通常、物理学が対象とするものは、無数の粒子による秩序なき運動である。そこには、統計的な法則性が見られても、個々の分子にはカオスがあるだけだ。しかし、生命は違う。けしてカオスの産物などではない。細胞の内部には、あらゆる生物の形を決める1個の分子に至るまでの秩序がある。それは、DNAと呼ばれるたった1個の高分子によって監督、指揮された高度に組織化されたシステムなのだ。
シュレーディンガーは、著書「生命とは何か」の中で、生命を扱う力学と無生物を支配する力学はまったく違うと主張した。ジョンジョー・マクファデンは、シュレーディンガーの著書に触発されて、この書を綴ったという。酵素となった著者が、偉大な量子学者に触媒として反応した結果とでも言おうか。本書は、意思とは何か?なぜ生命は進化しようとするのか?この疑問を量子力学で説明しようとしたものである。そして、量子力学や生物学の入門書としてもなかなかの感動モノで、いつかダーウィンを読んでやる!という気にさせてくれる。生命の誕生や進化をもたらしてきたのは、化学反応の積み重ねによるものであろう。少なくとも、近代科学はそう考えている。化学反応を支配するものは熱力学である。だが、熱力学には方向性や指向性、すなわち意思なるものが欠けている。このギャップを量子力学が、どうやって埋めるのかは見物!だからといって、すっきり説明されると期待してはいけない。
人は何かをきっかけに突然目覚めることがある。自ら酵素となり、いつも触媒される何かを探しながら、現状に満足できず変化を追い求める。こうした変異の方向性なるものが、進化の根元にあるのだろうか。すなわち、生命たる意思が...
では、この方向性はいつ獲得されたのか?生命が誕生する前、まだ分子構造であったアミノ酸のレベルではどうか?やはり自ら酵素となり、触媒される何かと反応したのだろう。それが多重連結しながら、タンパク質へと成長していく。ただ、進化するためには、現状を知る必要がある。そうでなければ、次の段階へ移行できない。そこで、自己保存を企てる重要な仕組みが自己複製構造、すなわち遺伝子が鍵となる。タンパク質は、DNAという高分子構造を形成し、それを媒体としながら自己複製コードを獲得してきた。
一方で、地球上の環境は刻々と変化する。気候変動や生命どうしの原子資源の奪い合い...タンパク質は、分子配列の組み合わせを微妙に変えながら、より環境に適応してきた。配列を組み替えるからには、配列ミスのリスクを背負う。遺伝子が誕生した当初は、複製ミスも多かったことだろう。複製ミスを極力避けるために、結合力の高いエネルギー構造を持つ、複雑な高分子へと成長したことは想像できる。これが変異の方向性というやつか?だとすると、タンパク質のレベルで既に意思に近いものを獲得していたのだろうか?そして、生命と無生物の境界は、自己複製と変異の方向性の双方を獲得するかどうかのあたりにあるのだろうか?これらを、それぞれ意識と意思と言っていいのかも分からんが...
しかしながら、生物がすべて自己複製できるわけではない。ラバは子孫を作らないし、混成種の園芸植物の多くも実を結ばない。確実に生きている細胞にもかかわらず、複製できない神経細胞などの細胞型もたくさんあるという。それでも、人間はなんとなくそれが生物か無生物かを識別している。その感覚は経験だけで説明がつくのか?あるいは、生物同士で分かち合える何かがあるのか?おまけに、人間は生物でないものにまで魂を感じる。実際にアニメの登場人物の葬儀が行われたりと。ラテン語の anima を語源とするアニメーションは、本来物体に魂を吹き込むという意味がある。物体と精神は分離できるのか?という哲学論争は、プラトンやアリストテレスの時代から受け継がれる難題だ。生命とは何か?という問いは、人類に課せられた永遠のテーマなのかもしれない。そして、そこに答えが見つかった時、人間はもはや生命ではなくなっているのかもしれない。
ところで、量子力学と古典力学の境界はどこにあるのだろうか?微小な量子は、粒子性と波動性の二重性を持つ。では、境界はスケールにあるのか?いや、人間だって群衆化すると巨大な波のうねりとなる。70億もの人口に兆スケールのネットワークノードが後押しして、些細な民衆運動からバタフライ効果をともない巨大エネルギーの塊と化す。もはや、人体を構成する60兆個もの細胞と同等レベルなのかもしれない。実際、社会現象や経済市場の分析に波動関数が導入される。では、境界は数や量にあるのか?いや、それだけでは心もとない。重要な鍵は、光速に近い運動ができるかどうかにかかっている。人間が宇宙船に乗って個々に光速に近い運動ができるならば、人間にも量子力学が適応できるのかは分からんが...
