相変わらず難解なフーコー... この怖いもの見たさが、思考の暴走を加速させやがる...
「狂気の歴史」では、ルネサンスの輝かしい歴史の裏で、狂人たちの処遇にも変化が現れたことを物語ってくれた。それは、非人間性から非理性というやや柔らかい概念への移行である。精神病という病の認識が芽生え、光と影が人間性において融合を始めたのである。とはいえ、治療法をめぐっては、監禁されることに変わりはない。
「監獄の誕生」では、その生々しい監獄の設計図が描写される。犯罪者の精神鑑定という見方も、この頃登場したらしい。人類の歴史とは、人間という身分をめぐっての歴史である... とでもしておこうか...
監獄は国家権力の重要な機構の一つであり、それは裁判所や警察機構と協調して機能する。規格外の者をどう扱うか?非行や非理性をどうやって抑制するか?そこには、排除の方法論がある。しかしながら、監視、処罰、矯正といった手口は、一般社会にも根付いている。家庭、学校、企業、病院、軍隊など、あらゆる集団で管理社会が形成され、少し規格から外れると村八分にされる。最高権力者である国王もまた民衆に監視され、やがてギロチン行き。アリストテレス風に言えば、人はみな、生まれつき奴隷のようなものであろうか...
フーコーは、国家権力の在り方をイデオロギーの作用としてではなく、人間本性的な観点から論じる。権力とは、思想観念的なものではなく、ブルジョアジーという新たな階級が生じる中で自然に組み込まれたという。どんなに平等を叫んだところで、やはり階級は生じる。それは、人間の多様性が本性的なものだからであろう。能力の自由を妨げることはできない。問題は、むしろ権力と階級が固定されることの方にある。
かつて、国家権力が処刑の正当性を示すために見せしめを命じれば、民衆の見世物として定着した時代があった。陰謀によって処刑された者も少なくなかろう。自白を強要された者もいるだろう。犯罪の証拠に自白が有効であるのは、現在とて同じ。当時、「死刑囚の断末魔語録」という様式が実存したという。罪の悔み、判決の承諾、神へ詫びる姿など、死刑囚たちの懺悔の記録が処刑の残虐さに正当性を与える。
しかし、いつの時代も真相は闇に葬られる。少しでも疑いのある記述が暴露されれば、探偵文学が活況となり、様々な陰謀説が巻き起こる。三面記事が、極悪非道の人物に仕立て上げるかと思えば、権力との対決振りを英雄伝説に塗り替えることも。皮相的な道徳礼賛の下で面白おかしく書き立てれば、そこに民衆が群がる。はたして苛酷な処罰が、犯罪を抑制しているだろうか?モンテスキューは、過度な刑罰はむしろ法の網をくぐる狡猾さを身につける...といったことを語った。
刑法の役割とは何か?一つは国民の法益を守ることにある。犯罪防止はそのためのものであって、大岡裁きのように悪い奴を懲らしめるためのものではあるまい。けして復讐や賠償のためのものではないのだ。とはいえ、見せしめにしても、強制収監にしても、政治の技術として機能する。そこで、実践的な概念に量刑というものがある。ただし、時代感覚によって量刑に違いが生じるのは自然であろう。あまりに残酷な刑罰が日常化すると、突然虚しさに目覚め、人間性を取り戻したいという感覚に見舞われるかもしれない。
フーコーは、監獄の側から見た人間社会の在り方を問うている。本書は、いかに監視するか?いかに処罰するか?を主題にした国家権力論である。人間の多様性が本性的であるにもかかわらず、刑罰の方はというと、量刑、すなわち刑期で画一化され、究極の刑罰に死刑が位置づけられる。多様性に対して画一的に対処するとは、なんとも奇妙であるが、経済的な政治技術と言えよう。ただし、社会復帰のための矯正や訓育においては、精神鑑定と精神医学によって多様に対処することが求められるが、それも19世紀まで待たなければならない。
フーコーは、人間管理システムの最高モデルは「一望監視方式」にほかならないとしている。こうした画一的な処置を、社会全体の幸福量として計測するならば、功利主義的な発想に近い。実際、一望監視方式を考案したのは、功利主義の主唱者ジェレミ・ベンサムだそうな。
