2007-10-28

"世界史の流れ" Leopold von Ranke 著

ある歴史小説を読んでいるとランケに触れられていた。なんとなく昔の記憶が蘇る。ランケの「世界史」が未完に終わったという話を知ったのは学生時代である。当時、ランケの全集に挑戦しようと大学の図書館をあさったものだが、思うように見つけられなかった。その頃を思い出してアマゾンを放浪する。岩波文庫の「世界史概観」あたりが中古で出ている。んー!いまいち酔えない。実は他にも探している歴史古典がある。アル中ハイマーが読みたい本はロングテールの法則にも従わないようだ。とりあえず本書でも読んでみよう。

時代は、フランス革命、ナポレオンを経て、君主制から共和制、そして人民主権へと流れる。1854年バイエルンの国王マクシミリアン2世は、ランケに世界史の連続講義を依頼する。国王にとっては、ヨーロッパで革命の気運が高まる中、君主制の危機に迫られてのことだろう。本書はその19回におよぶ講義録で、古代ローマからその時代までのヨーロッパ史を展望する歴史叙述である。キリスト教やイスラム教が生まれてヨーロッパで宗派が確立した時代でもある。本書を概観すると、ヨーロッパの歴史は宗教に基づいた歴史でもあることがうかがえる。著者は、ヨーロッパ諸国はキリスト教諸民族を一体化した一つの国家として考えられるべきであると主張している。なんとなくEU統合を予感させるような発言である。

著者は、世界史を講義するにあたって、どこまでさかのぼるべきか?という考えを大切に扱っている。要するに歴史から何を学び、現在をどう生きるかをテーマとしなければ意味がない。まず、時代の価値を考察する上での哲学から述べられる。歴史の講義はこうでなくてはいけない。そして、当時、影響が強かった古代ローマ帝国までさかのぼることへの意義が語られる。古代史はローマへ流れ込み、近代史はローマから流れ出ると評している。全ての道はローマへ通ずるというわけか。
学校教育にも歴史科目があるが、決まって石器時代やら猿人までさかのぼる。歴史から何を学ばせるかという課題は、教える側の腕の見せどころでもあろう。にも関わらず、受験に追われ必ず現代はおろそかにされる。全てを概観すれば中身が薄れるのは当然である。歴史は次から次に生まれてくる。現代人はますます苦悩が増える。ついには歴史をつまらないものにする。

講義は、精神の進歩における哲学から始まる。精神の進歩は個人では限界がある。人の寿命は短い。より高い精神を求めるならば、人類として受け継がなけらばならない。ただ、悲観的な話もある。著者は、人間の精神は常に進歩するわけではなく、精神の向上は歴史では説明がつかないと主張する。繁栄を極めた後に野蛮に立ち戻った例も多い。歴史は個々の時代で、その固有の価値を認めるべきだと語られる。
哲学では、プラトンやアリストテレスを凌駕した例を知らない。政治学では、基本原理は古代人によって示されている。歴史も同じで、トゥキュディデスより偉大な歴史家はいないと述べている。しかし、古代人よりも豊かな経験から、いろいろな試みができるのは確かである。歴史からは「進歩」という概念は否定されるべきであるという主張には、説得力がある。
では、歴史の復習を兼ねて泡立ちのよさそうなところを章立てて見よう。なぜかって?そこに泡立ちのいいビールがあるから!

1. ローマ帝国の評価
ローマ帝国はアレクサンドロス大王やその後継者たちによって建設されたギリシャ的、マケドニア的、東方的帝国である。その中でも東方主義の最も重要な諸要素をとり入れた帝国であると評している。東方とは、宗教上の対立が見られるユダヤ人とエジプト人、あるいはアッシリアやバビロニアと接している諸国である。東方では宗教上は対立していたが、政治的には一致してギリシャを敵と見なしていた。ペルシャは巨大な王国として君臨し、その支配を免れたのは遠方のカルタゴ人ぐらいなものである。ローマ人はユダヤ人と対立したが、ユダヤ人の中から世界宗教の理念が出現する。ユダヤ人は神を唯一性という理念を保持したが、それよりもむしろ一つの国民的な神とみなしたキリスト教が現れた。キリスト教はローマ帝国を席巻する。キリスト教を世界的言語で広め、世界宗教の地位に押し上げたローマの功績は大きい。しかし、本書は、世界的にローマの政治、法律などが広まったのは、二つの民族の侵入によるところが大きく、むしろ征服された後に開花していると述べている。民族の侵入とはゲルマン民族の移動と、アラビア人の侵入である。

