2012-12-02

"生命とは何か" Erwin Schrödinger 著

量子力学の立場には、シュレーディンガーの波動力学とハイゼンベルクの行列力学がある。波動力学はアインシュタインと同じく連続性を重視する立場。その量子論学者が生物学を語るのだから、なかなかの見物!生物学は科学の中で最も避けてきた領域であるが、物理学者が語るとなればアレルギーも鎮まる。
古代から受け継がれる学問の本来の姿は、総合的な能力の結集であった。だが、専門知識の高度化が進むに連れ、知識の交流が疎かになりがちである。専門に囚われ過ぎると、学問の意義や知識の方向性を見失うことにもなろう。あるいは、自ら積極的に専門馬鹿になることを受け入れ、人柱となってきた研究者も少なくない。
一方で、科学者というものは専門知識を徹底的に追求する人種で、十分に精通した領域でなければ口に出してはならないという掟のようなものがある。シュレーディンガーは時代のジレンマを感じつつ、あえて自らの専門を放棄すると宣言する。又聞きで不完全にしか知らなくても、また物笑いの種になることを覚悟してでも、そうするしか他に道はあるまい。彼の学問哲学には、人類の意義を問うことが根底にあるようだ。本書は、量子力学を通して生命の意義を追求したものである。

物体において生物と無生物を区別するものとは何か?双方とも原子構造を持つのは同じなのだから、物理学で説明がつくはず。しかし、シュレーディンガーは、統計物理学の観点から生物と無生物とは構造が根本的に違うと主張する。
ニュートン力学では個々の物体の運動を扱うが、量子力学では原子や分子などを統計的に扱う。その顕著な例は、常磁性に現われる。すなわち、ある空間に磁場を与えると空間内の物質が一方向に磁化される。だが実際には、磁場によって分子の向きを揃えようとする傾向は、分子の熱運動によって絶えず妨げられているという。熱運動は分子にでたらめな向きを与えようと働くが、磁場と拮抗した結果、すべての分子が完璧に磁化されないにしても、双極子の軸に対して鋭角に磁化した分子が多数派となる。温度を下げれば熱運動を弱め、磁場が分子の向きを揃えようとする。量子力学における物理法則は、このような統計に基づいた近似的なものに過ぎない。それは、人間社会における群衆運動、あるいは多数決の原理に似ている。群衆が冷静さを失えば、暴徒と化す。どんな微小空間であれ、社会の反抗分子というものが生じるものらしい。
つまり、物理法則の精度は多数の量子の参与によって決まる。実際、分子数の平方根の法則(√n法則)なるものがある。それは、ある容積に気体分子が n 個あるとすると、現象を観測するのに √n の誤差が生じるというものだ。安定現象を求めるならば、サンプル数を無数にとって誤差を小さくしようとする。
ところが、だ。生物の根幹を成す遺伝子は、物理法則に反してせいぜい1000個程度の原子から成っているという。確かに、安定状態を保つには少な過ぎる。本書は、生物細胞の最も本質的な部分である染色体繊維は非周期性結晶であるとし、その安定構造をエネルギー準位で解き明かす。特に、エントロピーの法則によって生命体が崩壊して平衡状態になるのを、負のエントロピーを食べることによって免れているとするところは感動モノ。ちと反論したくもなるけど。
ただ意外なことに、生命の根幹に遺伝子を据えながら、タンパク質やDNAという言葉がまったく登場しない。あえて避けているのか?刊行が1944年で、ちょうど遺伝子の正体がタンパク質かDNAかで論争の巻き起こった時期と重なる。遺伝子を暗号コードという観点から語られるので、ここではタンパク質というよりはデオキシリボ核酸(DNA)と見るべきであろう。物理学で注目されやすいのは周期性結晶の方で、その単純な規則性が研究者を魅了する。対して、一つの非周期性結晶と見なせるDNAの螺旋構造は、まさに人類の進化によって培われた芸術と言うべきものかもしれない。
さて、遺伝子暗号はどこまで個人の運命に関与するだろうか?そして、例外の意義とは?本書は、これを問うているような気がする。

