2016-09-04

"雨・赤毛" W. Somerset Maugham 著

サマセット・モームに嵌ったところで、とどめの一冊...
本書には「雨」、「赤毛」、「ホノルル」の三篇が収録され、南海の浪漫を調合した癒しの文面にしてやられる。いずれの結末も一見歯切れが悪そうで、それでいて心を妙にくすぐりやがる。絶妙な中途半端とでも言おうか、ついニヤリとしてしまうのだ。これぞ皮肉屋の真骨頂!おまけに、まったりとした前フリが南海のじめっとした空気を漂わせ、前戯が大好きな酔いどれには、たまらない。
三篇の組み合わせもなかなかで、そこにストーリー性を感じる。鬱陶しい雨がこれまた鬱陶しい説教好きの聖職者の生殖者たる本性を暴けば、ロマンチックな恋愛物語に意地悪などんでん返しを喰らわせ、仕舞いには、魅惑な女性像を散々想像させておきながら、今までの話はなんだったんだよ?とツッコミたくなるような脱力感と衝撃(笑劇)のうちに終わる。中途半端な要素が集まって互いに調和すると、こうも完成度の高いシニカルな作品になるものであろうか。いや、夢から現実に引き戻されれば、大概のことは喜劇で終わるってことか...
尚、「月と六ペンス」で行方昭夫訳(岩波文庫版)を、「人間の絆」で中野好夫訳(新潮文庫版)を、そして「サミング・アップ」で再び行方昭夫訳を手にし、ここでは再び中野好夫訳に戻る。翻訳者の間をさまようのも乙である。

1. 「雨」...  完全なキリスト教化を望む宣教師の狂い様とは...
マクフェイル博士は、戦傷を癒やすためにサモアの島へ船旅の途中、宣教師のデイヴィドソン夫婦と出会う。そして、麻疹が流行して検疫のために小島に上陸。そこは太平洋でも一番雨の多いところ。旅行客は、不快な雨のために、しばらくちっぽけな町に閉じ込められるのであった...
上流階級を鼻にかけるデイヴィドソン夫人は、二等船客と一緒の部屋であることに我慢ならない。おまけに、相手は身持ちの悪いホノルルの娼婦ときた。
宣教師デイヴィドソンは何かに憑かれたように改心させようと情熱を注ぎ、やがて女も何かに憑かれたように恭順していく。二人は部屋に閉じこもり、お祈りを続ける。夫人は夫の布教活動に一切口を出さない。これが夫婦間の暗黙のルール。
「たとえ地獄の深淵よりも、もっと罪深い罪人であろうとも、主イエス・キリストは愛の御手を伸ばし給う。」
ところが、こういうお節介な人間にああいった女を近づけると、不吉な魔力が働く。女は、偶像礼拝の残忍な祭式に用意された生け贄か。
ようやく明日には女がサンフランシスコへ移送されることになり、皆が安堵していたところ、デイヴィドソンの死骸が発見される。右手には自ら喉を斬った剃刀を握っていた。
女の方はというと、もう昨日までの怯えた奴隷ではなくなっていた。厚化粧にケバケバしい服装で、傲岸極まるあばずれ女に戻ったのである。そして、嘲るように大声で笑い、デイヴィドソン夫人に向かって唾を吐いた。マクフェイルは女を部屋に連れ込んで叱ると、女は居直り、嘲笑の表情と侮蔑に満ちた憎悪を浮かべて答えた。
「男、男がなんだ。豚だ!汚らわしい豚!みんな同じ穴の貉だよ、お前さんたちは、豚!豚!... マクフェイル博士は息を呑んだ。一切がはっきりしたのだ。」

