2017-03-12

"お能・老木の花" 白洲正子 著

能といえば...
紋切り型の舞台演芸というイメージが強く、どうも近寄りがたい。日本の伝統芸能を日本人が馴染めないとは、どういうわけだ?海外公演の話はよく耳にするし、ユネスコの無形文化遺産にも登録されているというのに... などと思ってきた。
ところが、映画「のぼうの城」で、成田長親を演じる野村萬斎さんの田楽踊りは、滑稽ながらも奇妙な美を醸し出す。

♪~ がってんかぁ?... がってんじゃあ、がってんがってんがってんじゃあ ~♪
♪~ れんろんれんろんれんろんやぁ... ひょろろん、ひょろろん ~♪

その動きには、自由奔放でありながらも、何かに裏付けられた型というものを感じる。そして、漫才や落語も伝統的な話芸の型から派生したものであろうし、多分、その原点も庶民を喜ばすことを快感とする遊び心から発しているだろうし、多分、型破りという型もあるのではないか... というふうに考えるようになった。おかげで、つまらないイメージーも少しやわらぎ、ときどき貧乏臭い着物姿で博多座へも出かけるようになった。
本書は、そんな酔いどれド素人にも分かったような気分にさせてくれる入門書で、「お能」、「梅若実聞書」、「老木の花」の三作品が収録される。おまけに、いきなり冒頭から仕掛けてくるフレーズにイチコロよ!
「お能というものはつかみどころのない、透明な、まるいものである、と一口に言ってしまうこともできます。同時に何千何万のことばをつらねても、言いつくせないものであります。芸術はすべてそのようにとめどのないものですが、それは片手にのせるほどの小さな茶碗一個でも完全に表現することができます。お能もまたそのとめどのないものの円満な代表者であります。」

芸が術となった時、権威をまとい、敷居が高くなり、鑑賞者に高みに登ってこい!と要請してくる。本書は、そんな術も、もともとは娯楽芸、いや滑稽芸から発していることを教えてくれる。
「お能は純粋に民族的のところから発生した...」
そもそも芸術と自由精神は相性がいいはずで、自由人は型に嵌められることを極端に嫌う。
しかし、だ。型に真理の奥義が秘められているとすれば、どうであろう。型の本質を見極めようという欲求に憑かれては、型と型破りの境界をさまよい、模写を尽くす。そして、神と腕比べをし、ついに、自我に参った!と言わせた瞬間、真の型破りが始まる。これが独創性ってやつか。こうした傾向は、ルネサンス時代の芸術家たちにも見られる。ラファエロしかり、ミケランジェロしかり、ダヴィンチしかり... 模写を尽くす根本的な動機は物マネに発し、その根底には大人たちの仕草に憧れる子供心がある。
一方で、マックス・ヴェーバーは、プロテスタンティズムの禁欲精神が、資本主義的な自由精神を覚醒させたと論じた。愛は障害があるほど燃え、禁断の愛では炎はより大きくなる。逆説的ではあるが、模倣が独創を育み、抑圧が自由を覚醒させるのは、相対的な認識能力しか発揮できない知的生命体の宿命であろう。厳格な型と厳しい稽古に裏付けられた自由精神の芽生え。それは、真に型を習得した者にしか打ち破れない領域にあるのやもしれん...
「... 名人なる者はこれもまた一個の不完全な人間で、いわゆる芸術家として発言することもしないほどの職人であればこそ『お能』が演じられるのです。」

舞台芸術というものは、その時代の民衆を喜ばせるものでなければならないわけで、社会慣習が変われば型も変化していく。人を喜ばせる芸も、見慣れてくれば、喜びは半減していく。観衆の目は肥えていき、贅沢になっていき、より刺激を求めてくる。おのずと芸にも磨きがかかり、巧妙かつ高度化して、ついに術の域に達する。
そして、庶民には手の届かない存在になるとは、なんと皮肉であろう。偉大な芸術を目の前にすれば、手も足もでない。十分に成熟した芸術は、信仰と見分けがつかない。無知を知れば、黙って見るほかはない。最低な感想は、作者や演技者はいったい何が言いたいのか?といったものだ。自己の能力が自己の自由を奪うとなれば、世阿弥の言葉がぐさりと刺さる。

