2012-12-30

"アンティキテラ古代ギリシアのコンピュータ" Jo Marchant 著

1901年、マレア岬からクレタ島の間に位置するアンティキテラ島沖の沈没船から、奇妙な機械の破片が引き揚げられたそうな。調査が進むにつれ、少なくとも30個の歯車を組み込む洗練された技術の凝縮であることが見えてくる。沈没船の方はというと、地中海でローマ支配が強まる紀元前1世紀頃、戦利品を運ぶ途中に沈んだと推定されるという。そうなると、歴史の矛盾にぶつかる。なにしろ、ルネサンス期の天文時計まで待たないと出現しないような代物なのだから。千年もの歴史の空白の謎は21世紀になった今、ようやく正体を見せつつある。
ところで、古代技術に信じらないほどの水準を魅せつけられると、必ず登場するのが異星人の仕業とする説である。アンティキテラの機械もその例に漏れない。しかし、太陽暦や太陰暦は地球の住人にしか意味をなさないはず。異星人がしばらく地球に滞在する必要があって、そのためにこしらえたというのか?そうかもしれん。あるいは、歴史の空白があまりにも長ければ、古代人はもはや異星人のような存在と言っていいのかもしれん。そして、現代人が新発明と騒いでいるあらゆる技術は、古代人から学んでいることに気づかず、踊らされているだけのことかもしれん。

「神よ、時を知る方法を最初に見つけた人間を呪いたまえ!この地上に日時計をもたらし、わが日々を無残に細かく切り刻んだ者をも呪いたまえ!」...マッキウス・プラウトゥス

人類は、時を刻む方法を天文に求めてきた。ヘシオドスの著書「仕事と日」には、農夫たちが星座を眺めて作業の拠り所にしたことが記される。年周期は黄道十二宮をもとに12等分され、やがて太陽や月の軌道周期が基準とされる。間接的には、潮の満ち干きやナイル川の氾濫などに現われる周期性がこれに従う。時間についての知識はこれほど古いにもかかわらず、機械仕掛けの時計が登場したのは、ずっと後の中世ヨーロッパとされる。そして、周期的な機械構造は、歯車を要としてきた。
では、歯車の物理的、数学的な意味とは何か?差動歯車は、二つの歯車の回転数の差ないし和に相当する速度で回転する。二つの入力歯車が同じ方向に回転すれば足し算となり、逆方向に回転すれば引き算となる。差動歯車の発明によって、手で紡ぐよりも上質な綿糸がより速く安価に大量生産され、自動車の動力伝達装置にデファレンシャルギアが用いられてきた。エニグマ暗号機は、複数のローター連結で構成される。つまり、歯車式の機械構造は、演算器、角速度変換、あるいはエネルギー変換として機能させることができる。そして、蒸気機関や製粉機や機織り機の道を開き、産業革命の引き金となった。
そこにある最も基本的な抽象概念は、周期性である。時を刻む方法は、振り子時計、水晶振動子を用いたクォーツ、電磁波の周波数スペクトルを用いた原子時計へと進化させてきた。今日のデジタル機器も、振動子や発振器がなければ駆動できない。何かを数えるという単純な作業でさえ、ある自然数を底にした記数法が用いられるが、これも一種の巡回群である。
人間ってやつは、時を過ごすにしても、数を数えるにしても、周期性を好み、それを等分に刻まずにはいられない。生理的には心臓の鼓動に現われる不整脈を嫌い、心理的には無理やりにでも規則を設けて時間厳守という日々の義務を課す。何の意味があって周期性とやらに縋るのか?確かに、電磁波は無限の安定直進性を示す。周期性に囚われると不老不死に近づけるとでもいうのか?あるいはニーチェの言う永劫回帰を求めているのか?ただ、赤い顔をした鏡の向こうの住人は、行付けの店でいつものお姉さんを前にしながら、チェンジ!チェンジ!...と小声で繰り返している。おいらには、この専門用語の意味が分からない。