「自由な人間が、死ほどおろそかに考えるものはない。自由人の叡智は、死ではなく生を考えるために在る。」...スピノザ

また、「統計的 = 決定論」という図式を表明しているところに、量子論的確率論の解釈を垣間見ることができる。量子論の不確定性は、生物学で重要な役割を演じていないという。確かに、統計的偶然性だけで、生命の構造や進化を説明するには不十分であろう。ただし例外として、減数分裂や、自然発生的および X線によって誘起される突然変異などの現象においては、ある程度の偶然性を認めているようだけど。
非周期性結晶を精神活動に結びつけるといった記述は見られないが、エピローグで唐突に自由意思の存在を持ち出すのは、読み手としてギアチェンジが難しい。古代インド哲学の聖典「ウパニシャッド」を引用しながら、なんとなくデカルト的実存論と重なる。デカルトは、生物が機械仕掛けで動くものとしながらも、人間だけは神の存在を意識できる特別な存在とした。結局、生命の意義を論じるには哲学に、いや、神に縋るしかないということか?

1. 四次元型の染色体
生物学には、「四次元的な型」というものがあるそうな。それは、卵細胞が受精してから、成熟して生殖を行いはじめる成熟期に至るまでの個体発生の全期間に関するもので、四次元型の全体は、受精卵ただ一個の細胞構造をしているという。その本質的な構造は細胞の核にあって、正常な休止状態では細胞の中の一部に拡がっていて染色質の網目として見え、重要な細胞分裂、すなわち有糸分裂と減数分裂の期間は一組の粒子からできているように見えるという。普通は紐状の形をしていて、染色体と呼ばれるやつだ。
染色体の数は、2 x 4, 2 x 6, ..., 2 x 23, ... といった具合に二組で構成され、人間の場合は46本とされる。一組は、母(卵細胞)からできたもので、もう一組は父(受精される精子)からできたもの。そこには、将来の発展と成熟したときの身体の働きの型の全部が、一種の暗号文として組み込まれているという。
現在では、染色体の構成要素は DNA とヒストン(タンパク質の一群)とされる。あえて厳密性を避けているのは、当時は DNA の役割がはっきりしていなかったのだろう。

2. 有糸分裂と減数分裂
染色体は、運命を記録した暗号文とするだけではなく、それ自身が定められた成長発育の道具として機能するという。人体の中で、法典と裁判官の両方の役割を担うようなものらしい。そして、生物体は染色体の有糸分裂によって成長する。ただ、そんなにちょくちょく分裂が起こるわけでもないらしい。最初のうちは成長は速く、人体のすべての箇所で起こるわけでもないから、すぐに数の規則は破られるという。
有糸分裂では染色体も二つになり、暗号コードも複製される。個体の成長が始まるとすぐに、一群の細胞が後の配偶子を作り出すために別に保管されるという。それは場合によっては精子だったり、卵細胞だったりするが、成熟してから個体が増殖するのに必要なものだ。
そこで、例外的な分裂に減数分裂があるという。配偶子がつくりだされる際の分裂で、すぐに接合される。受精においては、46本ではなく、23本だけ暗号を受け取る。普通の細胞は二倍体だが、配偶子は一倍体である。接合の時は、それぞれ一倍体である雄性配偶子(精子)と雌性配偶子(卵)とが合体して受精卵をつくるので、受精卵は二倍体になるという。ここでは分かりやすく省略した過程が示されるが、実際は、減数分裂はただ一回の分裂ではなく、二回の分裂が続いて起こり、一体になったものらしい。その過程で染色体が一回だけ倍加されて、結果的に一倍体の配偶子が2個ではなく4個できるらしい。
さて、そうなると、受精よりも減数分裂に遺伝的な重要な意味を持つことになりそうだ。配偶子が二倍体ならば両親の遺伝子コードを忠実に受け継ぐかもしれない。男女の性の意味もなくなりそうな気もする。しかし、接合によって遺伝子コードの部分的な入れ換えができる仕組みにこそ、進化の可能性を匂わせる。それが一倍体であるがゆえに、コード入れ換えの失敗リスクを同時に抱えている。
では、減数分裂の前のコードを保存することができれば、コード入れ換えのミスをやり直せるだろうか?いや、失敗したかどうかなんて細胞自身に判別できるはずもないか。人間社会に適合するかどうかなんて結果論に過ぎない。天才の出現だってコード入れ換えのミスかもしれない。では、コード入れ換えを医学的にやれるとしたら、障害者は恩恵を受けられるだろうか?それも怪しい。なにしろ人間の欲望は悪魔じみている。遺伝子操作に自由が与えられた時、人間の尊厳までも失われるのかもしれん。

