2017-03-26

"歴史哲学講義(上/下)" G. W. F. Hegel 著

晩年ヘーゲルは、ベルリン大学で「世界史の哲学」と題して五回の講義を行ったという。この講義は活字にされることなく、死後1837年出版の「歴史哲学講義」は弟子エドゥアルト・ガンスが編集したものだとか。ヘーゲルが論じた弁証法的方法論には常々興味を持ってきたし、その彼が歴史を哲学的に論ずると宣言すれば、これは見逃せない。それは... 世界史の流れを理性の歩みとして明らかにし、人類の普遍性を自由意思の発展として描き出すこと... だという。過去の事実をそのまま叙述したり、反省を加えたりする歴史家たちのやり方とは一線を画し、人間の本性に立脚し、自由精神を透視してみようという試み。そして、自由意思の生い立ちを、東へ東へ求め、中国、インド、ペルシア、エジプト、ギリシア、ローマ、ゲルマンの順に辿る。
ヘーゲルは、「社会と国家こそが自由を体現する場」だと主張する。自由精神はしばしば悪と手を結んできた。彼は、それが全能の神が創造主であることに矛盾しないとの見解を示そうともがく。善も、悪も、人間の本性であることに疑いの余地はない。メフィストフェレスとも和解せねばならぬとすれば、理性や摂理を信じるだけでは不十分だ。となれば、なぜ完全なる神が、こんな不完全な存在をこしらえたのか?と問わねばなるまい。なるほど、ヘーゲルの歴史哲学とは「弁神論」であったか...

民族や国家の運命、その利害や動向は、道徳とは別の次元に置かれてきた。歴史から得られた教訓は、それに従うどころか、それ自体が都合よく解釈される。現在の知識が経験と理論に裏付けられた最高知として崇められ、過去の教訓は古臭いとして吐き捨てられるのは、いつの時代も同じ。あれだけ貴重な古代ギリシアの叙述が遺されながら、あれだけ貴重な啓蒙時代の書物が溢れていながら。ビスマルクはこんなことを言った... 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
人間が進化しているとすれば、歴史的な変化は望ましい。一時的な後退があったとしても、全体的により良く、より完全に向かっていれば。一般的には、そう考えられている。しかし、愚行を繰り返せば、より滑稽となる。変化を求めているのは、単なる退屈しのぎか。科学的な知識は、確実に増幅している。となれば、客観性はより強化されるはずだが、その分、主観性がより凶暴化して相殺させる。人類にとって、知らない方がよかったという知識も数多くあろう。パンドーラーの箱を開けてしまって後悔しても既に遅し。進化にはリスクをともなう。そして、リスクを凌駕できるほどの進化を遂げているか?が問われる。もはや反省という言葉だけでは不十分だというのか?ヘーゲル先生!
有識者や政治家たちは口を揃えて言う、歴史から学べ!と。しかし、説教じみた語り手ほど、物事を捻じ曲げて解釈する者はいない。それはソフィストの時代から受け継がれてきた。あらゆる戦争は愛国心が歪な形で媒介し、メディアが憎悪を煽り、これに大衆が加担するという構図は、21世紀の今も変わらない。集団性がある方向に一斉に向かった時、個人の自由は圧殺される。
そもそも歴史現象は、自然現象とは違って人間の思惑によって左右される極めて主観的な現象であり、これを客観的に捉えることは不可能なほど難しい。この矛盾は、歴史学が抱える永遠の課題であろう。デイヴィッド・ヒュームはこんなことを言った... 世界は政治哲学をもつにはまだ若すぎる!

