2009-05-03

"新編 悪魔の辞典" Ambrose Bierce 著

「悪魔の辞典」で知られるジャーナリストのアンブローズ・ビアス。そこには、薬草の香りがプンプンする笑劇の世界が広がるとともに、絶望感に苛まれるニヒリズムがある。辞典形式による風変わりな試みは、社会の反抗分子であるアル中ハイマーのストレス解消に効く。今宵は、ビターズをたっぷりと効かしたジンベースの辛口カクテルを味わっている気分である。

本書は、ビアス著の「冷笑家用語集」と「悪魔の辞典」に、アリゾナ州立大学名誉教授アーネスト・ジェローム・ホプキンス編著「増補版 悪魔の辞典」を加えた三冊の中から、訳者西川正身氏が厳選したものだそうな。ちなみに、レイモンド・スマリヤンは、その著書「天才スマリヤンのパラドックス人生」の中で、「悪魔の辞典」の中のお気に入りとして、論理学の定義を紹介している。
「論理学とは、人間の誤解の限界と無能力性について、厳密に推論および思考する学問。論理学の基礎は、大前提、小前提、結論から構成される三段論法である。一例を挙げよう。
大前提: 60人の人間は、1人の人間の60倍の速度で仕事ができる。
小前提: 1人の人間は、60秒で1個の穴を掘ることができる。
結論: 60人の人間は、1秒で1個の穴を掘ることができる。」
おいらは本書の訳より、こちらの方が好きだ。

本書で登場する意味や用例は、当時の社会事情を理解していないと、分かりにくいものもある。著者は、社会風潮やジャーナリズムの動きを通して、近代文明に疑心を抱いているかのようだ。時代は20世紀の夜明け、急速に発展した近代文明が、やがて戦争と殺戮の世紀へ向かう予感を覗かせる。また、著者自身が結婚でうまくいかなかったせいか、女性蔑視も現れる。その一方で、人生論を語り、ビアス哲学を垣間見ることができる。それは、文明の終結や人生の終結は必ず訪れることへの心構えといったところだろうか。自らの思考で、前提があって結論に辿り付くことができるならば、まだ幸運である。だが、思考の多くは、前提もなく結論に辿り付くことさえできない。人間の生は不公平で不平等にできている。だが、人間の死は公平で平等に訪れる。そして、死はその人独自のものである。人生の意味を躍起に探求したところで見つかるものではない。どんなに学識のある人間でも、物事を理解している人間などいない。本書は、物事を知らないことを自覚しているぐらいでちょうどいいと教えてくれる。

ところで、「辞典」とは何か?その役割とは?
本書は、辞典の役割が、もはや記録を残すことを超えて、柔軟性を硬直させ言葉の成長を妨げていると辞典編纂者を痛烈に批判する。その体系を機械的なものにしようとする有害な野郎と!
「ある一つの言語の自由な成長を妨げ、その言語の弾力のない固定したものにしようと案出された、悪意にみちた文筆関係の仕組み。とはいうものの、本辞典に限り、きわめて有用な製作物である。」そして、「たわごと」「すばらしい出来映えの本辞典に対して唱える異議の数々。」と定義している。
辞典を完成させた者は権威者とみなされる。まるで一種の司法権があるかのように。しかも、世間はそれが法令であるかのように位置付ける。辞典には、その時代に意味する事柄を記録として留める役割がある。とはいえ、言葉は発達していくもので、辞典を掟とすることもできないだろう。辞典が優れた単語に「廃語」の刻印を押したら、それで最後、もはや一般の用語として復活することは難しい。辞典を神のように崇めた時、かくて言語の貧困化は促進され堕落の一途を辿るのかもしれない。言葉の使い方も、人によって様々である。そのニュアンスも微妙に違う。「赤い」という形容をひとつとっても、情熱を感じる人もいれば、血なまぐささを感じる人もいる。アル中ハイマーはブラッディ・マリーが飲みたくなる。ちなみに、鏡の向こうの住人は、赤い顔をしてなにやらつぶやいている。

