オカルト的な作家として知られるグラハム・ハンコック。だが、考古学では再評価される部分も多い。定説では、有史前の人類は有史以来の人類よりも、知識や知能が劣るとされる。では、巨大遺跡群に示される途方もない天文学的知識に裏付けされた遠大な建造物の痕跡は、単なる偶然であろうか?権威ある学説に疑問をぶつける態度は、酔いどれ天の邪鬼には、たまらない。おまけに、掲載される数々の写真が、地上を鏡としながら天空の偉大さを再現している。尚、写真家サンサ・ファイーアは、ハンコックの一連の著作のすべてで撮影を担当しているそうな...
いつの時代でも、人はお星様に願い事をしてやまない。生の儚さを知れば、永遠に輝き続ける星座に縋る。死は誰にでも訪れるが、その意味を知る者はいない。死はすべての終わりなのか?それとも、何か続くものがあるのか?魂ってやつは、単なる物質の塊か?それとも、単なる想像の産物か?いや、宗教のでっちあげか?
冷徹なほどに虚無をまとった形而上学と、崇高なほどに成熟した科学は、相性が良いと見える。暗さが最も増す時、人々は星を見る... とは誰の言葉であったか。人間の生き様なんてものは、天の模倣でしかないのかもしれん...
天は上にあり、天は下にある
星は上にあり、星は下にある
上にあるものは、すべて下にも現れる
謎を解く者は幸いかな
... ヘルメス、エメラルドの銘板より
ギザのピラミッド群、カンボジアのアンコール遺跡、ポナペ島の海上遺跡ナン・マドール、イースター島のモアイ像、マヤのチチェンイッツァ、ナスカの地上絵など、世界各地に残される謎の古代遺跡群は一つの暗号で結び付けられているという。それは、72 という数に支配された世界。地球は歳差運動によって自転軸の慣性系を形成している。地球の自転軸は、72年に約1度のずれを生じさせながら、2万6千年(= 72年 x 360度)にも及ぶ壮大な周期運動を繰り返している。コマの回転軸が円を描きながら、ジャイロ効果によって軌道を安定させるかのように。そこで、重要な年代が浮かび上がってくる。
なんと!世界各地の古代遺跡群は、紀元前10500年の天体配置を正確に映し出しているというのだ。天体配置とは、黄道十二宮である。黄道十二宮の知識はシュメール文明に遡るとされ、せいぜい紀元前3500年。対して紀元前10500年は、ちょうど最後の氷河期が終わる頃で、多くの種族が大洪水に呑み込まれたとされる。世界各地で伝承される大洪水神話は、この時代を投影したものなのか?
そして、その半周期(180度)の1万3千年後、すなわち、天体配置が天と地で反転する時代が、ちょう21世紀頃に当たる。これは、現代人に何かを学ばせようとする機会を与えているのだろうか?
人は自分の死の訪れを感じると、なにか生きた証を残したいと考える。それは、生ある者の本能めいたもの。人類滅亡の危機を感じれば、なんらかのメッセージを残したいという社会的意識が働くのも道理である。そして、太古を引き継いだ時代、メッセージの欠片に気づいた者が、知識を再構築したということは考えられる。
歴史では、歳差運動によって星の位置が移動することと、その移動速度を発見したのは、紀元前150年頃で古代ギリシアの天文学者ヒッパルコスとされる。だが、太古の人類は、既に近現代を凌駕するほどの高度な知識に達していたという可能性はないだろうか?その知識が、普遍性や真理と呼ばれるものかは分からない。もしかしたら、地球を棲家とする知的生命体が、いずれ到達する知識なのかもしれない。ゲーデルは語った... 不完全性定理は自分が発見しなくても、いずれ誰かが発見しただろう... と。
有史以来、偉大とされてきた知識はすべて太古の模倣、あるいは、繰り返しであったということはないだろうか?地球上に住む知的生命体は、地球の自転軸周期に支配された遺伝子が組み込まれているということはないだろうか?もちろん、一つの時代に急速に推進された大建築計画は全て偶然の産物で、そんな考えは誇大妄想だとする現代の歴史家の見方が正しい可能性だってあるし、ハンコック自身もそう語っている。本書に語られる説が、最先端の科学をもってしても迷信や仮説の域を脱していないのも事実だ。
すでに古代人は、星の運動から地球が球体であることを知り、自転軸が歳差運動をすることまでも知っていたのか?それとも、単なる天体現象として星座を観察し、迷信によって天空を地上に複写しただけなのか?偉大な宇宙の前では、科学も迷信も大して違いはないというのか。あるいは、十分に成熟した科学は魔術と見分けがつかないとでもいうのか。そうかもしれん。
いずれにせよ、歳差運動を観測するには、気の遠くなるほどの世代を超えた叡智の伝承が必要となる。魂の不死とは、叡智を伝承する意志を言うのかもしれん...
