2018-02-11

"0ベース思考" Steven D. Levitt & Stephen J. Dubner 著

原題 "Think like a freak." に対して邦題「0ベース思考」とするのに、ちと違和感があった。しかし、よくよく読んでみると、翻訳者櫻井祐子氏の抽象化センスはなかなか...
著者は、"Freakonomics" という造語を編み出したあのコンビ、スティーヴン・レヴィットとスティーヴン・ダブナーである。この語に「ヤバい経済学」という邦題を与えた望月衛氏の大胆さにも感服したが、それも、フリークのように考えよう!ってことかもしれん。とはいえ、ゼロから思考(嗜好)するには、なかなか勇気がいる...

フリークをどう訳すか... 変人、奇人、異形、酔狂、気まぐれ、あるいは俗語的に、麻薬中毒者ってのもありか。純真な子供心からの発想は、脂ぎった大人には難しすぎる。特に常識中毒者には。あの大科学者は言った... 常識とは、十八歳までに身にまとった偏見の塊りである... と。
どんな人間だって、今まで生きてきた積み重ねの中で思想や信念なるものを形成していく。価値観や世界観って呼ばれるやつだ。既に知識と経験が思考回路にバイアスをかけている。しかも無意識に。これをゼロにするということは、過去を否定することになりかねないし、ひいては自己否定を自らに課すことにもなる。人の行動を正解と不正解という基準でしか語れない人間、人の生き方を勝ち組と負け組という基準でしか区別できない人間には、無理な相談だ。キェルケゴールは言った... 人生とは、解のある問題ではない。経験を積みあげていくだけの現実である... と。
道徳ってやつがコンパスを狂わせる。間違えない人生が楽しいのかは知らん。失敗しない人生が退屈しないのかは知らん。問題は、失敗すること自体にあるのではなく、失敗の仕方である。やはり人生の醍醐味は、寄り道、回り道、そして失敗の側にあるような気がする。やはり狂気しなければ、思考というものは生まれないような気がする。とはいえ、本書が課してくる方法論は、酔いどれ天の邪鬼にはなかなか手強い...
「脳を鍛え直して、大小問わずいろいろな問題を普通とは違う方法で考える。ちがう角度から、ちがう筋肉を使って、違う前提で考える。やみくもな楽観も、ひねくれた不信ももたずに、すなおな心で考える。」

ここに提示されるのは、インセンティブという視点から人間の行動パターンを扱う、いわば行動経済学の分野であり、それは、ある種のゲーム理論として捉えることはできよう。人間の行動原理は、必要以上にプレッシャーのかかった場面では成功が第一の目的ではなくなり、世間体の方が優先される傾向にあるということ。失敗するにしても言い訳を求めて行動するということ。他人に対しても、自分に対しても。要するに保険をかけているわけだ。だから、馬鹿馬鹿しいと思われるような思い切った判断ができない。その方が成功率が高いとしてもだ。
まず、これを承知しておかなければ、数学的な方法論は役に立たない。経済学では、専門家の予想的中率はチンパンジー並み!というのをよく耳にする。アナリストの株価予想は、猿が投げるダーツの確率と大差ない!といった類いである。実際、官僚、研究者、国家安全保障の専門家、エコノミストたちの将来予測はよく外れる。そこで、コンピュータ工学にも、外挿アルゴリズムというものがあるにはあるが、あくまでも過去のデータを基準にしたもので、コンピュータだって設定条件を間違えば、金融危機や戦争を予測することはできない。
そして、悩みに悩み、夢の中まで考え尽くし、それでも判断がつかなければ、最後に頼れるのがコイン投げ!という寸法よ。これこそ馬鹿馬鹿しいかもしれないが、最もまっとうな選択肢かもしれん。フリークとは泥酔者か。どうりで酔いどれ天の邪鬼には、心地よく響く言葉である。
ところで、学問の方法論に「独学」ってやつがある。まさにゼロから学ぼうとする意志の顕れ。独学こそ知の最高の賜物!とは、酔いどれ天の邪鬼の信条とするところである。0ベース思考の根源に、この独学の奥義が秘められ、それがフリークのように考えるってことだ!と解するのは、やり過ぎであろうか...

