2013-07-07

"ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア" 中村俊春 監修

2013年6月2日... 北九州市立美術館で「ルーベンス展」を鑑賞した。俳優谷原章介氏の声が館内に調和し、至福のひとときを提供してくれる(音声ガイド500円)。そして、余韻を楽しむために図録を購入(本書2,400円)。美術オンチには、このような解説書でもないと味わうことが難しいのだ。おかげで、版画の鑑賞を疎かにしていたことに気づかされる。
鮮やかな油彩画が大画面で押し寄せ、等身大のド迫力に圧倒されると、版画の陰翳芸術が地味に映る。しかし、図録には版画の歴史的意義といったものが語られる。歴史でくすぐられると、酔っ払いの好奇心は疼き、もう一度足を運ばずにはいられない...6月11日
ところで、芸術の愉悦を味わうには五感を総動員したい。視覚と聴覚は揃っている。嗅覚も絵の具の雰囲気が漂う。触覚は図録で我慢するとして、足りないものは味覚だ。ブランデーを持ち込むと怒られるだろうなぁ...と呟きつつ...相棒のヒップフラスコっち...と目が合う。

さて、「ルーベンス展」と銘打っているが、彼自身の作品だけではない。これだけの数の大作を、どうして作り得たのか?それは、アントワープにあるルーベンス工房に鍵がある。芸術の大量生産システムと言えば、大袈裟であろうか。
17世紀頃、画家たちは工房組織によって芸術活動をしていたという。だが、大規模な工房による絵画制作に批判的な意見も少なくない。実際、ルーベンスの工房作品に対して、軽率に描かれるという批判があり、フランスの評論家ロジェ・ド・ピエールも好ましくない作品が多いことを認めているという。芸術の創作意欲は、孤高の天才によって手がけられるというイメージがある。社会の騒音から隔離された静謐な仕事場こそ、芸術に相応しいと思ったりもする。こうした考えは、19世紀のロマン主義時代に定着した芸術像だそうな。工房の役割は絵画制作だけではなく、教育機関としても機能していたようである。
本展覧会では、ルーベンス工房で活躍した5人を紹介してくれる。ヤーコプ・ヨルダーンス、アントーン・ヴァン・ダイク、アブラハム・ファン・ディーペンベーク、ヤン・ファン・デン・フッケ、ヤン・ブックホルスト。尚、ヤーコプ・ヨルダーンスは、弟子というより外注という形で参加していたという。
中でも、ヴァン・ダイクは傑出した存在のようで、イングランド国王チャールズ1世の宮廷画家になっている。彼は、親方資格を取得しながらルーベンス工房にとどまり、助手であり続けたという。その偉大さは、パウルス・ポンティウス作「ルーベンスとヴァン・ダイク」という二人の肖像版画に顕れている。

