2009-09-20

"高校数学でわかるボルツマンの原理" 竹内淳 著

ブルーバックスの「高校数学でわかる...」シリーズは、なんとなく買ってしまう。大学時代に数学で挫折した人間は、このフレーズにいちころだ。おまけに、ボルツマンというと、電子工学を専攻して、物性や半導体工学の単位を取るのに苦労した記憶が蘇る。当時は、意味も分からず丸暗記で誤魔化したものだ。というより、教授のお情けで卒業できたのであった。その教授が作成する試験問題は10問ぐらいあって、1問目の答えを利用して2問目、2問目の答えを利用して3問目...という具合にカスケード構成となっていた。つまり、1問目を間違うと全滅する仕掛けだ。前期の試験で失敗すると後期で挽回することが難しい。うちの学部では、卒業までの最大関門とされていた。この教授は、おいらの名前が珍しいものだから講義中にいつも指しやがる。おかげで、ますます性格が捻くれるのであった。本書は、学生時代のいやーな記憶を思い出させてくれる。

ところで、電子回路では、昔から持ちつづけている素朴な疑問がある。半導体ってなんだ?半分だけ導体?これは導体でもなければ絶縁体でもない。外部から熱や光あるいは磁場や電圧といった刺激を与えることによって、電気特性が得られる物質であるが、バンドギャップが狭いからキャリア効果も現れる。しかも、p型とn型をうまいこと接合することによって、この現象も起こりやすくなる。電源など駆動するための仕掛けが必要であるにせよ、電流が金属物質の組み合わせによって増幅できるとはどういうわけか?電流が増幅されるということは、電子の流れを活性化できるということである。バンドギャップ内はフェルミ準位近辺になるというから、電子が移動できるかどうかも確率論に持ち込まれることになる。
また、LSIの歩留まりに目を向ければ、90%でも通常の製造ラインの感覚からすると信じられないほど低い数字である。最新プロセスともなると50%なんてざらで、最高周波数ともなると目も当てられない。ほとんどの生活用品が電子制御される中、こんな不安定な物質が電子回路の素子として主流になっているのも不思議でならない。こうした疑問を抱えながら電子回路の仕事を続けているのも奇妙な話である。人生をいかに誤魔化しながら生きているかという象徴でもあろう。プロでありながら理解度となると、まるで素人並なのだ。そして、工学とは試行錯誤でなんとなく結果が得られればOKという世界である、と言い訳する。この程度の意識しか持たないアル中ハイマーな技術者は、とっとと引退するのが業界のためなのだろう。おまけに、酔っ払いは自由電子の存在を自由意志と重ねつつ、自我の存在を疑う。自我の存在確率は、スコッチのアルコール度数近辺で40%ってところか。

本書のテーマは熱力学と統計力学である。そして、熱力学の延長上に統計力学を位置付けている。熱力学は、熱伝導で代表されるように人間の感覚で捉えやすい世界である。熱力学の第一法則をエネルギー保存則と重ねれば理解もしやすい。熱力学の第二法則では、熱は高い方から低い方へ移動して、やがて平衡状態になると考えれば、なんとなく感覚で理解できる。ただ、本書は、熱力学の第二法則は、様々な表現があって二十面相だという。ここに、エントロピーという言葉の解釈を混乱させる要因があるのだろう。熱力学の段階では、一つ一つの分子の衝突は、まだニュートン力学で説明できる範疇にある。しかし、統計力学の段階になると、人間の感覚では手に負えない世界に踏み込む。量子の世界では、それが粒子でありながら、想像もできない現象を見せやがる。電子で代表されるフェルミ粒子や光子で代表されるボース粒子などは、不確定性に支配された行動をする。あらゆる物体は、固体性と波動性の二重性を持っているのかもしれない。人間が個々で活動する分にはまだ手に負えるが、集団社会となると、波が押し寄せるかのように個人の意志ではどうにもならない。どんなに規制しようが、隙間から干渉現象のようにうまいこと回り込む犯罪者や、都合のよい解釈によって法律の障壁すら摺り抜ける政治家が蔓延る。もはや、人間の理性観念ですら確率論で語るしかできないのか?粒子性と波動性は、複雑系の持つ本質なのかもしれない。これが、エントロピー増大の法則の本性なのか?熱力学にせよ統計力学にせよ、扱う現象は、ほぼエントロピー増大の法則に従う。もし、エネルギー効率100%の理想の熱機関が存在するならば、発生する熱量を全てフィードバックさせて、エントロピーの変化をもたらさないであろう。だが、エントロピーは、断熱系において不可逆変化が起こるところでは必ず増大する。
ところで、サイクリック宇宙論において、宇宙構造は限りなく理想の熱機関に近いという可能性はないのだろうか?だとすると、宇宙は断熱系なのだろうか?宇宙の境界線はどんな空間と接しているのだろうか?という疑問がわく。高温であった宇宙の誕生から膨張を続け、だんだん冷えて、やがて絶対零度に達すると収縮を始め、これを永遠に繰り返す熱機関にも見えてくる。しかし、サイクリック宇宙論は、エントロピーの蓄積から現在の宇宙の平坦性を説明する。となると、宇宙は断熱系で、不可逆変化ということになりそうだ。いや!実は断熱系ではなく、宇宙の外にあるなんらかの次元空間とエネルギーのやりとりをしている可能性はないのだろうか?