ところで、叡智とはなんであろう?奥義を授けられた者には、いったい何が見えるのだろう?少なくとも、奥義を会得した者がメディアを通じて露出狂になることはなさそうだ。崇高な知識は、俗人の目に触れさせてはならないというのか?だから、秘密主義は必然だというのか?彼らにしか解釈できない聖なる知識は、暗号化された碑文によって天文学的計算の正確さを保証している。静かなる礼拝者が石像を刻めば、石工を起源とするフリーメイソンの影までも匂い立つ。ちなみに、グノーシス派の教義にこういうものがあるそうな...
「暗黒と無知に従う人を、多くの偽りによって堕落させ、おおいなる苦しみに巻き込む。彼らは楽しむことなく老い、真実を見つけることができず、真の神を知ることなく死ぬ。このようにして、すべての創造物は永遠に奴隷化された。それは世界が創造されたときから今日にまで至る...
目に見える創造物が存在する理由は、教育と指導と形成を必要とする人々がいるからだ。小さき者が、少しずつ成長できるように。この理由により、神は人類を創造されたのだ...」
1. 歳差運動と遠大な建築計画
太陽が東から昇る位置は一年をかけてゆっくりと移動し、必然的に重要な時点が四つ生じる。最も昼間が短くなる冬至。昼と夜の長さが同じになる春分と秋分。最も昼間が長くなる夏至。この重大な時点は太陽を周る地球の軌道を示しており、古代人が黄道十二宮としてまとめた星の帯は、地球軌道の平面に沿って存在する。それは、地軸を約23.5度傾けて1年間で公転することによって生じる天体現象である。しかも、地軸は、72年に約1度移動しながら、約2万6千年の周期でぐらついている。太陽が昇る真東にある星座が神の安住の地とされ、星座の帯を辿って移り住む。そして、一つの星座に神が宿る期間は、約2160年となる。
72年 x 360度 = 2万5920年
72年 x 360度/12星座 = 2160年
したがって、太古の建造物がどの星座を崇めるかで、いつの時代のものかが分かるという寸法よ。すると、歴史学者が唱える古代遺跡の建設時期が怪しいことになる。例えば、獅子座を崇めるギザの大スフィンクスの建設時期が、紀元前2500年頃とされることも。
世界各地に残される古代遺跡に、72 という数を意識した建築計画が多く見られるという。本書は、72にまつわる 144(= 72 x 2), 108(= 72 + 72/2), 54(= 108/2),... といった数が、実に多く出現する様子を物語ってくれる。
実際、神聖な日の出を拝んだり、生の儚さを星座に願いを込めるといった慣習が、世界各地で共通して見られる。壮大な宇宙サイクルに対する無力感がそうさせるのか?壮大な宇宙サイクルが暗示するものとは何であろう?永劫回帰や輪廻転生の意味を悟らせようという神の魂胆か?あるいは、霊的観念の持ち主に課せられた使命か?もし、壮大な天体周期が、地球上の生命体に何らかの危機的状況をもたらすとすれば、人類の叡智の継承は困難となる。悟りの道は、あまりにも遠い...
2. オリオン座と獅子座をモデルにしたギザの都市計画
ボストン大学の地質学者ロバート・ショック教授は、ギザの大スフィンクスの最低年齢を7000歳以上とし、大論争を巻き起こしたという。定説では、紀元前2500年頃に建設されたとされる。ショック教授の調査は、、ひたすら地質学の側面から迫ったものだという。降雨や風化の浸食の痕跡から。古代気象学者は、雨の降った時期を正確に指摘できるようになった。紀元前2500年のエジプトは現在のように乾燥しきっていて、浸食するほどの大量の雨が最後に東サハラに降ったのは、紀元前7000年から前5000年の間であると。保守的に計算した結果が、7000歳ということらしい。さらに、彼の同僚ジョン・アンソニー・ウエストは、紀元前10000年より古い、あるいは、紀元前15000年より古いかもしれない、との見解を示したとか。
本書は、黄道十二宮との関係から「オリオン相関論」を唱えている。ナイル川とピラミッドの配置が、天の川とオリオン座の配置を正確に再現しているというわけだ。三大ピラミッドは見事なほどオリオンベルトの三つの星に重なり、その北方にあるダハシュールのピラミッドもヒヤデス星団と重なるという。
では、ピラミッドの機能とは何であろう?巨大な日時計か?古代ギリシア人が崇めてきた幾何学に、グノーモーンというL字型の影のできる図形がある。それは、ユークリッド原論にも記され、ピュタゴラスやアルキメデスの思考原理にも垣間見ることができる。やはり人間ってやつは、自らの影を引きずりながら生きる運命にあるようだ。
しかしながら、ただの日時計ならば、これほど巨大である必要があるのか?そこで、奇妙な縮尺率が呈示される。ピラミッドと地球の比は、1 : 43200(= 72 x 600)。ピラミッドは北半球の縮尺モデルなのか?