2. 民族進入によるローマ文化の広がり
ゲルマン人については、世襲的忠誠の原理を評価している。主従関係こそローマに見られない強固な団結力であるからである。ゲルマン民族の移動は、最初のはずみはゴート族から生じる。黒海沿岸でフン族と紛争を起こす。フン族は東ゴート王を倒し、西ゴートを圧迫する。西ゴートはローマ帝国に避難所を求め、ローマはこれを拒まなかった。西ゴートは、ローマ属州が提供した食糧と引き換えに小児や家畜を取り上げられて紛争を起こす。そして、ローマ皇帝ヴァレンスは殺され、ゴート族が勝利する。この大混乱の間に、ゲルマン諸族はそれぞれなんらかの運動を開始する。ゲルマン民族の侵入によりローマ帝国は破壊されたが、属州民はなんらかの形で平和裡に征服者と結びつき新しい諸国民が生まれた。ゲルマン民族の侵入は、東方から完全に分離し近世ヨーロッパの原形を成す。
アラビア人の侵入については、イスラム教徒の影響を物語る。6世紀に、ユダヤ教やキリスト教、その他の宗教にも親しもうとしない一派が生まれた。マホメット率いるイスラム教である。彼らは、東ローマとペルシャの両方と戦いを続ける。東方では、イスラム教に屈従するのが原則で、イスラム信仰を公言しない者は国政にも軍事にも参与できない。西方では教会と国家が国民化されるが、東方では国家も教会も人民の低層にまで及ばない。東方の発展に対して西方が優勢になったのは、この点が大きいと考察している。東方も栄華をみせたが西方の発展は実質的である。キリスト教の活動は比較的低階層の人々においている。これが近世ヨーロッパと、トルコを含む中東の二つの基本社会の枠組みである。

3. 皇帝と教皇の争い
カノッサの屈辱は、神聖ローマ皇帝、と言っても強固なドイツから選ばれているので、ドイツ皇帝とローマ教皇の意地の張り合いである。結局皇帝側が頭を下げるのだが、イギリスにおいても、教会と皇帝の間で似たような覇権争いが起こり、教会側が勝利している。ヨーロッパ各国で教会側の覇権が強い時代となる。11世紀になると西欧キリスト教の指導者は皇帝ではなく教皇であった。かつてイスラム教が侵略勢力として登場し、ローマ帝国の領土を席巻したことを思い浮かべて、侵略された地域を奪還しようという考えが生じる。これが十字軍である。十字軍の意義は、西欧の諸帝国の東方に対する偉大な共同事業であると考察している。エルサレムを征服し一連のキリスト教公国が建設されると、教皇の権力を著しく増大させた。しかし、二次、三次と十字軍は全アジアに一致して抵抗されたため、パレスティナは再び失われる。十字軍の失敗は、むしろ教皇たちにとって好ましい結果だったのかもしれない。というのも、引き続きヨーロッパを動かす理由を持ちつづけることができるからである。15世紀から17世紀にかけて、大航海時代に入るが、いずれも宗教的に制覇しようとしたもので、いずれイスラム教の地を挟み撃ちにでもしようと企んだものである。ゲルマン風西方宗教と、アラビア風東方宗教の争いの歴史である。その中で皇帝と教皇の覇権争いは、西方キリスト教の内部紛争である。ヨーロッパの歴史は、政治や宗教の歴史であり、歴史的にみても政教分離とは程遠いもの思える。

