2025-07-27

"パーソナル・インフルエンス" Elihu Katz & Paul F. Lazarsfeld 著

社会学者ポール・ラザースフェルドは、コミュニケーションには二段の流れがあるという。そして、集団や個人の意思決定に関与するオピニオン・リーダーの存在を唱える。
ただ、原書の刊行は、1955年とある。既にこの時代に... これは、コミュニケーション研究を方向づけた記念碑的な書だそうな...
尚、竹内郁郎訳版(培風館)を手に取る。

「いろいろな観念はラジオや印刷物からオピニオン・リーダーに流れ、さらにオピニオン・リーダーから活動性の比較的少ない人びとに流れることが多い。」

ソーシャルメディアが勢いづく現在、個人への注目度が増し、インフルエンサーという用語が飛び交う。その道の専門家よりも洗練された情報や知識を伝える人も少なくないが、その一方でマスコミがマスゴミ化していく。戦時中、国民は洗脳されていたという評論を耳にする。だから、特攻のような無謀な戦術がまかり通り、侵略地で残虐行為が正当化された、と...
だが、それは本当だろうか?そして現在は?大本営は厄介な存在だが、大本営の乱立は、もっとタチが悪い。一本化していれば、欺瞞から逃れやすいものを。
そもそも人間社会において、まったく洗脳されていない時代ってあるのだろうか...

二段の流れ説は、情報源であるマスコミへの批判に対して、責任回避にも利用される。すべては自己責任で... と。そして、自己責任という用語まで、お前が悪い!という意味で使われる始末。
いまや、いいね!や星の数、あるいはクチコミやフォロワーが世論を煽り、所々にカリスマ師が湧いて出る。情報拡散は発信者自身ではなく、それを後押しする同調者たちが、いや、それ以上に反論者たちが、いやいや、理性の検閲官どもが... そして、あらゆるメディアで、コメンテータ排除論がくすぶる...

オピニオン・リーダーは、権限や制度が後ろ盾になった職務上のリーダーとは違い、インフォーマルな集団で発生するという。無秩序の中に秩序をもたらすとは、これぞ真のリーダー像か。彼らは、情報源となるメディアと情報消費者の間を媒介し、情報収集に重要な役割を担う。
しかしながら、その立ち位置は微妙で、世論の扇動者にもなりうる。それは、人の姿をしているとは限らない。商品や映画であったり、新聞やテレビであったり、書籍やネットであったり、様々な形に扮して仕掛けてくる。
ヤラセやサクラといった手口は古くから散見するが、情報過多の時代では、誇大広告のみならず虚偽広告やステルスマーケティングなど、手口はますます巧妙化していく。情報発信源ばかりか、オピニオン・リーダーの存在までもステルス化してりゃ、世話ない...

なにゆえ、人は情報に群がるのか。ただ知りたいだけか。それとも、情報を共有することによって自己の居場所でも求めているのか...
オピニオン・リーダーは、自分がリーダーであることを自覚している場合もあれば、無意識に行動している場合もあり、ある時は情報の発信源となり、ある時は着想の裁定者となり、ある時は思案の伝道師となる。
情報は言語や記号に形を変えてメッセージとなり、人は言葉に惑わされ、映像に惑わされる。言葉の暴力という形容もあるが、これほど力強いものはあるまい。小集団の中では合言葉や流行語が生まれ、帰属意識を高める。所有意識と相いまって。共感できる連中の中にいると居心地がよい。自己を意識すればするほど。人はみな、孤独ってやつが大の苦手と見える。
相互依存関係をもった人々は、相互に同調を要求するという。互いに類同性を維持しようと。類は友を呼ぶ... とは、よく言ったものである。

2025-07-20

"メディアの法則" Marshall McLuhan & Eric McLuhan 著

メディアとは、なんであろう...
巷では、マス・メディアという用語が飛び交い、もっぱら、新聞やテレビの報道の在り方、あるいは、ネット上で荒れ狂う虚偽情報との葛藤といった大衆媒体としての側面から論じられる。
だが、マクルーハン親子が論じているのは。こうしたメディア論とは一線を画す。普遍的と言うべきか、本能的と言うべきか。アリストテレスの伝統に倣い、メディア詩学とするべきか...
尚、高山宏監修、中沢豊訳版(NTT出版)を手に取る。