さて、量子力学には、実存性に反する詐欺のような技がある。それは、重ね合わせの原理だ。光の二重スリット実験は、奇妙なことを教えてくれる。二つのスリットを通る光から生じる干渉現象は、二つの光によって重ね合わせの状態として存在する。光源は一つなのに、まるで光源が二つあるかにように振る舞う。確かに、同波長、同位相の干渉現象を説明する都合の良い概念にコヒーレンスというものがある。だからといって、これを一つの光子に着目すると、どちらのスリットにも存在することになるのか?さらにスリットの数を増やせば、何倍にも光子が存在するというのか?存在するものすべて、もしくは、それを意識するものすべては、影響し合わないではいられない。これが、コヒーレンスの正体かは知らん。
そこで、この疑問を解決するために、量子論は多宇宙論を持ち出す。量子レベルでは、複数の宇宙に存在しうるという仮説だ。光速が絶対速度だとすれば、光速で運動する量子は時間の概念を抹殺することなる。一方で人間は、時間軸上で微妙に人格を変えながら生きている。
では、一人の人間が光速運動ができて、時間を失うとしたらどうだろうか?時間軸が細かくスライスされ、多重人格が同時に現われるというのか?おまけに、成功と失敗、生と死が同時に存在するというのか?そしてその時、個人の意識は干渉しあうのか?まさにパラレルワールド!これがシュレーディンガーの猫が暗示するものだ。そもそも、シュレーディンガー方程式の示す存在確率が時間の関数であるところに、奇妙な解釈を生じさせるのかもしれない。波動を三角関数で単純化しても、現実には存在するかしないかのどちらかなので、インパルス応答のように一点に集中することになる。結果論を持ち出せば、すべての確率予測は結果に集約されるのだから当たり前だ。この現象を、波が集中するから波動関数の収縮と表現することに、どれだけの意味があるのかは知らん。つまり、波動方程式は、あくまでも予測の道具であって、結果までは責任が持てん!と告げているだけではないのか。その意味で、予測である未来と結果である現実を完全にパラレルワールド化している、と言えなくはないか?
しかーし、これだけ懐疑的なアル中ハイマーであってもだ!不思議なことに、多宇宙論を一旦受け入れてしまうと説明が簡単になるから恐ろしい。科学が信奉する、単純こそ真理!というのは本当なのか?いや、認識できるから存在するというデカルト的発想にも似たり。そりゃ、神の存在を一旦認めちゃえば、すべての苦悩は単純化できるさ。
それはさておき、意識は時間の概念を必要とし、DNAコードは完全に時間に支配されている。記録するということは、時間を頼りにするということだ。となると、時間とは意識の産物でしかないのか?そうかもしれん。存在という意識もまた時間に幽閉され、生命とは意識によって意識を幽閉し続けるだけの存在なのかもしれん。では、時間の感覚が完全にぶっ飛んだ精神分裂症は、脳内に形成される電磁場、すなわち精神の重ね合わせの結果であろうか?これを自由電子や自由エネルギーで説明できるならば、精神の自由は精神異常者の方にあるのかもしれん。
1. 酵素の研究から還元主義へ
1853年、リールの醸造業者は、ルイ・パスツールを雇ってワインが酸っぱくなる原因を調べさせたという。当時、発酵は純粋な科学反応とされ、酵母は生物と認識されていなかった。醸造酵母は、ブドウ糖をアルコールに転換するのを促進する単なる触媒であると考えられた。パスツールは、酒石酸の結晶が鏡像の関係にある左手型と右手型の二つの形をとることを示す。しかし、生物組織から酒石酸を抽出すると、成長する結晶は必ず左手型になるという。生体系はキラルであって、単純な化学反応では説明できない。こうして生命科学は還元主義へ向かう。
2. 呼吸の必要性
人間には呼吸が欠かせない。だが、呼吸することが害となる生物もたくさんいるそうな。嫌気性細菌は空気呼吸せず、それどころか、空気過敏性で酸素に露出すると簡単に死んでしまうという。なんと、大便の80%以上は嫌気性細菌だそうな。すべての生物にとって有害なことに、酸素は反応性が高いという。したがって、空気呼吸する生物は、防御酵素の兵器を持っているという。