3. 突然変異と自然淘汰
突然変異とは、統計的には例外的な現象と捉えることができよう。では、例外の意義とは何か?遺伝子は、進化の過程で自然淘汰の原理を働かせることによって偶然変異という異物を排除してきた。しかし、あらゆる現象の連続性には、不連続性が紛れ込む。突然変異が生じるのも、遺伝の結果である。
量子論では、不連続なエネルギーの移動を量子飛躍で説明する。ただ、突然変異が有用で好都合な方向に起こるのか?という疑問はある。天才が出現する一方で、障害者が生まれる確率がある。先に述べたように、減数分裂が進化の可能性を与えているとすれば、不都合な現象は進化のリスクと解するべきだろう。最も幸せを感じられるのは凡庸さかもしれん。ただ、優性変異が新たな思考をもたらす一方で、劣性変異が人間の弱さを教えてくれるならば、最も劣悪な存在は凡庸さかもしれん。となると、幸せな状態とは、劣悪な状態なのか?
さて、突然変異には二つの法則性があるという。それは、単一現象であることと、限られた範囲で起こるということ。突然変異の誘起される確率を支配する法則は、極めて単純でしかも示唆に富んでいるという。そして、身体組織におけるイオン化作用の総量と密度が重要だとしている。実際、あるエネルギー磁場によって人為的に原子現象に偏重をきたす場合がある。例えば、X線が癌や不妊症の原因とされる。ちなみに、股間に電磁波を浴びると女の子しかできないという説がある。ある研究室では、股間用の防磁グッズが常備されていたものの、先輩方の子供は女の子ばかりだった。ただ、Hが下手だと女の子ができるという説もあり、こちらの方が説得力がある。
ところで、近縁交配が有害となりやすいのはなぜか?劣性変異は異型接合にとどまっている限りは、それが基になって自然淘汰が起こることはないという。異型接合においては偶然変異は遺伝しないという。突然変異はしばしば有害となることが多いが、根絶や死にはなりにくいと。不利な遺伝子が集まっても、直ちに害になるというものでもないらしい。例えば、白色の金魚草と紅色の金魚草が交配すると、その子はすべて中間色の桃色になるのだそうな。
二つの対立因子が、その影響を同時に現す場合が、血液型に見られる。どんな遺伝子にも、わずかながら変異因子が紛れ込むとすれば、異型交配によって排除しようとする。だが、同型交配では、変異因子はもはや変異因子ではなくなり、それを倍化させる危険があるということか。バッハ家族のように音楽的才能に恵まれた家系が生じる一方で、ハプスブルク家には顎と下唇の奇形に遺伝が見られる。名門同士で650年にも渡って濃縮した血縁は、まさに異様!近親相姦が古くから禁じられてきたのは、生理的な防衛本能が働いているのかもしれない。
突然変異種は安定性の低い場合が多く、不安定な遺伝子を自然に排除する仕組みが備わっているというから、とても統計的偶然性などでは説明ができそうもない。劣性の対立因子が異型接合の場合、優性の対立因子により完全に支配されて害が認められないというのは、実に驚くべきである。
では、自然淘汰は最適な種を生み出そうとしているのか?安定な遺伝子を選ぶ機能があるとして、それが正常な因子と判別できるのか?突然変異の確率がイオン化作用を持つ放射線によって増加するとすれば、大気中の放射線や宇宙線の影響も考えられる。地球の磁場が不安定な時代では、とてつもない進化や退化が起こるのかもしれない。
一方で、遺伝子の優劣、人種の優劣、民族の優劣、学問の優劣、地域の優劣など、あらゆるものに優劣を唱えれば、自己の優位性を過信することになる。医学的に遺伝操作が許されるならば、人々は優れた因子に群がるだろう。人間も自然物のはずだが、はたして人間の意思は宇宙法則に支配された自然淘汰の原理に従っているのだろうか?