1. 童心に返るは難しすぎる...
まずは、知らないことを知らないと素直に認める勇気を持ちたいものだが、酔いどれ天の邪鬼にはそれすら難しい。自分で思考しているつもりでも、他人の思考をコピーしているだけということもある。扇動者にとって、思考できない者が思考しているつもりで同調している状態ほど都合のよいものはあるまい。目の前の幸せに気づかないこともあれば、自分が気づいていないことに気づかないこともある。せめて後で気づけば少しは幸せか、いや、気づかないままの方が幸せか...
人の意見を聞きたいと宣言して、人の言葉に耳を傾けるように振る舞っていても、実は自分自身でアイデアが編み出せないだけ。しかも、自分の価値観から逸脱する規格外の思考にはまったく耳を貸さない大人は実に多い。そればかりか、つまらない質問を仕掛けては、否定的な答えを導こうと躍起になる。ならば、最初から独りで考えた方がましであろうに。大人どもときたら寂しがり屋で、孤独を極端に忌み嫌う。
一方で、純真な子供は純粋な疑問を投げかけ、カスタマレビューやオススメなんてものにちっとも乗ってこない。客観的な目を持っているのは、大人より子どもの方であろうか。少なくとも、政治的、宗教的、経済的な思惑の入り込む余地はなさそうだ。子供より大人の方が騙されやすいというのは、本当かもしれない。
子供たちはよく愚痴る... ぼくたちの気持ちを大人たちは分かってくれない... と。それは当たり前のことだ。大人同志でも互いが分からないというのに、童心なんてとうに記憶素子の中で消去されている。
ちなみに、児童向けにたくさんの本を書いた作家アイザック・バシェヴィス・シンガーは、「なぜ子どものために書くのか」と題したエッセイで、こう書いているという。
「子どもは書評ではなく、本を読んでくれる。批評家のことなんかちっとも気にしない。そのうえ本が退屈なら、遠慮したり権威を恐れたりせずに、これ見よがしにあくびをする。そしていちばんいいことに... また世界中の物書きがほっとすることに... 子どもはお気に入りの作家に、人類を救えだなんてふっかけない。」

2. そもそも問題が分かっていない...
問題解決の場では、良い質問が良い答えを導くと、よく言われる。見当外れな質問に、優れた答えを与えても混乱するだけで、むしろ害をなすと。そもそも問題が分かっていないことが問題なのだ。
お偉いさんは問題点が羅列されるより、解答が羅列される方が安心できると見える。疑問よりも答えを欲し、目先の問題を一つ解決する度に新たな問題をいくつも発生させる。答えの抽象化も大事だが、それ以前に質問の抽象化ができていない。
「自分がすべての答えを知っているわけじゃないと認めるのにこれだけ勇気がいるんだから、正しい問いすら知らないと認めるのがどれだけ難しいかは、推して知るべし。」

3. やめるのはつらいよ...
「やめることは、フリークのように考える方法の核心にある。」
やめることを躊躇わせる力は、少なくとも三つあるという。
一つは、やめるのは失敗を認めること。
二つは、埋没費用という考え。公共事業がこの類いで、今更やめるのはもったいないという思考が働く。
三つは、目に見えるコストにとらわれすぎて、機会費用や逸失利益のことまで頭が回らないという性向。
人間社会には、偏執的なほどに成功物語ばかりが刻まれ、報道屋ときたら失敗に不名誉のレッテルを貼る。優秀な人材は、失敗も少ないと思われるかもしれないが、優秀な人ほどリスクの高い仕事を背負わされるはずだし、失敗経験も豊富なはずだ。仮に、リスクは高いが会社の将来がかかっている仕事と、誰がやってもそれなりに結果が出る仕事とがあるとすると、経営者はどちらに優秀な人材を割り当てるだろう。
失敗せずに生きてきた人は、そもそも失敗の概念を取り違えているかもしれない。失敗するような仕事を任されたことがないか、あるいは、失敗したことにも気づいていないか。正解ばかり当てにしてきた人もまた、正解の概念を取り違えているかもしれない。そして、失敗せずにきた人、正解ばかり答えてきた人、そのような人が出世するような社風をつくってしまえば、優秀な人材は逃避し、凝り固まった人間集団が残る。俗に言う、官僚化や腐敗化ってやつだ。粉飾決算や不正行為などでスキャンダル沙汰になったら、時すでに遅し。現実に、やめるべきプロジェクトが、惰性的に生き長らえている事例はわんさとある。やめれば負け犬となり、体面を保つことに躍起になり、尚更やめられない。まさに世間体の奴隷と化す。
本書は、フリークのように考えれば、やめるべき見極めができ、おまけに、免疫力がアップすると助言してくれる。やはり問題は失敗ではなく、失敗の仕方であったか。一度やめる経験を積めば、やめるような状況に追い込まれる前に十分に分析を施し、軌道修正ができるだろう。
しかしながら、やめる!という選択肢がベストかどうかも、判断するのは難しい。やめなければ、少なくとも現状は維持され、ある種の保険として機能する。保険好きに、フリークのように考えよう!と言っても無理な相談だ。
もし、やめられたら... 失敗から貴重なフィードバックが得られるかもしれないし、もっと生産的で、もっと刺激的で、もっと充実した人生が送れるかもしれない。ただし、有益なフィードバックを得ても、学ぶには時間がかかる。中途半端な見極めで判断を誤れば、さらに暗い思考へと導かれる。
そこで、「やめる」って言葉がおっかないなら、「捨て去る」と言い換えてみよと助言してくれる。失敗ではなく袋小路の発見と捉え、そこから逃れるという考え方である。袋小路だと分かれば、すごい発見だ!結果的に、やめる方が保守的な考え方ということにもなる。だとしても、世間体だけでなく、自分自身の中でも失敗で片付け、イノベーションを極度に恐れてしまう性癖を、心の奥底に押しとどめておくには、よほどの修行が必要である。
「正しい方法とまちがった方法、かしこい方法とおろかな方法、青信号の方法と赤信号の方法があるなんて思い込みを、ぼくたちはこの本を書くことで葬りたい。」

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