また、ルーベンス工房に属さない共同制作者の存在が大きい。画家にも得意分野があり、他の学問と同様、専門細分化や分業といった傾向があるようだ。人物画家のルーベンスと、風景、動物、静物などを得意とする専門画家とのコラボレーションは、合理性を追求した結果であろうか。得意分野の集合体として絵画を完成させる手法は、16世紀初頭のフランドルで誕生し、さらに画家の専門化が進み、ちょうどルーベンスの時代に花開いたようである。
特に注目したいのは、動物画と静物画の専門家フランス・スネイデルスと、風景画家ヤン・ウィルデンスで、彼らも自身の工房を構えていたという。ルーベンスが主動的な立場であったのは確かなようだが、彼らとの共同制作には腕比べの意味もあったようだ。
「狼と狐狩り」という作品では、ルーベンスが自尊心を傷つけられたというエピソードを紹介してくれる。注文主のカールトンは、オリジナルの動物を描いたのはスネイデルスだと思い込むが、実はルーベンスが描いたもの。ルーベンスにはスネイデルスに劣らない自負があって、皮肉まじりに弁明している。スネイデルスに死んだ動物を描かせたら天下一品だが、生きた動物を描かせたら自分の方が上だと言わんばかりに。尚、年長のヤン・ブリューゲル(父の方)との共同制作では、ルーベンスの方が客員という立場で描くことが多かったという。その息子ヤン・ブリューゲル(父と同名)の作品にも人物を描いているとか。本展覧会では、彼らの作品も紹介される。
スネイデルス作「猟犬に襲われる猪」には、狩猟者などの人物が登場しない。なのに、猪に噛み付く犬は、人間に飼い慣らされているような妙な雰囲気を漂わせている。白い犬には、ペットの象徴のような先入観があるのだろうか?
スネイデルスの動物画の躍動感は、ルーベンスとの共同作品「熊狩り」に見られる。この作品は、スペイン国王フェリペ4世に依頼された最後の作品で、8点からなる狩猟を題材にした大画面連作の1点だという。どうせなら連作で鑑賞したいものだが、うち6点は火災で失われたそうな。これも横幅3メートルあったものが、右側が失われ2メートルに縮まっているとか。種明かしがなければ違和感はないのだが、下絵の油彩スケッチと比べると、やはり躍動感が違う。芸術とは、部分描写も重要だが、観点や思慮の総合的描写によって決まるということか。尚、「シルヴィアの鹿の死」は、失われた6点の中の下絵として展示される。
失われた作品であっても、下絵や原画を模写した版画が残されれば、いずれ工房で復活する可能性がある。だからといって、ルーベンスが色褪せることはないだろう。真の芸術には、著作権をやかましく主張しなくても、鑑賞者を黙らせる力があるのだと思う。それが、模倣芸術との違いであろう。展示会では、つい本作品に目がいきがちだが、下絵や原画を模写した版画には歴史が詰まっていることを留意しておきたい。そして、解説に目を通していくと、助手たちの「見えざる手」といったものが見えてくる。アダム・スミスではないが、これぞ神の手というものであろうか。したがって、「ルーベンス展」というより「ルーベンス工房展」と呼んだ方が良さそうである。

1. 時代背景
中世、カトリック教の強烈な支配で寛容性が失われると、古代ギリシア・ローマ時代の自由意志を懐かしむ風潮が生じ、古典回帰の文化運動が巻き起こる。いわゆるルネサンス。芸術とは、自由精神の開花の結果であり、芸術の爆発とは、抑圧された社会への反動から生じるものなのだろう。レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロといった画家が、15、16世紀頃に登場したのも偶然ではあるまい。そして、美術品の収集活動は、メディチ家の断絶後、ハプスブルク家が受け継ぐ。
16世紀以来、ネーデルラントはハプスブルク家の支配下にあった。スペイン国王フェリペ2世の時代になると、新教徒に対する激しい弾圧や経済情勢の悪化のために民衆の不満が高まる。1566年、オラニエ公ウィレム1世が反政府軍を組織し、1581年、北部7州はユトレヒト同盟によってスペイン統治を拒否。一方、南部の諸州はスペインの支配下として残り、カルヴァン派の勢力の強いアントワープも、1585年、アレッサンドロ・ファルネーゼ率いるスペイン軍に制圧される。こうして、ネーデルラントは、プロテスタント国である北のオランダ連邦共和国と、スペイン支配下の南ネーデルラント(フランドル)に分裂した。しかし、スペインは、1648年のミュンスター講和までオランダの独立を認めず、1609年から1621年の休戦期間を除いて、武力衝突が続く。ルーベンスは、ちょうどこの時期、いわゆるバロック期に活躍する。
彼は、芸術の中心がイタリアにあると確信すると、1600年イタリアへ行き、マントヴァ公の宮廷画家となる。8年間のイタリア滞在後アントワープへ帰郷し、1609年、統治者アルブレヒト大公とイザベラ大公妃の宮廷画家に任命される。1623年頃から外交官としての手腕を振るい、スペインとイギリスの和議成立にも貢献したという。
また、古典を基礎に置く教育を受けた人文主義学者でもあったという。ラテン語や古典文学にも造詣が深く、自宅や工房や装飾などを手がける建築家でもあったとか。ガウディは、建築はあらゆる芸術空間の総合であり、建築家のみが統合的な芸術作品を完成することができるとした。天才芸術家の精神というものは、絵画という平面空間にとどまることができず、多次元空間へ飛び出さずにはいられないのだろう。実際、魅せつけられる作品群は、静止画でありながら動画よりもはるかに動的な歴史物語を語っている。魔力を吹き込んだ動的リアリズムとでも言っておこうか。寓意的な描写が多く感じられるのは、激動の時代を生き残るための術であろうか。
ここでは、その時代を象徴する作品を二つ挙げておこう。

「勝利者としてのローマ」
ここには、ローマの元老院と市民 "Senatus Populusque Romanus" を意味する「S.P.Q.R.」が記される。マクセンティウスを打ち破った古代ローマ皇帝コンスタンティヌスが、ローマを暴君から解放し、市民の自由を取り戻したことが描かれているわけだ。ネーデルラントの自由を、ローマの自由に重ねたのだろうか?