本書には、洞察力のある人が辞典に載っていない単語を使うと、批難を浴びせかけるような様子が描かれる。ビアスの生きた時代に、ちょうどジャーナリズムに絶望するような転換期があったのだろうか?そう言えば、次の世代を生きたウォルター・リップマンは、その著書「世論」の中で、ジャーナリズムの本質は人間の理性にかかっていると悲観的に結論付けていた。ビアスは、社会風潮を嘆きながら「悪魔の辞典」を誕生させたのかもしれない。

本書の中で、特に気に入った問答がこれである。
「好み」の中の一節。「古代の哲学者が、生は死と同様、無価値なものだ、という確信を説いて聞かせたところ、それではなぜ死んでおしまいにならないのですか、と弟子の一人がたずねたので、答えて曰く、死が、生と同様、無価値なものだからだ。ただし、死は生よりも長続きするものである。」

それでは、なんとなく辛辣の効いたところを軽く摘んでみよう。なぜかって?辛さの効いたカラムーチョをつまみに飲んでいるから。尚、以下の分類は気まぐれである。本書は五十音順であるところに少々読み辛さを感じる。

1. 哲学
エピグラム...散文あるいは韻文を用いた辛辣な寸言のことで...
ここでは、ジャムラック・ホロボム博士の記したものを紹介している。その中で気に入ったところを摘む。
「男はよく言う。妻を選ぶのだと。馬はよく言う。持主を選ぶのだと。」
「君は自分を傷つけた女を殺すことは許されない。だが、女は1分ごとに年をとって行くものだと思考することは一向に禁じられていない。こうして君は1日に1440回も仕返しができるというものだ。」
「女と最も折り合いよくやって行けるのは、女なしでもやって行くことが最もよくできる男。」
「私は誰でしょうか?と目を覚ました死者の魂が尋ねた。それだけはここでは知ることを許されていないのだ。と天使は微笑しながら答えた。何しろここは天国なのだからな。」
「我々は天上の学園を二度、目にする。青春時代にはそれを人生と呼び、老年時代にはそれを青春と呼ぶ。」


過去...
「過去と未来は、永遠の二大区分であるが、その性質は完全に異なっていて、前者は片時も休まずに後者を抹殺しつづけている。前者は悲しみと失望とで暗く、後者は繁栄と喜びとで明るい。だが、過去は昨日の未来であり、未来は明日の過去であって、結局、両者は同一のもの。」


真理...
「願望と見掛けとを巧みに合成して作り出すもの。真理の発見は哲学が唯一の目的とするところであるが、その哲学たるや、人間の精神の営みの中で最も古くからあるものであるばかりでなく、今後もいよいよ活発さを加えながら、時の終わりまでも存在しつづけそうな見込みが十分にある。」


聖職者...
「自分は天国に至る道のインコースを走っている者であると主張し、かつその道を通る者に通行料を課したいと思っている紳士。」


黙示録...
「使徒ヨハネが自分の知っていることは全部隠してしまって、何一つ書いていない書物。啓示なるものは、まるで物を知らぬ注釈者の連中がやった仕業である。」


無宗教...
「世界中の偉大な信仰の中で最も重要な信仰。」


理性...
「偏見に対する偏った好み。」


2. 社会
議論...
「他の人びとの思い違いをいよいよもって強固なものにしてやる方法。」

そう言えば、朝まで生...とかいった深夜の討論番組があったような。あっ!思い出した「朝まで生ビール」だ。

殺人...
「殺人には四種類ある。すなわち、凶悪な殺人、ゆるすべき殺人、正当と認め得る殺人、賞賛に値する殺人。だが、どの種類に属しようとも、殺される当人にとっては大きな問題ではない。かような分類は、もっぱら法律家の便宜のために設けられているのである。」


責任...
「自分の肩から取り下ろして、神なり運命なり宿命なり廻り合わせなり、あるいは隣人なりの肩へ容易に移すことのできる重荷。占星術が行われた時代には、星に肩代わりをしてもらうのが普通だった。」