1. 動力の発明
人類が初めて人工的な動力を手に入れたのがワットの蒸気機関と言われる。蒸気機関の原型は1712年にイギリスのニューコメンが開発したもので、炭鉱の排水用として使われたという。炭鉱内の事故といえば、落盤やガスによる酸欠、あるいは炭塵による爆発などがあるが、中でも地下水による浸水が大きな問題であったという。ただ、ニューコメンの蒸気機関は、掘り出した石炭の3分の1を動力として消費したので非常に効率が悪い。これを改良したのがワットである。蒸気機関は、石炭を燃やした時に発生する熱エネルギーを水蒸気の分子の運動エネルギーに変換し、これをピストン運動に使う。ワットの蒸気機関の効率は、わずか3%ぐらいだったと言われるらしい。ちなみに、ニューコメンにいたってはわずか1%だったという。当時、熱によって分子運動が生じることが知られていなかった時代である。熱量とエネルギーの関係に取り組んだのがジュールである。ジュールは醸造業の家に生まれたという。なるほど、美味い酒でカーッ!となるところから、熱エネルギーという発想が生まれたわけか。電線に電気を流すと熱が発生する。これがジュール熱である。ジュールはエネルギーと熱量を同等なものと考えた。こうした発想がエネルギー保存則へ導くことになる。

2. カルノーサイクル
カルノーサイクルは可逆過程であって理想の熱機関である。このサイクルでは等温過程と断熱過程がある。等温過程とは、気体の温度を変えない熱過程である。温度が変わらないということは、内部エネルギーを消費しないことを意味する。したがって、等温過程で膨張した場合、気体は外部から熱を吸収することになる。断熱過程とは、外部との熱のやりとりを遮断することである。したがって、断熱膨張では気体の持つ内部エネルギーを消費することになる。カルノーサイクルでは、二つの等温過程と二つの断熱過程を利用して1サイクルを形成する。
(1) 等温過程で、外部から高熱を吸収して膨張する
(2) 断熱過程で、気体の温度が上昇し内部エネルギーによって膨張する
(3) 等温過程で、外部から冷却して収縮する
(4) 断熱過程で、気体の温度が下降し内部エネルギーによって収縮する
カルノーサイクルの特徴は、サイクルを逆回転することができることである。つまり、可逆過程。熱機関で可逆であるかどうかを判断するポイントの一つに摩擦がある。摩擦は運動エネルギーを熱エネルギーへと変える。本書は「摩擦が不可逆過程である」というのが熱力学の第二法則だという。ちなみに、F1では、ブレーキング中に失われるエネルギーを保存して、オーバーテイクなどの必要時に馬力に変換するKERSが話題になっている。
エネルギー効率を高めることが工学の役割であるが、ガソリンエンジンでも効率は20%ぐらいだという。つまり、動力よりも暖房機として優れていると言えよう。ディーゼルエンジンは少し効率がよく40%に達するものもあるという。本書は、最も効率の良い熱機関でも50%に達するものを知らないと語る。ちなみに、動物の生命活動の効率は25%ぐらいなのだそうな。少し運動して汗が出るのも、捨てられる熱エネルギーが大きいということである。そういえば、肥満な人ほど汗をかいているような、汗かきほどエネルギー効率が悪いというわけか。

3. エントロピー
クラウジウスは、カルノーサイクルの(1)と(3)の等温過程で、熱量を絶対温度で割った量(Q/T)は、得るものと失うものとで打ち消し合うことに気づいたという。(2)と(4)の断熱過程で外部との熱量のやりとりはない。したがって、カルノーサイクルの熱量の総和はゼロということになる。これは可逆過程のみで成り立つ。ここでdQ/Tがエントロピーである。理想の熱機関では必ずしもエントロピーが増大するわけではない。クラウジウスは、エントロピー増大の法則が成り立つ条件として、断熱系と不可逆過程が同時に成り立つ場合としている。これは、熱が不可逆性に支配されることへの帰結ということだろうか。となれば、熱機関では必然的にエントロピーが増大することになる。

