2022-11-20

"アジールと国家 - 中世日本の政治と宗教" 伊藤正敏 著

政治が歴史の表舞台だとすれば、こちらは裏舞台。だが、人間の本質を突いているのは、こちらの方やもしれん。
歴史書に触れれば、輝かしい政治指導者や華々しい権力争奪戦に目を奪われがちだが、その陰で真に社会を支え、静かに生きてきた無名の人々がいる。表通りは、なにかと騒がしい。SNS で無理やり繋がろうとする絆社会は、なにかと鬱陶しい。ならば、あえて静かな裏路地を歩いてみるのも悪くない...

どんな集団社会にも馴染めない人々がいる。周りにうまく溶け込めず、自然体でいることの困難な人々がいる。異端者やアウトロー、家庭環境や経済状態の過酷な者、ハラスメントやドメスティック・バイオレンスに苦しむ者、あるいは、犯罪に走ってしまう者や極道に身を投じる者など、その境遇は様々。中世武家社会には、戦に敗れ、身分を追われ、家柄や家系を隠して放浪した者も多くいたはず。誰もが安堵して暮らせる理想郷なんぞ、この世に存在しまい...

人は窮地に追い込まれると神に縋る。だが、神は消極的な人間がお嫌いと見える。神と交信できそうな寺院や神社が最初の駆込み場となるものの、そこも集団社会であることに変わりはない。平和と安住を求めて集まった人々が、突如として武装集団に変貌することもしばしば。
そうなると、集団の掟は却ってタチが悪い。息苦しい集団にしがみつくぐらいなら、孤独の方が合理的という見方もできよう。
とはいえ、面倒な縁をすべて断ち切り、自立して生きてゆくには勇気がいる。覚悟がいる。そうしないと生きてゆけないとすれば、社会から隔離した領域が生じ、世間からタブー視される。無縁所のような場は、人間社会には必要なのだろう。つまりは、個人にとっての聖域が...

伊藤正敏は、著作「寺社勢力の中世」の中でアジール的な性格を見い出しながら、「無縁所」という語を使っていた(前記事)。その理由は、寺社勢力が巨大な経済センターとしての機能を持ちながらも、権力や武力と無縁とは言えず、平和秩序の追求を目的とするアジールとするには、あまりに多くの不純物が含まれていると感じたためだという。
おそらく純粋なアジールなんて、この世には存在しまい。不完全な知的生命体が思い描いた理想郷なんぞに。本書は、中世の日本史をアジール論から再解釈を試みる...

さて、「アジール」とはなんであろう。この用語はギリシア語に由来し、「神聖な場所」、「統治権力の及ばない領域」といった意味があるらしい。オルトヴィン・ヘンスラーという人が、こんな定義をしたそうな。

「一人の人間が、特定の空間、人間、ないし時間と関係することによって、持続的あるいは一時的に不可侵なものとなる。その拘束力をそなえた形態」

このフレーズだけでも、ヘンスラーの書に興味が湧く。おいらは暗示にかかりやすい。但し、品切れで入手は難しそう...

まず、国家と一線を画す場とすることはできよう。そこには、不可触と不可侵という二重の意味が込められる。消極的な意味では、社会からの駆込み場、世間からの退避所といった暗いイメージもあるが、積極的な意味では、政治体制に束縛されない自由活動の場というようなワクワク感もある。その生命線は、暗黙の不入権ということになろうか。
アジール法は、実定法による秩序よりも、それを超えた平和秩序に属すという。法を制定する目的は、平和と人権を第一とするであろうが、法の精神だけを説いたところで現実感に乏しい。平和秩序のための武力保持は、自然に発する自己防衛意識の顕れであり、現代法でもその正統性が認められる。
法治国家という形態がたとえ表向きであれ、中世の時代にこんな領域が自然発生するとは、なんとも魔術的で呪術的ですらある。
中世日本の主役は、封建制を確立した武士階級というのが建て前とされるが、公家、武家、寺社勢力の三つ巴の時代という見方もできそうだ。そして、各々が対立しつつ補完しあって統治していたと。俗世間を逃れ、身分を超えた移民や難民の集合体が、第三勢力となって日本の経済センターを担っていたと。
いつの時代でも、経済ってやつは、あまり政府や官僚が口を出さない方が、自由にアイデアを創出し、活発にもなるようである。
本書が提示する「アジール ≒ 無縁所 ≒ 寺社勢力」という図式もイメージしやすい。そして、この領域に、民主主義の源泉と経済活動を背景にした自由精神の体現を見る思い...

「アジールは人々を魅了してきた。網野善彦『増補 無縁・公界・楽』(平凡社選書、1987年、初版『無縁・公界・楽』1978年)は、原始以来、人々の生活の中に脈々と生きつづけ、権力や武力と異質な自由と平和『無縁、公界、楽』、アジール的な世界を叙事詩さながらに描いた。現代人はどこかにこんな世界への憧憬を持っている。またこういう場が現代社会にもどこかにあると信じたい。」

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