2017-10-29

"ウバールの悪魔(上/下)" James Rollins 著

シグマフォースシリーズは十作品を越え、もうついていけない。学生時代であれば、間違いなく追尾していたであろう。一旦、推理モノに手を出せば、かっぱえびせん状態に陥り、次の日はまず仕事にならない。おいらの読書スタイルの基本がこのジャンルであり、それが幸か不幸か...
そして、のんびりとシリーズ 1 から「マギの聖骨」、「ナチの亡霊」、「ユダの覚醒」、「ロマの血脈」の順に追ってきたが、なぜか、ここでシリーズ 0 に戻る。というのも、「ウバールの悪魔」は最初に発表されながら、日本では、5番目に刊行されている。0番を加えたのは、やや苦し紛れ感があるものの、シリーズ半ばで原点の作品に立ち返ってみるのも悪くない。惚れっぽい追い手は、素直に出版順に従うのであった...

原点に立ち返る意味で、シグマフォースという組織を軽くおさらいしておこう。それは、米国防総省の DARPA(国防高等研究計画局) 直属の秘密特殊部隊で、「殺しの訓練を受けた科学者」と形容される。Σ(シグマ)記号は数学では総合和を意味し、物理学、生物学、電子工学、考古学、人類学、遺伝子工学などあらゆる専門知識を融合した天才集団というわけである。もちろん架空の組織だ。ただ、DARPA は実在するし、これに相当する組織がないとは言い切れまい。
ロリンズ小説の最大の魅力は、科学と歴史学を融合させる手腕にあると思う。科学は最先端の知識を重んじる立場にあり、歴史学は過去の知識を遡る立場にあり、各々が時間と空間を越えて調和してこそ、真の知識を覚醒させると言わんばかりに。しかも、古代知識の偉大さを描きながら、歴史の可能性ってやつを匂わせてやがる。現代人が流行知識に振り回される様を嘲笑うがごとく...
また、あらゆる行動には緻密な分析がともない、アクションと知識、すなわち、動と静の絶妙なバランスも見逃せない。ただ奇妙なことに、動の領域に文章のオアシスを感じる。静の領域はあまりに知識が溢れ、何度も読み返して疲れ果てるのだ。無尽蔵な知識の中に放り込まれるとアクションの方に安らぎを覚え、動脈と静脈が逆流するかのような感覚に見舞われる。結果よりも原因や過程、さらには背景に重きを置き、読者にかなりの気合と体力を要請してくるのも、前戯の大好きな酔いどれには、たまらない...

舞台は、大英博物館、ナビー・イムラーンの霊廟、アイユーブの霊廟、そして、シスルへ。大英博物館の功績の一つに、皮肉にも植民地時代にコレクションされた人類の遺産の保管場所になっていることが挙げられる。時の征服者たちは考古学的な発見に価値を見いだせず、破壊された事例も珍しくないが、ここに収集されれば安全管理される。
本物語では、その遺産の一つが爆発した謎の物理現象が発端となる。それは、アラビア半島の東端に位置するオマーンで発掘されたナビー・イムラーンの霊廟に関するもの。アラビアで最も有名な墓は、聖書やコーランにも出てくる人物を祀っている。そう、ナビー・イムラーンとは聖母マリアの父だ。本当に、ここに眠っているのかは知らんが...
暗号を解読した一向は、次にアイユーブの霊廟へと導かれる。アイユーブは旧約聖書ではヨブと言い、これまた聖書にもコーランにも出てくる人物で、神への信仰を貫いたことで知られる。そして、最後に導かれる場所はシスル、そこはシバの女王が封印した古代都市ウバールだったとさ...
この道しるべとなるのが、いずれもユダヤ教、キリスト教、イスラム教で共通して崇められる人物である。人類の禁断の知識、すなわち、パンドラの箱を開けるには、一つの宗教に頼るのでは心許ない。だからこそ、人類共通の悪魔を封じ込めるために、宗教を越えて崇められるほどの存在に縋ったというのか。
しかし皮肉なことに、もともと兄弟であった三つの主教が骨肉相食むという長い歴史がある。人間の憎しみってやつは、血が濃いほど倍増するものらしい。
一方、大英博物館の爆発原因の方はというと、鍵となる物理現象は、古くから伝えられる球電現象から始まり、乾燥状態で起こりやすい静電気、砂漠特有の巨大な砂嵐、そして、無尽蔵のエネルギー源となる反物質へと至る。この反物質ってやつが、すべてのエネルギーを引き寄せる。人間どもの野望までも。人間精神の物理構造が原子や電子で構成されているのだから、それも自然というものか。
しかしながら、物質と触れた瞬間に対消滅してしまう代物だ。物質同士が反応すれば、いがみ合うっていうのに。存在を重んじる物質界の住人にとっては、なんとも掴みどころのない存在なのである。反物質を安定した状態で物質界に留まらせる方法があるとすれば?それが大英博物館のコレクションの中にあるのか?シバの女王が封印しなければならぬほどの脅威とは?人類にはまだ、それを知る資格がないということか...