4. ルターの本質
現代においても、カトリック派とプロテスタント派は、国連決議などで意見が対立するのをよく見かける。プロテスタントの源流を作ったのはルターであるが、その本質を語ってくれる。カトリックの教権の基礎をなす教説、すなわち教皇の決定や宗教会議の決議には直接神の考えが現れるという教説に反対していただけで、教権は聖書に基づくべきであると主張したにすぎない。ルターは聖書を重んじただけであり、なにも伝統に反対したわけではない。もちろん新しい宗教を興そうとしたわけでもない。教皇組織の横暴な振る舞いに対して聖書に立ち返り、改革しようとしたものである。また、聖書を現実化しようとしたのでもなく、聖書に反するものを除こうとしただけである。最初から一つの教会を樹立しようとしたものではないと語られる。
カトリック教会は横暴さは科学にも向けられる。科学者も一つの異端教徒とでも考えたのだろう。天動説を否定したガリレオは処刑された。

5. 列強の登場
17、18世紀になると宗教の争いから哲学や自然科学へと進展する。精神は神学から離れる傾向をとる。自由で制約を受けない立場で物事の本質を研究する時代がくる。スペイン無敵艦隊は、カトリックの発展と振興を主目的としていた。その意図が失敗に終わって次第に崩壊する。その頃オランダが通商貿易によって台頭する。通商や産業はスペイン人にとって性に合わない。この頃スペインを屈服させたフランスが列強となる。フランスは、かつてヨーロッパにない君主制を発展させる。ルイ13世が君主制の確立者である。ルイ14世は、全ヨーロッパにわたって侵略をほしいままにした。彼はフランスの堅固な国境を作ろうとし、優れた実務家でもあり、その功績は大きい。自制というのは何人も抵抗することのできないような絶対的独裁権力にとっては危険な存在である。ルイ14世はこの自制を問題にもせず自らの利害の欲するままに行動した。著者は、以下のように評している。
「もしルイ14世にして、度を過ごすことがなかったならば、あらゆる時代の最大の偉人の一人として仰がれたであろう。」
この頃は、5つの列強が肩を並べた時代でもある。カトリック的君主制の原理に立つフランス。ゲルマン的、海上的な、また議会制の原理に立つイギリス。スラブ、ビザンツ的原理に立ち、物質的な面で西欧文化を摂取しようとしたロシア。カトリック的、君主的、ドイツ的原理に立つオーストリア。ドイツ的、プロテスタント的、軍事的、官僚的原理に立つプロイセン。

6. 改革の時代から立憲政治へ
君主制から共和制に移り変わるころ、権力は下から生じるべきものという意識が高まる。世襲的権利から大衆から生まれる権利への転換期であり、アメリカ独立戦争やフランス革命として育てられる。フランス革命時に、反対派はことごとく処刑される。意見の合わないものも処刑する。まさしく恐怖政治である。人民主権は一見耳に優しい響きであるが、実体は少数派を弾劾するなど、人間の本質である残虐な集団心理が働いた結果である。そして、一度大幅に振れた振り子は元に戻ろうとする。ナポレオンの登場で君主制の復活を見る。彼は王政復古など考えもせず自ら皇帝となる。ナポレオンの失脚後、ヨーロッパで君主制と民主制の対立しない国はなくなった。君主制と民主制、上からの世襲的傾向と下からの自治的傾向、これら二つの原理を結びつける努力が始まる。こうして生まれたのが立憲政治である。この頃、ブルボン家が立てた旧憲法では秩序を維持することはできなかった。

ランケは、人民主権のみを主流的傾向として捉えるべきではないと主張する。君主制と人民主権の二つの原理の緊張感にこそ、これからの政治の傾向があると見なしている。君主は人民権を育て、人民の主張が君主の意識を高める。そこには、政治と宗教の関わりもある。民主主義の発達のみが、人間の精神を高めるものではない。時代が後になれば道徳的に程度の高い人間が増えるということは必ずしも認められない。現世代が前世紀よりも知性の高い人の数が多いとは思わないと語る。
最後にランケの言葉をメモっておこう。
「人は、歴史に過去を裁き、未来の益になるよう同時代人を教え導くという任務を負わせた。しかし、本書の試みはそのような高尚な任務を引き受けるものではなく、ただ、事実は本来どうであったかを示そうとしたに過ぎない。」
感情論に支配された歴史には、どんな重大事項であれ色あせてしまう。水のような原酒にこそ味わい深いものがある。ただ、アル中ハイマーはこれに「熟成」という概念を加えたい。

0 コメント:

コメントを投稿