4. 気体分子運動
気体を分子の集まりと考えて分子運動に力学を適応し、気体の圧力を最初に導いたのがベルヌーイである。その後、気体分子運動を発展させたのが、マクスウェルとボルツマンである。とはいっても、個々の分子の振る舞いを語ることは不可能である。よって、気体のエネルギーは分子運動の総和として計算される。ただ、固体となると、分子運動が完全に自由というわけにはいかないので事情が異なる。気体と違って原子の回転運動も起らない。それでも、固体の中の原子は微小な振動をする。温度が高いほど、その振動も激しくなる。気体分子運動を唱えたところで、まだ分子の存在が証明されていない時代である。その論争に、マッハは攻撃し、ボルツマンは防戦するといった構図があったという。電子の存在を明らかにしたのは、トムソンやミリカンの実験である。更に、ラザフォードによって原子核が発見される。アインシュタインは、ブラウン運動を分子のランダム運動による衝突によって起こる現象だと考えたという。アインシュタインの論文には、「光電効果の理論」と「特殊相対性理論」の陰に隠れがちな「ブラウン運動の理論」があるという。

5. 統計力学
気体の分子が持つエネルギーは、全てが同じではない。個々の分子にはそれぞれ大小のエネルギーがある。よって、高いエネルギーを持った分子の集まる部分とか、低いエネルギーを持った分子が集まる部分といった現象がある。このエネルギー分布は統計力学によって求められる。気体分子のエネルギーを表すのが、マクスウェル・ボルツマン分布で、ニュートン力学から導かれる粒子を元に計算される。そして、その総和(ベクトル和)が統計力学として求められるわけだ。とはいっても、全てのベクトル方向を予測できるものではない。どうしても確率論に持ち込まざるを得ない。よって、最も起りやすいエネルギー分布として議論することになる。そこで、登場するのが、「ラグランジュの未定乗数法」である。
しかし、電子の運動は、マクスウェル・ボルツマン分布ではなく、フェルミ・ディラック分布に従う。他にもマクスウェル・ボルツマン分布に従わない粒子が存在する。ニュートン力学では扱えない粒子である。電子などフェルミ・ディラック統計に従うのがフェルミ粒子。光子などボース・アインシュタイン統計に従うのがボース粒子。電子の特徴は電荷を持っていることであり、外部からの電磁場でかなり自由に操れる。一方、光子は電磁場による直接的な影響を受けないので遠くへ飛ばしやすい。したがって、現在の通信手段で最も大きな容量をささえているのが、光ファイバーということになる。通常の粒子は二つあれば、その区別がつく。しかし、フェルミ粒子やボース粒子は、その区別がつかないという奇妙な性質がある。おまけに、フェルミ粒子は「パウリの排他原理」の制約に従う。

6. フェルミ・ディラック分布とボース・アインシュタイン分布
フェルミ粒子は、絶対零度でフェルミ・エネルギーの大小関係で存在確率が0%か100%のどちらかになるという。だが、室温では、フェルミ・エネルギーで存在確率が1/2になるという。その中間的な位置は、お湯を沸かした例で説明がなされるのは分かりやすい。分子が水として存在するものと、水蒸気として存在するものに分かれ、水面がフェルミ・エネルギーというわけだ。あらゆる原子は、原子核と電子でできているので、電子の分布が観測できれば、物質自体の分布を観察することができる。フェルミ・ディラック分布は、電子の分布を論じたものであり、固体物理学や半導体工学で重要な役割を果たしている。
では、ボース粒子はどうなるのか?アインシュタインは、分子間に相互作用のない理想気体を冷却すると、ある温度以下では最もエネルギーの低い状態に多数の粒子が集まることを理論的に導いたという。例えば、液体ヘリウムの超流動現象である。液体には水のように粘性があるが、ボース粒子は冷却していくとその粘性がなくなるという。そして、超流動状態になると、分子1個しか通れないほどの隙間を抜けたり、容器の壁をよじ登って外にあふれたりといった面白い現象が起こるという。まさしく量子の世界は何が起っても不思議ではない。量子の世界では、エネルギー障壁を越えるトンネル効果という現象もある。

7. ボルツマンの原理
ボルツマンの原理は、エントロピーの統計力学的な表現であるという。
「ある系が、場合の数の多い状態に向かって変化していく。」
エントロピーというと、一般的には「乱雑さ」と表現される。なるほど、乱雑さを「系の場合の数」と考えればいいようだ。「系の場合の数」は、「存在確率の最も高い分布の場合の数」へと近似される。そして、安定な分布の場合の数となり、この数が増える方向へ分布するという。より安定状態に変化するというのが、エントロピー増大の法則というわけか。

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