「二人の女性寓意像とアントワープの城塞の眺望」
ここには、弾圧に対する反感がうかがえる。いささか生気を欠いた女性二人に、光の陰影効果もいまいちな作品ではあるが...
短剣を抱え、兜と盾の上に足を載せている女性は、戦争と勇気を描いた寓意像で、一緒に抱きあう後ろ姿の女性は、運命の寓意像だという。その背景には、五角形のアントワープの城壁が描かれる。アントワープの城壁は、1568年、スペインがこの地の統治を強化するために、アルバ公爵の命で建造された。だが、1577年、一時的にスペイン支配を脱して取り壊され、1585年、再びスペイン軍に占領されて再建される。この城は、スペイン軍がアントワープへ入市行進を行う出発地でもあったという。ルーベンスは、入市行進式典の芸術監督を務めたことから、その式典に関連した作品と推定されている。
本書は、プロテスタント勢力に対する勝利を象徴しているという解釈を支持している。一方で、武具を踏みしめていることから平和への渇望が描かれているという解釈もあるらしい。確かに、この作品だけを眺めるとネーデルランド色が強い。だが、作品全般を眺めると普遍的な思いを感じないわけではないので、後者の解釈も捨てがたい。一人の人生に一貫性を持たせることは不可能であろうから、作品の時期によっても作者の思いは違うだろう。

2. キリスト物語
ルーベンスの作品群には、キリスト教的な人文主義を信条にしていたことが伝わる。本展覧会にも見事なキリスト物語が蘇る。とりわけ、「ご訪問」、「羊飼いの礼拝」、「聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ」、「キリスト哀悼」、「復活のキリスト」は、連作として眺めると味わい深い。
「ご訪問」は、長い間不妊であった聖母マリアが、天使から懐妊のお告げを受け、従姉妹のエリサベツのもとを訪れる場面。
「羊飼いの礼拝」は、生まれたばかりのキリストを、聖母マリアが布で包もうとする場面で、キリストに礼拝するためにベツレヘムまでやってきた羊飼いたちが描かれる。
「聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ」では、幼いヨハネが聖母に抱かれる幼児キリストを見つめている。聖ボナヴェントゥーラ作として普及していた13世紀後半のフランシスコ派の書作「キリストの生涯についての瞑想」には、聖母マリアとヨセフがエジプトからの帰途、幼児キリストを伴ってマリアの従姉妹エリサベツとその子である洗礼者ヨハネのもとへ訪れるが、その際、幼いヨハネがキリストに敬意の念を示したことが記されるという。まさにその場面。
「キリスト哀悼」は、安らぎの象徴、聖母マリアとマグダラのマリアに抱かれて死を迎えようとするキリストの姿。身体を清めたと思われる洗面具や白い布などとももに、左下の隅には、ちと見えにくいが、受難具の釘とハンマーが描かれる。
「復活のキリスト」は、死後3日目に蘇ったとされるキリストが、既に右足を地面に置き、次に左足を地面に置こうとする瞬間。左足親指の立っている角度が妙に生々しい。生に満ちた目は、十字架で絶望の淵にあった目とは対照的。死を克服した者を描いているのだろうか?最後の審判の際の天国への復活を願う信者たちには、とりわけ好まれた作品だという。