 惣じて目ききばかりにて能を知らぬ人もあり。
 能をば知れども目のきかぬもあり。
 目智相応せばよき見てなるべし
 ...「花鏡」批判の事

1. お能と能楽
「能楽」といういかめしい言葉が通用するようになったのは、明治になってからだという。江戸時代にも能楽という用語はあったようだが、「お能」「乱舞」などと呼ぶ方が一般的だったらしい。お能の前身は猿楽とされるが、そんな単純なものでもないようだ。
「お能がいつ、どこで、どうして発生したかと言うことは、おそらくだれにもはっきりと言えないと思います。舞踊の歴史は人類とともに古いのです。お能はその長い長い舞踊史をつづるクサリの一部です。ひとつのクサリが他のクサリを生み、長くなるにしたがってたがいにもつれ合い、こんがらかってしまいました。そのクサリのひとつひとつを名づけて、あるいは傀儡子(くぐつ)、あるいは侏儒舞(ひきひとまい)、あるいは白拍子、あるいは曲舞、あるいは田楽、あるいは咒師(じゆし)、... などと申します。」
他には、奈良時代に中国から伝来した「散楽」というクサリもあるという。観阿弥は結崎座の座頭で、大和猿楽の一派。別の一派に近江猿楽というのもあるとか。世阿弥は競争相手の近江猿楽の特長にも目をつけ、大和猿楽に一部は吸収され、一部は滅んだという。
能楽とは、お能でもあり、乱舞でもあり、猿楽、散楽、申楽でもあり、猿楽の能と呼ばれたりもし、おまけに猿楽同士の枠をも集めたもので、まさに掴みどころがない。だがそれは、結果を見てそう言えるのであって、世阿弥の意図したことかは定かではない。
さらに、能には「中心といえるものがない」と指摘している。中心がなければ、すべてが中心を主張し、芸術家のエゴイズムを助長する。エゴイズムが肥大化した時に自由が見えてくるのだろうが、それができるのは名人だけだろう。中心点は無数の点となり、無限という無は無意識の象徴にまで高められ、そこから思いがけぬ美が生じるというものか。
最上の演出を「冷えたる能」とか、「闌けたる位」とか言うそうな。してみると、わび、さび、陰翳、冷え、枯れといった言葉も逆理であって、文字通り受け取るわけにはいかない。美の完全は、宇宙の不完全によって生じる。不完全とは柔軟性であり、柔軟性は自由精神と相性がすこぶるいい。黄金の茶室などは美の愚弄、冒涜の類い。凡人が真似れば、自我を肥大化させるだけで、権威主義の餌食となる。
また、お能は、武士がこしらえた文化だという。鎌倉時代の田楽が武家社会の生活を反映していたようである。武士には、いつ死が訪れるか分からない。元服すれば、まずもって切腹の作法が伝授される。生の儚さを、型に縋る思いであったのだろうか。
平安朝の文化人の理想は、現世に快楽を求めることで、来世は現世の延長と考えていたという。黙って極楽を待つより、今を極楽へ。お能には、幽玄との対話が組み込まれる。幽霊、神、鬼、天狗、化身、草木の精、狂人、神がかりなどが登場するのも、ある種の現実逃避であろうか。来世を描けば、現世に皮肉を込めずにはいられない。お能は型に嵌まりすぎていて、芝居のような個性がないとも言われる。
だがそれは、あまりにも抽象的だからということらしい。いや、普遍的と言った方がいいかもしれない。現実の人間はあまりにも個性が溢れ、能にとっては煩わしい存在であり、幽霊の方が煩わしくないとでもいうのか。死人と付き合う方が分かりやすいと言えば、そうかもしれん。幽玄に羽衣を着せて虚像を演じるのも、仏像や聖像を拝むのも、はたまた彫刻や絵画を賞賛するのも、たいして変わらないと言えば、そうかもしれん...
「芸術家は自然に対してさほど忠実でなくても、またその反対に自然がほとんど消滅していても芸術が成りたつことは、お能のもつ不自然さがもっともよく証明いたします。」

