2008-11-02

"ガウディ 芸術的・宗教的ヴィジョン" R.Descharnes & C.Prevost 著

古本屋を放浪していると、掘り出し物を見つけた。定価15,244円(本体14,800円)、どうやら消費税3%の時代のようだ。重さ約2kg、その重量感からも迫力がある。中古にしては状態もいい。んー!10,000円、貧乏人には辛いが、ここは奮発しておこう。秋という季節はなぜか感傷的にしやがる。こうした時に芸術に浸るのも悪くない。芸術に長けた人は、優れた作品を観ただけで、そのヴィジョンを見抜くことができるのだろう。しかし、芸術オンチには詳細な解説でもないと味わうことすらできない。本書はそうした人間にうってつけだ。アル中ハイマーは芸術なんぞに全く縁のない人間であるが、いつのまにか購入している。もはや精神の泥酔は留まるところを知らない。ちなみに、酔っ払うと謝り上戸になると聞いていたが...とりあえず、鏡の向こうの赤い顔をした住人がなにやら話しかけてくるので、謝っておこう。

本書は、ロベール・デシャルヌの文章とクロヴィス・プレヴォーの写真によって構成され、その主題は「サグラダ・ファミリア聖堂」である。そこには、真の芸術家によるリアリズムの追求がある。その思想には何かに憑かれたような神秘主義の世界があり、命がけのモデルを使った非人道的な姿には芥川龍之介の「地獄変」を思わせるものがある。ガウディ曰く、「私は人が死んでいくのを見れば見るほどますます霊魂不滅を信じる。」
本書はかなり宗教色が強い。それも、ローマカトリック教に絶対的信仰を持ち、作品を創造主への敬意として表すからであろう。そこには、禁欲的で奉仕的な世界がある。本書は、ガウディを理解したければ、まずカタルニャ精神、すなわち並外れた自尊心と誇張の情熱を理解する必要があると語る。また、地中海の光を神聖な精神に位置付けている様子がうかがえる。地中海には幻想的なものを感じさせる何かがあるのだろうか?この地を題材にした芸術家も多く、中でも作家ポール・ヴァレリーの短編を思い浮かべる。古代ギリシャを始め地中海を中心に文明が栄えたのも偶然ではないのかもしれない。
個人的には、あまり神秘主義や宗教色の強い作品には拒否反応を起こす。宗教というやつは、勝手に信仰して大人しくする分には、ひょっとしたら素晴らしいものに映るかもしれないが、考えを押し付け、おまけに染め上げようとするから大嫌いである。と言いながら、実は聖書を持っている。むかーし、ある女性からサイン入りでもらったが、一度も開いたことがない。今、探してみると、本棚の一番奥に思いっきり埃をかぶっているのが見つかった。しかも、圧力で少し変形している。こういうのを処分すると罰が当たるんだろうなあ。神様とは、酔っ払いにとってはやっかいな存在である。
本書にしても、キリスト教への信仰心がない人間には、その価値はあまり理解できないのだろう。それでも歴史的観点から興味がある。また、自然主義、写実主義という意味では、宗教抜きでも十分に味わえる。さて、今宵はシェリーといきたいところだが、個人的には濃厚なブランデーがピッタリと嵌る。

著者デシャルヌは、サルバドール・ダリ研究者としても知られるらしい。ダリはガウディの叙情的建築を弁護したという。ダリは「五感の建築」と題して、次のように記したという。
「現代のガウディ称賛者たち、すなわち、五感によって彼の作品に近づくことをしなかった者たちは、ガウディの精神に対して、破廉恥にも五つの重大な裏切りを犯した。」
ダリは、新しい天才が出現しない限り、サグラダ・ファミリアは完成しないだろうと述べたという。天分なしに、合理的な役所仕事的な方法で仕上げるならば、ガウディを裏切ることになると。たとえ未完成でも、巨大な虫歯のような姿であっても、可能性に満ちたまま残すほうがましであると。本書は、ダリが最も偉大な哲学者と考えるフランセスク・プジョルスという人物のエッセイ「ガウディの芸術的、宗教的ヴィジョン」を使って、偉大な建築家を提示したいという意向から生まれたという。

アントニ・ガウディは、サグラダ・ファミリアの建築監督を引き受け、生涯をその建築に捧げた。そして、この聖堂でヒューマニティ全体を表現しようとする。ガウディにとって建築とは、他の芸術を支配する空間を組織することと考えた。彼は、自ら画家、音楽家、彫刻家、家具師、金物製造師、都市計画家になる。建築はあらゆる芸術の総合であり、建築家のみが総合的芸術作品を完成することができるという。ガウティの建築は、数々の料理が一度に同じ皿に盛られる食事に似ているといった感じで喩えられるらしい。頑丈な胃袋だけが、ご馳走を消化できるというわけだ。彼は見た目を楽しませるような装飾を好まない。空間を組織するとは、構造に物質性を失わせて生命を与えることで、構造を精神化することである。そこには、カタロニャ精神とも言える熱狂振りがうかがえる。