ところで、それぞれの人物像にはモデルが実在したようである。妙にリアティがあるのはそのためであろうか?
「アッシジの聖フランチェスコ」の首をかしげている姿は、その辺にいるオッサン!などと感想を漏らせば怒られそう。修道衣を身につけた聖フランチェスコの手と足は、磔刑に処せられたキリストと同じ場所に聖痕を負っている。空から注ぐ聖なる光を帯びて、両手に胸を当てた謙譲のポーズだそうな。しかし、光の質感が粗悪で、聖なる光には見えない。人物像がこれほどリアティで、なぜ背景が粗悪なのか?
さて、男性像に関しては個性を感じるが、女性像に関してはヴィーナスを象徴するような、豊満な乳房にふくよかな肉体像ばかりが目立つ。「9つの頭部」と題してルーベンスの素描も展示されるが、老人の表情など古代ギリシアの哲学者を彷彿させるような繊細さ。一方、「聖ドミティッラ」「毛皮をまとった婦人像」「三美神」など...カトリック的な理想の女性像であろうか?
「悔悛のマグダラのマリア」はヴァン・ダイクの作品ではあるが、その特徴が強く表れている。マグダラのマリアは、キリストに悪霊を追い払ってもらい、磔刑と埋葬に立ち会い、墓前では天使から主の復活を告げられ、復活後のキリストに最初に出会う栄誉を受けた女性。中世、この聖女にまつわる伝説が拡充し、フランスのプロヴァンス地方サント=ボームの荒野に隠棲したという伝承が生まれ、荒野で悔い改める図像が出来上がったという。しかも、この世の財を捨て去った隠棲聖人らしく、ほぼ裸体で表されるようになったとか。豊満な乳房を露出させ、官能性を強調するのは、そういう意味もあるようだ。上を見つめて大粒の涙を流すが、口元は笑みを浮かべ、やや狂乱気味。この作品には伝承の風潮が見て取れる。ただ、隠棲を強調するならば、痩せ細っている方が説得力がありそうな気もするけど。

3. ギリシア神話とローマ神話
ギリシア神話とローマ神話を描いたこの二つの作品を眺めるだけでも、ルネサンス期の風潮が伝わる。

「ヘクトルを打ち倒すアキレス」
トロイア門外で、アキレスに加勢する女神ミネルワが槍を渡し、その槍で喉を刺してヘクトルが崩れ落ちようとする場面。ギリシャ神話の好きなおいらは、この題材だけで見入ってしまう。

「ロムルスとレムスの発見」
ここには、ローマ建国伝説の主役ロムルスとレムスの誕生秘話が描かれる。アルバ・ロンガの王ヌミトルから王位を奪った弟アムリウスは、ヌミトルの子孫によって復讐されることのないように、その娘レア・シルウィアを処女が義務付けられるウェスタの巫女にした。だが、レアは軍神マルスに見初められ、双子の兄弟ロムルスとレムスを産む。双子は、アムリウスの命によりテヴェレ川に捨てられるが、雌狼とキツツキに育てられ、羊飼いのファウストゥルスに発見され引き取られる。ここには、ファウストゥルスが、川辺のイチジクの木の下にいる双子の兄弟を発見した奇蹟の場面が描かれる。

4. 版画作品
濃淡と明暗だけの世界に歴史の重みを感じるのは、モノトーンがノスタルジーな精神色彩の基本だからであろうか。版画といっても浮世絵のような木版画ではない。彫刻刀で彫るのではなく、鉄のペンで描くエッチングで、化学薬品などの腐食作用を利用した塑形や表面加工といった技法。だから極めて精細な版画となるそうな。
ルネサンス以降、画家が生み出した構図は、版画を通じて広く普及したという。ラアファエロの素描は、版画家マルカントニオ・ライモンディによって、その構想が伝えられたそうな。ティツィアーノに至っては、油彩画の版刻によって、それを目にできない人々にも構図の観賞ができるよう配慮したとか。版画は、工房に収集され、制作資料となり、若い芸術家たちの素描学習のための手本となる。
ルーベンスもまた自ら監督となり、自作絵画の版画化を進めている。だが、彼自身は版画にそれほど精通していなかったらしく、主に訂正を加えるものだったらしい。それは... まず、下絵素描は工房の画家が行い、ルーベンスがその素描にインクと白のグワッシュで訂正を施す。次に、下絵素描の裏面に黒または赤のチョークを塗り、その面を版刻する原板の上に置き、素描の形態の輪郭線を先の鋭い金属製のペンでなぞって原板に写される。そして、版画家がその輪郭線をなぞって版刻する... といった具合に。
本展覧会では、クリストッフェル・イェール作「エジプト逃避途上の休息」と一緒に、ルーベンスによる加筆訂正版が展示される。美術館へ二度目に足を運んだ時、ここだけで何度往復したことやら...
当時、著作権が十分に保護されないため、ルーベンスの絵画に基いて版画を制作することは誰にでも可能だったようだ。ただ、印刷物である版画に関しては、プリウィレーギウム(Privilegium)という複製を禁ずる独占版権を得ることができたという。国ごとに申請する必要があり、ルーベンスは、南ネーデルラント、フランス、オランダで版権を取得したという。
工房で生み出された版画は極めて質が高く、明暗のコントラストや素材感を見事に再現している。その貢献は、版画家リュカス・フォルステルマンによるものが大きいという。しかし、ルーベンスのこだわりは半端ではなく、フォルステルマンがその厳しさに追い詰められ、暗殺を企てたという噂もあるとか。
ここでは、モノトーンに刻まれた歴史物語をつまんでおこう。