また、コンピュータ・シミュレーションによると、紀元前10500年の春分の日の出には、獅子座があったという。太陽神は獅子座に宿り、大スフィンクスというライオンの巨大彫像は、その方角を見つめていたことになる。スフィンクスは、何かの番犬であったのか?ギザの都市計画が天文学的な性質を持っているという説は、もっともらしい。
しかしながら、定説の方が正しいとされる証拠もある。ギザのピラミッドの王の間と女王の間には、スター・シャフトと呼ばれる四つのシャフト(通気孔)がある。それぞれのシャフトは、紀元前2500年頃のシリウス、オリオン座のζ星、小熊座のβ星、竜座α星を正確に捕捉するという。太陽神ホルスは、エジプト神話の女神イシス(シリウス)と神オシリス(オリコン)を両親に持つとされ、女王の間はイシスを捕捉し、王の間はオシリスを捕捉するとか。ファラオは、自分の死後、神々に祝福されるように建設させたということか。
そうなると、基本的な建築物は紀元前10500年に造られ、シャフトは、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の第4王朝の時代に増築されたとも考えられる。建造物の伝統に、新たな価値観を上書きするような建築行為があっても不思議ではない。伝統継承の難しさは、その過程で一人でも伝統の意味を解さずに歪めてしまうことであろうか。人間社会には、一旦、聖域を決定してしまえば、盲目に伝統を尊ぶ性質がある。
3. 竜座をモデルにしたアンコールの都市計画
アンコール(ANGKOR)とは、サンスクリット語の言葉(nagara = 町)が崩れたものと言われるそうな。古代エジプト語では、アンク・ホル(Ankh - Hor)で「神ホルスが生きている」を意味するとか。そして、ギザのピラミッドは東経31.15度、古代ヘリオポリスは東経31.20度にあり、アンコールの寺院群は東経103.50度に位置する(103度 - 31度 = 72度)。
アンコール・トムは、「偉大なアンコール」の意で、アンコールワットよりもはるかに壮大な規模で、三つの寺院がある。ピミヤナカス、バプーオン、バイヨン。ここでは、アンコールの寺院群の配置が竜座の星々の恐るべき模倣を見せてくれる。しかも、紀元前10500年の春分の日に太陽が昇る瞬間、竜座が真北の空高く子午線に横たわっているという。竜座に見守られた都市というわけか。古代エジプト同様、ここにも異常なまでに方位や天空の配置へのこだわりが見える。定説では文明の交流はまったくなかったとされるが、単なる偶然か?
ギザの起源は謎に包まれ、紀元前2500年頃に大規模な発展があり、とりわけ第4王朝のファラオたちと深くかかわっている。アンコールの起源も謎めいているが、大規模な発展は西暦9世紀から13世紀とかなり新しく、ジャヤヴァルマン2世、ヤショヴァルマン1世、スールヤヴァルマン2世、ジャヤヴァルマン7世など、クメール王朝と深くかかわっている。そして、ギザにも、アンコールにも、前の時代の建築層が見つかっているという。
なぜ、双方の建造物が紀元前10500年を捕捉しているのか?アンコールで最も多く出現する歳差運動の数は、54 だという。バイヨンには 54 の塔があり、アンコール・トムに至る参道の両側には54体の神々と、54体の阿修羅が並ぶ。
そして、アンコールから経度にして東54度の太平洋上に位置するものが、ポナペ島の海上遺跡ナン・マドールだという。玄武岩と珊瑚礁でつくった100個ほどの人工島から構成される遺跡だ。寺院と人工島のほどんとは、西暦800年から1250年の間に完成したとされ、ちょうどアンコールの繁栄期と重なる。しかも、それよりも前の時代の建築層があることも発見されているという。
さらに、起源不明の遺跡が、アンコールの72度東のキリバス、アンコールの108度東のタヒチで見つかっているとか。こうした地に都市を作れ!というお告げでもあったのだろうか?
ちなみに、日本の南西端にある与那国島にも、少なくとも1万年前のものと考えられる海底遺跡があるそうな。ただ、アンコール遺跡の東19.5度という関係なさそうな位置だけど。
4. 世界のへそ、イースター
島民たちに「世界のへそ」を意味する「テ・ピト・オ・ヘヌア」、あるいは「天を見る目」を意味する「マタ・キ・テ・ラニ」という言葉が伝承される島がある。その名はイースター島、アンコール・ワットから147度あまり東に位置する。半径3000キロに居住可能な島はなく、アンコールが通る子午線から東144度(72 x 2)に最も近い島。1万3000年前、最後の氷河期の巨大な氷冠がほとんど溶けていなかった時代、海面が現在よりも100メートル低く、海膨は急斜面を持つ細長い島々として、アンデス山脈ほどの距離にわたって連なっていたという。ちょうど144度に位置する場所は、現在では海の底。太古の神々は、大洪水で溺れてしまったのか?
