2023-06-25

"天才の精神病理 - 科学的創造の秘密" 飯田真 & 中井久夫 著

精神病理学の応用領域に、「病跡学(Pathographie)」というのがあるそうな。
"Pathographie" という語は、精神医学者メビウスによって編み出され、天才人の精神医学的伝記という意味が込められているとか。
当初、芸術家や思想家が研究対象とされ、科学者はあまり注目されなかったらしい。芸術家や思想家の天才ぶりは独特な個性によるもので、それは極めて主観的であり、精神性の研究にもってこい。
対して科学者はというと、客観的な法則を探究する連中で、一見、精神性に乏しそうに見える。しかしながら、法則や理論に至る過程では強烈な個性が発揮され、科学者のドラマティックぶりも負けちゃいない。
ただ、精神性の探究が精神病へ導くことと紙一重であることに違いはなく、芸術家や思想家同様、自ら命を絶つ者も少なからずいる。いつ何時、ぼんやりとした不安に襲われることやら...

アリストテレスは、こんな言葉を遺した... 狂気の要素のない偉大な天才は、未だかつて存在したことがない... と。天才とは、ある種の精神異常者を言うのであろうか。中には、自ら異常性を認め、あるいは、精神の避難所をうまく見つけ、発病の危機を免れる者もいる。ある者は小説を書くことに、ある者は音楽を奏でることに、ある者は絵を描くことに... それは、人間社会の煩わしさから逃れるためか。そして、科学に取り憑かれる者も...

科学者たちは、数学に没頭し、論理にのめり込む。論理には不意打ちがない。数学の定理にしても、容易く反証できるものではなく、実に安定している。そして、論理と数学で構築された科学の体系は、ある種の宇宙を築き上げる。不安定の渦巻く人間社会への恐怖心が、安定した宇宙法則を欲するのであろうか。
人間にとって想定外はすこぶる恐ろしいと見え、巷では怒号の嵐が吹き荒れる。なるほど、科学の体系は居心地が良さそうだ。孤高な研究室こそが我が聖域!こうして、人間嫌いを加速させていくのか...

科学法則の多くは、数学によって記述される。客観性において、数学は飛びっ切りの学問だ。自己の主観が手に負えないから、客観に逃れるのか...
数には、不思議な力がある。精神病患者や知的障害者は心が落ち着かないと、数を数え始める。ある種の儀式となって。サヴァン症候群のような突飛な能力の持ち主ともなると、数字が風景に見えるらしい。おいらも、デスクトップ上のスキャンカウンタをなんとなく見入ったりする。数には、なにやら心を落ち着かせるものがあるらしい。数は自己治療の処方箋か。万物は数なり!とは、よく言ったものだ...

さて本書は、六人の科学者の気質から「分裂病圏、躁うつ病圏、神経症圏」に分類し、自己形成の過程、独特な学問のやり方、内面から湧き出る創造性といったものを紹介してくれる。
六人とは、アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィン、ジグムント・フロイト、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、ニールス・ボーア、ノーバート・ウィーナー。
フロイトとウィトゲンシュタインを科学者とするのに、ちと違和感があるものの、フロイトが自然科学者として出発し、科学的な観点から精神分析学を創設したこと、ウィトゲンシュタインもまた数学者ラッセルに惹かれて論理学に傾倒し、論理哲学論考を書したことを鑑みれば、収まりもいい。
尚、著者は「てんかん圏」の科学者を加えることができなかったことを口惜しむ...

そして、それぞれの気質から研究姿勢の特徴を挙げている。
分裂病圏の学者は、直観的、体系的、世界超脱的、革命的といった特徴があり、ニュートンとヴィトゲンシュタインがこのグループに属すと。アインシュタインも、ニュートン力学同様、相対性理論という宇宙体系を構築したことで、このグループに分類している。
躁うつ病圏の学者は、経験的、感覚的、伝統志向的、斬新的といった特徴があり、ダーウィンとボーアがこのグループに属すと。
神経症圏の学者は、境界領域の探究、離れた領域の結合といった特徴があり、フロイトとウィーナーがこのグループに属すと。

分裂病圏の人は、精神的危機を局所化する能力が乏しいという。危機を局所化できなければ、全体に及ぶ。ゆえに、世界全体を創り変えなければ気が済まず、物理法則に体系化を求める才に富むということか。理想郷のようなモデルを夢想したり、誇大妄想や被害妄想に憑かれたりするのも、ある種の現実逃避やもしれん...
躁うつ病圏の人は、分裂病圏のような独自性や飛躍性はないが、まだ現実を見失わず、現実世界に庇護の場を求めて安住を図ろうとするという。勤勉、几帳面、徹底的といった執着気質も覗かせる...
神経症圏の人は、ちと異質で、社会的状況や歴史的背景をもって関連性を模索する傾向にあるという。あらゆる事象に関連性を求めるということは、孤立を極端に恐れているということか。不安神経症、強迫症、恐怖症、ヒステリー、心気症などの複雑な様相は、他との関係から生じる性質で、依存性に執着しているとも言えそうか...

「科学のあゆみを病蹟学の立場から眺めてみると、まず分裂病圏の科学者によって一つの学問の体系が一挙に創始され、躁うつ病圏の科学者はそれを肉づけ、現実化し、発展させたりする。また躁うつ病圏の科学者は科学的伝統の担い手となり、それを次代に継承する役割を果たしたり、ときには先行する学説や事実を統一して総合的な学説を編み出す場合もある。神経症圏の科学者のある者は、かけ離れた事実、異なった学問領域を架橋し、相互の連関をさぐる働きをするという印象がある。このように、科学の発展段階とさまざまの気質的特徴との出会いが人を科学へとみちびき、科学の歴史的発展を担う大きな要因の一つとなっているのではなかろうか。この仮説を跡づけることは、なお今後の研究に待ちたい。」

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