ならば、客観的な思考に限界を認め、逆に主観的な思考を存分に解放し、とことん人間の本性を曝け出してみてはどうであろう。人間の本性を考察するということは、自分自身を観察することから始まる。集団から距離を置き、自我からも距離を置いてみる。大抵の人は、自己の内に悪魔の要素が住み着いていることに気づくだろう。理性とは自分の自由を自ら抑制する力であり、自分の理性に自信を持った時点で理性の奴隷となる。自己意識はしばしば理念と対立し、普遍的な絶対者とも対立する。だからこそ抑制との共存によって意識が高められる。相対的な認識能力しか持てない知的生命体にとって、絶対的な観念を見いだすことなどできはしない。自己の自由は、他人の自由を尊重する形で成り立つはずである。自由に生きるには、覚悟がいる、勇気がいる。それは、自律や自立をともなうからだ。物欲に依存することも、組織の中で安住することも、自分自身に同情することも放棄し、自分自身の知性に身を委ねる。
しかしながら、知性ってやつが、いかに脆弱であるか。歴史的人物がしばしば不幸の運命を背負うことは、ぞっとするような事実だが、それによって凡人が慰められるところもある。アレクサンダー大王は早死し、カエサルは暗殺され、ナポレオンは流刑の身となり... 偉業を成し遂げた者が、すべての幸福を勝ち取ったとすれば、どうして偉大と認められよう。真の自由人ならば、嫉妬や憎悪に隷属することもないはずだが...
叙述が宗教の形をとるならば、読者に信じてもらいたいという思惑が働く。だが、哲学の形をとるならば、矛盾を承知し、矛盾を積極的に受け入れ、読者に解釈を委ねるほかはない。少なくとも聖書のように解釈を強制することはできない。凡庸の、いや凡庸未満の酔いどれ天邪鬼が、自由が欲しい!と大声で叫んでいる間も、天才どもは静かに自由を謳歌してやがる...

1. 共同体の原点... 中国
共同体の原点を、東へ、東へと辿り、中国の最古の国家に求める。古代中国には「四書五経」という偉大な書群があるが、本書は「五経」の方に触れ、法律と道徳の源泉を探る。五経とは、歴史の原典「書経」、占いや漢字の元をなす図形を扱った「易経」、古揺を集めた「詩経」、礼儀作法の教説「礼記」、音楽論「楽経」。これに、孔子が手を加えたとされる魯の国の年代記「春秋」を合わせて「六経」とも言われる。
古代中国では、既に歴史を意識して記述を残す文化が確立していたという。これは非常に高度な文化ではあるが、その半面、歴史書の地位が高まり、一度記述されたことは聖典となり、間違いを修正することが難しくなる。歴史家が大きすぎるほどの権威を持つことになり、歴史が政治家たちの正当化のための手段とされれば本末転倒。
また、国土に侵入してくるタタール人との戦いから集団の結束が正義となる。万里の長城は、まさに人類の奇跡的偉業!大統一国家でもなければ成し遂げられなかっただろう。同時に、多民族国家で分裂紛争を繰り返し、結束を崩さないために、新たな風潮や思想は迫害され、革新的な考えが罪に問われる。西洋的な自由精神の観点から、強制的で受動的、主体性を欠く。義務を強制し、法律も義務を基準に定められる。
しかしながら、平等を重んじた国家で、位階に基づく区別があるだけ。西洋的な固定された奴隷身分の概念もなければ、中世には憧れの国家体制と目された時期もある。
だが、行政職に就く目的は、ひたすら高い地位を求めることになり、社会全体が官僚的になりやすい。親は子供を官吏養成に血眼になり、官吏採用も官僚的となる。政府が奨励する学問が尊敬され、そこに人々が群がり、知識そのものが官僚的に。
罪の問われ方では、殺意、過失、偶発事は一切区別されないと指摘している。大罪で裁かれる時は、家族全員が責任を負わされるとか。連帯責任という概念は、日本にも根強くあり、官僚的性質も強い。危険なのは、行動者の主体的自由や道徳心の一切が否定されることだという。
一方で、身分の上下が考慮されず、軍功赫々たる軍司令官ですら同等に裁かれるのは、平等が徹底されていると指摘している。道徳は強制的で平等はあっても自由はないから、政治体制は専制政治にならざるをえない、と指摘しているが、まるで日本国家のことを言われているような...