「次の世代のための科学と芸術と教育の目標は、遺伝子コードの解読ではなく、知覚コードの解読でなければならない。グローバルな情報環境においては、『答えを見つける』式の古い教育パターンでは何の役にも立たない。人間は、電子のスピードで動き変化する答え、それも数百万という答えに囲まれている。生き残れるか、コントロールできるかは、正しい所にあって正しい方法で探査(プローブ)できるか、問いを発することができるかにかかっている。環境を構成する情報が絶え間なく流動しているのを前に必要なのは、固定した概念ではなく、かの書物『自然という書物』を読みとる古(いにしえ)よりの技(スキル)、未だ海図のない、海図が存在し得ない魔域行く航海術である。」

メディアの法則は、四つの素朴な質問で構成される。
  • それは何を強化し、強調するのか?
  • それは何を廃れさせ、何に取って代わるのか?
  • それはかつて廃れてしまった何を回復するのか?
  • それは極限まで押し進められたとき何を生み出し、何に転じるのか?

本書は、この四つの問い掛けにテトラッド・アナリシス(Tetrad Analysis)を仕掛ける。良き質問は良き思考へ導く... と言わんばかりに。
テトラッドとは、生物学で言う四分染色体のことで、四要素の相同組換えをしながら解析していく。つまり、遺伝子解析の手法を文体構造の解析に応用しようという試み。ここでは二次元平面上に、上下に「強化」対「回復」、左右に「反転」対「衰退」を配置し、上下左右の関連性を考察していく。
例えば、アリストテレスの因果性では、目的因、質料因、形相因、動力因を配置。他にも、絵画の遠近法、記号論、動的空間、冷蔵庫、ドラッグ、群衆... さらには、マズローの法則、キュビズム、コペルニクス的転回、ニュートンの運動法則、アインシュタインの時空相対性など数十以上もの事例が紹介される。

「コールリッジが、すべての人間はプラトン主義者かアリストテレス主義者のどちらかに生まれると言ったとき、彼はすべての人間は感覚の偏向において、聴覚的か視覚的かのどちらかであるということを言おうとしていたのである。」

「メディアはメッセージ」であるという...
あらゆる人工物が何らかのメッセージを発するとすれば、そこには必然的に言語構造が見て取れ、その構造やパターンを通して世界を観てゆく。人類は、メッセージを伝えるための多彩な技術を編み出してきた。詩も一つの技術。心に響くように修辞技法を乱用し、回りくどい隠喩を用いた日にゃ... 結局は言葉遊びか。その言葉遊びこそが人の意識を高める。ルイス・キャロル風に言語遊戯に励み、ライプニッツ風に普遍記号に狂い...

一方で、真剣な物言いが人を追い詰める。他人ばかりか自分自身をも...
言葉の暴力という形容もある。集団社会では言葉の伝染が猛威をふるう。ネット検索は能動的な活動だけに、自分の意志で考えていると思い込みがち。扇動者にとって、思考しない者が思考しているつもりで同調している状態ほど都合のよいものはない。言語の発明が、人間をこんな風にしちまうのか。人類は本当に進化しているのか。人類は自然法則に反する存在になっちまったのか。神になろうとする野心家は、その反動で悪魔になっちまう...

「言語は、経験を蓄積するのみならず、経験をひとつの様式から別の様式に翻訳するという意味で隠喩である。通貨は技能と労働を蓄積するとともに、ひとつの技能を別な技能に翻訳するという意味で隠喩である。しかし、交換と翻訳の原理あるいは隠喩は、われわれの感覚のどれかを別な感覚へと翻訳する理性の力がこれを管掌するが、われわれはこれを一生のあらゆる瞬間にやっているのである。アルファベットであれ車輪であれコンピュータであれ、特別な技術的拡張物にともなう代償があって、それはこうした大規模な感覚拡張物は閉鎖系になるということである。」

2025-07-13

"グーテンベルクの銀河系" Marshall McLuhanl 著

グーテンベルクの銀河系... それは、活版印刷に始まったとさ。
発明者の名は、ヨハネス・グーテンベルク。著者マーシャル・マクルーハンは、この発明を境界に社会の大変革を物語る。活字人間の出現に、コピー世界の膨張に、そして、ルネサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学革命へと...
尚、森常治訳版(みすず書房)を手に取る。

歴史とは、言葉で編まれた閉じられた系とすることができよう。その記述が万民に広まると集団作用が働く。言語化は論理的思考を活性化させるが、その反面、言語量が増大すると集団意識を歪め、暴走を始める。詭弁が雄弁に語り、その語りに自我が飲み込まれ、沈黙の力までも押し潰していく...

