2021-08-15

"新・数学の学び方" 小平邦彦 編

数学は楽しい!おいらは数学の落ちこぼれ。でも楽しい!
酒を酌み交わしながらオイラーの公式について語り始めると、つい夜を明かしちまう。数学ってやつは厳密に理解しようとすると、これほど難解な学問もないが、分かった気になる分にはそれほど難しくはない。
いま、顔を合わせるたびに、けしかけてくる大学の先生がいる。薄っすらと笑みを浮かべ、これを読んでみろ!あれを読んでみろ!と、チェシャ猫のごとく。専門家がド素人を論理でねじ伏せようってかぁ...
いや、数学ってやつは、感覚やイメージで嗜むものらしい。五感を総動員して、絵画や音楽を嗜むように。数学が他のどの分野よりも厳密な論理で組み立てられているのは確かだ。しかし、それだけでは味気ない。
そういえば、ルイス・キャロルも数学の先生だっけ。少女に子供心をいつまでも忘れぬようにと書いた物語が、あの「不思議の国のアリス」。だから、薄っすら笑みを?気色わるぅ...


ここでは、13人もの先生方が数学の具体的な事例を用いながら、その学び方を伝授してくれる。寄稿者の面々は、小平邦彦、深谷賢治、斎藤毅、河東泰之、宮岡洋一、小林俊行、小松彦三郎、飯高茂、岩堀長慶、田村一郎、服部晶夫、河田敬義、藤田宏。
学び方は、十人十色!数学の先生方も一つしかない表記法に対して、実に多様な考え方や理解の仕方を提示してくれる。数学は、けして無味乾燥な学問ではないってことを。
ただ、13人もの御歴々が一斉に語り始めると、話題が豊富すぎてゲロを吐きそう。ざっと拾ってみても、πが無理数であることの証明に始まり、代数幾何学、コホモロジー、微分方程式、複素関数論、微分位相幾何学,.. さらにはガウスの楕円関数論まで飛び出す。帰納的な思考を語るには、やはりガウスは欠かせない。
数学者らしからぬ、暗記を勧める先生までもいる。理解が暗記の対極のように考えられがちだが、そう単純ではないようである。どうしても理解できなければ、暗記でも何でもやってみるさ。フランシス・ベーコンとソクラテスの言葉を掛けて、疑問のあり方を問い掛ける先生もいる。
「知は力なり vs 無知の知 vs 疑問を育てる」
疑問は言語化を育てる。正しく問わなければ、正しく答えられない...


学ぶとは、どういうことであろう... 理解するとは、どういうことであろう...
本書を読んでいると、そんなことを考えてしまう。人は何かを手本にしながら、考え方のヒントを得る。幼児が大人の真似をして、繰り返し片言を喋ることによって言葉を憶えるように。ダ・ヴィンチも、ミケランジェロも、ラファエロも、古代芸術を模写しながら独創性を磨いた。けして目先の技法に囚われず、猿真似で終わらぬよう。独創性とは、模倣の先に見えてくるものやもしれん...
「'学ぶ' は 'まねぶ' であって、その第一義は 'まねること' である。」


しかしながら、ド素人が専門家の学び方を真似ても、うまくはいかない。もともと数学のセンスがあるから、この道を選んだのであろうし、数学に対する姿勢も違えば、遊び心の奥行きも違う。
とはいえ、真似てみる以外に何ができよう。数学のセンスがなくても、我武者羅にやっているうちに、突然視界が開けることだってある。理解するまでのプロセスこそが数学の醍醐味!とすれば、落ちこぼれも少しは救われる。自分の思考回路は自分にしか分からない。理解するまでの道筋は自分で見つけ出すしかない。おいらには、自分の思考回路もよう分からんけど。ユークリッドの言葉に「幾何学に王道なし!」というのがあるが、ここでは「数学に王道なし!」と励ましてくれる...


ところで、本書の代表を務める小平先生といえば、日本人初のフィールズ賞を受賞した大先生だが、フィールズ賞といえば、昔から違和感を持っていることがある。それは、40歳の年齢制限があること。頭が柔軟でなければ数学で功績を上げることは難しいということだが、だからといって絶対的な年齢で規定するとは。柔軟性を重んじる数学が、実にらしくない。健康寿命が伸びている現代社会では、尚更。
但し、何を学ぶにせよ、子供心をいつまでも忘れぬよう心がけたい。アリスのように...
「数学の持つ鋭い魅力は人に伝えようとしてできるものではない。数学は面白いから面白いのであって、説明する必要など少しもないのである。数学の魅力を伝えようとしていかに数学が世に役立っているかを力説してみても、それではちっとも面白さが分からない。むしろ苦しみが増してしまう...」


たいていの人は、銭勘定に必要な加減乗除を知っていれば十分だと考えるだろう。だが、無味乾燥と酷評される数学が、人間社会でいかに重要な役割を果たしていることか。市場経済は、微分方程式なしでは立ちゆかない。保険会社や金融機関は、数理統計学なしでは立ちゆかない。個人情報を保護する暗号システムは、素因数分解なしでは成り立たない。通信経路やデータ記憶装置では誤り訂正率が問われ、製造ラインでは歩留まりが問われる。心理学や生物学にしても遺伝子工学と結びき、その根底にある量子力学、電磁気学、熱力学といった物理数学は避けられない。最大多数の最大幸福といった政治スローガンまでも確率論に支えられ、いまや数学と無縁でいられる分野を探す方が難しい。物事を観察する上で、数学は実に多様な道具になりうるだけに、それぞれの部門に適合した数学的思考を学ぶだけでも、視野が広がる...


そういえば、おいらにだって、数学が得意だ!と言い張っていた時代があった。定理や証明なんてものは憶えるものではない!必要ならその場で導いてやるさ!などと豪語していた。なので試験では、いつも時間をめいいっぱい使う。高校数学で登場する因数分解は、せいぜい四次方程式まで。これを解くのに法則めいたものはない。ただ数字を感じ取ること。大学の初等教育で、いきなり奈落の底に突き落とされたε-δ論法なんて、丸暗記してどうなるというのよ。素朴な精神をエラトステネスの篩にでもかけようってかぁ...
人生は短い!点数競争なんぞに付き合っている時間はない。なぁ~に... 落ちこぼれの遠吠えよ!
そして、数学から逃れるように工学の道へ進んだのだった。しかし、微分方程式からは、いまだ逃れられずにいる。それでも、解析学で重要な複素数や三角関数の恩恵を知って拒否反応も薄れている。フーリエ変換の凄みを実感しながら、テイラー展開や無限級数の有難味を感じ、πの偉大さを感じつつ。
πが無理数だと知っていても、どんな風に無理数なのかは知らん。知っていることといえば、数直線上で単位円を 0 から一周させると、3 を少し超えるあたりで止まるってことぐらい。πの無理性は、無限級数の親戚の連分数で記述することができる。無限級数ってやつは、近似する上で実に便利な道具だ。求める精度に対して、必要なだけ項数をとればいいのだから。
デジタル社会が論理数学で成り立っているのは確かだけど、それほど厳密とは言えず、そのほとんどが近似法で成り立っている。人間社会で繰り広げられる物理現象は、そのほとんどが連続性に見舞われており、連続的な物理現象をモデル化するのに、微分方程式ほどうってつけの道具はない。幾何学的なアプローチで、漸近線の有難味も合わせて。金融危機や自然災害の類いで不連続なケースもあるけど、境界面を微分方程式でつなぎ合わせていかに実世界に近づけるか。これぞ、微分方程式の役割だと解して励んでいるのだけど、やはり落ちこぼれは落ちこぼれ...

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