2018-02-04

"サロメ" Oscar Wilde 著

今宵は、深みのある妖しい官能美に誘われ、濃い血の色をしたブランデーを嗜む...

幕は、月光に照らされた宴の場。男どもをクビったけにする王女は、美しく、妖しく... 月の蒼い光に誘われて墓場から抜け出てきたような女人。神の降臨か、いや、悪魔の使いか。死神の祝福を受けた蒼き女は、まもなく場を真っ赤に染める。
本当の事しか言わないと断言する人は、みな嘘つきだ。大人どもは欺瞞や奸策に溺れ、破廉恥を承知で嘘をつくではないか。そうでなければ、幸せにはなれないと。多くの恩恵と叡智にメフィストフェレスがピロートークを仕掛けてくる。口に虚しいと書いて「嘘」... 人の為(ため)と書いて「偽り」... さて、どちらを信じよう。狂気の美に魅せられし者は、自らを狂人にさせるという。ワイルドが聖書に取材した一幕悲劇は、酔いどれ天の邪鬼にはスペクタル官能喜劇に映るのであった...
尚、福田恆存訳版(岩波文庫)を手に取る。

ユダヤの王エロドは預言者ヨカナーンを恐れ、地下の牢獄に幽閉した。王妃エロディアスの先夫は、ここに十二年も閉じ込められ、首を締められて殺されたとさ。王といえども、神がかった呪いの言葉に逆らって、首を刎ねるほどの度胸はないとみえる。なにしろ、この預言者はナザレのお人がお墨付きを与えた人物なのだから...
エロドは兄から王の座を掠奪し、妃をも奪った。今度は妃の娘サロメの妖しい誘惑が忍び寄る。宴の場で、王は王女の踊りをご所望ときた。だが、サロメはごねる。
そして、けして近づいてはならぬ!という王の命に逆らい、預言者の牢獄へ... あたいは、お前に口づけするよ!
すると、近親相姦の呪いの言葉が... 王妃エロディアスの娘よ、パレスチナの女よ、ユダヤの女よ、バビロンの娘よ、背徳の街ソドムの娘よ、去れ!神の宮殿を汚すな!
サロメは踊りの披露と引き換えに、罵詈雑言を浴びせかけた男の首を所望する。彼女が七つのヴェールを纏って踊るは、七つの煉獄を自ら引き受けようというのか。いや、王が恐れる男に近づき、しかもその男の血を欲するは、征服欲からくる退屈しのぎか。その征服も、ヨカナーンに対するというより、エロドへの復讐か。いや、単に狂女というだけのことやもしれん。
ついに首だけになった男は、サロメの口づけに黙って応じるしかない。この汚らわしい光景に王は命じる... サロメを殺せ!
王は死骸がお嫌いと見える。自分で殺した者のほかは...

「サロメ」は、新約聖書を題材にしたオスカー・ワイルドの戯曲である。預言者ヨカナーンは洗礼者ヨハネ、エロド(= ヘロデ・アンティパス)はイエスの誕生を恐れてベツレヘムの幼児虐殺に及んだヘロデ大王の子。惨劇の舞台は、あのナザレの大工の倅が生きたゆかりの地ということになる。エドムの地は、北の死海、南の紅海に挟まれ、死と血に呪われた地ということか。なるほど、預言者の言うことも尤もらしい。
「エドムの地より来たれるものは、深紅に染めし衣をまとひ、その都ボズラより来たれるもの、美々しい装いに光輝き、権威を笠に威張り歩くものは?なにゆえ汝の衣は緋色に染めてあるのか?」

後のユダヤ戦争は、ローマとその属州であったユダヤ人居住区の間で生じたとされるが、本物語は、どさくさに紛れて宗派の抹殺を謀ったことをも匂わせる。
パリサイどもが天使は存在する!と言えば、サドカイどもが天使などいるものか!とくる。同じ宗教の間で、どうして争いごとが。それがユダヤ人というものか。いや、キリスト教だって四つの福音以外は異端とし、仏教にも多くの宗派が反目しあう。
人間には、性癖がある。それは、存在という意識に裏付けされたものだ。しかも、すぐに自己存在を自己愛に昇華させる。自我が嫌になるほどに。集団の中で微妙な違いを唱えては、居場所を求めてやまない。縄張り意識ってやつに。そもそも人間が多すぎるのだ。
ヌピア人はいう...「おれの国の神々は、みな血には目がない。年に二回、若者と娘を生贄に捧げる。若者五十人に娘百人をな。それでもどうやら足りぬらしい、神々は相変わらずおれたちを苛み続けているからな。」
カパドシア人はいう...「おれの国には、もう神々は一人もいなくなってしまった。ローマ人が追い払ってしまったのだ。なかには、山の中に隠れているのだという者もいるが、おれは信じない... きっと、みんな死に絶えてしまったのだろう。」
一方、ユダヤ人は現世に希望を持ち続け、影も形もないただ一人の神を崇めている。彼らの信じるものは、目に見えぬものばかり。それは、イエスの子たちであった...
「盲人の目は日の光を仰ぎ、聾者の耳は開かれる...」

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