では、酸素がこんなに有害なのに、なんでわざわざ酸素呼吸するのか?酸素を使った呼吸のプロセスで食物を燃やすからである。食物から電子が集められ、酸素にいたる一種のエネルギーカスケードを流れ落ちるという仕掛けがある。食物の高エネルギー電子と酸素中の低エネルギー電子との差が捕らえられて、細胞にエネルギーを提供する。酸素呼吸は食物から最大限のエネルギーを抽出する非常に効率的な手段で、ほとんどの高等生物において嫌気性代謝にとって代わったという。なるほど、リスクを冒してまでも高エネルギーを得る手段を獲得したわけか。
細菌に至っては、様々な無機物で呼吸することができるという。鉄で呼吸する細菌までも。発酵の過程では、まったく呼吸をせず、食物の分子を小さく切り分けて、通常は単純な酸またはアルコールにすることよってエネルギーを得るという。生命にとって息をすることが必須ではなく、酸素がなくても生命はうまくやっていけるらしい。
確かに、酸素濃度の低い時代から生命は発生しているだろうし、好気性生物が生じたのは、光合成植物や微生物が地上に酸素を放出しはじめてからのことであろう。光合成する植物は、二酸化炭素と反応して大気中に酸素を供給する。酸素呼吸する動物は、酸素と反応して大気中に二酸化炭素を供給する。動植物は、地球の自然界にうまいこと共存している。
3. 遺伝リスクと多様性
自然淘汰によって生命が進化を遂げるならば、多様性の余地を残す必要がある。そして、進化のリスク、すなわち自己複製の失敗を伴うことになる。遺伝情報の媒体であるDNAの鍵となるのは、核酸塩基の順番と組み合わせである。その基本構造は、リン酸基によって結合されたデオキシリボース糖の連なりの重合体である。それぞれの糖には、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)、アデニン(A)の4つの塩基がついていて、一本のDNA鎖を辿ると、塩基の直鎖状の配列、すなわち遺伝コードを読み取ることができる。
生体の一般的なアミノ酸は20種類ほどあるとされるが、塩基は4つしかないので、1対1でコードすることはできない。だが、コドンという塩基の三量体という仕掛けが、うまいことコード化しているらしい。例えば、GCCというコドンはアラニンというアミノ酸を、GGCというコドンはグリシンというアミノ酸をコード化する。タンパク質は、これよりはるかに複雑なコードによって表されるが、原理は同じようだ。DNAは、タンパク質の合成を指示することによって、細胞全体のすべての活動を編成し、身体を組織化できる。こうして、犬の細胞は犬の形の作り方を知り、樫の細胞は樫の木の作り方を知り、人間の細胞は人体の作り方を知る。DNAがタンパク質をコード化し、タンパク質がDNAも含めてすべてのものを作るとは、なんとも自己循環に陥った感がある。
DNAの二重螺旋の特徴は、片方の鎖にある塩基に対して相補的に存在することだという。AはTと、GはCと対になっているそうな。相補的な塩基対は、水素結合によって保たれるという。水素結合は、一方の塩基の正に帯電した陽子と、相補的な塩基の負に帯電した電子との間に存在する電磁力によって維持される。要するに、コードは重複されるわけだ。進化にとって都合が良いのは、鎖の複製がそれほど完全ではないことだという。
1つの親DNA二重鎖から1対の娘二重鎖が形成され、DNA二重鎖の対のうち一方が娘細胞の一つに入り、他方の二重鎖は別の細胞に入るという。DNAはタンパク質をコードするが、タンパク質を作るわけではない。その仕事をするのはリボソームと呼ばれる物体だという。リボソームは、ばらばらのアミノ酸をつなぎあわせて一本の鎖にする。アミノ酸の鎖は、短ければペプチド、長ければタンパク質と呼ばれるだけのことのようだ。リボソームがランダムにアミノ酸を数珠つなぎにすれば、それこそ無数の種類のタンパク質を作ることができる。ちなみに、100アミノ酸しかないような比較的小さいタンパク質でも、20種類のアミノ酸に対して 20100 になる。全宇宙の原子数は、1080 ほどと言われるが、アミノ酸の配列パターンはこれよりずっと多いことになる。とても統計的確率や偶然性などで説明できそうにない。リボソームの仕事には、なんらかの意思が働いているのか?
