宇宙を論じる場では、古くから重力が主役を演じてきたが、E=mc2 の呪文とともに、エネルギーが主役に躍り出た。ここでは、エネルギーと肩を並べるように情報が主役を演じて魅せる。
it is bit... それはビットから... IT や ICT もビットから...
ここで、ジョークを一つ。但し、数字は二進数表記。
「10種類の人間がいる。ニ進数を知る人間と、知らない人間だ。」
宇宙とは何か?宇宙は何のために存在するのか?量子コンピュータ研究の第一人者セス・ロイドが熱く語ってくれる。それは、計算をするためだと。では、何を計算しているのか?それは宇宙そのもの、すなわち、自分自身の振る舞いを。量子情報理論によると、宇宙とは巨大な量子コンピュータであり、宇宙は自らを計算によって作り出しているという。それは、自己増殖システムか。自己言及によって進化していく様に、不完全性定理や不確定性原理との相性が見て取れる。チューリングが唱えた計算不可能性にしても自己言及に発する。人間が進化してきたのは、自己言及の名手だからこそ。進化とは、複雑化し、カオス化していくことなのか...
尚、水谷淳訳版(ハヤカワ・ポピュラー・サイエンス)を手に取る。
宇宙という巨大な世界を知ろうとすれば、量子という微小な世界を探ろうとする。木を見て森を見ず... という皮肉めいた格言があるが、森を見て木を見ず... では同じこと。
とはいえ、量子の世界は狂ってやがる。猫が生きていて、かつ死んでいる、といった荒唐無稽なことが理屈の上で起こっちまう。宇宙には悪魔が棲みついているのか。マクスウェルの悪魔にせよ、ラプラスの悪魔にせよ、超現象はすべて悪魔のしわざか?
昔から神のように崇められる物理法則に、エネルギー保存則ってやつがある。宇宙の誕生がビッグバンにあるとすれば、無から生じたことになるが、それで何が保存されているというのか。誕生する前からなんらかの情報が浮遊していて、その情報がエネルギーを持っていたとでもいうのか。宇宙で生じる物理現象は、あらかじめ仕込まれた情報によって、突然、露わになるものなのか。
うん~... そもそも、情報ってなんだ???
例えば、有名な二重スリット実験では、電子を1個発射させると、それぞれのスリットに同じ干渉縞が生じる。これが波動性ってやつだが、電子が粒子ならば、二つのスリットを同時に通り抜けるはずがない。これも悪魔のしわざか?
量子力学には、干渉性の消失という概念がある。デコヒーレンスと呼ばれるヤツだ。それは、周囲の環境が量子系の情報を得ることで、波動性を壊すプロセスにも見える。情報を抜き取ることによって、片方のスリットに存在する電子を無にできるというのか?
まったく、情報に操られた現象は悪魔じみている。なるほど、人間社会に蔓延る情報は、人間を動かすエネルギーを持っている。どうりで、人間は悪魔じみている...
1. 計算とは何か
宇宙が、自らの振る舞いを計算しているとしたら、その住民も計算しながら生きているということか。ただ、自己言及プロセスは、自分が何を計算しているかを認知できないことにある。人間だって、なんらかの損得勘定や見返りを計算しながら生きている、ってところまでは認知できるが、それ以上のこととなると、形而上学に放り込まれる。
宇宙が、量子の集合体で構成される巨大な量子コンピュータだとすれば、人間の脳だって量子の塊であり、ある種の量子コンピュータと言えよう。量子数の規模を比べると、人間に意思があるぐらいだから、宇宙には、もっと、ずっと高尚な意思があっても不思議はない。
計算とは、意思のことなのか?単純な法則が複雑系へ向かうのは、何らかの意思が働いているということなのか?計算するとは、なんらかの情報を元に量子が運動するということなのか?
ならば、情報とは過去ということになる。計算を重ねていくうちに、そのプロセスのすべてが情報となる。最初は単純な情報でも、過去の蓄積がカオスへ向かわせる。熱力学の第二法則は告げている。エントロピーはただ増大すると。宇宙はエントロピーに引きずられて膨張し、人間は過去に引きずられて生きていくわけよ...