1. あらすじ
激しい雷雨に見舞われた夜、大英博物館で爆発事件が発生。防犯カメラには、青い火の玉を追う警備員の姿が映っていた。これが、古代から伝えられる球電ってやつか。オマーン出身の学芸員サフィア・アル=マーズは、爆発物の痕跡から古代アラビア語で「UBAR」に相当する文字を発見し、現地調査へ向かう。
一方、シグマフォースのペインター・クロウ隊長は、爆発の陰に無尽蔵のエネルギーを持つ反物質が存在していることを掴み、身分を隠してサフィアたちに同行する。無尽蔵のエネルギーと聞けば、各国政府の諜報機関だけでなく、あらゆる集団が群がる。テロリストも、ブラックマーケットの裏組織も。反物質にはそれだけの魅力がある。1グラムもあれば、原子爆弾相当のエネルギーを生み出す力があるのだから。
テロ組織ギルドも反物質を狙っていた。サフィアはギルドに拉致され、霊廟で発見された手がかりをもとに古代都市ウバールの場所を突き止める。ペインターたちもサフィアの足取りを追ってウバールへ。
しかしながら、超大型の砂嵐が迫り、地下に封印されていた反物質の湖が攪拌し始めていた。不安定になった反物質は、いままさに膨大なエネルギーを放とうとしていたのである...

2. 失われた古代都市
紀元前九百年頃、都市ウバールは数少ない水場の近くに建設された。シバの女王が生きていたとされる時期に。この地は、オマーンの沿岸部の山々の乳香の木々の林と、北の豊かな都市の市場とを結ぶ「乳香の道」の重要な交易所となった。
庭園都市サラーラはドファール特別行政区の中心都市で、このあたりだけがモンスーン気候に恵まれ、一定の雨量が観測されたという。ペルシア湾からアラビア半島にかけて、このような恵まれた気候は他に例がなく、そのために希少な乳香の採れる樹木が育ったのだとか。二万年前、オマーンの砂漠が緑豊かなサバンナに覆われ、川や湖が多く点在したことは、考古学的にも明らかにされているそうな。砂漠化したのは、「軌道強制力」「ミランコビッチ・サイクル」といった自然現象のためだと考えられているとか。
古代都市ウバールは何世紀にも渡って繁栄したが、西暦三百年頃に巨大な陥没穴にのみ込まれ、迷信深い住民たちは砂に埋れた街を放棄したと言い伝えられている。王が預言者フードの警告を一笑したために神の怒りに触れ、都市は地上から姿を消したとさ。アトランティスの砂漠版か。
ウバールは、イラーム、ワバール、「千の柱の都」などの名で呼ばれ、都市伝説はコーランやアラビアンナイト(千夜一夜物語)、あるいはアレクサンドリア図書館所蔵の文献にも見つけることができるという。
人間や動物が石になったという物語は、各地の神話で無数に伝わるが、「千夜一夜物語」の中にも二つある。「石になった町」「真鍮の都」で、どちらも失われた砂漠の街の発見にまつわる物語。一つ目は、退廃した街は神の怒りに触れ、住民たちは罪によって固められてしまい、二つ目は、真鍮にされてしまう。本物語では、この二つ目の伝説と失われた都市を結びつける。
尚、シスルは最初にウバールの廃墟が見つかった場所で、1992年、アマチュア考古学者ニコラス・クラップによって衛星地中レーダーを使って発見されたという。