「もし感覚器官が変るとしたら、知覚の対象も変るらしい。
 もし感覚器官が閉じるとしたら、その対象もまた閉じるらしい。」
... ウィリアム・ブレイク

活字はメディアを煽り、メディアは大衆を煽る。活版印刷の活用が拡張されると、言語統制が始まり、人々の世界観は固定化されていく。画一的な国民生活、中央集権主義、そして、ナショナリズムへ。だが同時に、個人主義や反体制意識を芽生えさせる。
そして、世界は二極化へ。人間ってやつは、なにかと善と悪で分裂させる二元論がお好きと見える。精神分裂病もまた、言語使用が招いた必然であろうか...

「言語は、経験を備蓄するのみならず、経験を一つの形式から他の形式へと翻訳するという意味でメタファーであるといえよう。貨幣も、技術と労働とを備蓄するだけでなく、一つの技術を他の技術へと翻訳するという点でやはりメタファーである。」

文字を発明すれば、それを刻む媒体を求めずにはいられない。活版印刷以前は、写本によって知識が伝授された。
だが、著名な図書館は焼かれてきた歴史がある。その代表格がアレクサンドリア図書館。ハインリッヒ・ハイネの警句が頭をよぎる。「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。」と...

写本が機械的に複写できるようになれば、たった一箇所の知の宝庫が焼かれても、人類の叡智はどこかに残る可能性がある。さらに大量生産の時代を迎えると、知識は庶民に広がり、広大な知の宇宙が形成される。おかげで、電車で移動中に本が読める幸せにも浸れる。
そして現在、知識の電子化が進むと、情報の嵐が吹き荒れ、マーク・トウェインの皮肉が聞こえてくる。「真実が靴をはく間に、嘘は地球を半周する。」と...

人間の成長過程には基本的な行為がある。幼児の学習は、大人の行為を真似ることに始まる。本能と言うべきか。大人だって、技術や知識を身につけるために熟練者や達人から学ぶ。教師となるものは、なにも人間とは限らない。ハウツー本は、いつも大盛況。恋愛レシピから幸福術、人生攻略法まで...
感受性豊かな人間ともなると、哲学者が語る曖昧な言葉までも金言にしちまう。人間の認識能力が記憶のメカニズムに頼っている以上、人間は過去から学ぶほかはない。ダ・ヴィンチも、ラファエロも、ミケランジェロも、偉大な作品を写生することによって技術ばかりか、自ら精神を磨いた。もはや純粋な独創性なんてものは、幻想なのやもしれん。ましてや情報過多の時代では、健全な懐疑心を持つのも、啓発された利己心を保つのも難しい...

「弁証法は技術の技術であり、また科学の科学である。それはカリキュラムのあらゆる主題を貫く原則へ導く道である。なぜならば弁証法のみがほかのすべての技術の諸原則についての蓋然性を論ずるのであり、かくて弁証法はまずもって学ぶべき最初の学でなければならない。」
... ペトルス・ヒスパヌス「論理学要目」より

2025-07-06

"孤独な群衆(上/下)" David Riesman 著

世間で忌み嫌われる孤独。孤独死ともなれば、最悪の結末のような言われよう。しかしながら、集団の中にこそ孤独がある。
人間の性格には誰でも、ナルシス的な側面もあれば、独善的な側面もある。結局は、自己存在に対する意識の持ちよう。こうした性格をいかに克服するか。しかも、自問の過程で...
芸術の創造性は、たった一人のひたむきな情熱によって生み出されてきた。寂しささを知らなければ、詩人にもなれまい。満たされた人間には、悲痛感慨な文体を編むこともできまい。

