2023-06-11

"分裂病と人類" 中井久夫 著

どんよりした薄曇りの中、いつもの古本屋をぶらり。すると、冒頭の一文に目が留まる。「分裂病...」の部分を薄っすら曇らせると、あらゆる場面で教訓となりそうな...

「これは分裂病問題へのきわめて間接的なアプローチにすぎない。しかしこのような巨視的観点から眺め直してみることも時には必要ではあるまいか...」

本書は、人間が本質的に抱えてきた分裂病を、歴史事象に照らして物語ってくれる。それは、思考や言語、知覚や感情などの歪によって特徴づけられる精神病の一つで、現在では「総合失調症」と呼ばれる。
歴史は告げる。文化を融合させてきた地域が、常に先進的であったことを。融合とは、改善、工夫を重ねること。
イスラム文化とギリシア・ローマ文化を引き継いだヨーロッパは、医学を進化させてきた。その背景で図書館が焼かれ、人も焼かれてきたが、この二元性こそ人類の分裂症たる所以。産業革命から疎外が生まれ、生産社会が異常者の許容性を狭め、フランス革命が恐怖政治を呼び込めば、フーコー風の狂気を覚醒させる。人類史に、分裂病の記念碑を見る思い...

「ゲーテの『ファウスト』が今日までヨーロッパの知識人にくり返し読まれているのは、いわばこの書がゲーテ自身の精神の遍歴であると同時に、近代への転機におけるヨーロッパ知識人の集団的自叙伝とでもいうべき含みがあるからではなかろうか...」

人類が地上に出現して以来、地理学的に大きく地球を変貌させた現象には、少なくとも三つあるという。第一に、最初の農民である焼畑工作民の出現で、地上の一次林を漸減し、絶滅へ向かわせたこと。第二に、遊牧民による過放牧で、多くの森林や草原を砂漠に変えたこと。そして第三に、資本主義であると...
人類は獣に狩られる立場から、獣を狩る立場へと鞍替えし、やがて農耕や牧畜を営み、定住するようになった。狩猟、採集の経済から生産経済への転換である。人類が育んできた集団性という性癖は、この過程で増幅させてきたと思われる。
そこで、「農耕社会の強迫的親和性」という用語が持ち出される。慣習の力は恐ろしい。集団性が絡むと、さらに恐ろしい。集団社会で育まれた慣習は、義務に昇華され、強迫観念にまで押し上げられ、村八分社会の誕生を見る。精神病の始まりがいつかは知らんが、集団社会の歩みとともにあったことは確かであろう。
精神の源泉とは何か。心の源泉とは何か。人が真に孤独なら、そもそも精神なんて機能を必要としないのやもしれん。精神を獲得しなければ、精神病を患わせることもなかろうに...

動物は、なんらかの病を抱えて生きている。肉体を獲得すれば、身体に付随する病を患う。一過性の病から慢性的な難病まで。完全な五体満足の持ち主なんて、そうはいない。精神を獲得すれば、精神に付随する病を患う。五体満足でも精神が病めば、そちらの方が深刻である。身体的な病は外面に表れ自覚もしやすいが、精神的な病は内面に籠もり自覚することも難しい。そればかりか、精神を病んでいるのはお前の方だ!と罵る始末。そうでなければ同情こそすれ、どうして腹を立てよう。
分裂病を患えば、そこに狂気が認められ治療が施される。だが、その治療法にも、非人間的に拘束するやり方と人間的に温和なやり方とが現れる。治療を施す医師も、分裂状態ってか...
そこで、精神病の治療には、医師ではなく哲学者があたるべき、という考えが古くからある。というより、医師は哲学する者でなければ、心理学者も、社会学者も、経済学者も、政治学者も... そして、数学は哲学である。さらに、哲学を伴わない科学技術は危険である、とまで付け加えておこうか...

集団社会もまた、あらゆる矛盾が渦巻き、まさに分裂状態!
超エリート経済学者が練りに練った経済政策は、ことごとく外れ、使命感に燃える政治家が案出した政策は、ことごとく裏目。科学の最先端を突っ走る物理学は不確定性に道を阻まれ、厳密性を重んじる数学ですら不完全性に見舞われる。学問全体が、いや、人間社会こそが分裂病を患っているのでは。ならば、個人が分裂病を患うのは、むしろ正気ということは。狂ったこの世で狂うなら気は確かだ!

本書は、分裂病の要因として「執着気質」に注目している。
ドイツではメランコリー型が注目され、怠惰が主な要因とされるらしいが、逆に、日本では勤勉さが要因とされるケースが多い。
人は誰もが、何らかのこだわりをもって生きている。信仰へのこだわり、儀式へのこだわり、ブランドへのこだわり... そして、人の目を気にする自意識へのこだわり、と。こだわりへの許容度が人格の度量となり、そのまま万病のもとに...

「執着気質の人が『頼まれたら断れない』という裏には世俗化された社会から自らを疎んぜられることの恐怖がある。職人根性の人は、むしろ安易な依頼をかたくなに断る。執着気質の人は、自己の作品の是認の基準を究極には周囲の人々に依存する。職人根性の人は、自らあきたらなければ、自己の辛苦の産物をためらうことなく破棄する。」

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