2. 「赤毛」... アダムとイブのような純愛の行方は...
船長は、蜘蛛の巣にかかったように、南海の浪漫的な島の入江に上陸した。南海ってやつは、奇怪な魅惑の虜にしてしまう。あのナジル人のサムソンが、デリラに髪を切られて力を奪われたように...
そこには白人の家があり、船長は家主に招かれた。家主の名はニールソン。船長は、彼が奇人だという噂を耳にしていた。ニールソンは、こっちに三十年もいるという。
そして、レッドという男の話を始めた。赤毛だからそう呼ばれていたが、会ったことはないという。アメリカ海軍の水兵で、歳は二十、背が高く、美しい顔立ちで、この世の美しさではないほどに。レッドは軍隊を脱走してこの入江に逃げ込み、十六の美しい娘サリーと出会って恋に落ちた。二人の愛は、アダムとイブのような純粋なもの。退屈でありながら、愛する人と一緒ならば充実できる日々。
「幸福な人間に歴史はないというが、確かに幸福な恋にはそんなものはない。」
やがてそこに捕鯨船が現れ、レッドは攫われた。サリーは子供を死産し、気が狂わんばかりに悲しみに暮れる。
そして三年後だったか、サリーは一人の白人と親しくなったという。その白人とは、ニールソン自身であった。彼はサリーの美しさの虜になり、レッドの帰りなどあてにできないと必死に口説いた。愛ってやつは、拒めば拒むほど燃えあがる。思い出と一緒に小屋を焼き払うが、頑な態度は変わらない。
疲れきったサリーは、ニールソンに身を委ねて妻となるが、思い出は消えず恋は苦痛となる。何十年も、ただ惰性的に夫婦として生きてきた二人。ただ、ニールソンは、憎しげにジロリと船長を睨みながら話を続ける。なぜ船長に、こうも反発心を抱くのか?こいつがレッドだと予感したのか?
話が終わる頃、食事の用意を済ませた妻サリーが部屋に入ってきて船長と対面する。神の悪戯か?船長は、蜘蛛の巣にかかったように、過去に引き寄せられたことに気づくと、すぐに家を出た。あれだけ燃え上がった二人が、三十年後に再会してみれば互いに気づきもしない。ニールソンには、それがおかしくもあるが、やがてヒステリカルな笑いに変わっていく。今までの嫉妬はなんだったのか?なんという浪費!サリーが、今の方は何の御用でしたの?と聞くと、ニールソンは、今の男がレッドだ!と言う気にもなれない。恋の悲劇は、死でも別離でもない。「愛の悲劇は無関心なのだ。」

3. 「ホノルル」... 醜い男の嫉妬深さとは...
ホノルルは、ヨーロッパから恐ろしく遠く、サンフランシスコからも長い長い船路の果て、西洋と東洋の出会いの場、様々な人種の陳列の場、信じる神も違えば使う言葉も違う。共通するものといえば、愛と飢えという二つの情熱だけか。どんなに文明が高度化しようとも、原始的な迷信物語が絶えることはない...
旅行者の私は、ガイドの滑稽で皮肉な案内に御満悦。ガイドは、現地の風俗を味合わせるために、馴染みの酒場へ案内する。そこでバトラー船長と出会い、彼の船に招かれた。そこには、魅力満点の美しい娘と、何かと彼女の身体を触っているバトラー... 活字にするには品がないほどに。
船には、醜男のコックが雇われている。そして、テーブルの上の壁にかかっている、大きなふくべを見つけた。バトラーは、それについて話はじめる...
バトラーは航海士バナナにある島へ連れられ、美しい娘を見つけたという。女癖の悪い彼は、さっそく言い寄る。人生は長い!と言わんばかりに、いつまでも居心地のよい島から出航しようとはしない。いっそ娘を連れて行ったらどうか、と持ちかけたのは娘の父親だった。娘も身体を擦り寄せ、その気十分。父親は金をせびる。娘の柔らかい頬がぴったりくっつくと、値切る気などぶっ飛び、おかげでスッカラカン!男の悲しい性よ。
バナナも娘に惚れた。無口で無愛想だが忠実な航海士を、バトラーは奴でも恋をするのかとからかう。やがてバトラーは原因不明の病に倒れる。娘は、バナナが呪い殺そうとしているのよ、と忠告する。だが、忠実な部下を首にはできない。病態はすっかり骨と皮になり、見るも恐ろしいくらい。娘は、あの人を救えるのは私だけ!と決心した。
そして、テーブルのところで髪をおろし、鏡の代わりにふくべを覗き込んで顔を映す。底に何か落ちていると、バナナにふくべの底を覗き込ませると、さっと水がはね、猛毒をあおったように床の上に崩れた。バナナは、ふぐの毒がまわって死んだとさ...
さて、そんな話よりも、いったいあんな平凡な小男のどこがよくて、あんな綺麗な娘さんが夢中になるのかねぇ?ガイドは言った、「でも、あの娘は違いますよ。別の娘ですよ。」... じゃ、今までの話は???
どうやら娘はコックと一緒に逃げちまったらしい。だから醜男を雇っているんだとさ。新しい女は二ヶ月ほど前に連れてきたばかりで、今のコックなら安心だとさ。嫉妬深い醜い男は、自分より醜い男しか近づけられないというお話であった。ネタふりが長い!

0 コメント:

コメントを投稿