人間ってやつは、何かに依存し、影響し合わなければ生きてはゆけない。たいていの人は社会福祉制度にたかり、属す集団を頼みとし、集団意識に縋って生きている。
アリストテレスは、人間をポリス的な動物と定義した。ポリス的とは、単に社会的というだけでなく、互いに善く生きるための共同体といった意味を含むのであろう。だが、実際は依存意識がすこぶる強い。ならば、何に依存して生きてゆくか...
ディヴィッド・リースマンは、「自律性」を強調する。うん~... これが最も厄介な代物。孤独を克服できれば、孤独死ですら理想的な死となるやもしれん...
尚、 加藤秀俊訳版(みすず書房)を手に取る。

「人間の敵たりうるのは人間だけである。人間の行為や生活の意味を奪うことのできるのは、かれじしんだけなのだ。なぜなら、その意味の存在を確認し、自由という現実の事実として、それを認識できるのは、かれだけだからである。」
... シモーヌ・ド・ボーヴォワール

リースマンは、人間の性格を大まかに「内部指向型」「他人指向型」に分類し、この二つの型に社会を特徴づける三つのタイプ「適応型、アノミー型、自律型」を絡めながら論ずる。
内部指向型の人間は、自分自身を人間以外の対象物との関係において考えるという。組織の中で、人との協力関係よりも、技術的、かつ知的なプロセスとして捉える傾向がある。
対して、他人指向型の人間は、仕事や組織を人との関係において考えるという。自我にはっきりとした核を持っていない。だから、自我からも逃避することができない。
世間体を気にする傾向が強いのは、他人指向型であろう。自律性においては、内部指向型の方が優位にも見える。だが、自己優越感は内部指向型の方が強く、客観的な視点から発する謙虚さでも優位とは言えない。

内部指向型は、農村部の伝統指向とも相性がいいらしい。頑固オヤジといった形容も当てはまりそうな。他人からの批判を恐れ、自己批判によって自己防衛する傾向もある。
他人指向型は、情報過多な大都市部に多いタイプだという。情報に敏感なのは、流行遅れを恐れてのことか。評判やカリスマ性に群がり、個人の思考が一本化して集約される傾向にある。人気投票的な消費行動を旺盛にし、ベストセラーに群がる傾向あり...

結局、自律を目指すのに、どちらの型が優位ということではなく、己を知るという問題を抱えたまま。そして、適応と自律を欠けばアノミーへ。自己を見失い、自己を破滅させるのは、型の問題ではなさそうだ...

「個人主義とは、ふたつのタイプの社会組織のあいだの過渡的な段階である。」
... W. I. タマス

また、本書に散りばめられる挑発的で皮肉じみた用語が目に付く。とりあえず、「内幕情報屋」「メッセージの卸し問屋」「まやかしの人格化」といったところを拾っておこう。
昔から蔓延る道徳屋は、内部指向型の傾向が強く、ネット社会でも理性の管理者となり、誹謗中傷で凶暴化する。
対して、内幕情報屋は、他人指向型の傾向が強いという。要人との人間関係から内部情報に詳しいだけで済む場合と、あわよくば間接的に要人を動かして社会を支配しようとする。そうした人間は、その種のサークルを作るという。記者クラブもその類いか。情報理論によると、メッセージにはノイズが交じることになっているが、現代風に「マスゴミ」という形容も当てはまる。
但し、超一流の扇動者は、けして嘘をつかない。些細なニュースを大袈裟に持ち上げ、重要なニュースをささやかに報じる。これが、世論を扇動できる報道原理か...

とはいえ、真実が必ずしも真実らしく見えるとは限らない。嘘の方が真実っぽく見えることも多々ある。現代社会では、真実っぽく見せる技術が重宝される。言葉を商品とすれば、コミュニケーション産業の小売業者となり、言葉を武器とすれば、特殊工作部隊の最前線を行く。
ネット検索ともなると能動的な活動だけに、自分の意志で考えていると思いがち。だが、思考しない者が思考しているつもりで同意している状態ほど、扇動者にとって都合のよいものはない。
では、マスコミを扇動しているのは誰か?広告屋か?それとも他に黒幕が?それこそ群衆自身なのやもしれん...

「現在にあっては人と同調しないこと、慣習の前にひざを屈しないことはそれ自体、ひとつの奉仕である。」
... J. S. ミル