2. 情報の本質と二進数
情報の最小単位はビットで表され、0 か 1 の状態をとる。計算の基本原理は、この状態を保持するか、反転させるか。つまり、すべては二進数で事足りる。十進数で計算するのは人間の都合であって、両手合わせて十本の指がそうさせるのかは知らん。
実際、コンピュータの演算回路は、2 の冪乗で構成される。足し算して桁上りするかしないかは、0 か 1 で示され、人生の分岐点で、進学するか就職するかも、0 か 1 で記述できる。選択肢が複数ある場合は、二択の多重化と捉えれば同じこと。
つまり、コンピュータプログラムの基本構造は、順次処理と分岐処理が主体となる。情報理論の父と呼ばれるシャノンが提示した 2 を底とする対数で記述される定理は、なかなか意味深い。情報と計算の両方の本質を暴いて魅せたのだから...
3. 量子ビットと多宇宙
量子コンピュータが扱うビットは、従来のビットとは、モノが違う。量子ビット(Qubit)と呼ばれるやつだ。
従来のビットは、例えば、トランジスタが保持する一つの状態で、0 か 1 をとる。これを変化させるには、ベース電圧やゲート電圧を制御して、スイッチングさせる。
一方、量子ビットは、光子、電子、クォーク、ニュートリノといった素粒子が持つスピンの状態で、それぞれの相互作用によって、スピンの方向を変えて情報を処理する。これを変化させるには、単に光をあてたりする。つまり、ビットの処理速度は光速なみに高速というわけだ。一般相対性理論によると、これ以上の反応速度はない。
しかも、スピンは別の状態を同時に持つことができる。こうした特性は、超高速な多重並列処理の可能性を匂わせる。まさに夢の演算素子というわけだ。膨大な計算量を要する因数分解だって、状態を分割して同時に計算すれば、暗号解読もお茶の子さいさい。猫が生きている状態と、死んでいる状態の両方を同時にシミュレーションすることだって...
そして、宇宙はユニバースからマルチバースへ。もはや、自分探しの旅なんてやってる場合じゃない。多宇宙で生きている別の自分を探さねば、いや、お前はすでに死んでいる...
4. ランダム性と有効複雑性
計算された結果は、消去されるか、後の計算のためにフィードバックされるか、それが情報の運命。計算や分岐の積み重ねによって世界が成り立っているとしたら、今の世界は確率によって決定されたとも言えよう。サルがタイプした文字列と人間がタイプした文章の違いは何であろう。サルがタイプした文字列が、詩になる確率は?途方もなく小さな確率であろうが、ゼロとは言えまい。しかし、人類という知的生命体が誕生した確率だって似たようなもの。
ただ、この広大な宇宙空間に地球外生命体が存在するかどうか、しかも、それが知的生命体である確率は?と問えば、かなり高そうな気がする。互いの知的生命体が接触する可能性となると、途方もなく小さな確率になるかもしれんが...
物質の存在や存在の仕方を問えば、ランダム性という概念に遭遇する。ランダム性は複雑系とすこぶる相性がいい。宇宙における計算や分岐の方向は、ランダムに行われているのだろうか?それとも、なんらかの意思が働いているのだろうか?
そもそも、ランダムってなんだ?完全なランダムって、どんなランダム?なんらかの法則でランダムが記述できるとすれば、それはランダムなのか?
宇宙空間に存在する物質は一様に分布していない。銀河団のような塊が点在する。しかも、それぞれの重力法則に従って形を整えている。ランダムってやつは無秩序なのか?それとも、弱い秩序があるのか?
そこで、「有効複雑性」という概念が飛び出す。有効な複雑ってなんだ?手に負える程度に複雑ってことか?人間社会を機能させるのに、完全なランダムは必要ない。ランダムっぽく見えるだけで、かなり役に立つ。その意味では、極めて主観的である。客観性を重んじる数学が、主観確率と同居できるのも頷ける。
その証拠に、デジタルシステムの検証の場で、疑似ランダム生成器が幅を利かせている。それは、軽い秩序か?人生のコントロールには軽いアンダーステアがいい...
それにしても、確率には救われるよ。こんな天の邪鬼な性格も、どんな現象も確率のせいにすればいい。神はサイコロを振らない!と豪語した大科学者がいたが、神ほどのギャンブル好きも知らんよ...
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