ところで、刑罰には時間の意義が含まれ、刑期は自由の量として換算される。保釈金は時間を買うための手段となる。その金額が、犯罪の重さだけでなく保有資産も考慮されるとなれば、ここにも経済原理が働く。すなわち、需要と供給の関係である。
一方で、終身刑は、死刑と同じく時間の概念を抹殺する。完全に望みが絶たれれば、労働や訓育に無関心となり、もっぱら脱獄と反抗の計画に向けられるという。そこで現在では、時間の概念を失わないように、仮釈放という方策が組み込まれる。確かに、時間は自由意志と直結する概念である。しかし、監獄制度は、希望をつなぐだけで機能するものでもあるまい。塀に囲まれた世界は、ある種の保護地域として機能する。実際、三食が保証された刑務所に戻りたいと、わざと軽犯罪を繰り返すケースもある。
「シャバを恐れてる。50年もムショ暮らしだ。ここしか知らない。ここでなら彼は有名人だが、外では違う。ただの老いた元服役囚だ。白い目で見られる。あの塀を見ろよ!最初は憎み、しだいに慣れ、長い月日の間に頼るようになる。施設慣れさ!終身刑は人を廃人にする刑罰だ。陰湿な方法で...」
...映画「ショーシャンクの空に」より
1. 身体刑の消滅
拷問は、罪人にけして楽な死を与えない。しかも、民衆の見世物となって娯楽化する。処刑台では... 胸、腕、腿、脹ら脛を灼熱したやっとこで懲らしめ... その傷口には、溶かした鉛、煮えたぎる油、焼けつく松脂がたっぷりと注がれ... 身体は四頭の馬に四裂きにされ、手足の関節がもぎ取られる... そこに聴罪司祭が問いかける。生きているか?... これが身体刑の日常だそうな。
なぜ、一人の死にこれほどの手間暇をかけるのか?人間どもは、よほど退屈なのだろう。伝統的な裁判では、残虐な処罰が道徳の下で正当化されてきた。恥さらしが目的化すれば、死体になってもなお晒し者となる。そして、残酷な日常が民衆を狂気させる。道徳の暴走とは、実に恐ろしい。本書は、数世紀に渡って理性の宗教がなしてきた数々を物語る。人類の野蛮さの刻印として。
「刑罰としての身体刑は、身体へのありとあらゆる処罰を包括しているわけではない。というのは、それは分化したかたちで苦痛を生み出すことであり、刑の犠牲の刻印のために、また処罰する権力の明示のために組織される祭式であって、自分の立てた原則を忘れ自己統御を失ってしまうような司法権力の激怒のすがたではないのである。身体刑の極端さには、権力の一つの経済策全体がもりこまれている。」
しかし、あまりに度が過ぎ、権力者の憎しみまでも正当化されれば、どちらが罪人なのか?見物人は疑問を持ち始める。18世紀から19世紀頃、身体刑が簡略化し、死刑の苦痛にも平等という概念が生じたという。
ただ、イギリスは身体刑の消滅に最も抵抗した国の一つだという。その理由は、イギリスの刑事裁判が陪審員の設置と、訴訟手続の公開と人身保護令状の尊重によって、模範的な役割を与えていたからだという。刑法の厳格さを減少させたくないという思惑があったようだ。尚、モンテスキューの「法の精神」によると... イギリスでは、拷問を認めず第三者の証言を重んじるが、フランスでは、証人を怯えさせることを法の原理とする... といったことが語られていた。人道的な法律という意味では、イギリスの方が進んでいる印象を与えるが、ここでは逆説的に語られるところに注目したい。
さて、死刑執行が見世物でなくなれば、司法と死刑囚との間で機密が生じる。密室において拷問が隠蔽されることも。警察権力の暴走は、民衆の暴走にもまして恐ろしい。そこで、法による厳正な規定が必要となる。法理論家たちは、罪の意識を目覚めさせることが動機となり、残酷さが少ないほど穏やかさは増し、人間らしさが増すと考えるようになる。刑罰は、身体に刻むのではなく、精神に刻むものであると。身体刑に対する反対運動が生じれば、国家権力は残忍者の代名詞となる。そして、国王たちもまた、自ら守ってきた残酷な伝統によって晒されることに...
