2016-02-14

"チェッリーニ自伝(上/下)" Benvenuto Cellini 著

イタリア・ルネサンスが生んだ名彫金師ベンヴェヌート・チェッリーニ。彼は、58歳にして自伝の執筆を思い立つ。晩年の空白を埋めるかのように...
「いかなる種類の人間であろうと、なんらかの実力の業、あるいはまさしく実力とまごうかたなきことを成し遂げたならば、誰でも、正直で誠実な人であるかぎり、みずからの手でおのれの生涯を書き記すべきであろう。とはいえ、それほど大事なもくろみであれば、四十歳を越える前にはとりかかるべくもあるまい。」

老獪な法王やメディチ家に渦巻く陰謀、ライバルとの確執や女性関係、戦争、殺人、投獄... 数多の不正不義を掘り起こしてまで語らずにはいられない心境とは?ある種の老人病が、そうさせるのか?ストレートにぶちまける文面!ここに政治的な意図は感じられない。獄中で書かれたカピートロ詩はなかなかで、ローマ掠奪の戦闘、聖城からの脱出、ペルセウス像の鋳造といった場面が劇的に描かれる。
しかしながら、牢獄という非道な運命から解放されてもなお自由奔放な書きっぷりに、自分自身を清廉潔白で誠実な人間であることを強調する独り善がり... 読んでいるこちらの方が恥ずかしくなる。馬鹿正直のなせる技か?あるいは、ルネサンスという自由精神の時代が、そうさせたのか?断末魔の苦しみを味わえば、もう少し孤独を謳歌してもよさそうなものだが、人間の本性は変えられそうにない。所詮、完全な孤独を求めているわけではないということか?孤独愛好家は、どこかに逃げ道を確保し、自分の不幸を舐めるように愛しながら書く。無論、幸せな人間ではあるまい。そもそも幸せな人間が、自伝文学など書けるはずもない。この書が自伝文学の傑作と評されるからには、よほど深みがあるのだろうが、文学オンチのおいらには文学的価値がよく分からない。むしろ心理学的価値として興味深い。
チェッリーニは、マニエリスムの代表的な芸術家とされるが、まさか本人が、私はマニエリスムの芸術家だ!などと思って日々を送っていたわけではあるまい。考えるより先に口の動きに任せて言葉を発した、時代を超えた暴露本の様相を呈する。醜い復讐劇を堂々と目論み、心の隙間を埋め尽くすかのように鋳型に青銅を流し込む。偶像によって死者を蘇らせようと企てるのは、自我を取り戻さんがためか。壊れた自我、自我の肥大化といったものが、いかに手に余る存在であるか。とはいえ、凡人には自己を肥大化させる力もない。彼は... 神の声を聞いたと信じこみ、その錯覚に酔いしれ、自己陶酔する自我とやらを率直に描写した... ただそれだけのことかもしれん。

1. 異端書とされた「自伝」
この書は、黄金の時代を生き、栄光の余韻に浸りながら、悠々と過去を振り返って書いたような代物ではない。65歳にして結婚するも、芸術家としての精力は失われ、寂しい末路。だからこそ執筆を思いたったのか。パリに渡り、寛大なフランソワ1世に仕えると、生気を取り戻す。
しかし、やむなくフィレンツェへ戻り、主君コージモ・デ・メディチ公爵よりペルセウス制作の注文を受けると、またもや鬱病の捌け口を求める。全身全霊を傾けた作品に、公爵の不興を被ったのだった。法王や有力者どもを敵に回せば、検閲官に禁書とされるは必定。弾劾の箇所は表現を和らげ、差し障りのない書へと改編される。チェッリーニは、著作「フィレンツェ史」で文名高いベネデット・ヴァルキに草稿を送り、校正を求めたという。ヴァルキは、こうお墨付きを与えたとか。
「生涯の素朴な話が他人の手で推敲され手直しされるよりは、いまの率直なままのほうがはるかに満足がゆく。」
お墨付きというより、乱暴な文章に呆れたか。あるいは、宮廷人としての保身をはかる深謀遠慮か。当時の芸術家、文章家たちから敬遠されたようである。法王、枢機卿、君主、君侯たちのお定まりの肖像群に対して、裏舞台を語り、見事なアンチテーゼを打ち立てたのだから。となると、この書は反ブルジョワジー文学の先駆け、という見方はできるかもしれない。