4. 負のエントロピー
生命というだけにある特徴とは何か?一塊の物質が生きているとはどういうことか?自発的に運動することを言うのか?ただ、年を老いていくと、薬漬けにされ、無理やり寿命が延ばされ、無理やり生かされている感がある。自律神経系だって植物性機能と言われる。やがて身体はエントロピーを増大させ平衡状態になる。これが死というやつか。
運動すればエネルギーを消耗するが、体内器官は適当な運動をしないと機能不全に陥る。はたまた食べ過ぎれば栄養過剰となり、肥満や糖尿病などを誘発する。人体とは、なんと矛盾に満ちた悪循環な熱機関であろう。消費と供給で生きながらえる物質、これが生物の正体か?その均衡が崩壊した途端に危機が生じる。まるで経済サイクルよ。
さて、生物体は急速に崩壊して平衡状態になることを免れているという。それが、負のエントロピーを食べるということらしい。エントロピー S は、次式のようになる。

  S = k log D

k はボルツマン定数。D は物体の原子的な無秩序さの程度を示す値。収束時間の違いはあれど、いずれエントロピーは増大し、活動のない状態へ近づく。だが、生命体は死から逃れようと必死だ。D が、無秩序の目安とすれば、逆数 1/D は秩序の目安となる。1/D は対数に負の符号をつけたものだから、こうなるという。

  -S = k log (1/D)

これが、負のエントロピーの考え方である。
しかし、だ。食べるという行為は、食物に含まれる有機化合物の秩序をそのまま取り入れているわけではない。消化によって有機化合物の分子構造を破壊しているし、おまけに、余計な遺伝情報までも排除しているではないか。要するに、体温を保つこと自体がエントロピーを増大させている。そして、熱力学の第二法則は自由エネルギーが減少することを告げている。んー...やはり違和感は拭えない。

5. 遺伝子を保持するエネルギー準位
遺伝子が原子1000個程度の高分子構造であるならば、それを維持するエネルギーはどこから生じるのか?それは、異性体のエネルギー準位から解き明かされる。異性体とは、分子を構成する原子構造が同じでも配列が違うもの。例えば、プロピルアルコール(C3H8O)は、3個の炭素(C)、8個の水素(H)、1個の酸素(O)とからなるが、異性体では O の位置が違う。この構造で遷移しようとすれば、O を引き抜いて他の位置に差し込まなければならない。そのような操作には、量子飛躍の観点からも非常に高いエネルギーを必要とする。高分子構造の異性体の仕組みが、遺伝子を維持しながら、しかも配列の多様性をもたらすというわけだ。となると、遺伝コードを入れ替える減数分裂においても、かなりのエネルギーを消費するはず。セックスやると眠くなるのも道理か。
エネルギー準位を引き上げるのに最も簡単な方法は、熱を帯びることである。そこで、異性体の偏移を起こす確率を決定するものは、W/kT の比が重要な役割を果たすという。k はボルツマン定数、T は絶対温度、W は遷移のためのエネルギー。ちなみに、理想気体で原子1個の持つ運動エネルギーは、(3/2)kT になると教わった。ここでは、「ハイトラー - ロンドン結合」と呼ばれる理論で説明される。
W/kT の比が大きいほどエネルギーが引き上げられる確率は小さくなり、突然変異の起こる期待時間は長くなるという。W/kT = 30, 50, 60 に対して、その期待時間は、1/10秒、16ヶ月、3万年になるそうな。そして、T が室温の時の閾値 W は、それぞれ 0.9eV, 1.5eV, 1.8eV(エレクトロンボルト)になるそうな。このエネルギーを身体に換算すると、どのぐらいになるのだろうか?落雷でも突然変異が起こりそうか?ん...よく分からん。尚、突然変異の起こる期待時間 t は、W/kT の指数関数になるという。

  t = τe(W/kT), (τは、10-13 ないし10-14 となる定数)

突然変異の期待時間は温度を上げると短くなり、変異の頻度は増加するという。指数関数であることが、少しの温度差でも大きな影響を与えそうだ。安定性の高い分子構造で変異の起こる頻度が低いものの、温度に対する変化は著しいものがある。寒冷地方の方が遺伝子の安定性は高いのだろうか?その気候が、そのまま生きる上で快適とも言えないだろうけど。生物の進化は、地球の気象変化とも関係があるのは確かなようだ。
熱力学の第三法則では、絶対零度に近づくにつれ、分子の無秩序は物理現象になんら影響を与えないようになる。だが、ネルンストの定理では、室温でさえもエントロピーの演ずる役割が驚くほどわずかだとされるという。確かにエントロピーは対数特性なので、そうかもしれん。冷蔵庫の中でも、非周期性結晶が真空で絶対零度に近い振る舞いをしても不思議ではないか。

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