また、DNAがタンパク質の合成を指示するためには、物理的な問題を克服する必要があるという。DNAは動物細胞の核の中に保たれるが、リボソームはその外側の細胞質にあるからだ。解決策の一つは、DNAが核膜を通リ抜けてリボソームに接触すること。だが、DNAは何百万や何十億という塩基を持つ巨大な分子で、膜の小さな穴を通り抜けることは容易ではないらしい。そこで、もっと小さくて動きやすいRNAというDNAの類似体に複製されるという。RNAは、DNAとちょっと違った構造を持っていて、チミン(T)の代わりにウラシル(U)という塩基を使う。背骨となる糖は、デオキシリボースではなくリボースになるので、DNAからRNAとなる。そして、DNAとRNAの混合二重螺旋が形成されるという。更に、RNAポリメラーゼという酵素が、数千塩基ぐらいのRNAの複製版、メッセンジャーRNA(mRNA)を作り、リボソームに告げるという仕掛け。mRNAは、DNAの必要な情報を選別、あるいは分割して転送しているのか?は知らんが、デジタル通信回路の制御モデルを彷彿させる。
DNA複製機構の仕事は、親DNA鎖から完璧な複製を作ること。だが、時には間違った塩基を挿入したり、タンパク質のアミノ酸配列を変えることも、変えないこともある。こうした間違いが、突然変異となる。もし、突然変異が重要なタンパク質の機能を妨害すれば、有害となり死に至ることもある。遺伝病で知られる鎌型赤血球症は、主に血液ヘモグロビンのグロビンタンパク質の中のたった一つのアミノ酸を変える突然変異によって起こると聞いたような気がする。ごく稀には、突然変異が宿主に対して利益をもたらす場合もある。自然淘汰では、より多くの子孫を残すことができるように有利な突然変異をもつ遺伝子が選ばれる傾向にあるという。親よりも生存に適した突然変異を持つ子供を選択することによって進化するようだ。突然変異のほとんどは、DNAの複製の際に生じるという。
4. 大腸菌の培養実験
ハーバード大学公衆衛生大学院のジョン・ケアンズは、ラクトース(乳糖)を食べるために必要なβ-ガラクトシダーゼという酵素を持たない大腸菌の実験を行ったという。
細胞にラクトースしか与えなければ、飢餓すると予想される。だが、大腸菌を殺すことは難しく、細胞が定常状態のまま何週間も生き延びたという。更に、酵母抽出液を与えた細胞と、ラクトースしか与えない細胞とで比べると、前者は酵母抽出液を食べて飢餓を免れる。だが、ラクトースしか食べるものがない細胞の方が突然変異を起こす割合が高かったという。生存危機に迫られると、細胞は適応変異を起こしやすいということか。それにしても、たった一世代で突然変異が起こるとは恐るべし生命力!
