る。ちなみに、タキトゥス著「ゲルマーニア」によると、アングロサクソン系もゲルマン種族と記される。
オランダ語では中性名詞と女性名詞があって、中性名詞は毒を指し、女性名詞は贈り物や持参財を指すという。別の言語系でも片方の意味が消滅している事例が多く、この言葉の意味がどのように派生してきたかは定かでないらしい。
とはいえ、この意味の両面性には、人の心の表と裏が透けて見える。そう、建前と本音ってやつが...

モースは、この心の二面性に、民族の集団性と原初的な慣習性を絡めて、「贈与 = 交換」という視点から論じる。ポリネシア、メラネシア、北アメリカ、ヒンドゥー世界など古今東西の贈与の風習を見て回り、その中でも、財産を蕩尽してしまう「ポトラッチ」という儀式に着目し、これを現代社会でいう義務という意識と重ねながら物語ってくれる。
確かに、集団社会では、慣習による強制めいた意識が働く。義務という意識も儀式のようなもの。個人と個人の間でも贈り物という交換行為は成立するものの、集団と集団の間によって、その行為は慣習に、さらに文化にまで高められる。
集団の中には、誰が誰にどんな贈り物をしたか、と眼を光らせている者もいる。贈り物を与える礼儀、受け取る礼儀、お返しをする礼儀... こうした行為は冠婚葬祭にも表れ、祝儀や香典にいくら包むかといった金額相場も生じる。町内の礼儀屋さんの相場どおりにやっていれば、無礼に当たらないという感覚も、集団性が編み出した心理学であり、ムラ社会ではより顕著となる。
地位の高い者が相手ともなると、贈り物の意味までも偏重させていく。より恩恵を受けるために... より立場を優位にするために... 贈り物にも格付けがなされ、まるで忠臣蔵の一場面。世間の眼が気になれば、礼儀正しい人に見られたい、誠実な人に見られたい。そして、贈り物は虚栄心を助長する。
事業で大成功を収めた経営者が、個人で慈善基金のための大規模な財団を設立したりするのも、儲けすぎたことへの後ろめたさのような心理が働くのかは知らんが、いずれにせよ余裕ある範疇での行為となる。いや、借金してまで貢物を捧げるケースも珍しくない。気前の良さを演じることが、ある種のステータスとなったり、神が相手ともなると、生贄を捧げたり。
一方で、真に心のこもった交換行為も多い。古くから互いの健闘を称えて兵士が武器を交換したり、近年ではスポーツ選手がユニホームやエールを交換したり。そして、贈り物という行為は、使命感や義務感にまで高められていく...

経済循環における交換原理には、自己優位性という心理学が働く。安く作って、高く売り、儲けを最大化するという目論見は、貨幣価値における自己優位性の模索である。だが、それだけではあるまい。むしろ、精神的な自己優位性こそが社会活動の原動力になっているように映る。
アリストテレスは、人間をポリス的動物と定義した。ポリス的というのは、共同体の一員であることを強烈に意識すること。共同体の一員というのは、人間は一人では生きてはゆけないということ。つまりは、集団に依存するということ。集団社会の中で生きていく上で、人間は見返りの原理を放棄することはできまい。仮に、そんな天使のような小悪魔に出逢えたら、この酔いどれ天の邪鬼は我が身を生贄に捧げたい...

それにしても、慣習の力は偉大である。なによりも人間を隷属させる力がある。疑問を感じさせず、義務と思い込ませる。迷った時には過去に縋ればいい。判例とはそうしたもの。慣習は、義務という感覚を生起させる。それは、世間からの批判を逃れるための呪術か...
この呪術に集団意識が結びつくと、これほど恐ろしい心理状態もあるまい。人は誰もが集団の中で自己優位性を保とうと必死に生きている。それは、自己存在というものを意識できる精神の持ち主の宿命であろうか。集団の中の居場所を強烈に意識させ、そこに競争原理を与え、ヒエラルキーを生じさせる。能力で優位性を見いだせなければ、肩書や名声に縋るって寸法よ。そして、これらの心理状態の多くに贈与の心理学が見て取れる。贈与には、義務と霊的な力が宿るらしい...

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