2. ヴァザーリへの対抗意識
この書には、ジョルジョ・ヴァザーリへの対抗意識が秘められているようである。「画家・彫刻家・建築家列伝」の著者だ。しかし本文に、その名は見当たらず、ほんの一瞬形容されるだけ。
「この悪だくみを働いたのは、アレッツォ生まれで画描きのジョルジェット・ヴァッセッラーリオであり、たぶん私が施してやった恩に対する彼の返礼がこれなのであった...」
このヴァッセラーリオというのが、ヴァザーリのことらしい。チェッリーニが突っかかって書きおろすのに対して、ヴァザーリは次のように冷静にいなしているそうな。
「やることなすことにおいて意気高く、自信満々で、精力的で、まことに抜かりなくまことに恐るべきもので、君侯の方々とのやりとりを述べることにかけてはあまりに達者なほどの人物であって、それは本業の事柄において彼の両手と才智が揮うのにまさるとも劣らないほどなので、これ以上述べることはない...」
ヴァザーリが、まだ出版されていない「自伝」にどうやって接したかは不明のようである。ヴァルキを通じてか?いずれにせよ、当時のフィレンツェ芸術の構図で、チェッリーニが厳しい位置づけにあったことは想像に易い。本音をズバリ書くことの憚られた時代でもあろう。ヴァザーリの壮大なヴィジョンに比べれば、チェッリーニでさえ群れをなす一頭の羊に過ぎず、ダ・ヴィンチやミケランジェロと比べるべくもない。それは、本書でも、神のごときミケラーニョロと形容され、チェッリーニも心得ている。
ただし、評論家からは、殺人をめぐる正当化など、事実と違う点が多く指摘されているらしい。擲弾兵のごとく勇ましく、毒蛇のごとく復讐心に燃え、思いっきり迷信深く、奇矯さと気紛れに満ち、たまたまそこに居合わせた人物の仕草を証人に仕立てる... などと。最大限に個人主義を押し通し、自分の名誉に反することを排除して、好都合な材料を華々しく語る... と。「まことに恐るべき」というヴァザーリの表現は的を得ているようである。おかげで、ヴァザーリの大作へ向かう衝動は抑えられそうにない...

3. 翻訳の哲学
本題から少々外れるが、解説の中で翻訳者古賀弘人氏は、翻訳の哲学を披露してくれる。
「翻訳者は原作者の書いているとおりに、原テクストの意味するとおりに訳すという態度、方針しかとりえない。翻訳者が原書のここの箇所は表現が舌たらずなので云々... という指摘をしている例を見るが、もっての外である。舌たらずならば舌たらずなのがその文のもっているニュアンス、表現力ではないか。原文にないものをつけ加えることは許されない。また原文にあるものを削ったり落としてもならない。これが翻訳者のとりうる唯一の態度である。それを放棄するならば、意訳に名を借りた誤訳への広い道が開けるであろう。」
本書は、チェッリーニ語の音色をそのまま再現しようとする。ミケランジェロをミケラーニョロと記述し、フィレンツェをフィオレンツォと記述するなど、チェッリーニの独壇場に必死についていこうと。
なるほど、言葉の使い方を強制することはできない。語の連なりである文章は、口から発する音声とともに、人それぞれ固有のもの、生得のもの、自然のものなのだから。言語に柔軟性があるからこそ、いまだ正体の掴めない精神ってやつを合理的に表現しようと努力する。これが文学者の役割、ひいては翻訳者の役割なのであろう。
「言語は万人のものであるという言いかたと、言語は一人ひとりのものであるという言いかたのいずれもが正しいと思う。そしてこの二つの言いかたは手をつないでいる。ひとりのものである固有性と万人のものである普遍性は互いに保証しあっている。」

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