「ホロフェルネスの首を切り落とすユディット」コルネーリス・ハッレ作
旧約聖書外典「ユデイット記」によると、ユダヤの町ベツリアがアッシリア軍に包囲された時、美貌の寡婦ユディットの英雄的な行為が町を救ったという。彼女は民を裏切ったように振舞い、敵の司令官ホロフェルネスに取り入る。魅了されたホロフェルネスは彼女を招いて宴を催すが、酔いつぶれたところを剣で首を切り落とされる。まさに、その切り落とそうとする場面。寝台から滑り落ちそうなホロフェルネスが苦痛で顔をゆがめるところに、ユディットが右手で口を押さえ、冷酷な暗殺者を演じている。その見下した目がなんとも印象的だ。それを4人の天使が見つめているという構図。版画のコントラストが、油彩画には現れない冷酷さを強調するかのようだ。

「アレクサンドリアの聖カタリナ」ルーベンス作
アレクサンドリアのカタリナは、伝説上の聖女。ヤコブス・デ・ヴォラギネの「黄金伝説」によると、カタリナとの結婚を望んだ皇帝マクセンティウスは、彼女にキリスト教の信仰を捨てさせようと、哲学者たちと議論させる。だが、哲学者たちが逆にキリスト教の信者になってしまい、彼らは火刑に処せされる。さらに皇帝は、カタリナを4つの車輪からなる拷問の道具で処刑しようとするが、彼女が縛り付けられると、天から稲妻が落ち車輪は粉砕される。その後、彼女は首を切り落とされ、遺骸は天使たちによってシナイ山に運ばれたという。この作品では、カタリナは勝利の殉教者として描かれる。

「ソドムを去るロトとその家族」リュカス・フォルステルマン作
旧約聖書「創世記(19:1-28)」に記されたロトとその家族が、ソドムの町を去る場面。神は、罪深い人々が住むソドムとゴモラを滅亡させるに際し、ロトと彼の家族だけを救うことにした。かくして天使に導かれ、ロトと妻、二人の娘たちが町を去らんとするが、ロトは苦悩の表情を浮かべ、妻は涙する。ちなみに、その後、後ろを振り返ってはならぬという神の命に背いたため、妻は塩の柱に変えられ、娘たちは子孫を残すために父ロトを酔わせて誘惑するそうな。

「スザンナと長老たち」リュカス・フォルステルマン作
旧約聖書外典「ダニエル書」によると、裕福なユダヤ人ヨアキムの貞淑な妻スザンナが庭で入浴していると、二人の長老が彼女に襲いかかり、言うことを聞かないと若い男と通じていると告発すると脅すが、彼女は脅しに屈せず助けを叫んだ。そのために彼女は虚偽の告発を受けるが、預言者ダニエルにより長老たちの嘘が暴かれる。この物語は、ルネサンス期以降に好んで題材にされたという。

「聖家族のエジプトからの帰還」リュカス・フォルステルマン作
ユダヤの王となる運命を持つキリストが生まれたことを知ったヘロデ王は、王座から追われることを恐れて、ベツレヘムとその近郊の子供たちをことごとく殺害するよう命じる。しかし、マリアとヨセフは、キリストを連れてエジプトへ逃避していたので難を逃れる。この作品は、エジプトから帰還する場面で、キリストは既に幼児ではなく、少年に成長している。

「キリスト降架」リュカス・フォルステルマン作
ルーベンスの最も有名な作品の一つで、キリストの亡骸を十字架から降ろす人々を描いた作品。もはや説明はいるまい。版画には、生々しい血痕が赤く見えない分、余計に迫力がある。まさに陰翳芸術の最たるものか。

