クレイトン・クリステンセン教授に感銘を受けたので、もう一冊。前記事「イノベーションのジレンマ」では、持続的イノベーションと破壊的イノベーションを区別し、破壊的発想にこそ真の変革の可能性を匂わせてくれた。だが、一般的に、変革、改革、改善と呼ばれる類いのものは、持続的発想からくるものであろう。破壊的発想となると天才的な思考を予感させる。進化論風に言えば、離散的な突然変異にこそ真の進化の道があるとでもしておこうか。凡人には、いや凡庸未満の酔っ払いには、過去を引き摺りながら生きるしかないように思える。
ところが、本書の研究成果は、そんな凡庸未満にも一筋の光を与えてくれる。イノベータはよく右脳型とか生まれつき才能を持つと言われるが、そんな考えをバッサリと斬り捨て、創造性においては生まれよりも育ちや経験が優先されるという立場を表明する。そして、イノベーションの能力は、方法さえ分かれば誰にでも体系化して習得できるものとし、けして個人プレーで成就できるものではないという。ここに紹介されるイノベータたちは、自己の能力不足を冷静に分析し、それを補う人材を幅広く集め、ワクワクするような挑戦的なプロセスを組み込み、そしてなによりも、チームに哲学的な共通意識を植えつけて実行力のあるチームを仕立てあげる。発想力と実行力は別次元にあるというわけだ。
「革新的なアイデアを生み出す能力は、知性だけでなく、行動によっても決まる。」
彼らは概して自問することに長けており、その意味で哲学者である。天才と凡人を分けるものとは、ちょっとした努力の違い、ちょっとした発想の違い、ちょっとした視点の違い、そして、その慣習的行動の積み重ねが結果を大きく変えるだけのことかもしれん。離散的な突然変異にしても、長年に渡って蓄積されたエネルギーがある閾値を超えて爆発した結果なのだろう...
本書は、破壊的イノベーションで必要な5つのスキルを提示してくれる。それは、発見力に欠かせない「質問力」、「観察力」、「ネットワーク力」、「実験力」と、これらを結びつける「関連づけ思考」である。また、イノベータにも得意技があり、スタートアップ起業家、企業内起業家、製品イノベータ、プロセスイノベータの4つに分類している。これだけ複雑で多様な能力を必要とすれば、やはりチーム力が物を言う。ただし、ここで言うチームとは、同一思考の集団ではなく、多様な価値観の融合した集合体を意味する。ちなみに、著述家フランス・ヨハンソンは、価値観の交流による創造的な現象を「メディチ現象」と名付けた。いわゆる、メディチ・インパクトというやつで、ルネサンス期、メディチ家が科学者、哲学者、彫刻家、詩人、画家、建築家など幅広く人材をフィレンツェに結集させたことから、なぞらえた名である。
しかし残念ながら、凡人には創造的で独創的な人材の見分けができない。それどころか、異端と見なし葬ってしまう。そういう才能を嗅ぎつける能力もまた、創造的で独創的でなければなるまい。類は友を呼ぶと言うが、独創的な人の周りに独創的な人が集まるものであろう。なのに、お偉いさんはよく部下の愚痴をこぼす。枠に囚われない考え方をしろと。だが、囚われない考え方!これこそが知りたいことなのだ。笑われるぐらいでないと、斬新なアイデアは期待できない。そこにヒントが隠され、周りの人々によって優れたアイデアに育てられる可能性だってある。一つの斬新なアイデアに出会うためには、その10倍以上のバカバカしいアイデアを相手にすることになる。にもかかわらず、価値観から逸脱した提案は馬鹿にされてお仕舞い。創造性や独創性を求めるお偉いさんほど、この呪縛に嵌る。過去の栄光を振りかざすだけでは建設的な思考は生まれない。緊張感を煽っても思考の柔軟性を抑圧するだけ。破壊的イノベーションを必要とする場面では、実績や自己存在を一旦否定してみるような試みが必要である。
... などと言えば、凡庸未満の酔っ払いには過去の栄光などというものがないので、相性が良さそうに映る。いや、相性がいいのはイノベーションではなく、自己破壊の方よ。
1. 関連づける力と思考の試行センス
イノベータたちは、新たなものをゼロから創出するわけではない。コンピュータ技術にとらわれ過ぎてもいけない。最新技術に頼り過ぎてもいけない。メディアに流されてもいけない。もちろん、過去にとらわれすぎてもいけないが、現代人が古代人を凌駕したわけでもない。利便性が根源的な人間の欲望を満たしているわけでもない。異質なアイデアは、多種多様な存在を認めた上で、関連づけという思考実験から生じるものかもしれない。アインシュタインは、創造的思考を「組み合わせ遊び」と呼んだそうな。巷で騒がれるイノベータといえばスティーブ・ジョブズ氏、彼は「創造とは結びつけること」だと語ったという。
「創造的な人はどうやってそれをやったのかと聞かれると、ちょっとうしろめたい気持ちになる。実は何をやったわけでもなく、ただ何かに目を留めただけなのだ。...さまざまな経験を結びつけて、新しいものを生み出すことができたのだ。」
まったく無関係に見えるものを、ちょっと違う視点から繋げてみる。こういう思考は簡単そうで難しい。イノベータたちは、思考の試行センスが優れているようだ...