ところで、脊椎動物には獲得免疫系なるものがあり、分子レベルでは中立進化説というものを耳にする。自然淘汰に対して有利でも不利でもなく中立的というわけだが、この実験は、単細胞生物であっても獲得形質の遺伝が生じることを示しているように映る。これも変異の方向性であろうか。
5. 生命の自発運動とミトコンドリア
無生物が運動するには外部からの作用を必要とする。だが、生物は自己作用によって運動する。筋肉を動かすには、ミオシンというタンパク質が関与するという。ミオシンは数千個のアミノ酸でできた非常に大きなタンパク質。筋繊維は、ミオシンとアクチンというタンパク質で構成され、これらが互いに作用することによって筋収縮を行うという。これらのタンパク質を作用させる鍵は、ミオシンが酵素として働き、ATP(アデノシン三リン酸)分子と水との反応を起こさせることにあるという。すなわち、加水分解によってATPを分解し、ミオシン酵素はその化学反応で得られるエネルギーの一部を捕らえて、筋肉が伸び縮みするエネルギーとする。ATPは細胞内の化学エネルギーを貯蔵する小さなバッテリーとして働き、加水分解によって放出されるエネルギーが筋肉の機械的な動作に変換されるという仕掛けか。人体は1日にざっと 2 から 3 kg のATPを作って消費しているという。加水分解が重要となれば、生命に水が必須というのは確かなようだ。
では、この自発運動を引き起こすものとは?筋肉を動かすには、脳からなんらかの電気信号によって指令されるはず。その指令はどうやって発せられるのか?ここで極めて重要な化学反応、酸化に行き当たる。酸化は、空気中で紙や木やグルコース、すなわちブドウ糖を燃やした時に起こり、電子の移動をともなう。グルコースは生物が活動する時のエネルギー物質。細胞は、酸化で代謝燃料を燃やし、ATPという形で化学エネルギーを得る。この一連の反応が呼吸である。燃焼と同じように、呼吸も酸素を必要とする。グルコースの酸化から得られるエネルギーの約38%をATPとして捕らえるという。細胞機関はなかなか効率の良い熱機関のようだ。残りは熱として放出されるため、激しい運動をすると体が熱くなる。
呼吸は、細胞内のミトコンドリアというオルガネラ(特定の仕事を行う細胞内小器官)で行われるという。ミトコンドリアの構造は驚異的だ。それは、内膜、リボソーム、自身のDNAなど、細胞全体の特徴の多くを持っていて、しかも細胞とは独立して分裂することができるという。ミトコンドリアは二枚の膜が重なりあって結合し、その間には水の入った空間があり、電子の輸送はこの膜で行われる。膜に挿入された呼吸酵素は、電子を動力源とする陽子ポンプとして作用するわけだ。シトクロムオキシダーゼやシトクロムcといった別の酵素を電子リレーとして働かせ、電子を伝播させる。そして、電子の流れを動力源にして、陽子を組み上げ、約0.15Vの電池が生じるという。
続いて、ミトコンドリアの電池が、ATP合成の動力を供給する。それにかかわる酵素は、ATPシンターゼまたはATPアーゼと呼ばれ、分子モーターの作用をするという。だが、ATPシンターゼとATP合成を結びつける正確なメカニズムは、まだ明らかになっていないそうな。呼吸のメカニズム、すなわちこの陽子ポンプが、体内にあるすべての生細胞に動力を供給しているというのは、宇宙の神秘と言わねばなるまい。
6. 量子測定と量子コヒーレンス
生命の起源を原始スープに遡る。スープの成分には、アミノ酸や単純な糖、もしかすると核酸なども含まれていたかもしれない。これらの成分がなんらかの方法で組み合わされ、自己複製する何かを発生させたと考えることはできるだろう。
今、話を簡単にするために、最初の複製物質はアミノ酸配列の短いペプチドだったと仮定する。とはいえ、このペプチドは32アミノ酸の長さをもち、自己複製するための必要条件は途方も無いことを教えてくれる。アミノ酸同士がペプチド結合しかしないとしても、20種類のアミノ酸に対して32長を形成するには 2032 パターンもある。つまり、1041 スケール。原始スープでそれぞれのペプチドを合成すると総量は約1018Kg になり、現在の熱帯雨林にある有機炭素の総量よりもずっと多いという。そんな規模の原始スープの池が、地球上に存在できるはずがないというわけか。確かに、アミノ酸が20次元の空間をさまよいながら、自己複製のチャンスをうかがっていたとは考えにくい。おまけに、ペプチドは生命ではない。ここから自己複製物質を進化させて、やっと生命なるものが見えてくるはず。
では、ランダム性から突然変異への方向性は、どうやって誘導されるのか?そのプロセスの源泉が量子測定だという。原型細胞は、量子系をいつまでも環境から保護することができなかっただろう。ある時点で何が起こっているか気づき、その量子系の測定に迫られる。そして、量子系が環境に不可逆に結合されていき、デコヒーレンスが起こったとしている。そりゃ、量子測定が機能すれば話は早い。だが、測定から方向性はどうやって転化されるのか?