1. ガウディの死
本書は、いきなりガウディの死の場面から始まる。そこには、キリスト教的な貧者を代表した姿がある。また、その幻想的な文章には文学的な価値もある。あまり簡略化すると作品のイメージを壊しそうだが、あえて要約しておこう。
...
春も終わりに近いある夕方、一人の老人がランブラス通りの群集から離れていった。彼は、毎晩、いつもするように祈りの言葉を捧げるためにサン・フェリペ・ネリ聖堂へと向かう。この日は普段よりも精神的夢想に耽っていた。貧者の大聖堂が完成し落成式を待つばかりであった。ラス・コルテス・カタルーニェス通りを横切ろうとした時、足が縺れて電車の前に転ぶ。意識不明で助け起こされるが、浮浪者と間違えられ、そのまま歩道の端に放置された。その姿は、苦行者で乞食のようであった。その夜遅くにようやく身元が確認される。この老人こそガウディその人であった。彼は三日後に息を引き取る。
...
これを「厳粛な貧者の栄光ある死」と表現している。

2. カタルニャ精神
ガウディは、海に特別な思いがあるようだ。海は、空間の三次元を総合する要素を表すもので、幾何学的本質があると捉えた。彼は、ジャーナリストとの会話の中で次のように述べたという。
「マドリッドがスペインの首都であるのは残念なことだ。フェリペ二世は、セビリアかバレンシアに宮廷を置けばよかったのだ。バルセロナと言っていないことに注意していただきたい!すべての偉業は海の上で成し遂げられてきた。海は人類の最も驚くべき企てに参加してきたし、これからも参加するはずである。」
ガウディは、建築の勉強のために21歳でバルセロナに来た。以後、短期の旅行は別としてバルセロナを去ることがない。一定の場所にこれほど集中して作品をもつ建築家も稀である。世界をかけめぐることがなく、世界を一転させた芸術家というところに凄みを感じる。神秘主義者であるガウディは、精神を広めるためには、布教者となって海外を回る必要のないことを知っていたという。彼は、カタルニャ人であることを誇りにし、この地のために精魂を使い果たした。

3. 超自然主義
ガウディは、その場所の地理的条件、気候的条件にあった直線や曲線の体系を造ろうとした。自然条件を満たされなければ、重苦しい感じを与えるからである。この点で、パリのオペラ座ほど見事に失敗した例はないと批難する。オペラ座は、世界中から集められた大理石を使いながら、見掛け倒しの方法で奇怪に誤って建てられたもので、誰も満足できない異国趣味の家具や彫刻でいっぱいだという。ガウディは想像を越えた要素を建築と合体させる。筋肉、骨、種子、花、木、泡、渦巻、氷、煙、雲などなど、あげると切りがない。例えば、制作物の要素には、固有の色ばかりでなく独自の音を所有すると考える。空気はそれらを伝播する媒体であって、地中海の光だけを再現するだけでは不十分だというのである。そこで、時間による大気の流れ、湿度、温度、気候変化を研究し、鐘の黄昏時に鳴らす音を再現しようとする。四方八方から風が吹き込む塔を作り、その塔は羅針盤のように風の方向を教える。そこには、一日中途切れることのない音が現れるという。まさしく超自然主義とも言うべき独創性がここにある。作家ジョゼップ・プラは、ガウディのヴィジョンを次のように要約したという。
「自然の中に直線が表れるのは稀である。自然は数学ではない。だが、規則的なスタイルは精神を満足させる。無秩序でないものに人間は満足感を得る。だからといって、人間を満足させるように努めるだけが能ではない。」

4. サグラダ・ファミリア
ガウディは、当初の計画であるフランシスコ・ビリャ-ルの構想を改良するところから着想したという。それは、当時あらゆる宗教的建造物に企てられたネオ・ゴシック様式に則ったものを見直すことである。当時、既に物質主義的風潮があり、彼はこの風潮に危険性を感じていたという。そして、伝統的ゴシック様式は死んだ様式であり、まず力学的構造にしなければならないと主張した。その死の要因は、支える要素と支えられる要素の不連続性にあるという。ゴシック様式は、不連続な部分を装飾で隠そうとする。これは、偽りの便宜的解決法であると指摘する。ガウディは、設計図を完成させず、詳細に書き留めることを嫌い、大雑把な見取り図しか示さなかった。このような場当たり的な仕事に、批判的だった人も少なくなかった。彼は、数学的あるいは物理的な考察の上で、模型を作り実験を繰り返す。幾本の細紐で、穹窿や円屋根の形、力線の網、それらを支える支柱の傾斜をつくり、全体の放物線を描く。そして、荷重を計算しアーチの曲率を求め、穹窿の力学的問題を連続する要素として解決する。身廊の放物線状の構造では、解決に10年も要したという。無限の母線から生み出される双曲面、螺旋面、放物面は、直感的に無限を思わせるものがある。放物線は、精神の絶頂を神へ導くと考える。双曲面は、あらゆる方向に回折する光を表す。螺旋面は、運動、生命、精神的エネルギーを表す。双曲放物面は、三位一体の完全な表現であるという。ダリは、人体の他の部分よりも骨格にこそ最大の美的長所があると考えたらしい。ガウディも、骨組に重要性を認め、次のように述べたという。
「建造物の輪郭は、もっぱらその構造によっている。しかもこれらの構造は正しい必要がある。したがって、われわれは絶対に直観に忠実であるべきなのだ。直観はわれわれが知らないことを知っており、ひとつの線が適切なものであるかどうか、自然法則にかなっているかどうかを直接あかしてくれる。」
人間は聖堂を造ってきたが、それを住居とすることはなかった。ガウディは、聖堂を人の住める空間にし、この聖堂の正面玄関を全人類が通るように希望したという。昼の太陽に照らされた栄光のファザード、あるいは生命のファザードと呼ばれる正面ファザードは福音を表す。それは、天地創造、人類の起源と進化、生命、死、地獄、煉獄、最後の審判、贖罪を想起させる。聖堂の内外に、写実主義をもって新旧聖書のメッセージを刻みこむ。聖堂内部の配置は、典礼の規則に厳密に則り宗教的祭式に合わせるよう研究されているという。サグラダ・ファミリアは、聖書と同じように貧者の書物がイメージされている。