アフ・アキビの7体のモアイ像は、太古に海を渡ってやってきた七賢人を表しているという説がある。古代エジプトにも七人の賢人伝説がある。ツタンカーメンの第2神殿に表される壁画の人物像が、すこぶる似ている。エジプトの太陽神ラーの名は、イースター島の遺跡群にも頻繁に登場し、この場所にも像で作ったマンダラがあって、天文学的遺産を示唆するものがあちこちに残されているようである。ちなみに、「ラア」という語は、イースター島の言語で「太陽」を表すとか。
ではなぜ、こんな孤島に賢人たちはやってきたのか?人類の起源は科学的に実証されているわけではないし、遺伝子が地球外から隕石によって運ばれてきたという説も否定はできない。そして、人類の最初の一歩が「世界のへそ」であったことも。この地に限らず、「神聖な石」という思想は世界各地で見られる。人類の共通感覚として、星を眺めて崇高な気分になれるのは、ある種のノスタルジーであろうか?
「聖なる者は世界を胎児のように創造した。胎児がへそから大きくなっていくように、神はへそから世界を創造し、そこから四方八方に広かっていった。」
5. 第四の星座と第四の使命?
歳差運動において、紀元前10500年から半周期(180度)の時代が、西暦二千年あたりになる。これは何を意味するのか?本書は、巨大な遺跡群が紀元前10500年の春分の夜明けにおける四つの特別な星座、すなわち、獅子座、オリオン座、竜座、水瓶座をモデルにしていることを物語っている。獅子座が真東に昇り、水瓶座が真西に沈み、オリオン座は真南の子午線上にあり、竜座は真北の子午線上にあった時代を。しかも、壮大な周期時間に追従して、都を時代ごとに移動させていることを。ギザの都市計画はオリオン座をモデルとし、大スフィンクスは獅子座に祝福され、アンコールの都市計画は竜座をモデルとしている。
では、水瓶座をモデルとした大建造物が、地球上のどこかに存在するのだろうか?大洪水で海の底に眠っているのか?いや、第四の星座をモデルにした神殿を建設せよ!という現代人に課せられたメッセージか?
21世紀の今、紀元前10500年からちょうど180度回転した状態に突入し、太陽神が宿るのは水瓶座である。約1万3000年前の天文学的、地質学的な現象が、半周期して現代と重なるのは何かを学べるチャンスであろうか?
地球の磁力が、ここ数百年で10%ほど減衰しているという研究報告も耳にする。地球の磁界エネルギーがゼロになって南北の磁極反転が起こるのは、西暦2300年より前と予測する科学者もいる。そう、ポールシフトだ。地殻にエネルギーが蓄積され、突然、地殻の大移動が生じることも、ありえない話ではない。磁界エネルギーがゼロになると地球が無防備になり、周辺の彗星を呼びこむような力が働くかもしれない。それが氷河期と重なると、大洪水の引き金になるのかもしれない。
さらに、近年の異常気象や火山活動、そして地球温暖化などと結びつけるのは、オカルトの域を脱していないのかもしれない。磁界ってやつは、謎めいた力だ。それは、地球内部の外核と内核の摩擦によって生じるのかは知らんが、現実に、地球内部はマントルのような流動性物質による遠心力の塊として存在している。
しかしながら、現代人には、まだ偉大なメッセージを解する資格がないのかもしれない。有史以来、人間は物欲、金銭欲、権威欲、名声欲に憑かれ、ついに20世紀、かつてない殺戮の世紀と化した。21世紀になってもなお、政策立案者は消費や生産を煽ることしか知らず、人口増加を煽る施策しか打ち出せないでいる。都市や国家を象徴するような超高層ビルや巨大建造物は計画されても、知性に満ちた普遍的で宇宙論的な建造物が計画されることはない。球体の自転軸が移動すれば、神が宿る方角も聖地も移動するはずだが、宗教的聖地をめぐっては何千年に渡って紛争が続く。それで、古代人が現代人よりも知性が劣ると言えようか...
「希望の持てないほど呪われ、踏みつけられた過去から、あと一度だけ、なんらかの復活が起こるかもしれない。そのとき、ある思想が再び息を吹き返す。私たちは、太古からの大切な遺産を受け取る最後のチャンスを、子孫から奪ってはならない。」
2016-09-11
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