2. 自白の両義性
犯罪訴訟の手続きにおいて、証拠と第三者の証言に信憑性があれば、原理的には自白は必要としないはず。しかし、現実の取り調べでは、自白を中心に展開される。ここには、奇妙な両義性が介在する。一つは、自白は他のいかなる証拠よりも説得力がある反面、嘘は自白にも他の証言にも内在するということ。二つは、自白は自発的であるべきだが、同時に強要されるということ。自由意志は、おそらく人間の本性的なものであろうし、自発的な懺悔ほど説得力のあるものはない。だが、自由意志の扱いをちょいと間違えると、自発性とは程遠いものとなる。それは、平等とて同じ。自由や平等といった癒し系の言葉は、心地よく響くだけに悪用されやすい。
さて、人間はどこまで拷問に耐えることができるだろうか?自白の強要など簡単なことかもしれない。そこで、ちょいと視点を変えて、監獄を社会復帰のための装置として眺めると、自白の扱いも変わってくる。刑罰や監禁制度は再犯防止として機能しているだろうか?それは再犯率が物語っている。刑罰が非行性を助長することもある。一度、加辱刑を受けたものは、晒し者とされることを恐れないかもしれない。刑罰が日常化すれば、脅しの効果も薄れるだろう。酔っ払い運転を撲滅するために処罰を強化しても、却って事故現場から逃げ去るという悪質が生じる。タクシーやバスの運転手が、前日の晩酌のために検査にひひっかかれば、職を失い、人生をも狂わせる。軽い酒気帯びから悪質の酔っ払いまで、一緒くたに社会的制裁を受けるとすれば、そこに量刑は機能しているのだろうか?刑罰が社会の価値観に適った程度で規定されなければ、罪に対して自発性を促すことは難しい。刑罰がその性質上、強制執行されるのは当然である。だが、そこには自由意志との和解によって成り立つ側面があることに留意したい。
3. 人間機械論
兵士は勇ましさの紋章のような存在で、18世紀後半には身体全体を服従させ、人間機械を形作ったという。農民の物腰を追放し、兵士の従順な態度を持ち込む。直立不動で胸をはり、しっかりとした足取りで行進する。そういう姿に、子供たちは憧れる。ある種の国家意識の高揚である。
「人間論(= 機械論)」として受け継がれる書物は、二つの領域から書かれたという。一つは、最初にデカルトが書き、医師や哲学者たちに継承され、解剖学や形而上学として花開いた領域。二つは、軍隊、学校、施設院における規則の総体として、矯正や反省をうながすための技術となった領域。前者では作用と説明が、後者では服従と効用が重視される。とはいえ、双方の領域には重なる点がある。服従させるとは、役立たせるということ、従順さを仕込むということ。すなわち、政治的な自動人形という権力モデルである。
軍隊的な規律や訓練が支配の一般方式になったのは、17世紀から18世紀だという。その代表格といえば、徹底した軍隊訓練に執心したフリードリヒ大王であろうか。それは禁欲苦行や修道院型の規律や訓練と違って、自分自身の身体統御を主要目的とし、名誉と誇りで支えられる仕組み。強制の形態でありながら、うまいこと奴隷制を免れるやり方で、身体が権力装置に組み込まれた積極的強制モデルである。モーリス・ド・サックス元帥の著書「我が夢想」には、こう書かれているという。
「細部に専念する人々は偏狭な人間だと見なされているが、しかし私には、この部分は根本的であると思われる。なぜなら、この部分が基礎であるからだし、また、その成分をもたなければ、どんな建造物をつくることも、どんな方式をうちたてることも不可能であるからだ。建築趣味をもつだけでは充分ではない。石の刻み方を心得ていなければならないのである。」
こうした細部に渡る合理的組織化は、古典主義時代に始まったものではない。政治分野は、立法、司法、行政、軍隊、警察、外交、経済、教育...と、多くの部門に分かれる。学問にしても、細部まで極めようと専門化が進み、いまや総合的な知識として眺めることが難しい。数学ひとつとっても、幾何学、代数学、微分学、解析学、確率論、集合論、情報理論など、それぞれが有機的な存在となっている。こうした分化構造を縦割り構造と言うのかは知らん。人間社会の合理性とは、人間を機械化しようという目論見なのかもしれん。