また、周囲環境を効果的に結合する分子は酸素である。ペプチドは酵素になりうるのか?短いペプチドでも、弱いが酵素活性を持っているという。ならば、これを含んだ原始酵素を形成し、さらに酵素能力を持つタンパク質へと進化したと考えることができそうか。ペプチドが単一分子であるからには、いつでも量子領域に戻ることができる。そして、量子測定を繰り返しながら、短いペプチドを最小単位とした酵素形成が何度も繰り返されたのかもしれない。ペプチドが酵素となって、結合と分離を繰り返しながら、古典力学の領域と量子力学の領域を行き来して量子測定を促進し、ついに自己複製を覚えたのか?一旦、古典力学の領域に踏み込めば、不可逆性に支配される。まさに遺伝子は不可逆性の領域にある。要するに、なんらかの酵素的な存在が生じて、不可逆な領域まで成長すれば、後は簡単ということか?そして、物質代謝という魔法の循環が始まるというのか?
さて、ここまでは熱力学的確率論の域を脱していない。いよいよ変異の方向性の説明になるわけだが、量子力学は意思なるものの誕生をどう説明するのか?解決策の第一弾は、量子の重ね合わせである。量子力学によって、1041 パターンを瞬時に同時に発生させたというわけだ。干渉をおこしやすくする方向性に、量子コヒーレンスという概念を持ち出す。確かに、電子の波動性を活発化させるために、超伝導性なるものがあるにはあるのだが。つまり、なんらかの条件下で電気抵抗をゼロにすれば、小規模な原始スープの池であっても都合のいいパターンが生じるというのか?しかし、どうやって地球上の空間に収めるのか?
なぁーに、解決策の第二弾が用意されているので心配はいらない。そぅ、多宇宙論だ。つまり、量子レベルでは変異の方向性などはなく、すべての状態がそれぞれの空間に存在するというわけだ。人類が住むこの宇宙は、その一つの空間に過ぎないということか?突飛過ぎて、もはや頭は Kernel Panic !!!
いずれにせよ、量子力学はハイゼンベルクの不確定性原理の呪縛から脱せないでいる。しかも、量子レベルの位置と運動量を同時に確定することは不可能というだけでなく、他の相補的な特性の測定も制限しやがる。エネルギーと時間を同時に測定することも。偏光の方向と、電子や陽子のスピンによる角運動量の測定も。その原因は観測系が加わるからかである。なるほど、人間が関与するとろくなことがないらしい。そもそも、量子の塊で構成される人間が、量子を測定すること自体、自己矛盾を孕んでいる。いや、人間という個体が量子力学の領域から飛び出して、古典力学の領域に入ってしまったから、そうなるだけのことかもしれない。エントロピーが増大するのも、たまたま不可逆な空間にいるだけのことであって、量子の領域に引き戻されれば、エントロピーは一定でいられるのかもしれない。すると、エントロピーが減少する宇宙がどこかに存在してもよさそうか。多宇宙論と言っても、単に空間が時間で結びつけられると考える方が筋かもしれんが。
あらゆる量子測定は、二つの関連する相補的な特性で構築されている。この測定に制限を受けるのであれば、もはや何を測定しているのかわからない。生命の正体を知るためには、観測者が量子の領域に戻るしかないのかもしれん。映画「ミクロの決死圏」のような...
2012-12-09
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