1. どこで作られ、どこへ運ばれていたのか?
アンティキテラの機械を載せた船は、紀元前70年から紀元前60年頃にローマを目指して小アジアのペルガモンを出航し、おそらくアレクサンドリアに寄港し、確実にロードス島に立ち寄ったと見られているそうな。ヘレニズム時代、アレキサンダー大王の東方遠征にともない、ギリシア文明はアレクサンドリアやアンティオキアといった東の都市で融合し開花した。一方で、後にローマの支配下となるギリシア本土では、知識が停滞したと考えられているという。
紀元前86年、ローマの将軍コルネリウス・スッラがアテネを侵略した。スッラにも増して強欲だったのがポンペイウスで、紀元前61年に凱旋パレードを行い、戦利品を港に運んだ船は700隻、行進に2日もかかったという。ポンペイウスがローマに帰還した頃、ユリウス・カエサルが台頭しつつあった。こうした背景から、アンティキテラの機械はローマの戦利品だったと推測している。
ローマに対して友好的に振る舞った都市の一つにロードス島があり、ギリシアの学者がさほど妨害されずに仕事ができたという。ロードス島には、古代最高の天文学者に数えられるヒッパルコスとポセイドニオスがいる。アレクサンドリアには、機械仕掛けの名人、ヘロンの公式で知られるヘロンがいる。さらに、キケロは、アルキメデスが天体を表す道具を作ったと伝えている。アンティキテラの機械に記される月名を調べると、その呼び名を使っていた都市が見つかっているという。それはロードス島のものではなく、都市国家コリントスの植民地で使われていたと。コリントスの本土でどのような暦が使われていたかは不明だが、ギリシア西北部のイリュリア、エペイロス、コルフ島、そして、もう一つ重要な植民地にアルキメデスの住むシチリア島のシラクサがある。コリントスとエペイロスは紀元前2世紀のローマの侵攻によって壊滅状態になっていたが、シラクサは紀元前212年ローマの将軍マルケッルスに征服された後、紀元前1世紀になってもなおギリシア語を使い、かなり繁栄していたという。重税を課せられるものの友好的に振る舞ったとか。作られたのがシラクサかロードス島か、あるいはその双方かは知らんが、本書はシラクサ説を推している。技術そのものは、イスラム世界で受け継がれ、水や水銀で動く時計について書き残され、アルキメデスの時計と記されるものもあるとか。とはいえ疑問は残る。なぜ2号機、3号機が作られなかったのか?

2. 歯車の起源とアストロラーベ
歯車に関する最古の文献は、紀元前330年頃のアリストテレスの論文だと言われているそうな。噛み合う2つの車が反対方向に回転しながら、互いに押し合う仕組みについて。ただ、歯に関する記述はないらしい。アリストテレスはアレキサンダー大王の家庭教師であり、東方遠征によってバビロニア数学の影響を受けたことが推測できる。
道具として実践した最初のギリシア人は、紀元前3世紀の発明家クテシビオスとアルキメデスだという。クテシビオスは、アレクサンドリア博物館の初代館長とも言われる。彼自身は記述を残していないが、後のローマの建築家ヴィトルヴィウスによると水時計を作ったと記されるそうな。あのネジが無限に回転する仕掛け、アルキメデスのスクリューは有名だ。アルキメデスがクテシビオスの元で仕事をしていたのは、ほぼ間違いないという。ヘロンも、大きさの違う二つの歯車によって仕事量を変換できるアルキメデスの原則について記しているという。彼もまたクテシビオスの弟子だそうな。ヘロンが図解つきで説明するバルールコスは、順番が大きくなっていく歯車を連動させて、小さい力で重い物が持ち上げられる機械だという。ただ、これが実現できるほどの強靭な歯車は、当時作れなかっただろうとする学者も少なくない。ヘロンの機械に、ディオプトラという照準儀もある。
また、古くから「星をとらえる物」という意味の道具「アストロラーベ」がある。一つの円盤がもう一つの円盤の上で回転する仕組みで、地球から見える天空が二次元に表される。アストロラーベに関する最古の文献は6世紀のものだという。実物は9世紀以降のものしか残っていないとか。ただ、2世紀、プトレマイオスがアストロラーベらしき物を作るための数学を記述し、その道具で観測結果を残しているという。一方で、アストロラーベの発明者は紀元前2世紀のヒッパルコスとも言われる。プトレマイオスの著書「アルマゲスト」には、ヒッパルコスの天体観測の結果や理論が数多く引用されるという。