4. 一望監視方式
建築学的には「一望監視方式」という形象があるそうな。「パノプティコン」とかいうやつか。本書には、ベンサムの考案した図面が添付される。すぐに思いつくものは、一面を見通せる鉄塔から囚人をライフルで狙うといった監視システム。映画の見過ぎか?それはさておき、監視とは、いわば管理方法の一つであり、あらゆる共同生活に関係する事柄である。仕事におけるプロジェクトチームにも、家族構成にも。
事細かく監視を必要とする教育をするか、ある程度の自由裁量を認めても大丈夫なように教育をするか、どちらが人間らしいかは、ここでは議論しないでおこう。とりあえず、好みの問題としておこうか。権力者は、監視方式を画一化することを好む傾向があるようである。そんな規定を作るだけでも面倒であろうに。哲学的な共通観念を植え付ける方が、はるかに合理的であろうに。ただ、どんな方法を用いても、規格外の者は生じる。それが、人間の多様性というものであろうから。そして、政治における最も重要な事項は、教育ということになろうか。国民全体の意識が、目先の欲望や目先の風潮に向かうようでは国家の行く末も危うい。多種多様な価値観を育みながら、哲学的な共通観念を築くこと。つまり、真理において統一された多様な観念とすること。そして、監視は信頼において機能するということを付け加えておこう。警察権力や法律に無条件で従うのも、信頼の証である。では、政治家が率先して法の網をかいくぐろうとするのはなぜか?国家に信頼が置けないということか?俺が法律だ!とでもいうのか?いや、法の限界実験をやっているに違いない。
監視は長らく見世物とされてきた。円形競技場で奴隷たちの流す血などは、国家行事の娯楽であった。狂気を見世物とすれば、見物人までも狂気する。やがて、臭いものには蓋!という意識が広まる。しかし、どんなに人間の本性を覆い隠そうとも、タブー社会の中に投影され続けるだろう。
5. ナポレオン法典と拘禁制度
当時、監獄の歴史はナポレオン法典とともに創設されたと言われていたそうな。フーコーは、その歴史はもっと古いと語る。ただ、18世紀から19世紀に転換期が生じ、監獄は拘禁中心の刑罰制度へ移行したのも事実だという。監獄は、拷問のための待合所から、社会復帰のための拘束所へ。大航海時代から産業革命の潮流に乗って、主産業が農業から商業や工業へ移行する中、様々な商取引における法律が整備される。自由市場の暴走が、法の進化を促進するとは。それでも、資本家階級の台頭で、王族や貴族や聖職者といった特権地位を転覆させた功績は大きい。
さて、ナポレオン法典は民法典という印象があるが、刑事訴訟法や刑法、あるいは商法なども定められるという。五法典もあるとは知らなんだ。監禁制度に関しても規律と訓練が厳格に定められ、拘禁は単なる自由剥奪と混同してはならない、といったことが記載されるという。罪の重さによって、留置場、懲治監獄、中央監獄で収監場所が区別され、拘禁の仕方も区別され、労働と食事の在り方から就寝時間や起床時間などの囚人規定も定められているとか。改心の目的が明確に規定されていることは、注目すべきであろう。
監禁機構を行政の一部として取り込んだのが、拘禁制度ということらしい。19世紀になると、行政上の手続きとして、受刑者の精神報告も義務付けられたという。凶暴性や非行性に対する病理学的な見地が導入されると、狂気が精神病として認識されるようになり、やがて監獄の普遍的な方法が研究されていく。裏社会の研究は、社会学の本質の領域にあるのだろう。人間の本性は、むしろタブーの側にあるのかもしれん。
2013-09-22
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