5. インテリア構想
ガウディの計画には、家具調度の構想も含まれている。建築家にとってインテリア整備を他人に任せるのは、一貫性を欠くという信念があるらしい。ここでも、自然との調和を重視した鋭い感覚が見られる。構造を骸骨に、量感を生命器官に、装飾を皮膚に対応させ、人間の解剖学が現れる。椅子の構造で、ある逸話が残っているという。それは、スペイン内乱の時、爆弾の炸裂で壊れた椅子は、構造的によく研究されたもので、壊れ方一つにしても正確な壊れ方をするので、復元するのが容易だったという。自然構造に忠実であれば、壊れ方にも自然法則が現れるというのか?これにはカタルニャ風の誇張も感じられる。インテリア構想では、人体的で生物学的な要素が細部に渡って観ることができる。椅子の着想では、足を組むと座り心地が悪いばかりでなく、居たたまれなくなるように、わざとデザインする。これは、神前で信徒たちがきちんとした態度を保たざるをえないように考慮したものである。人間の欲求は、感受性と同様、生理的な必要性にも左右されるが、その生理的追求にも迫力がある。

6. 超写実主義の彫刻
ガウディは、完全に経験主義的な方法をとる。彼にとって、ごくわずかな不正確な線、小さな姿勢の誤りが、真実に対する虚偽であり、単なる過失であるばかりか、宗教上の罪となる。彫刻家カルラス・マニ製作のブロンズの十字架のキリスト像は、写真で観ても、瀕死の肉体の痛々しさが伝わる。これはリアリズムの追求のためにモデルを使って、ガウディ流を忠実に再現したものだという。彫像技術では、生きた人間から直接鋳型をとる方法を用いる。この時代、人間から直接鋳型をとるとモデルが死ぬ事故もあったという。高い熱と強い圧力が、致命的な窒息を惹き起こすのである。もちろん批難もされる。ロダンも「青銅時代」という作品で、モデルのベルギー兵士から直接鋳型をとって批難されたという。本書に掲載されるキリストや聖母など、数々のモデルの写真は生々しい。聖母のモデルは石工の妹の老嬢、ユダのモデルには仕事場の番人、ローマ兵士は居酒屋の給仕。ガウディには、民族の姿を別の人間で置き換える独特の感覚があったという。例えば、ギリシャ人のタイプはアンプルダンの人、フェニキア人のタイプはイビサ原住民といった具合。こうしたエゴイズムで対象人物のモデルを見出す。そこには、まさしく人体実験の光景がある。本書も、これには神秘的霊感としてしか説明できないという。聖ヨゼフが選ばれた逸話にはこんなものがある。ある日、石工がボロボロになった穴だらけで、藁が飛び出した哀れな布団に寝ているのを見つけた。壁には聖人の版画が掛けてある。妻は跪いて聖母に賛歌を捧げて治癒を祈っている。この懸命な夫婦を見て「聖ヨゼフを手にいれた!」と叫んだという。

7. アメリカン・ホテル
ガウディがスペイン以外で建設を決意した唯一の建物に、アメリカン・ホテルがあるというから驚きだ。ニューヨークで企画されたこの建物は、最も知られていないものとして紹介される。その高さは310メートル、当時、巨大主義の時代でもあった。パリのエッフェル塔は垂直方向の巨大主義、ロンドンのクリスタル・パレスやパリの機械館は水平方向の巨大主義。ニューヨークでも摩天楼の競争が激化していた。この計画は、エンパイヤ・ステートビルよりも先んじているが、ニューヨーク行きが突然取り消されたために計画倒れとなっている。その理由は不明らしい。本書はその計画のデッサンを紹介してくれる。そこには、サグラダ・ファミリアから得られた実験的研究の帰結が表れるという。ガウディがこの巨大化競争に参加していたというから二重の驚きである。

0 コメント:

コメントを投稿