3. ツングースカの大爆発
球電現象は、古代ギリシア時代から報告され、現在でも目撃例があり、多くの記録が残される。原理には諸説あり、雷雨の中で電離した空気によって生じる浮遊性のプラズマという説や、雷が地面に落ちた際に土壌中から蒸発した二酸化ケイ素とする説など、あるいは、UFO説との関連までも囁かれる。
では、本物語の爆発事件とどう関係するというのか?雷雨や落雷で、静電気が起こりやすい状況にあったことは考えられる。静電気に誘発されて何かが化学反応を起こした結果なのか?
ちなみに、1908年、ロシアのツングースカで大爆発が発生した。隕石が衝突して、大気中で爆発したと思われる事件である。だが、隕石落下説には、いくつかの問題が指摘されている。電磁パルスが地球の半分を覆ったほどの大規模な現象であったにもかかわらず、隕石の欠片を発見することができなかったこと。爆発の衝撃は、40メガトンとも、後に、5メガトンと訂正されたりと、情報が錯綜している。
尚、約五万年前のアリゾナの事例では、2メガトンほどの衝撃で、直径約1.5キロ、深さ150メートルの巨大クレーターを残しているが、ツングースカではクレーターも見つかっていないらしい。樹木が爆心地を中心に外側へ倒れたために、爆発の中心点がはっきりと判明しているというのに。
通常、炭素系の隕石はイリジウムの痕跡を残す。本物語では、証拠となるはずのイリジウムの塵すら見つかっていないとしているが、後に検出されたという報告もあるようだ。
ただ、この地域では、興味深い生物学的な影響が見られるそうな。シダ類の成長が早まったり、マツの木や種子や葉、さらにはアリにまでも遺伝子異常が見られるほどの突然変異が増加したり。この地域に住むエヴェンキ族の間では、血液 Rh 因子に異常が見られたという。いずれも放射線被曝による影響で、ガンマ線由来の放射線の可能性が高いということらしい。
本物語では、赤血球細胞の突然変異によって超能力を有する女系種族が鍵を握る。そして、爆発物はオマーンの遺跡から発掘された隕石で、しかも、この隕石に反物質なるものが封じ込められていたという想定で。反物質ってやつが、量子力学的に神の賜物である超能力を目覚めさせるのか...

4. 反物質とバッキーボール
量子論ってやつは、なんでもありか。量子物理学者は、物質界で説明のつかないエネルギー源を、反物質なるものを登場させて説明を企てる。プラスの現象には、マイナスの現象を登場させて相殺すれば、エネルギー保存則に矛盾することなく説明できるという寸法よ。超対称性ってやつだ。
重力子も、この類いで説明される。例えば、銀河系の形状を保つために必要な引力が不足しているとされるが、仮想粒子なるものを登場させればいい。宇宙空間には、ビッグバンの名残である反物質でできた小惑星や彗星が存在するのではないかという説もある。地球上層には、常に宇宙線に含まれる反物質の粒子が降り注いでおり、大気中の物質に触れるとたちまち消滅してしまう。そもそも物質でできた人間が、反物質なるものを認識すること自体に矛盾がある。宇宙誕生説が、いまだに神との結びつきを断てないでいるのも道理というものか。
さて、反物質が物質界で存在できる原因を、どう説明できるというのか?彫像や隕石の内部に保存されていたとしても、その容器の役割を担う存在が物質であれば、やはり消滅するはず。これを説明するために、結晶学には「バッキーボール」という五角十二面体の結晶構造がある。建築家バックミンスター・フラーにちなんだ名である。
物質界に存在する水素と酸素で構成される分子構造は、周囲の分子とすぐに反応する性質があり、極めて不安定ということができる。例えば、水の分子構造 H2O は、O に対して2つの H が角度を持っているために若干の極性を持つ。バッキーボール構造ならば満遍なく力が均衡し、非常に安定した状態で分子の中心に反物質を閉じ込めることができるというのである。
実際、反物質の生成や保存に成功したという実験が報告されている。スイスの CERN(欧州原子核研究機構)は、反物質の粒子を実際に生成し、ナノセカンドの単位で保つことに成功したなど。近年では、半水素原子を人間が十分に感じられる時間単位で閉じ込めることに成功したという研究報告もあり、SF の域を脱しつつあるようだ。
本物語では、古代都市ウバールの地下に貯まった水が、バッキーボールの湖だというわけである。安定性が高いほど崩壊した時のエネルギーが膨大となるは、物理学の掟。この湖に巨大な砂嵐が近づき、強力な静電気の場が生じたとしたら、青い精霊(ジン)が砂漠の悪魔を目覚めさせる。ここは、ニスナスの住む国だ!