3. 黄道十二宮とメトン周期... デレク・デ・ソーラ・プライスの研究成果
天文時計の誕生は、中国では11世紀頃、ヨーロッパでは13世紀頃と言われる。だが、イギリスの野心的な学者プライスは、時計誕生の定説を覆したという。
アンティキテラの機械の文字盤の縁には二重円で目盛が刻まれる。内側の目盛は12等分され、更に30に刻まれ、合計360。縁には十二の星座が時計回りで並び、黄道十二宮を刻みながら天空を駆ける太陽の年周期を示しているのだとか。外側の目盛は365に刻まれる。一月を30日とし12ヶ月に分かれていて、そこに微調整のごとく5日追加され一年が365日になる構成。古代ギリシア・エジプト暦には閏年がなく一年が365日で一定だそうな。ヘレニズム期に愛用されたという。だが、実際は短めで不便なので、使い手が外側の円盤を回して、4年に一度調整したのだろうと推測している。
さらに、X線撮影によって8層もの未知の歯車が浮かび上がる。歯の並びは不規則だったり、中心点がばらばらだったり。箱の外のハンドルを回すと、冠歯車が回転して他の歯車の動力源になっていることで、これを「動力歯車」と名付けている。動力歯車の表側には黄道十二宮が刻まれ、裏側には月の運行とメトン周期が刻まれているという。太陽の位置から月の位置を算出するのは、すぐに運行時間が同期しなくなるので簡単ではない。月が地球を回る周期は恒星月と呼ばれ、約27.3日。満月から満月までの周期は朔望月と呼ばれ、約29.5日。古代ギリシア人は、19年に一度、月と太陽がまったく同じ位置になることを知っていたという。19年は朔望月で約235ヶ月、この間に月は空を254回めぐる。これが、メトン周期。紀元前433年、メトンはこの現象を理解した最初のギリシア人だが、彼がバビロニア人から知識を得たことはほぼ確実だという。メトン周期で一年は、254/19 恒星月。6つの歯車の歯数は、順に65(64か66の可能性あり)、38、48、24、128、32 あるという。その回転比率を数式で表すと、かなり誤差がある。

  65/38 x 48/24 x 128/32 = 260/19

無理やり1枚目を64、5枚目を127とすると、こうなるけど。

  64/38 x 48/24 x 127/32 = 254/19

月の位相、すなわち満ち欠けの計算は基本的に朔望月と同じで、満月を基準にするか新月を基準にするかの違いはあるにせよ、235 と 254 の差を埋める差動歯車として機能したと推測している。これで太陽と月の運行を同期できるというわけか。