「聖母マリアの被昇天」パウルス・ポンティウス作
対抗宗教改革期のカトリック教会では、プロテスタントとは対照的にマリア信仰が重視されたという。マリアの魂と肉体が死後3日後に天に引き上げられるという被昇天の主題も頻繁に描かれたそうな。

「トミュリスとキュロス」パウルス・ポンティウス作
ヘロドトスの「歴史」には、マッサゲタイ族の女王トミュリスによるペルシア王キュロスに対する復讐の物語がある。トミュリス軍を率いる女王の息子スパルガビセスは、キュロスの奸計によってワインを飲まされ、酩酊させられ破れる。捕らえられたスパルガビセスは自害。息子を失った女王は、復讐に燃えてキュロスに勝利し首をはねる。「私は、お前の血への渇きを癒してやると言ったが、その通りにしてやるのだ。」と言ったとか。まさに、キュロスの首を手にした若者が、敵の血で満たされた鉢に浸けようとする場面。豪華なドレスをまとった女王トミュリスとその周囲の者たちが、その様子を冷ややかに見下ろしている。

「キリストの磔刑(槍の一突き)」ボエティウス・アダムスゾーン・ボルスウェルト作
福音書によれば、キリストは二人の盗人とともに、ゴルゴタの丘で磔刑に処せられたが、そのうちの一人がキリストに罵声を浴びせたのに対し、もう一人はキリストに帰依したとされる。馬に乗った兵士が、槍を持ってキリストの脇を突き刺している。この兵士は、他の福音書にある「まことに彼は神の子であった」と叫んだとされる百卒長と同一視され、後に槍を意味するギリシア語に由来するロンギヌスと呼ばれるようになったという。この作品は「槍の一突き」と通称されるそうな。

「ライオン狩り」スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト作
ド迫力!後ろ足で立ち上がった馬から真っ逆さまに落馬するムーア人に噛み付くライオン。そのライオンを後ろから槍で仕留めようとする甲冑を身につけたローマ風の兵士。さらにそれを支援する馬に乗った二人のムーア人。人物と動物が一体化した動感溢れる狩猟のドラマが描かれる。

「ヘロデの饗宴」スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト作
新約聖書「マタイによる福音書(14:6-11)」によると、ヘロデ王は、誕生日の祝いの席で、妻ヘロデヤの連れ子サロメが巧みに踊ったのを褒め称え、彼女の望むものを何でも与えると約束したという。サロメは、ヘロデヤに従って洗礼者ヨハネの首を所望したとか。ヘロデが兄弟ピリポの妻であったヘロデヤを娶ったことをヨハネが非難したため、ヘロデヤはヨハネを憎悪していた。まさに、切り取られたヨハネの首を載せた皿を抱えるサロメが描かれ、それをヘロデ王に見せている場面。ヘロデ王が後退りする横で、ヘロデヤは平然と王に語りかけている。

「奇蹟の漁り」スヘルテ・アダムスゾーン・ボルスウェルト作
「ルカによる福音書(5:1-11)」にある、キリストによる奇蹟の漁りの場面。ゲネサレ湖で、キリストは漁師ペテロに船を沖へ出し、網をおろすように命じる。前夜、何も取れなかったペテロは、いぶかしく思いつつ網をおろすと、大量の魚がかかる。別の船でヤコブとヨハネも手伝うが、ともに船が沈みそうになるほどに。その時、キリストはペテロを諭してこう言ったという。
「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ。」

「酔っ払ったシレノス」クリストッフェル・イェール作
オウィディウスの「転身物語」で語られるシレノスの逸話。アル中ハイマーを名乗るからには、通り過ぎるわけにはいかない作品だ。酒神バッカスの師シレノスが泥酔してよろよろ歩くところを、フリジアの農民たちに捕まりミダス王のもとに連れられる。王は、バッカスの育ての親シレノスを歓迎し十日十夜の宴を催す。シレノスはすっかり酔っ払い、自然の精霊サテュロスと農耕の精霊ファウヌスに抱えられる場面。ヘシオドスの物語「仕事と日」を思い浮かべながら、朝っぱらから飲んでないで仕事しろ!と説教が聞こえてきそうな...

0 コメント:

コメントを投稿