5. 無性生殖と物質界の掟
古代都市ウバールは、ノアの曾孫たちによって築かれたとされる。本物語では、その子孫となる二つの部族が鍵を握る。それは、他の部族と接触を持とうとしないシャフラ族と「ラヒーム」と呼ばれる女系種族である。シャフラ族はドファール山脈に実在し、自らウバール王の跡継ぎと称して、今でもアラビア最古とされる方言を話すそうな。いわば、ウバールの門番か。
さて、興味深いのはラヒームの方である。なぜ女性だけの種族が、数千年に渡って存続しうるのか?これには聖母マリアの処女伝説を見る思い。本物語では、ウバールに祝福された女性たちは不思議な能力を持っている。テレパシーやテレポーテーションの類いだ。自分の意志を他人の心に反映したり、単純な動物ほど操るのが簡単。ただし、しっかりとした意志を覚醒させた者を操ることはできない。
神からの賜物とは、自分の意志で妊娠することである。女性にとって最高の祝福は、子供を授かることという価値観。この生殖アルゴリズムは単為生殖か、いや、無性生殖か。単為生殖とは、昆虫や動物で見られる生殖過程の一つで、雌の遺伝子コードを含む完全な核を持った子供が生まれる。遺伝子的に完全な複製となるが、この女系はクローンとは違う。通常、体の細胞は分裂し、まったく同じものを作り出す。卵巣と睾丸の生殖細胞だけが、女性の卵子と男性の精子という元の遺伝子コードの半分だけを持つ細胞を作り出すように分裂し、それによって遺伝情報が混じり合う。
しかし、もし女性だけが何らかの方法で、例えば意志の力で、未受精卵の分裂を止めることができるとしたら、その結果として生まれる子供は母親の完全な再生となる。そして、この言葉がなんとも薄気味悪い。
「わたしたちが、シバの女王なのです。」
ただ、神から授かった能力も徐々に薄れ、中には男性と恋に落ちて村を離れたり、男が生まれることもあり、純粋な女系血統は徐々に数が減っていったとさ。
子孫の複製では、ほとんどの生物が二つの個体で結ばれることを望む。雌雄同体であっても。生命の複製だけなら単体で生殖する方が合理的であるが、自然界はそうはなっていない。遺伝子にはほんの少し変身願望があるようで、なにかと結合を求めてやまない。これが物質界の掟なのだ。これを人間界では進化と呼ぶが、宇宙法則の観点から進化なのか退化なのかは知らん。反物質ってやつは、物質と接触した途端に無に帰するというのに、物質ってやつは、物質同士で接触すると、さらに欲望を倍増させやがる。

6. ラヒーム女系族とミトコンドリアの突然変異
地下のバッキーボールの湖のように、ラヒーム族の赤血球細胞や体液中には、バッキーボールが満ちているという。だから、テレパシーのような強い意志の力が保存できるということらしい。
この能力は、ミトコンドリア DNA の突然変異だとか。ツングースカの大爆発で植物相や動物相に突然変異が発生したような。それも、自分のDNAではなく、細胞のミトコンドリアのDNAだ。ミトコンドリアとは、細胞の中の小器官で、細胞質の中に浮いていて細胞のエネルギーを作り出す小さなエンジンみたいなもの。大雑把に言えば細胞の電池である。ミトコンドリアは、かつてはバクテリアの一種で独立した生命体であったために、生命体の遺伝子コードとは別に独自の DNA を持ち、進化の過程で哺乳類の細胞に吸収されたと考えられているそうな。
ミトコンドリアは細胞の細胞質にしか存在しないので、母親の卵子中のミトコンドリアがそのまま子供のミトコンドリアになる。だから、この能力は女王の血筋だけに受け継がれたというのである。そして実は、サフィアも...

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