2. 歪な身分制度... インド
中国とは、正反対の国家としてインドを挙げている。中国では散文的な知性が制度の隅々にまで行き届くが、インドは空想と感情の国であるという。歪な身分制度として名高いカーストは、神話的な発想からきており、差別だけが独り歩きをしている感がある。
インドの教典「ヴェーダ」は、本来バラモンしか読んではならないものらしい。シュードラ(奴隷民)が読むと罰せられるのだとか。優れた書ならば、なにゆえ万民で共有しないのか。知識の独占も、これまた人間の本性である。バラモンは、カーストの最上位に位置する司祭階級で、政治的にも影響力が強く、生きた神のような存在。宗教的な教典ってやつは、縄張り意識が強く、きわめて排他的で、おまけに解釈まで強制する。
とはいえ、上位民が尊敬される生活をしていれば、下位民が反乱を起こすことはない。それぞれの身分には義務が規定されるが、身分が低いほど決まりも少ないという。このような安定した上下関係を皮相的に眺めれば、西洋人の目に理想郷に見える時期もあった。何事も、他人のものがよく見えたりするものだが...
インド宗教の最高位に「ブラフマン」という宇宙論的な根本原理があるという。肉体を否定することによってブラフマンの力を得るらしい。自我とされるアートマンが、ブラフマンと同一となった状態が「梵我一如」ってやつか。仏教でも、無我の境地を最高の精神状態とされる。この宇宙原理から外れると、社会から抹殺されるという暗黙の了解のようなものがあるという。
バラモンは、苦行によって手に入れた宗教の高みを保持し、けして手放すことはない。生まれつき特権が、下位カーストによって神として崇められるとなれば尚更。カーストは単なる階級制度ではなく、宗教によって後押しされた、より根深い掟となっている。
また、中国には自らの手で歴史書を記述する文化があったが、インド史で信頼できるのは、アレクサンダー大王の遠征後に記されたギリシア人の手による記録ぐらいなものだという。バラモンの記述したものは、歴史を明らかにするという点で良心に欠ける、と指摘している。

3. 自由意思の青年期... ギリシア
ヘーゲルは、クセノフォンやプラトンらが生きた古代ギリシャ世界を、歴史の青年期に位置づける。精神の躍動ぶりは、ホメロスの作品にも見て取れる。
ギリシア文化で最高峰をなすアッティカ地方は、もともとはあらゆる部族の避難所であったという。ペルシアやエジプトなどの抑圧から逃れてきた民族と土着民が融合する社会。現在でも、この地域がイスラム世界からの逃避ルートになっている。古代アッティカは、20世紀、新世界アメリカに、ヨーロッパの既成観念に反発した人々が流れ、さらにヒトラーの台頭で多くの知識人が流入した光景にも重なる。
多種多様な民族の合流が、アテナイを中心に民主主義を育んでいった。当初、海洋的な地形から海賊の棲家となるが、クレタ島のミノス王が海賊を制圧。クレタ島は最初に市民政治が確立されたことで知られる。それは、後のスパルタのような一党支配だったという。古代ギリシアの都市国家体制は、しばしば二つで大別される。アテナイ式とスパルタ式が、それだ。多民族の政治体制では民主制が機能しやすく、単一民族では独裁制が育まれやすいということか。
ヘーゲルは、ギリシアの共和制について、三つの特徴を挙げている。
一つは、信託を取り入れた政治。自主的に決断を下すには、確固たる根拠と主体的な強い意思を示す必要があるが、まだ強靭な意志力をもっていなかった時代。ソクラテスですらダイモニオン(精霊)の声に耳を傾ける。
二つは、奴隷制度。市民が自主的に広場で演説を行い、また聴衆し、ギムナジウム(体操場)で体を鍛え、祭典に参加する、といった権利と義務を持つことは民主主義で必要な条件だという。だが、こうした権利を得、哲学をするためには、市民が仕事から解放される必要があり、労働は奴隷のものとなる。
三つは、都市の範囲をこえることなく、小規模な国家でしか機能しないこと。大規模な国家では様々な利害が衝突する。共同体の人員が日常で顔をあわせ、慣習を同じくし、共通の文化によって成り立つ小規模なレベルでなければならなかった。
また、ソロンは財産の多寡によって四つの等級に分け、党派の対立を緩和しようとしたという。四つの等級は、すべてが公共事業を審議し決定する民会には出席できるが、公職に就くことができるのは上位三等級だけ。
注目すべきは、民会を通して僭主ペイシストラトスが権力を握ったことだ。党派の争いが激しくなると、そこにつけ込むように独裁者が現れる。民衆は移り気が激しく、目前の利害に対して簡単にメフィストフェレスに魂を売る。20世紀初頭、世界で最も民主的とされたヴァイマル共和国の行き詰まりが、見事に怪物独裁者の呼び水となった。フランス革命では、自由、平等、博愛を掲げたにもかかわらず、すぐにロベスピエールらの恐怖政治と化し、ナポレオンが登場しなければ収まらなかった。共和制ローマも、帝制へ引き戻された。古代ギリシアには、既に民主主義の弱点と限界が暴かれている。「徳が民主制の基礎である。」とは、モンテスキューの言葉である。
さらに、ペリクレスが民主化を促進した。アレオパゴス(評議会)の権限を制限し、職務を民会と法定に分散。彼は、私生活を犠牲にして祭礼や宴会を自粛し、国家のために尽くした人物として評され、アリストファネスは「アテネのゼウス」と呼んだそうな。
真の民主制で最高権力を握ることができるのは、人格と自信であるとしている。ただ、この二つの性質を巧みに演じることは、政治屋の得意とするところ。自由社会とは、徳のもとで発揮される自然的な監視体制ということは言えるかもしれない。
しかしながら、自由社会アテナイもまた堕落の道を歩む。道徳そのものが堕落の要因となるのはスパルタも同じだが、現れ方が違う。アテナイではあけっぴろげで軽率な党派紛争という形をとり、スパルタでは所有欲と私生活の乱れという形をとる。民衆を扇動する弁論術はアテナイを中心に発達し、ソフィストの活躍の場となった。やがて互いの堕落が引き寄せ合うかのように、ペロポネソス戦争へと導かれる。市民が困窮すれば、唯一の政策が植民地を求めることへ。アテナイは海軍によって外への征服を続け、スパルタは海軍を持たずに内陸支配に固執する。ペロポネソス戦争は、政治体制という価値観をめぐるものであったか。この時代にあって既にイデオロギー戦争の様相を見せる。