平等...
「政治では、想像上の一つの状態を指して言うが、その状況の下では、脳味噌ではなくて頭蓋骨が重要視され、功績はくじで決定され、昇進という形で罰せられる。この原理の論理的帰結は、結局、官職に就くのも刑務所に入るのも、交代制が必要となる。人はすべて投票する権利が平等に与えられているのだから、官職に就く権利も平等で、有罪判決を受けるのも平等でなければならない。」


批評家...
「自分の機嫌を取ろうとしてくれる者が一人もいないところから、おれは気難しい男だと自負している輩。」


豚...
「食欲がすばらしく旺盛な点で、人類に極めて近い動物。ただし、その食欲の範囲は人類に劣る。豚を食べることだけは躊躇するから。」


3. 政治
愛国者...
「部分の利害の方が全体のそれよりも大事だと考えているらしい人。政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人。」


海賊...
「征服者の一種。ただし、その仕事の規模はささやかなもので、併合ないし略奪しても、規模宏大な場合とは違って、その行為が正当化される特典は与えられていない。」

なるほど、これが国家ならば正当化されるわけだ。植民地時代を暗示しているような。

全権を有する...
「完全な権限を持つ。全権公使とは、けっして行使しないという条件で、絶対権を持つことになった外交官。」


戦争...
「平和の策略が生み出す副産物。」

本書は、政治情勢が危機に直面するのは、国際親善の時期で、「治に居て乱を忘れず」という言葉は、深い意味があると語る。なるほど、変化こそが永久普遍の法則であり、平和の土壌は戦争の種が一面に蒔かれた状態で、いつ芽が育つか分からない。

先例...
「法律関係で一定の成文法がないところから、裁判官がその欲に欲するままに勝手な効力と権威とを賦与し、仕事を簡易化することのできる慣例。裁判官は自分の利害に反する先例は無視し、自分の欲求と一致する先例を強調すればそれですむ。先例が発明されたおかげで、法律による裁判は偶然に頼る試罪法という低い地位から、自分の思うところへ持って行ける裁定という高潔な態度にまで高められることになった。」


保守主義者...
「現存する弊害を新たな弊害をもって代えたいと願う自由主義者に対して、現存する弊害に魅せられている政治家。」


仲裁...
「問題のそもそもの発端である論争の代わりに、その論争をどのような方法で解決に委ねるか、その方法について当然起こらざるを得ない数多くの意見の相違を持ち出すことによって紛争をかえって助長させる近代的な工夫。」


歴史...
「大抵は悪者である支配者と、大抵は愚者である兵士とによって惹き起こされる、大抵は重要でない出来事に関する、大抵は間違っている記述。」


4. 経済
ウォール街...
「ありとあらゆる悪魔が批難攻撃する罪のシンボル。ウォール街は盗賊の巣窟なりとするのは、成功を収め得ない盗賊にとっては、そのいずれ者にも、天国に行ける望みの代りをつとめてくれる信念であって、かの偉大にして善良なアンドルー・カーネギーでさえ、そのように信じると公言している。」


銀行預金...
「銀行を支えて行くために行われる慈善の寄付。」

なるほど、銀行屋は他人資本を自己資本と言い換えて、自己資本比率などという指標を使う。

金銭...
「そいつを手放す場合を別にすれば、いくら持っていても、何の利益ももたらさないという結構な代物。教養のしるし、また、社交界への入場券。持っていても苦にならない財産。」


土地...ちょいと長いので要約すると。
「土地は完全に個人の所有権および支配権の下にある財産なりとする説は、近代社会の基礎をなす。だが、論理的帰結では、この説は、一部の者に他の者が生きていくのを妨げる権利があるということになる。所有する権利とは、独占する権利を意味するからである。事実、土地の所有権が認められている所では、どこでも不法侵入の法律が設けられている。土地を所有しない者には存在する場所すらない。そもそも生まれてくる場所すらない。」

儲かる...
「商品を卸で盗んで、小売で売る。」

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