2. 世阿弥
室町時代には、お能は非芸術的な演戯とされたそうな。ある歴史書によると、江戸時代、歌舞伎役者は河原者や河原乞食などと呼ばれ、卑しめられたと聞く。これと同じような処遇であろうか。娯楽芸は庶民から発した文化であり、身分の高い連中には、やはり低俗なのか。現在でも、お笑い芸を低俗とする論調を見かける。笑いの感情は、高等な動物の証だとも言われるのだけど。
この卑しいお能を芸術にまで育てたのが、世阿弥である。世阿弥は美しい少年で、将軍足利義満の目に留まったという。義満がどれほど芸術的な精神を持ち合わせていたかは知らんが、その派手好きは金閣寺に見て取れる。世阿弥は、謙虚に、したたかに生きたという。自己の内にある芸術家を抑えつけてまで、自己を殺してまで。芸術家を気取らない芸術家といったところであろうか。純粋な精神から発する芸術は、真理を暴くために、しばしば政治の思惑と対立する。しかも、民衆への影響力が強く、政治家は無視できない。それは、いつの時代でも同じだ。
本書は、身の程を知っていたから、お能の型を完成させられたと指摘している。言い換えれば、世渡り上手とも言えそうで、芸術家としての立場は千利休と対称的ですらある。利休の運命が、自分の意にかなっていたかは別にして。
ただ、義満に寵愛されながらも、その愛に溺れず、世阿弥の作品の中に一つとして将軍を讃えたものは見当たらないそうな。将軍の機嫌をとってまで生き永らえようとは思わなかったということか。やはり自由精神は芸術家にとって命か...
世阿弥は理論家でもあり、「花伝書」をはじめ十六もの書を残したという。そこには能の本質、構成法、教育方針などが語られているとか...
「世阿弥の遺書が現代人をまんぞくさせるのは、今から五百年も前に私たちと同じことを思っていた人があるということを発見することにあります。」

3. 序破急
日本の伝統芸能に限らず、舞台劇を鑑賞する人は、「序破急」という言葉を耳にしたことがあるだろう。いわゆる三幕構成である。世阿弥は、こう書いているという。

「序ははじめであるから正しい姿である。また自然の姿である」
「破はそれに和してこまかく手をつくし注釈をほどこす部分である」
「急は急速におしつめて最後をかざる部分である」

お能の場合、正式な番組は五つで構成されるそうな。一、脇能... 二、修羅能... 三、かつらもの(または三番目物とも)... 四、狂女物あるいは四番目物...五、切能。このうち、脇能と修羅能が「序」、かつらものが「破」、切能は「急」に属すという。
なんとなく、プラトンが唱えた「イデア論」、あるいは、ヘシオドスの唱えた人間の「五つの種族」に通ずるものを感じる。序に精神の原型、すなわち純粋な魂を据え、狂気の末に鉄の種族へと変化していく様に...

4. 香道
本書は、お能とお香の類似性を語ってくれる。これは、リラクゼーションのためにお香を焚く酔いどれには見逃せない。お香ほど抽象的なものもあるまい。そこにあるのは香木と煙だけ、あまりにも自然であるがゆえに誤魔化せない。匂いは純粋に直感を刺激し、お香には匂いを楽しむという遊び心が具わっている。無意識と遊び心の共存だ。お能の役者もありのままの姿を演じながら、なんらかの型を強要している。
香道における志野宗信は、お能における世阿弥のような存在。彼は、香木を六種類に分類したという。それは「六国」とも「六木」とも言われる。それぞれ南の国の名をとって、伽羅(きやら)、羅国(らこく)、真那伽(まなか)、真南蛮(まなばん)、寸聞多羅(すもたら)、佐曾羅(さそら)と名付けたという。六歌仙にかたどって六種五味を嗅ぎ分けると...

