2022-05-08

"ケインとアベル(上/下)" Jeffrey H. Archer 著

この作品に出会ったのは学生時代、三十年以上前のこと...
海外ドラマのシリーズ物として放送され、VHS に録画し、小説版を買いに走った記憶がかすかに蘇る。二十代は引っ越し貧乏で、その都度、書籍の群れを古本屋へ持ち込んだものである。ただ、こいつだけは蔵置したままと思っていたが、本棚に見当たらない。どさくさに紛れて処分しちまったか。ジェフリー・アーチャーの他の作品は何冊か残っているのだけど...
そして今、もう一度読み返したく、古本屋へ走る。なんと不合理な人生か。そもそも、推理モノを再読するという行為はどうであろう。一度読んだものを読み返すなんてことは、専門書でもない限り、滅多にやらないというのに...
同じ本を数年後にまた買って、あとで気づいて自分の馬鹿さ加減にうんざりするってことはよくある。いや、人間ってやつは時間とともに変わっていくし、同じ物でも違った光景が見えるかもしれない。ストーリーは分かっている。結末も分かっている。それでも衝動を抑えられずにいる。まったく天の邪鬼な性分ってやつは...
尚、永井淳訳版(新潮文庫)を手に取る。

ドラマを観るのと小説を読むのとでは、たいてい印象が違う。映像は分かりやすく、展開もコンパクト、一方、活字は思わせぶりが強く、周りくどい。それはメディアの性格によるもので、好みの問題もあろう。映像が原作を壊すってことはよくある。特に、推理モノの場合。しかし、この作品に関しては、うまく映像化されているように思う。互いに補完しあっているような。そして、活字を追いながら、バックグランドで映像を流すのも、なかなかの趣向(酒肴)。それで新たな発見が得られたかは知らんが...

「ケインとアベル」という名は、旧約聖書「創世記」の兄弟物語「カインとアベル」に因んで題されたと聞く。しかし、兄カインが嫉妬のあまり弟アベルを殺すあたりの展開は重なるものの、二人の相克な関係となると、かなり違って映る。
まず、時代背景を巧みに利用し、読者の想像力を掻き立てる点を指摘しておこう。二つの大戦という激動の時代に、タイタニック号に象徴されるヨーロッパ移民とアメリカン・ドリームを重ね、資本主義とマルクス主義の対立の中で、自由主義社会から見たイデオロギー的思想の勃興を物語ってくれる。
さらに、世界恐慌の震源地となったウォール街を背景に、貸し渋るだけでなく、保身のため資金回収に走る銀行家たちと、次々にビルから飛び降りる企業家たち。こうした背景だけでも、憎悪と嫉妬の渦巻く構図が見て取れる。そこに、ボストンの名門エリートと無一文でホテルの給仕から財を築くポーランド移民を対決させるという寸法よ。
アメリカは、二つの大戦と地政学的に距離を置いて戦禍を免れ、経済力を後ろ盾に超大国へのしあがっていく。
一方、ポーランドはドイツとソ連に分割統治され、おまけにヒトラーの侵攻とくれば、対立構図を煽る作品という意味でも、やはり大作と言えよう...

それで、どちらの肩を持つか、と言えば、嫉妬深い天の邪鬼だから、アベルということになる。男爵を笠に着せ、ホテル・バロンを名乗るあたりは、ちとえげつないにしても...
尚、バロンとは、男爵の意味。
しかしながら、読破した瞬間にケインに寝返ってしまうのも、天の邪鬼だから。悔やんでも悔やみきれぬ人生を物語れば、現実に引き戻される思い。この、してやられた感は、M にはたまらん。それも、脂ぎった社会を生きてきたということであろうか...

結末を予測するとなると、映像の方からは読み取りづらいが、活字の方はあちこちに布石を打っているのが見て取れる。
例えば、友人のホテルグループが、期日までに二百万ドルの返済が見込めず、抵当権が執行されようとしている時、突然、匿名で出資者が現れる場面。アベルがケインに喧嘩腰で電話をし、友人が自殺した事へ復讐する旨を伝える... という展開は同じにしても、その威勢をケインは不愉快に思うどころか、むしろ自信満々のポーランド人を逞しく見ている。
アベルの方も、ケインの経営する銀行株 6% を所有しながら、なかなか止めを刺そうとしない。尚、8% 所有すれば、役員の座を要求でき、ケインを辞任に追い込むことができる。残りの 2% も算段がついているというのに。
逆に、不安に思ったケインが先に動いて墓穴を掘ることに。しかも、らしくないやり方で。アベルと裏取引をしている議員との汚職の証拠を、匿名で司法当局へ送りつけたのである。人間とは奇妙なもので、普段沈着冷静な判断力の持ち主でも、自分の問題となると途端に鈍ってしまう。ケインは、いささか後ろめたさを感じ、アベルが刑務所に入らなかったことを安堵している自分を意外に思っている。
そして、とうとうアベルが残りの銀行株を取得するという切り札を出し、ケインは銀行を追い出されることに。
アベルもまた、最終的な勝利の満足感があまりに小さいことを知って意外に思っている。
ケインは根っからの銀行家であり、アベルもまた叩き上げのホテル王であったとさ...

ただ、これほどの泥仕合ともなれば、やはり、どちらかが死なないと終幕できないと見える。どんでん返しの展開なんてものは、最初の感動に過ぎず、もはやどうでもいい。本当の感動は、そこに至るプロセスに求めたい。二人を辛うじて救ったのは、互いの息子と娘が結ばれ、孫に後を託すことができたことであろうか。それで、映像と活字のどちらが好みか、といえば、やや活字の方か。おいらは、前戯好きだし...

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