4. 哲学的な思想改革... ゲルマン世界
ローマ帝国の厳しい迫害に耐えながらも、国教の地位を獲得したキリスト教は、もともとは寛容な思想だったに違いない。迫害から逃れるために秘密主義をとり、あまり知られていない多種多様な福音が存在したはずだし、だからこそ生き延びることができたのだろう。
しかしながら、四つの福音書を正典とすれば、それ以外は異端とされ、人々を区別なく救済するという本来の目的から逸脱する。その暴挙ぶりは十字軍という形で現れた。アレクサンドリア図書館は襲撃され、ヒュパティアのような優れた知識人を虐殺。宗教の狂乱ほど恐ろしいものはなく、博愛を唱える修道士ですら最も残虐な行為に及ぶ。
宗教弾圧が千年以上も続けば、キリスト教の本来の在り方とはなんぞや?と疑問を持つのも自然であろう。いや、宗教改革までの経過が長過ぎたのは、人間精神に宿る宗教心の根深さを物語っている。野望を抱く政治屋どもが宗教を利用しない手はない。教理が教会から与えられる以上、思考は自由とは言えないし、奴隷となんら変わらない。自分で教理を一つ一つ検証してみるのが哲学というもの。スコラ学者アンセルムはこう言ったという。
「信仰を手にいれたあとに、信仰の内容を思考によってたしかめようとしないのは怠惰である。」
そして、思想改革はゲルマン世界において起こった。ゲルマン民族には、ローマ帝国と敵対する部族と共存する部族が混在する。一般的には、ゲルマン民族の大移動がローマ帝国滅亡の直接的な原因の一つとされるが、タキトゥスの著作「年代記」を読めば、既にローマ社会が堕落していたことを教えてくれる。当初のゲルマン精神では義務の観念が乏しく、個人の意思が強い傾向にあったという。タキトゥスも、神とは無縁の民族として、その粗暴ぶりを記している。何かのきっかけで共同精神を目覚めさせたものと思われるが、ローマという巨大な敵を前にしたからであろうか?
さて、中世の終わりを告げる宗教改革は、カトリック教会の堕落の中で生じた。それは偶然に起こったものでなければ、権力の乱用でもないという。教会の堕落は教会自身に原因があり、欲望や主観的利害、あるいは利己的な意思がそうさせたと。ただし、堕落は教会だけにとどまらず、皇帝しかり、貴族しかり、民衆またしかり。すべてが堕落に見舞われれば、単純素朴な心情から反乱が生じる。それは修道僧ルターに発した。ルターの教えによると、こういうことらしい。
「ここにある無限の主体性、つまり、真の精神性たるイエス・キリストは、けっして目に見える形で目の前に現実に存在するのではなく、人間が神と和解するかぎりで精神的なものとして獲得することができる。つまり、信仰と満足のうちに得られる。」
これは何もカトリックと矛盾するようには見えない。それどころか、キリスト教の原点に立ち返ろうとしているように映る。当時のカトリックは、あまりにも具体的に世俗を支配しようとし過ぎたということか。ルターによる聖書のドイツ語訳は、ルター聖書と呼ばれるくらいだから、よほど影響力があったと見える。そもそも聖書が外国語で訳されることにも論争があった時代で、当時フランス語訳版は作られなかったらしい。国民の書が存在することは、国民に読書能力を要請することになるが、カトリックの国々では、その条件があまりにも満たされていなかったという。宗教改革は、純粋なゲルマン民族にだけ受け入れられたとか。
ちなみに、タキトゥスの著作「ゲルマーニア」によると、イギリスへ移住したアングロ・サクソン系もゲルマン種族としていた。ヒトラーがイギリスに好意的であったとされるのも、このあたりからくるのかもしれない。
ただ、自由意思が認められるのは一部のエリート階層でけで、農奴解放は基本的人権が登場するまで待つことに...
さらに、古代ギリシア文化への回帰という形で現れたルネサンスがドイツに広まる時期と、宗教改革の時代が重なるのも偶然ではあるまい。その意思は、啓蒙時代に受け継がれることに...