4. プラネタリウムとカリポス周期... マイケル・ライトの研究成果
ロンドンの科学博物館で工学を担当するライトの研究室に、オーストラリアのコンピュータ科学者アラン・ジョージ・ブロムリーが訪れたという。ブロムリーは、コンピュータの祖父と言われるチャールズ・バベッジの生誕二百周年にあたる1991年に1台制作してみようと持ちかける。いわゆる、階差機関と呼ばれるやつだ。そして、アンティキテラの機械で意気投合し、二人の共同研究が始まる。結局、ブロムリーは研究成果を一人で発表したために、ライトと険悪になるのだけど...
さて、X線撮影が最初からやり直され、映像の質もかなり改善され、プライスが見落としていた歯車が発見される。そして、プライスが差動歯車としていたものには入力が一つしかなく、差動ではなく惑星の運行を示すものと考えたという。かつては沢山の歯車があって、1個の土台となる太陽の円盤の上を惑星の歯車が回る、ある種のプラネタリウムというわけだ。内惑星と外惑星は、速度を変えたり、停止したり、蛇行したりと、規則正しい軌道にはならない。そのため、惑星の語源であるギリシア語のプラネテスには、「さすらい人」や「放浪者」という意味があるそうな。そこで、ターンテーブル上で再現する各惑星の運行は、遊星歯車で構成される。
地球中心の宇宙観が全盛の時代、天動説にもいろいろあるが、二つの体系に大別できる。一つは、エウドクソスの同心天球モデルで、アリストテレスの哲学体系に組み込まれる。もう一つは、アポロニウスの周転円モデルで、それを進化させたプトレマイオスの体系がある。時代的には、アポロニウスの周転円と重なる。周転円 = 遊星歯車というわけか。
また、機械の裏側に螺旋の文字盤を発見したという。同心の多重円ではなく一つの螺旋を描いていて、5回まわりきると235になるように目盛が付いている。メトン周期の朔望月だ。この文字盤のすぐ脇についている小さな歯車は、4つに区切られているという。古代ギリシア人は、メトン周期の他にカリポス周期という暦も使っていたそうな。カリポス周期は、4メトン周期(19年 x 4 = 76年)に相当する。となると、エジプトの太陽暦を、何種類もの太陰暦に置き換えることができる機械ということか。
しかし、歯車の歯数を書きだしてみても、遊星歯車が何を計算しようとしたものかが分からない。ターンテーブルには、他の歯車と噛み合わない223の歯がついているという奇妙な点があるという。さらに、二つの歯車の中心がわずかにずれていて、ピンが穴の中を上下して中心に近づいたり離れたりする仕掛けがあるという。この時代に楕円軌道という概念があったのか?ヒッパルコスは、太陽と月の軌道を説明する方程式で、ゆらぎの考えを取り入れていたという。その研究成果では、裏側下部の文字盤が交点月(約27.2日)の4ヶ月を表し、半日単位で218の目盛が刻まれているとしている。交点月とは、地球から見た太陽の軌道と月の軌道が交わった時から、次に同じ交点に戻るまでを1ヶ月と数える暦である。
なるほど、日食を予測するのに便利か。ただ、半日単位で刻まれる意図が分からない。そして、破片やX線写真から歯数を読み取るだけでも大変だというのに、せっかく223と読み取りながら218としたのは、結果的に強引だったことになる。

5. サロス周期とエクセリグモス周期... トニー・フリース率いる最強の布陣
映画製作者フリースは、名だたる研究者、CT撮影、最新のCG技術ともタッグを組んでいたという。カーディフ大学の天文学者マイク・エドマンズに、アテネ国立考古学博物館とテサロニキ大学が祖国の遺産のために協力。カリフォルニアの優秀なCGクリエーターは、ヒューレット・パッカード研究所。X-テク社のCT技術は鮮明なX線画像を見せる。機械の裏側に操作説明らしき長いリストがあることは以前から分かっていたが、その二万語近くあるものから二千語の文字が解読される。
さて、ライトの結論で、半日単位で218の目盛というのはいささか不自然。正確に読み取ると、やはり223だったという。食を予測する時の周期にサロス周期がある。1サロス周期は約18年、すなわち223朔望月。月の通る道(白道)は太陽の通る道(黄道)に対して約5度傾いているため、食は白道が黄道と交差する新月か満月の時に起こる。食の周期は、朔望月(約29.53日)の周期と、交点月(約27.21日)の周期の最小公倍数で一巡する。その周期は、朔望月で223ヶ月、交点月で242ヶ月に相当する。
他にも、サロス周期の利点があるという。月の軌道は楕円で、月の大きさと速度は一定には見えない。近地点(約27.5日)は一周ごとに約3度動き、約9年で地球を一周する。1サロス周期は、239近点月に相当する。ピンが穴を上下する仕掛けは、月の楕円軌道を表しているというわけか。ただ、サロス周期には問題がある。1周期の日数が整数にならず、6585 + 1/3日になってしまう。日食の見える場所が、西へ120度(360度 x 1/3)ずつずれる。そこで、古代ギリシア人は3サロス周期、すなわち54年を1周期とすることを考えたという。これを、ギリシア語で回転を意味するエクセリグモス周期と呼ぶそうな。669朔望月に相当。
ライトの218の歯数を持つ歯車の謎に対して、フリースは歯数を223とし、そのすぐ脇に別の歯車を据えて一気に解決した。孤独に戦うライトはフリース率いる最強の布陣によって負かされたことになり、ライトとフリースはいがみ合う。いくら争ったところで、最大の功労者が古代ギリシア人であることに変わりはないのだけど。古代人の知識を奪い合うことが現代人の姿だとすれば、人類は進化しているのだろうか?

0 コメント:

コメントを投稿