2022-05-22

"「酒」と作家たち" 浦西和彦 編

昭和の文学運動は、プロレタリア文学にしても、新興芸術派にしても、機関紙などの雑誌に結集するところから展開されたという。その風潮は戦後も続き、雑誌には何か社会を動かす力があると信じることのできた、そんな時代である。平成、令和と続くグローバルなネット社会から眺めれば、なにゆえこんな媒体に... という感は否めない。しかしながら、昭和を生きた酔いどれ天の邪鬼の眼で大正から明治へ遡ると、骨董品のような古臭さを感じながらも文豪たる生き様に魅せられちまう。令和を生きる人も、昭和の文豪たちに文学たる何かを求めたりするのではあるまいか。酒は年月が経つほど味わい深くなるというが、文豪たちが放つ色彩にもそうしたものを感じる、今日このごろであった...


1955年、株式新聞社から「酒」という雑誌が創刊されたそうな。その頃、佐々木久子が入社したが、赤字のため一年で廃刊となり、彼女も解雇されたという。まだ戦争の余韻が冷めやまぬ時代、国民生活も貧しく、酒の雑誌なんぞを読む余裕のある人が少なかったと見える。
そこに、火野葦平の言葉「死ぬまで原稿を書いてあげるから」。このひと言に奮起した佐々木久子は、1997年まで独力で刊行し続けたという。
本書には、この雑誌に掲載された作家たちの酒縁(酒宴)が、三十八篇も収録される。


私小説がもてはやされた時代、小説家というのは、酒にだらしなく、性にだらしなく、金にだらしなく... そんな芸術家像を思い浮かべる。それも、身を削る思いで自己を曝け出した結果であり、小説家が特別というわけではあるまい。巷には、酒に逃げずにはいられない人生や酒に溺れる人生に溢れ、酒に命を奪われる人生だってある。
ただ、言葉を生きる糧にする芸術家だからこそ、余計に感じ入るものがあるのだろう。入水心中があれば、ピロポン中かアル中かも見分けられない死に様あり、陽気な酒豪が睡眠薬自殺をしたり、文壇には破滅型人間で溢れている。遺書には「将来に対する唯ぼんやりした不安」やら、「漠然とある不安のため」といったものも見かける。自我の征服に失敗すれば、その存在すら許せなくなるのだろうか...


「酒は人間と同じやうに、醜悪で動物的である。酒は人間と同じやうに、無邪気で天真爛漫である。すべてに於て『酒は人間そのものに外ならぬ』(ボードレール)それ故にこそ、人間性の本然を嫌ふ基督教が、酒を悪魔の贈物だと言ふのである。」
... 萩原朔太郎


一方で、執念で酒人生を全うした小説家たち...
酒の上で決して矩を超えない亀井勝一郎に、じっくり延々と飲み続ける横綱級の井上靖に、酒鬼!梅崎春生に... と。彼らは酒が好きなのか、酔うのが好きなのか。銀座のクラブで知的な話術でホステスたちを惹きつける高見順がローソク病を熱弁すれば、君に酔うのが好きなんだよ!なんて台詞も聞こえてきそうな...


「俺が酒を呑むのは、経済的スリラーを忘れるためや。寝るときも大コップ一杯のウィスキーを呑む。それで寝られんなんだら朝まで起きてな、しゃあない」
... 富士正晴


雑誌のタイトルからして、酒豪の武勇伝ばかりかと思いきや、まったく逆の下戸の逸話も...
川端康成は、一滴も酒が飲めないのに、酒席を楽しむ様は名人芸であったとか。大宅壮一も大変な下戸だったらしいが、夫人の方はイケる口らしい。漱石の芸ともなると、体質的にアルコールを受け付けなかっただけではモノ足らず、「吾輩は猫である」の猫がビールに酔って水甕に落ちてお陀仏ときた。彼の筆の酔いっぷりときたら...
酒を飲むとインスピレーションが湧くかもしれんが、それで文章が光彩を放つわけではあるまい。とはいえ、酒が飲めなくても、酒に関わることで筆の走りがよくなるということは、ありそうな話である。


ちなみに、亀井家の新年会では、太宰一派が猛威を振るったそうな...
「まだ日の暮れないうちから酒宴がはじまったが、いち早く集まってくるのが、太宰さんのまわりにいた人たち。つまり太宰の残党である。この一派は、酒が滅法強い。そして酔うほどに、話題はきまって太宰治である。太宰以外に、文学もなければ文学者もいない、といった勢いである。これでは、まるで太宰家の新年宴会である。... そしてたがいに酔うほどに、喧嘩口論がしばしば起こる。喧嘩をしかけるのは、きまって太宰一派。なにしろこの人たちは、太宰を自分の占有物と心得ているから、一派でもない評論家や作家の口から、太宰、という言葉が出るやいなや、きっとなって気色ばんでくる。ましてや、彼らが信奉している太宰論、太宰像と少しでも違った意見が出ると、猛烈に襲いかかる。こういうとき、亀井さんは決して止め男や裁き役にはならない。なるがままに委せて、ご自分はふだんどおりニコニコしているだけである。」

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