5. 悪魔との和解が急務... 現代
ところで、宗教嫌いなおいらは、昔からプロテスタントという用語の扱いが微妙だと感じてきた。ルター派もあればカルヴァン派もあるし、反カトリックという意味では英国国教会を含む場合もあり、実に多種多様。カトリックからの分裂派という意味で、東方教会やロシア正教会までは含まないようだけど...
すべてを遡れば、だいたい同じところに辿り着くという意味では、信仰心は人類にとって普遍的な存在なのだろう。おいらは無宗教者で無神論者であるが、それでも、なんとなく宇宙論的な絶対的存在を信じているし、それが宗教の言う「神」とは違うような気がしてならないというだけのこと。実際、キリスト教徒と称して科学的な見地から教会とは距離を置いたり、独自のキリスト教を再構築する人もいるし、安楽死ビジネスを敬虔なキリスト教徒が運営していたりする。そういう人たちは布教という行為には、あまり出ないようである。人間の信仰心は実に多種多様で、精神を宗教団体などという枠組みで画一化できるものではないし、ましてや強制できるものでもあるまい。仲間意識を煽る人ほど人頼みに走り、人に依存しようとしているだけのことかもしれん。
ユダヤ教はエジプトの神から派生し、キリスト教はユダヤ教から派生し、イスラム教にしてもこれらの影響を受けている。古代ギリシア時代には、ゼウスを中心としながらも実に個性的な神々が共存していたが、一神教になった途端に歪になるのかは知らん。人々を救済するはずの宗教が寛容性を失い、排外主義に憑かれた時、悪魔と化すのかも知らん。どんな大罪人でも懺悔すれば救済されるというのに、異端というだけで罪のない人々まで抹殺にかかるとは、これいかに?しかも、紛争は近い地域や近い思想の間で生じやすいし、親兄弟の間で生じる憎しみほど根が深い。人間ってやつは、本質的に差別好きで、縄張り意識が強く、自己存在を強調せずにはいられない。善や徳を唱える前に、メフィストフェレスと和解することの方を優先するべきなのかもしれん...

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