  • 伽羅 = 苦... 品位高く優にして苦味を主とす。高尚なる事雲上人の如し、故に僧正遍昭とす。
  • 羅国 = 辛... 薫り鋭く苦味を帯びて白檀の如き処あり。凛然たる武士に似たり。業平の表面女色を装へど内心の大志を抱けるに比すべし。
  • 真那伽 = 鹹... 薫り軽く艶にして早く香の失するを良しとす。少し癖ありて愁を含める女に似たれば小野とす。
  • 真南蛮 = 甘... 甘味を主とす。他に劣りて卑しき処あり。故に山賤の花蔭に休らへる黒主に適すべし。
  • 寸聞多羅 = 酸... 酸味を主とす。品位優ならず。いはば商人のよき衣着たりとやいはむ。故に此を康秀と見たつべし。
  • 佐曾羅 = 酸... 香気冷やかにして酸上品なるは伽羅に紛ふ処あり。高尚なれば高僧の部として喜撰に擬す。

この六種五味を会得すれば、何百何千ものお香をききわけられるとのこと。そして、この五味が、お能の五つの構成に通ずるというわけである。すなわち、優美で品のよい伽羅は「かつらもの」、白檀のように凛然たる羅国は「修羅能」、愁いを含む真那伽は「狂女物」、やや品の落ちる真南蛮は「他の四番目物」、最も優美でない寸聞多羅は「切能」、冷ややかにすがすがしい佐曾羅は「脇能」と...
「知識をもたないために直感にたよるほかはない... 人間の知識が発達するにつれてにぶくなった直感は、人が知識にたよれない場合に限り溌剌とよみがえる...」

5. 梅若実聞書
梅若六郎の父、梅若実が73歳で隠居に際してのエピソードを紹介してくれる。著者は「花伝書」を携えて、「先生、この本をお読みになったことありますか。これこそ本当の芸術論というものです。」という挑戦的な質問に、翁はこう答えたという。
「いえ、そういうけっこうな書物がある事は聞いておりましたが、未だ拝見したことはございません。芸が出来上がるまで、決して見てはならないと父にかたく止められておりましたので。... しかし、もういいかと思います。が、私なぞが拝見して解りますでしょうか...」
人生という厳しい修行を生きた者にしか発せない言葉であろう。どんな難解な書を読んでも、分かった気になれる惚れっぽい酔いどれとは大違い。全然分かっていないから、分かったふりが平然とできる。
また、名人の芸に対する態度を、アランことエミール=オーギュスト・シャルティエの文章と重ねている。
「剣術を習った人はよく知っている様に、腕をのばそうとする努力は、まさにその努力の為に、腕を完全に伸ばし切る事を不可能にする。この様な場合には、反対に、その事に頭を使わないで成功する様な、何かしら柔軟なもの、無関心なものが必要である。... 大衆が喜ぶのは、その結果よりも、結果を生む為にはらわれる努力の方に拍手喝采をするのであって、実際の話が、我々は自己の欲望に褒美を出しているのだ。」
剣術も一種の舞踊と言えよう。いずれも究極の意味において、敵は相手ではなく、己にある。結果として相手を負かすことよりも、真の意味で己に勝つ... 何かを悟った境地とは、こういうものを言うのであろうか。心眼とは、目が見える以上に見えるものらしい。凡人は、目が見えたところで盲目であり続ける...

6. 老木の花
「初心忘るべからず」とは、世阿弥の言葉と言われる。その言葉にふさわしい能の名人に、友枝喜久夫という人を紹介してくれる。渡辺保という人は、こう評したという。
「仕舞はその姿勢 - 構えが大事である。ところが友枝喜久夫の構えは、一見構えともいえないような無雑作なものである。右手に持った扇がダラリと下がっている。この無雑作な扇が、しかし身体全体に不思議な色気を漂わせるから不思議である。無雑作に見えても技術をこえなければ持てる扇ではない。技術によって技術にとらわれず。すなわちそこに自由な心境がある。」
無雑作から生まれる技術とは、無からの有への体現であろうか。能を難解なものにしたのはインテリであって、芸術に祭りあげ、専門家がそれに便乗して権威主義を造りあげたが、友枝喜久夫にはそれがないという。
「一時的な快楽を与えて過ぎ去って行くものと、血の出るような訓練をして、技術を超越したところに現れる不滅の美は、その強烈なことにおいて変りはなく、たまたま会えるか会えないか、見物の心ひとつにある。テレビの普及は私たちを怠け者にしてしまい、受動的にしかものが見られなくなっている。解らないとか難しいというのも現代のマスコミが作り出した概念にすぎず、そんなことをいい出したら、絵や彫刻だって能以上に解らないし、難しいのである。」

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