2. 質問力と馬鹿になる覚悟
質問という行為には、遠慮という考えが働きやすい。特に日本文化でありがち。レベルの低い質問は自己の能力を露呈することになり、恥と考える。だが、向上心とは、恥をかくところから始まる。素朴な質問に対処するのは面倒で鬱陶しい。だが、説明を疎かにすると本質を理解していないことを露呈する。子供が最も素朴な哲学者と言われる所以だ。無難な質問よりも型破りな質問こそが、互いの向上心を刺激しあう。
しかし、質問という行為がデリケートであることも確かで、用い方を間違えると揉め事へ発展する。質問が建設的な方向に向かわせるとすれば、それが質問力というやつか。実際、解答よりも問題を提起することの方が重要であることが多い。ピーター・ドラッカーはこう言った。
「正しい答えを見つけることではなく、正しい質問を探すことこそが、重要かつ至難の問題だ。誤った質問に対する正しい答えほど...危険とまではいわないが...無駄なものはない。」
イノベータにとって質問することは、知的トレーニングなどではなく、息をするように自然なことだという。そして、いつでも 5W1H をたたみかけるという。彼らには、常識を常識とする考えが、あまりないようだ。
ところで、議論の最中、メンバーたちは本当にこの仕事を理解しているのだろうか?と思うことがある。そんな時、チームに馬鹿を演じられる奴が一人いると助かる。冗談まじりの質問が、その場の雰囲気を和ませるばかりか、意思疎通を再認識させる役割を自然に演じてくれる。暗黙に能力を認められた人物の為せる業で、チームの潤滑油のような存在となる。そういう人物が見当たらない時は、マネージャ自身がバカバカしい質問をしてみるのもいい。質問力とは、馬鹿になる覚悟をすることであろうか。ブレークスルーの本質は、疑問を適切な質問で再構築することにあるのだろう。
「答えは頭で考えるものではない。...適切な質問を探すことによって...答えのベールをはぐのだ」
3. 観察力と理解力
イノベータのほとんどが熱心な観察者で、観察行為は感覚器官を駆使して行われるという。よく観察しなければ、疑問もわいてこない。「用事を片付ける」、これが観察なのだそうな。つまり、片付けるべき用事を理解するということ。どんな用事にも、機能的、社会的、感情的側面がある。用事をコンピュータに処理させるなら、コンピュータの得て不得手を理解することになる。これが観察というわけである。もっと言うなら、用事を片付けるとは、欲望を理解することであり、人間の本質を理解することになろうか...
4. ネットワーク力と寛容性
個人で思考しても限界がある。イノベータたちは、人々との出会いを精力的に求めるという。業界などの枠組みにとらわれることなく、分野にこだわらないネットワークを。ネットワーキングを得意とする人とは、アイデアネットワーカーであり、資源ネットワーカーではないという。イノベータは、資源や出世のためにネットワーキングすることがあまりないらしい。新しいアイデアや洞察を引き出すために、いろいろな考えや視点を持つ人と話すそうな。
現代社会にはSNSなど繋がる手段が溢れている。だが、得てして知識だけで繋がるような資源ネットワークは、似たような考え方が集まり、むしろ思考を偏重させる。専門家どうしで集まっても、却って視野を狭めるかもしれない。アイデアネットワークでは、寛容性の高い能力を求める。イノベータたちは、思考の柔軟性に敏感に反応する。知らない人に近づけないのは、自分に自信がないからだという。
しかし、それだけだろうか?どんなに興味のある思考の持ち主でも、やはり人間的に合わないこともあろう。こちらが好んでも断られることもある。やはり凡人との違いは、多様性に対する寛容性の違いであろうか。自信は傲慢とも相性がよく、それよりも柔軟性や寛容性の方が本質的に思える。しかも、凡人の最も苦手とする資質だ。ついでに、凡人は寛容さと優しさを混同する。
ネットワーキングは、異なる社会的ネットワークに属する人たちとの対話を生み出す時、画期的なアイデアを誘発するという。そして、様々な産業、企業、国、民族、年齢集団などに属する人たちと対話することを奨励している。また、TED(Technology Entertainment Design) のようなアイデア会議への参加を呼びかける。だが、政治や宗教的な思惑は勘弁願いたい...
5. 実験力と失敗力
「失敗などしていない...うまくいかないやり方を一万通り見つけただけだ」...トーマス・エジソン
質問、観察、ネットワーキングは、過去と現在についての考察を与えてくれる。だが、将来の考察について手がかりを得るには、実験に勝るものはないという。仮説を実証するには試してみるのが一番。あらゆる新規事業は試行錯誤の繰り返し。インターネットがビジネスチャンスをもたらしたのは、過去の実験者たちによる財産である。失敗から学ぶことができれば、それは失敗ではなくなる。失敗を放置するから、永遠に失敗の痕跡に憑かれる。そもそも、人間社会そのものが、試行実験の場に過ぎない。政治システムにしても、経済システムにしても、社会的システムにしても。そして、失敗すれば、反対派の餌食にされるだけのことよ。
「新しい経験をすることは、望ましい学習成果に直接結びつかなければ、時間の無駄だと感じる企業幹部が多い。」
実行志向型の幹部は、目の前の問題を効率よく解決することに重点を置くため、課題と直接関係のない行動を時間の無駄と考えるという。対して、発見志向型の幹部は、新しい経験に挑むのは双方向的学習であって、実践に役立たないかもしれないことを承知しているという。研究分野は、ほとんど実を結ぶものではなく、それだけに、地道、根気、こだわり、といった資質が求められる。ちなみに、むかーし、おいらがある研究所に配属された時、上司から研究部門は、発想力よりも根気の方がはるかに重要だと助言されたものだ。あらゆる分野において、ほとんど日の目を見ることなく、人柱となってきた研究者が大勢いる。だからといって、研究を疎かにすれば未来が細る。やはりイノベーションには、ギャンブル的な性格がある。優れたイノベータが三流経営者と評されることも珍しくない。そこで、賢明なリスクのとり方を検討することになる。適切な構造をもった少数精鋭のプロジェクトチームを数多く用いたりと。スマートリスクこそが、失敗力ということになろうか...
2013-07-28
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